Otherside | ナノ


▼ 5 地上へ

二人は屋敷から転移魔法で地上へ降り立った。場所は最後の舞台となった赤夢湖周辺の仄暗い森林だ。

「信じられないな……こんな簡単に戻ってこれるのか」
「はは。そのへんの海に入るのに許可はいらないだろ? それと同じことだ。冥界内での移動のほうが面倒なくらいだよ」

歩き出すベルンホーンには黒い霧がまとわりついている。彼自身が放つ瘴気の影だ。この世界では異物なのだとよく分かる。

「それで、どこへ行く」
「さあな。俺は地上に詳しくない。とりあえずディーエが死んだ場所に来てみただけさ。……ああ、本当にこの空気は嫌だ。まるで無菌室にいるように呼吸がしづらい」

今日は動きやすいスポーティーな上着を着込んだ悪魔が、首元を擦りながらぼやく。

「お前のほうが詳しいだろう。あの兄弟のところへ案内してくれよ」

シスタが雇われていた当時はほぼ組織を通していたため、仲間の居住地などは知らなかった。
ただ接触案はある。金を払ってくれた当主ラノウの屋敷だ。
魔術に疎い集団なら、自身の異変や悪魔の存在に気づきにくいだろう。

冥界の屋敷内では試しても使えなかった転移魔法がここでは使えた。ベルンホーンが知らないうちに制限を解除したようだった。



白い邸宅の門前は厳重な警護がなされていた。強面の男達に不審に思われたが、事情を話すと奥から人が出てきて、シスタは屋敷内に通された。

ベルンホーンはその様子を遠くから見ている。
やがて青年が出てくると、離れた場所の木々のそばで落ち合った。

「どうだった。お前を知ってる奴はいたか」
「ああ。会合の際に面識のあった当主の部下がいて、私のことを覚えていた。ひどく驚かれたが、危険が迫っていると説明したらシグリエル達の居場所を教えてくれた。信用してもらえてよかったよ。今日は当主はリハビリに向かっていて不在のようだ」

当主が酷い怪我を負ったことや、組織で死傷者が出たことも知り心が痛む。さらに時間が半年以上経過していた事にも驚きを隠せなかった。

一刻を争う二人はその住所へ向かう。

「ここからかなり遠い場所だ。馬を見つけよう。あの部下は優しくて、何も持っていない私に金もくれた」
「何も持っていない? お前には俺がいるだろう。馬なんかより俺のほうが早いぞ」

鼻を鳴らした悪魔は、その場で突然変身をした。モヤの中から現れたのは大型の真っ白い鳥だ。喙も白く緑色の美しい瞳には既視感がある。形は鷹に似ているが人間二人分ぐらい巨大だった。

「なっ……お前は鳥だったのか」
「こういう姿にもなれるというだけだ。俺を鳥扱いするなよ」

そう言うとベルンホーンはローブ姿の青年を勝手に消して自身の体内に収納した。
彼も小さな鳥、たとえばカラスなどに変化できれば乗せることも出来るが、シスタは悪魔ではなく魔人にすぎない。

「さあ行こう、俺にたどり着けない地はない!」

気分が上がった上級悪魔はバサバサと翼をはためかせ、一気に空へ上昇すると高速で駆け抜けた。





本当にものの十数分でベルンホーンは目的の森林地帯に到着した。夕暮れの中シスタが伝えた住所あたりを旋回すると、二階建ての広い木造住宅を見つける。

厩舎には馬がニ頭おり、屋上の温室には植物が茂っていて明かりも点き、生活感があった。

悪魔は奴隷を召喚する。いきなり自分が現れれば警戒されるため、彼に向かわせ影から見ることにした。

シスタは玄関前に立ち、木枠の扉を慎重に叩く。
しばらくすると、若く筋肉質な青年が出てきた。短く刈り上げた黒髪は初めて目にしたが、ピアスだらけの耳と大きな瞳は変わっていない。

「…………えっ?」
「アディル。私だ、シスタだ。突然やって来てすまない。君の組織の者にこの場所を聞いてーー」

真面目に話し始めるシスタは、青年の驚きと感激がいかほどなのか想像出来ていなかった。
目元をくしゃりと細め、唇をわななかせる不死者はいきなりシスタに腕を伸ばし捕まえる。

「シスタ! お前無事だったのかよ、俺らすげえ心配したんだぞ……!!」

ぐっと強い力に彼の喜びが伝わった。驚いたシスタはゆっくり背に片腕を回し、「……ああ、すまなかった。もう大丈夫だ」と受け止めた。

青年は屋敷に彼を迎え入れ、自分は兄を呼びに行くとすごい速さで消えてしまった。
シスタは木目調の吹き抜けで洒落た居間を見上げる。

すると地下から二人分の足音が響いてきた。
現れたのは背が高く儚い雰囲気の金髪美男子だ。シスタを見て一瞬立ち止まり、紫の瞳をじっと見開かせて近づいてくる。

「シグリエル。久しぶりだな。君も不死者になってしまったか……残念だ。だが会えて嬉しいよ」
「…………シスタ。来てくれたんだな。まさかこんな風にまた……」

瞳を揺らし、二人は堅く熱い握手をした。
共にいた日々が昨日の事のように蘇る。

シスタは簡潔に自分の身に起きたことを説明した。今はベルンホーンの配下にあること、魔人の身となったが問題なく暮らしていることを。

兄弟は複雑な表情ながら、彼の願いはひとまず果たされたのだと、少しだけ安堵はした。
けれどこうやって思い出に浸っている時間はない。

「なあシスタ。そろそろ俺を紹介してくれないか? 飽きて眠ってしまいそうだよ」

気配もなく登場した上級悪魔が居間の白いソファを陣取り、あくびをかく。
シグリエルはすぐさま弟を引き寄せ、最大の警戒心で見据えた。

場の空気は重く淀み、とくに兄弟は瞳に怯えの色を隠さないでいた。

「ベルンホーン……貴様か」
「ふふっ。やはり兄のほうも不死者になったようだな。おいお前、エルゲ・ヴィレイニを呼べ。今すぐに」

冥界では見せなかった威圧的な態度で命じる。
シスタは割り入ろうとしたが、悪魔の厳格な緑の瞳に封じられた。

「なぜエルゲを求める。彼はお前とは何の関わりもない」
「あるんだよ。あの男はディーエを殺った。俺の食い扶持をかすめ取ろうとした中級をな。そいつの仲間が今地上に下りてきている。奴に復讐するために。……ああ、お前達もターゲットにされているようだぞ。困ったな?」

美しい容貌は嘲笑して肩を揺らす。
奴隷の青年は耐えられず声を上げる。兄弟に向かって。

「二人が警戒するのは分かるが、その転生者の男を呼んでほしい。彼の身が危険だ。中級が数人で狙っているんだ」
「ああ、シスタ。きちんと俺の味方をして良い子だぞ。ほら隣に座れ、俺達は客なんだから」

首輪に気づいていた兄弟は悪魔と青年を異様に見やった。
二人は小声で話していたが、やがて兄は止むを得ないと判断したのだろう。

不安げな弟を落ち着かせ、要求を受け入れた。
外へアディルとともに向かおうとしたが上級悪魔が制する。

「待て、弟はここにいろ。お前一人で行くんだ」

拒絶したシグリエルだが、悪魔の圧に負けてそうせざるを得なかった。場はシスタに任せ、家から姿を消す。

彼が転生者を連れ帰るまで、そう時間はかからなかった。
誰も話さない緊迫した空間に、濃色のローブをまとった赤毛の転生者と黒装束の男が現れる。

もう事情を話したのだろう、エルゲはベルンホーンを見た途端体を強張らせた。
実力のある妖術師だから尚の事、上級悪魔の破滅的なオーラを感じ取ったのだ。

「経緯は分かった。それで、お前はどうしたいんだ」
「話が早くて助かるよ。俺は以前言ったようにお前と契約がしたい。そうすればお前を狙う中級を始末してやる。簡単なことだろう?」

兄とシスタはすでにその目論見が分かっていた。だが一番若いアディルは怒りを露わにする。

「ふざけんなよ、俺達はもう誰も悪魔となんか契約はしねえ、今は皆静かに暮らしてるんだ、ほっといてくれよ!」
「静かに? それも直に終わるぞ。このままなら」

優越感のある笑みを前に、弟の怒りが段々絶望に変わっていく。

「そうだろうシスタ。さあさっきのように加勢してくれ」
「……私は望んでいない、彼らはようやく自分の人生を手に入れたんだ。その邪魔はしたくない」

ベルンホーンの眉が不穏に上がる。
不死者の兄も同じ様なことを言った。

「絶対に駄目だ、エルゲは契約なんてしない。なんのために俺達はここまでやってきたと思っている」

上級悪魔の表情は冷たく白けていく。
エルゲ・ヴィレイニはそこまで馬鹿ではないだろうと期待したが、彼も同じく誰も寄せつけぬような冷えた顔つきだった。

「冥界一層の悪魔、ベルンホーンよ。お前はマルグスと契約をしていた。今まで数え切れぬ魂を奪ってきた。……彼らの母親のものもだ。私はそんな悪魔と関係を築くつもりはない」

悪魔が眉間に強くシワを寄せ始める。

「早合点をするな。全てあいつが勝手に献上したんだ。俺が頼んだんじゃない。俺は契約者以外の魂はどうでもいいからな」
「……どうでもいいだと? ふざけんじゃねえッ」

憤る弟を兄が止める。覚悟を決めた顔つきだった。

「エルゲ。俺達も一緒に戦うよ。避けては通れない戦いだったんだ」
「シグリエル……これは私の問題だよ。ディーエを滅ぼしたのは私だ」
「だから今俺達はここにいるんだろう? もう家族なんだ、皆で戦おう」

勝手に盛り上がる連中にコケにされているのかと感じた。この無力な人間どもに。

「待て、待てよ。一体何が起こっている? お前がここまで愚かだとは思わなかったぞ、エルゲ・ヴィレイニ。……ああそうか、噛み砕いて言ってやらなかった俺が悪い。たとえ俺と契約しても、お前は何もしなくていい。魂を集めなくていいし、俺は離れていてやるから肉体が悪に染まることもない。ただこう言ってるだけだ、お前が滅んだとき、俺に魂をよこせと」

子供に話すように時間をかけて語りかける。
温厚な部類のベルンホーンだが、わざとらしく優しい笑みを浮かべて説得をした。

これで断るのはただの馬鹿だと考えた。
だが、エルゲは首を縦に振らなかった。それどころか、兄弟の他にこの青年までもがあちら側につくとは。

「私も加勢しよう。力になれるだろう」
「……何を言っているんだ? シスタ。いい加減にしろよ」
「見過ごせない、彼らは私の仲間なんだ」

上級悪魔は初めて激しい怒りに打ち震えた。

自制心が揺らぐ。握った拳にこめた力で、奴隷の首輪を締めてやろうかと考えたが、それはどうにか思いとどまった。

代わりに立ち上がり、美麗な顔立ちに血管を浮き上がらせシスタを見下ろす。
皆はその凄まじい怒気に必死に耐えていた。だが青年は真っ向から受け入れている。

「お前が介入すれば勝手に俺が助けるとでも思っているのか? 浅はかな考えはやめろ。お前は悪魔の非情さを知っているはずだろ」
「知っているさ。だが、人にはやらなければならない時がある。信念をもってな」

この部屋のどこに人間がいるのかとベルンホーンは声を荒げたくなった。
お前の親友の話はどうなるのだと、簡単に翻意することが信じられず、またその話を餌にして考え直させることも出来たが、この程度の話で切るカードではないことも承知していた。

この青年の魂はここにいる者達とは比較できないほどベルンホーンにとって特別で大事なものだ。

「ベルンホーン。私は彼らに恩がある。彼らのおかげでお前と出会うことが出来た。だから、……お願いだ」

切ない青の瞳でそう告げられた瞬間、ベルンホーンの心臓に強く血が流れ込む。ドクドクと不規則に脈打つ、稀な現象だ。

険しかった悪魔の瞳はぼんやりと青年に合わされる。
そして段々、張り詰めていた殺気が剥がれ落ちていった。

「……ん? もう一度言ってくれ、シスタ。よく聞こえなかったぞ」
「なっ、なにをする、離せ!」

気づけばベルンホーンは、その腕に青年をぎゅっと抱きしめていた。
そんな一言で陥落させられるとは、自分でも思っていなかった。

周りの面々は、状況の変化を不審がり顔を見合わせている。
だがかまわず悪魔は青年の細腰を抱き、異様な密着度で見下ろしていた。

「シスタ。お前がもう一度、俺に甘い声でお願いをするのなら俺はなんでもやってやる。中級など皆殺しだ」
「……なにを……本気か? では、彼にも契約を強制しないか」
「ああ。諦めはしないけどな。……さあ、早く言うんだシスタ」

頬を撫でられ、あわよくば公然とキスされそうな危険を感じたシスタは、不本意ながら言う通りにした。
理解不能だが、悪魔の気分を利用するしかない。

「ふふふ。仕方ないな。お前に泣きつかれただけでこうも判断が鈍るとは……何もかもがどうでもよくなってきたよ。俺もお前に出会えてとても嬉しいぞ。知っているだろう?」

ベルンホーンは彼の頬に触れ、もう上機嫌な目つきをしている。
奴隷の気持ちに踊らされている自覚はあっても、ここまで舞い上がった思いは無視できなかった。
  
「おい。なんなんだ? 兄貴。何が起きてんだ?」
「……わからんが、あいつが勝手に戦うらしい。……エルゲ、どうする」
「私にもよく分からないが……様子を見ようか」

シスタは皆のひそひそとした反応から恥を感じた。しかしもう自分は奴隷に堕ちた身で、それを使って事を有利に進めるしか生きる術は残っていなかったのだ。



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