▼ 53 真相
「どういうことですか。その男があなたの体を麻痺させたと?」
「そうだ。僕はその頃、冥界で魂を狩って弄んでいた。近しい使用人が死んで、代わりを見つけたくて、でもうまくいかなかった……」
彼は深い森の中で死者の霊魂を物色していた。そして現れた黒衣の男に怒りを買ったのだ。
最初は魔王の血筋である自分に文句を言うとは、なんて不敬な男だと思った。しかし実力が桁違いともいえる覇気の男は、身分などものともせずシュクラを痛めつけたのだという。
気づけば下半身が動かず地に倒れ伏せていた。
男は消え、一人で宮殿から抜け出していたシュクラは召使を呼び医療棟に運ばれた。
「……それから三年、僕はこのままだ。専門の医術師らが診ても何も分からない。それどころか、奴の魔法の影すら気づかないんだ。無能な者共が……」
声には怒りよりも恐怖、諦めが滲む。
シスタは驚愕に陥ったが冷静に思考をする。
「その男を見つけ出しましょう、シュクラ様。あなたの体を治すにはまた戻してもらうしかない。私が見つけてみせます」
「や、やめろ、お前には無理だ。魔人のお前など殺されるだけだ。僕ですらこんなふうにされたんだ」
思い出すだけでも恐ろしいのか、震える声で必死に引き止められる。しかしこんなことを聞いてしまっては、決して見過ごせない。
なにより彼はずっと一人で抱え込み、誰にも言えずにいた。
それはプライドや恥といった面もあっただろうが、一番は恐怖だ。
その男を恐れてしかたないのだろう。
シスタはこの世界ではほぼ無力で、またも上級悪魔のベルンホーンを頼ることしか出来ない。しかし彼は出所したばかりで、再び問題を起こすのは避けたかった。
それでもまずは相談をして、この魔王の孫のために考えをまとめようと努めた。
◇
止められたものの、調査をしたいと言って殿下と別れた。
その後シスタは、ベルンホーンにこの話を打ち明けた。
すると屋敷の居間にいた彼はすぐにこう言った。
「なるほど。これは厄介な事案だ。お前に収められることじゃない。俺にきちんと報告して偉いぞ、シスタ」
感心して頭を撫でられる様は子供扱いのように感じたが、実際自分一人では何も出来ないのだから仕方がない。
「よし、そいつを探しに行こう。場所は聞いたな?」
「ああ。しかしお前をまた巻き込むのは忍びないんだが……それにこれもまた問題になるだろうか?」
「いいや、殿下のための一大事だ。むしろ褒められることだろう。たとえ返り討ちにあったとしても」
この悪魔からそれほど弱い単語が出てくるとは思わず、シスタは戸惑う。
「そんなに強い者なのか?」
「おそらくはな。宮殿の医者も気づかない術式をかけられる奴だ。最初は無知で無謀な死神かと思ったが、冥界にそこまでの力をもった者がいるだろうか……」
思案した二人だがひとまず森に向かうことになった。
どちらにせよ、自分がいれば大丈夫だとベルンホーンは青年を元気づけた。
冥界にあるベヘラニという森に到着する。ここは玄人でもあまり足を踏み入れることのない地帯だ。
暗く湿った雰囲気に満たされ、夜風のふきすさぶ音が鳴る。
「まったく、殿下はこんなところで一人で火遊びをしていたのか。困ったお方だなーー」
だが悪魔の足取りは散歩するように軽い。
シスタは死霊や魂を扱う訓練を受けていたが、ここの空気は魔人の自分でも絶えず重苦しいものだった。
背に何かがのってくるような煩わしさと苦しさだ。
聞けば冥界にとどまってしまう魂は、よほどの苦しみや衝撃や未練を味わった曲者だらけらしかった。
「ここで彼は……大事な者を失った寂しさをまぎらわせていた。代わりを見つけようとしたんだ」
取り残された者の辛さはシスタにはどうしようもなく理解できる。そして今の彼の苦しみも。
何を思ったか、シスタはそこらの魂を掴み、手で調べては宙に解き放った。それを何度も繰り返す。
そんなことはしたくなかったが、他に方法がなかった。
「おいおい、お前は何をしてるんだ。もっと冷静になれ」
「そんなことをお前に言われるとはな。私もいよいよ魔族らしくなってきたか」
淡々とこぼされるがベルンホーンは彼の覚悟を理解し、仕方なく周囲を警戒していた。
まさかすぐに現れないと思ったが、自分が地上で獲物を引っ掛ける糸を張り巡らせているように、相手もこの地で罠をかけている者だとしたら。
結果的に二人の試みは正解だった。
辺りに黒い煙がみるみる膨らみ、腰まで伸びる長い銀髪の男が現れた。
彼は黒衣に身を包むが、ベルンホーンほどの見上げるような長身で肌は真っ白い。
瞳は光のない漆黒で、凍えるように冷たかった。
ひと目見てただの死神ではないと悟る。
シスタは後退り、一方ベルンホーンは瞳を凝らして前に出た。
「お前は誰だ? 俺達が呼んだ者か」
「…………俺がお前達に呼ばれた、だと? 俺の縄張りに侵入した者どもが」
耳に怖気が走るような不気味な声音だ。
カチンときたベルンホーンはシスタを腕で止め、下がっていろと言った。
「縄張りか。はっ。冥界はお前のものじゃない。誰に不敬を働いたか分かっているのか? 魔王のお孫さまだぞ。早く術を解け。言うことを聞かないのなら、俺が強制してやる」
歯を剥き出しにした恐ろしい形相のベルンホーンは、すぐさまあの黒い悪魔の姿に変化しはじめる。
そこまで強い相手なのかと、堕天使との戦いを思い出してシスタは恐れおののく。
両者はこの深い森の中で、突如戦闘を開始した。
相手の男も上級悪魔なのだろうか。
変身したベルンホーンを微塵も恐れる様子はなく、銀色に輝く長剣を抜き出す。
それから攻撃を交わし合った。
スピードが早すぎて目で追うのも困難だ。ベルンホーンは容赦なく攻撃を素手で繰り出すが、男はなんなく避けていた。
「な……ベルンホーン! 気をつけろ!」
叫ぶシスタの声は届かず、闇の中で二つの黒い物体が動き回っている。
それから宙から何かが落ちてきた。衝撃に地面が割れ、煙とともに倒れ込んだものがベルンホーンだと分かる。
しかし彼は変身を解かれ、黒い液体が流れる人の姿だった。
「クッソ…………ッ」
男がゆっくりと地上に着地する。
ベルンホーンの脇腹にその剣をまっすぐ振り下ろした瞬間、シスタは叫び魔法を放った。
「やめろッ!!」
だが黒衣の男はシスタに視線を向けただけで後方に吹っ飛ばす。
樹木に衝突し意識が揺らいでもベルンホーンの聞いたことのない呻きは届いた。
「……グッ……お前は何者だ……」
「お前の名を教えろ。なかなか良い動きをする。俺には敵わないがな」
ここで死ぬわけにいかず観念した悪魔は素直に名を吐いた。
すると男は剣を抜き、真っ赤な血が溢れ出した。
シスタは屈みながらそばへ近づいていく。
倒れた悪魔に寄り添い、懸命に治癒魔法を施した。しかしまるで効いている様子がない。
「そうか……エアフルトの者か。魔力と器の大きさが合っていないぞ。もっと鍛えるがいい」
分析した男は悪魔のそばに立った。
シスタはもうやめてくれと体を覆おうとする。しかし二人揃って男による大きな光の粒の治療を受けた。
みるみるうちに傷口がふさがり、ベルンホーンの意識もはっきりしていく。
「ではゼフィルを呼べ」
「……ゼフィル……? 兄上を、知っているのか」
男は答えず、無言で二人を見下ろした。
「早く行け。さもないとお前の奴隷を魔王の孫と同じ目に合わせてやるぞ」
淡々と言われたベルンホーンはぐっと耐え、ゆっくりと立ち上がる。
シスタは不安の目で見つめるが、「大丈夫だ」とそっと肩に触った。
「すぐに戻る、じっとしていろよ」
そう言って消えてしまった。
それからの数分間は、シスタにとって生きた心地のしないものだった。
ベルンホーンをおそらく本来の姿にもならず平気で組み伏せた魔族の男に、何も行動を起こすことは出来なかった。
男も無言でその場に留まり、どこかをじっと見ている。
それから深い夜の森が、紫色の光に一瞬包まれた。
現れたのはベルンホーンと、肩までの銀髪が輝く美麗の悪魔、ゼフィルだ。
長男の彼は弟からすでに事情を聞いた様子で、ローブ姿で胸に手を当て、男に一礼をした。
「デイメラード様。弟がご迷惑をおかけして申しありません」
普段の尊大な彼の姿からは想像もできない、忠臣のような振る舞いだ。さらに驚いたのは、地面にかしずき頭を垂れるベルンホーンの姿だった。
「どうかご無礼をお許しください。殿下」
二人がそう謝罪をしたため、シスタはそろりとたちあがって彼ら側に向かい、同じく服従の意を示した。
殿下と呼ばれた彼は王族なのだ。しかし魔王の系列ではないことは明らかで、そうなるとこの冥界という地を縄張りにしている冥王の一族しかいないと予想がついた。
誰もがデイメラードの反応を待つ。
すると彼は謝罪には興味がないように、ゼフィルの正面に立った。
「久しぶりだな、ゼフィル。相変わらずお前は美しい。冥界の薄暗い光の中では、一段と輝きを放っている」
「ありがとうございます」
冷たい顔立ちのゼフィルは少しだけ口元に笑みを浮かべたように見えたが、とくに喜んでもいないように感じた。
知り合いらしき二人の、独特な雰囲気にはベルンホーンも慎重に様子を伺う。
「弟から話は聞きました。デイメラード様、どうか今回の件をお許しいただけないでしょうか。陛下の血縁であるシュクラ様の術を解いていただきたいのです。話をきくと、あの方も大変反省しておられるようです」
真摯に頼むゼフィルの後ろで、悪魔と青年も頭を下げる。
すると男は案外さらりと了承をした。
「よいぞ。その代わり、お前は近いうちに俺と食事をしろ。久々に二人きりで過ごそうじゃないか」
「……この身にあまる光栄です。殿下」
「俺のことは名前で呼べ。ゼフィル」
途端に瞳を細め、なんだか明らかな好意を示して兄に声をかけている。
ベルンホーンは冷や汗が伝ったが、なんとか兄のおかげでこの場を収めることができたと感謝した。
それからデイメラードは「その魔王の孫を連れてこい」と命じた。
驚いた二人だが、今すぐ術を解いてくれるらしい。
ゼフィルを残し、宮殿の医療棟にいるシュクラを迎えに行った。
しばらくして、シスタに脇を抱えられ、杖をつく黒髪の少年が現れる。
彼を緊急で迎えに行った時、ひどく驚かれ動揺された。
身体も恐怖で震えだしたが治してもらえると説得をし、なんとか引きずってやって来たのだった。
シュクラは黒衣の男を前にし、がくがくと体を震わせて地面に膝から倒れ込む。
しかし彼は覚悟を決め、そのままの体勢で地に額をこすりつけた。
「申し訳、ありません……殿下。どうか私をお許し…ください。もう二度と、あのようなことはいたしません……!」
自分より身分の低い者達の前で、泣きそうな声でプライドもすべて捨て、強者に許しを乞う様を三人は苦渋の思いで見守っていた。
デイメラードは彼の前に立ち、手をかかげる。
術をかけた時と同様に、いとも簡単に彼の体の不自由を取り払った。
「あ、ああ……! 足が動く、手も……! ありがとうございます、……ありがとう、ございます……!」
涙ながらに言い、大粒の涙をこぼすシュクラを、シスタもひざまずき支えた。
これでよかったのだ。過ちを認め、彼はまた自由を取り戻した。
「ここは俺の国だ。魔王の血族といえど、好き勝手は許さん。直に俺は冥王の跡をつぐ。死者と魂にとって、冥界は心休まる場所であるべきだ。お前達もこの地に足を踏み入れるのならば、それをしかと心にとめておけ」
皆は深く頭を下げ、彼の厳粛な思いを感じ取った。
「ではベルンホーン、お前達は殿下をお連れしろ。私はもう少しデイメラード様とお話をする」
「はい。ありがとうございました、兄上。……デイメラード殿下、失礼いたします」
シスタたち三人はようやくその場をあとにした。
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