▼ 56 親友の思惑
エハルド・オースは騎士として魔界で働いている。
今日は宮廷での警護についたあと、主人の邸宅敷地内に戻ってきた。
時間も遅いため騎士寮の食堂に行くと、最近仲のいい二人組に会い、そのまま話をした。
「なあトロイエ、俺達明日非番なんだよ。お前もだろ? 女の子の店行かねえか。魔界でも随一のとこだぞ」
「明日? 無理だな。シスタと会うんだ」
「おいおい、魔人の幼馴染より女行こうぜぇ、ったくお前はそこらへんは堅いまんまだな」
軟派な金髪男に笑われてもエハルドは肉にフォークを刺し大口で食らう。
「別に堅くねえよ。女の子は好きだし。でもお前らが行くとこって腐っても上級用の高級店だろ? 俺が行ってもな…」
「ばーか、騎士は騎士だろが。それにお前その紋章つけといて文句たれるな贅沢もんが」
黒髪の大男は制服についたカウェリネス家の紋章につっこんだ。
確かに分不相応の立場に据えてもらっていて、不満など何もない。
しかし出自はどこまでいっても変わらないのは事実だ。
食堂机でくだらない話を続けていた三人だが、やがてエハルドがあることを切り出した。
「あのさ、ちょっと真面目な話なんだが。お前らには親しくしてもらってるから言っとくわ。俺実は、自分の体に戻ろうと思ってんだよな」
周りにはちらほら騎士がいるだけだが、ひそひそ声で明かした。二人は怪訝な表情をする。
エハルドは本気だった。主人の術により再び魂を元の体に戻そうとしているのだ。
「なるほどねえ。危険なことをよくやるよ。今のままでいいじゃねえか、たぶん雄の部分も小さくなるぞ」
「別にいいんだよんなことは! つうかあんま遜色ねえし!」
「盛るなよ。人間と魔人だと変わってくるぜ?」
にやにや黒髪にからかわれたが、気持ちはそう簡単には変わらない。この数ヶ月悩んで出した答えだったからだ。
それにはシスタとあの悪魔の婚約の件がかなり関係していた。
自分が今更焦っても仕方ないけれど、このままではいられなかった。
せめてシスタの隣に立ったときに、胸をはって自分だと言える存在になりたい。
そう説明すると二人はやや同情的な視線を向ける。
「まあお前が別人になっても、魂の判別は関わりのあった魔族には出来るもんだ。そこは気にするな。でもよ、相手はあのエアフルト家だろ? 確実にお前じゃ無理だぞ。悪魔は格上にどうあがいても勝てない」
「……わかってるよ。それはいいんだ、もう納得したからな……」
本当かよと仲間二人は思いながらも、悩める騎士の話をその夜は聞いてやったのだった。
◇
翌日、エハルドは約束どおりシスタに会った。場所は冥界の喫茶店で、空は淀んでいるが二人の表情は明るい。
最近のシスタはベルンホーンが無事に戻ってきたためか、肩の荷がおりたように晴れ晴れしている。
見た目は白ローブのクールな黒髪の青年だが、昔から知っているエハルドには気分の上がりようが顕著だった。
「で、結婚式は来年ってか。俺も招待されんだろうな?」
「もちろんだ。私の家族席にはお前とブルードがいてくれる。数少ない身寄りだからな」
ほっとしながらもエハルドはグラスの長スプーンをぐるぐると回し、ぼやきが止まらなかった。
「ったくお前は……どんどん遠くに行っちまうな」
「そんなことないぞ。私はここにいる」
シスタが自分の手に上から手のひらを重ねてきたため、エハルドはわかったというように優しく握り返す。
親友のたまに寂しそうな顔は、当然シスタも感づいていた。
「ところで来月任務でさ、遠征にいくんだ。帰ってきたらまた会おうぜ、シスタ」
「そうなのか。わかった、気を付けて行ってこいよ。戻ってきたら一緒に行きたいところがある」
やけに明確に言われてエハルドは片肘をつきながら見つめた。
「どこだよ?」
「釣りだ。久しぶりにお前と勝負をするんだ」
「釣りぃッ? 懐かしいな。俺よりうまかったことないだろ」
「笑うな。もう上達したぞ。見せてやるよ、きっと驚くぞ」
少年のような顔つきで反論されて、まだ愛や恋など知らなかったシスタの当時と重なった。
そんな親友を見ているだけで、心は少し切ないような温かな気持ちになる。
「そんで、あいつは行かないのか?」
「ベルンホーンは釣りが嫌いなんだ。堪え性がないのだと」
「ははっ。確かにな。素手で捕まえたほうが早そうだ」
エハルドは明るく吹き出す。
そんな平和になった時間が、いつまでも続くものだときっとシスタは思っているだろう。二人が冥界に揃い、もうとっくに安心を得たのだと。
それは正解だし、今の幸せな関係を壊すつもりはエハルドにはない。けれど譲れないこともある。
今のシスタをとりまく目まぐるしい環境は、自分が原因でもたらされたものだ。
悪魔に奪われてしまったのも、全部自分のせいである。
エハルドは淋しい気持ちはあったが、そのことはすでに受け入れられていた。
本当に大切なら、相手の気持ちを大事にするのが当然だと、もうわかったからだ。
けれどせめて、今は本当のエハルド・オースに戻りたい。シスタの前に昔と変わらぬ自分を取り戻したい。
そんな自分勝手な願いが生まれて消えなかった。
◇
その日、エハルドは決意をもって当主トロアゲーニエの書斎を訪れた。白衣を着た金髪の小柄な青年は、待っていたという表情で彼に笑いかける。
「やあ、トロイエ」
「失礼します。トロアゲーニエ様」
「ふふ、緊張しているようだね。そこに座って」
向かい合ってソファ席に座る。
シスタと自分を救ってくれたこの上級悪魔の顔をみると、エハルドは安心感を得た。
後遺症により顔は老けているものの、全体的に自分よりも幼い風貌だ。なのに一番しっかりしていて思いやりを持ち、信頼のおける存在だった。
「その様子だと、気持ちは決まった?」
「はい。よろしくお願いします。もう覚悟はできました」
とっくのとうに。
自分の願いを告げると主人は微笑んだ。
「わかった。じゃあ君の姿を本来の形に戻そう。僕も精一杯取り組むからね。一緒に頑張ろう」
「……はい! ありがとうございます、トロアゲーニエ様。……あの、しかし、申し訳ありません。今の体はせっかくあなたに創造してもらったものなのに。それに、名前だって……俺は自分でもすごく勝手な人間だと思います」
反省した顔で頭を下げる。
しかしトロアゲーニエは理解してくれていた。
「いいや、君の思いは当然のことだよ。元の姿が本当の君なんだから。僕はね、君の魂の形状がよくわかる。どんな姿になってもね。……だからエハルド。君は君でいいんだ」
そう告げられたエハルドは瞳を感動の面持ちで揺らす。
「なんだか、あなたに本名を呼ばれると気恥ずかしいです…」
「えっ、そうかい? どちらがいいかな。もうトロイエに慣れてしまっていたね」
「そうですね。どちらでも……トロアゲーニエ様に呼んで頂けるなら。あなたにお仕えさせて頂けるなら、なんでも構いません。……けれどせっかくならば、私はこれからもトロイエとしてこの世界でおそばにいたいです。三年前の覚悟は、今もかわらず誓いとしてありますから」
彼は背筋を伸ばし、胸に手を当てて騎士らしく頭を下げた。
それは紛れもなくトロイエとしての凛々しい姿だった。
それからしばらくして、エハルドは休暇を取る。
施術に備えるためだ。
場所は邸宅から離れた場所にある地下の研究室で、とくにトロアゲーニエが集中したいときにこもる場だった。
シスタには遠征だと偽ってここにいる。
地下の暗い部屋でエハルドは裸になり、寝台に横たわった。
「トロイエ。シスタには本当に言わなくていいのかい?」
心配げに尋ねられるが、迷いなく頷いた。
「いいんです。あいつに言ったらまた心配するだろうし。自分の姿になっていきなり現れたら、きっとびっくりするんじゃないかなと思って」
それを想像して笑みがこぼれる。
トロアゲーニエも同じく理解してくれて、腕にも自信があったため二人はそれから真剣に儀式を開始することにする。
とはいっても、自分は寝ているだけだ。
全幅の信頼をよせる魔術師としての主人が本を持ち、詠唱を始める。
エハルドの視界はだんだんと暗くなり、やがて無になった。
魂を抜き取り別の体に移すということは、一度死ぬということだ。体への負担、魂への負担はどうしても避けられない。
特別な台座にエハルドの青白い魂を浮かばせ、トロアゲーニエは集中して汗を拭いながら、新たな体を形成しはじめた。
「大丈夫、うまくいくよ、トロイエーー」
光り輝く両手のひらからは、裸の男が作り出されていく。
茶色い髪の毛に、精悍な顔立ち。金髪の騎士のものより少し柔和で優男の風貌だ。
目をつむっていても彼の活発さが見て取れるような逞しい肉体で、手足も長い。これは魂から読み取った記憶と記録をもとに蘇らせたもので、きちんとシスタと同年代の三十歳前後に見える。
「うん、いい感じだ。もうすぐだからね」
ほっと一息ついたトロアゲーニエは台座から魂を取り出し、慎重に彼の胸の部分にいれる。
それは淡い光を放ったまま、問題なく肉体に吸収されていった。
医術師でもある彼は体を調べ、異常がないことを確認する。
しばらくして研究室の椅子に腰をおろし、休憩をとった。
視線はトロイエに向かい、見守っている。
目覚めるまでは数時間かかるだろう。しばらくそうしていたが多くの魔力を使ったため眠気が襲ってきた。
気づくとトロアゲーニエは眠ってしまい、目が覚めたときは三時間が経っていた。
「あぁ、もうこんな時間か」
深夜になっていたが目の前の寝台のトロイエはまだ意識がない。
「そろそろのはずなんだけれど……」
彼の脈や魂の状況を確認するが問題は起きていない。
しかし信じがたいことに、終了から七時間が経ってもトロイエは目覚めなかった。
「おかしい、何故だろう」
徐々に焦りが浮かび、覚醒の魔法など色々なことを試してみる。
だがとうとう朝になり、トロアゲーニエは大きく動揺して横たわる青年を見下ろした。
「トロイエ、……トロイエ!」
腕をゆすっても反応がない。
そこでとうとう、彼ははっきりと認識をした。
施術がうまくいかなかったのだと。
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