Otherside | ナノ

▼ 44 隠れ場所

「う……ベルン…ホーン……あぁっ……!」

シスタはうなされていた。悪夢を見ており、やがて汗だくの中で青い瞳をゆっくりと開ける。
すると真っ黒の天井に、赤く光るシャンデリアがあった。

見慣れぬ景色よりも驚いたのは、ベッドのそばの椅子に座り、じっくりとこちらを見つめている五十代ぐらいの大人の男だ。

彼は白髪混じりの黒髪をなでつけ、耳に黄金のピアスをし、同色の獣のような金眼を輝かせる美しい者だった。

「あなたは誰だ……ここはいったい、どこなんだ」

青年が体を起こし後ずさろうとすると、男は「ブルード」と口にした。

するとすぐに室内に、黒スーツの老齢の執事が現れる。

「お呼びでしょうか、ニズル様。……シスタ様! お目覚めでしたか」

近寄ってきた見慣れたブルードの顔を見て、シスタは全身の力が抜けるほど安心した。

彼に状況を尋ねるとシスタは絶句する。

「あなたは治療を受けたあと、五日間眠っておられました。ここは魔界にある吸血城の一室です。深い森の中にあり、周辺は凶暴な魔物が生息しているため、堕天使も辿り着けません。ご安心ください」

安全を説かれるがシスタは混乱した。

「ベルンホーンはどこにいる? ここにいないのか?」

執事の顔が曇る。しかし彼はシスタに隠すことは出来ず、なるべく簡潔に事実を述べた。

「ベルンホーン様は軍部に連行され、勾留されています。必ずまた会えますので、今はお体を大事になさってください」

優しく告げられ、シスタは肩を震わせる。
あの後、管理局に連れられ自分が倒れている間にベルンホーンは捕まってしまったのだと聞く。

どうしようもない無力さが襲い、頭を押さえた。

「シスタ様。私はベルンホーン様に命じられ、ここへあなたを匿うためにお連れしたのです。再びあの方と再会する時までこのお城に厄介になり、英気を養って頂こうと」

うつむいていたシスタだが、ここまで手厚く世話をされたことにまずは感謝をしなければならない。

シスタは執事に礼を伝える。そして紹介された城主にも。

「この方はヴェルガロン公爵家の二ズル様でございます。私が一番初めに使用人としてお仕えしたお方で、大変お優しい紳士なのです」
「ふっふっふ。お前に褒められると裏があるのではと疑ってしまうな。あまりかしこまるな。……魔人のシスタといったか。お前もな」
「……はい。お世話になり、ありがとうございます。二ズル様」

シスタはベッドから下り、ふらついたところを執事に支えられた。予期していなかったことだが、しばらくこの城に滞在させてもらえるらしい。

「ううむ……久々に若い人間の匂いを吸い込んだ。お前のように、少食に切り替えようと努力していたというのに。また禁断症状が出てしまう」
「二ズル様。でしたらシスタ様からお離れになってくださいませ」
「まあいいだろう、客人は久しぶりだ。お前に世話をしてもらうのも千年ぶりだしな」
「私はシスタ様のお世話をいたしますので。貴方には使用人が多くいるでしょう」
「わかったわかった、あいかわらずはっきりした物言いのやつだ」

二人の親しげな空気には驚かされたが、遥か遠くに及ぶ歴史を感じた。

やがて当主は部屋を去り、シスタは体調を執事に確かめられ、丁寧に服を着替えさせてもらう。

「私がここにいることを、ベルンホーンは知っているか?」
「ええ、もちろんでございます。彼が勾留されている場所に魔法鳥を随時飛ばしておりましたから。あなたがお目覚めになったことも早急にお伝えしましょう」
「ありがとう。……ベルンホーンは、どんなところにいるんだ? 何か知っているか?」

ブルードは残念そうに首を振った。連絡手段はあるが、居所は厳重に隔離されているらしい。

あれだけの人数の堕天使を殺したのだ。いくらあの上級悪魔の力を持ってしても重い罪になるかもしれない。

監獄に閉じ込められた姿を想像し、激しい心配と不安で気が動転しそうになるのをシスタは必死に抑えていた。



その後、数日は体を少しずつ動かし、体調の回復を待った。
与えられた個室にいることが多かったが、ブルードは常に親身に接してくれた。

「シスタ様、お身体はつらくないでしょうか」
「大丈夫、リハビリには慣れているんだ」

ベッドの上でゆっくり腕や脚の筋を伸ばす。
手伝ってくれる執事には感謝した。

二人でいると屋敷での生活を思いだし、自然に気分も安らいでいった。

「そういえば彼は、やはり吸血族なのだな。たまに姿を見かけるのだが薄い気配とか、独特のオーラがあなたに似ていると思う」
「そうですね。我々は習性として獲物を狩るために気配を絶ちますから。……申し訳ありません、怖がらせるつもりはないのですが」
「ふふ、構わないよ。あなたも当主も怖くない。こんな私にも優しい方達だ」

笑顔をこぼした青年の表情に、次第に陰りが漂い始める。

「……あの時、ベルンホーンがまたあの姿になって、堕天使を殺したんだ。その前にも次々と男達を始末した。私はそれをただ見ていた」 

執事は手を止めて青年を注視する。

「恐ろしかったですか」
「最初に見たときはな。けれどベルンホーンのことも、私は恐れたりしない。……私が恐れるのは、あいつがいなくなった時だ」
「シスタ様……」

執事は心配げな顔つきで静かに寄り添ってくれている。

「なにか出来ないだろうか、証言なら私にも可能なはずだ。やってしまったことは覆らないが、ベルンホーンは私を守ろうとして……いつもそうだった、だからーー」

崩壊しそうな思いを胸に抱いたまま、絡めた指を強く結ぶ。

「必ず近いうちにお会いできます。それまで一緒に堪えましょう、シスタ様」

そう励まされ、青年は執事と頷き合った。





シスタがその日、城の中階にあるバルコニーに出ると先客がいた。眼鏡をかけた彼はゆったりした一人用の椅子に座り、何か本に記している。

「あ……二ズル様。失礼しました」

そう言ってその場を去ろうとすると呼びかけられる。

「そこに座れ。少し話をしようじゃないか」

彼は本を閉じ、サイドテーブルに置いてシスタに向き直る。
何をしていたのかと尋ねると日記を書いていたと言われた。

「毎日書いているんですか?」
「そうだ。私は長く生きているから日記だけの書庫が地下にあり、埋め尽くしているよ。だが暇すぎてね、書くのをやめられないんだ」

冗談ではなくまじめに説明する男にシスタは驚く。

「失礼でなければ、あなたは何歳なのか聞いてもいいですか」
「千八百歳を超えている」
「…………!」
「ふふ、気が遠くなるほど年寄りだろう。さきほど生まれたばかりのようなお前からすればな」

圧倒的な存在感を放つ大人の男を、シスタは恐れ多く見つめた。

「ご家族はいるんですか?」
「いるさ。だが妻は亡くなり、子供たちとは疎遠だ。長く生きていると他に大事なことが次々と生じてくる。皆自分の人生で精一杯になるんだ」

まだ人生半ばの中年男性ぐらいの美しい容姿だが、疲れや諦めに似た雰囲気を醸し出し、黄昏れていた。

「魔人よ。お前はその男のことで終始気を揉んでいるようだな」
「……はい。わかりますか」
「分かるとも。人の苦悩が味わい深く、甘い香りで漂っている」

ドキリとしたが、シスタは悩みうつむく。

「面白い男ではないか。奴隷のために天使を殺戮するとは」
「やはり、許されないことでしょうか」
「さあな。今の法がどうなっているかは知らん。個人的には裏切り者の堕天使などいくら葬っても構わないと思うが」

黄金色の瞳に見据えられる。視線が獲物として狙われているようで居心地が悪い。

「お前の主人を助けてほしいか? 私が口添えしてやろうか」
「……え? そんなことが出来るんですか」
「考えてやってもいい。お前の美味しそうな血をくれるのなら」

そう言われ、シスタは硬直する。
全て真実を語っているような顔つきに、この男の本性が現れた気がした。

「血を与えたら、私はどうなるんですか?」
「今回よりもひどい目に合うな。ひと月は高熱と悪夢にうなされ、傷跡は腫れあがり、苦しみに苛まれるだろう」

青年の細い首がごくりと喉をならす。

「そのあと、吸血鬼になると……?」
「はっはっはっは! いいや、お前は私の隷属にはならない。そんな噛み方はもう何百年もしていないよ。この年になると気力も減るしな。……ただ、たまに喉を熱く潤したいだけだ」

長い間がその場を支配する。
だがシスタは決意の面持ちでこう言った。

「ベルンホーンを救えるなら私は何でもしたい。あなたに少しでも力添えを願えるならば、私の血をーー」
「冗談だ。本気にするな」
「え……?」
「お前は純粋だな。私のような強者が生後間もない魔人を噛めば、最悪死ぬかもしれない。お前はブルードの知り合いだ。奴とは長い付き合いでね、喧嘩別れはしたくない」

過去を思い、哀愁漂う顔つきの男をシスタは呆然と見つめる。
からかわれただけかと失望した。自分が相手にされるわけがないと。

けれどそんなシスタに、二ズルは優しく声をかける。

「そう落ち込むな。お前の熱意にやや感化されたのでな、力添えはしてやる」
「ほ……本当ですか?」
「せっかくの縁だ。私も暇を持て余していたしな。自分の権力がまだ有効か試してみたい」

気づけば喉の奥で優雅に笑っていた。
この公爵家の男がどれほどの力を持つのかは知らない。けれどシスタは藁にもすがる思いで願っていた。




それから一週間ほどが経つ。
潜伏生活に慣れた頃、サプライズで執事がエハルドに会わせててくれた。
今いる場所は明かせないため、まったく別の屋敷で落ち合う。

山奥にある一軒家の居間に、親友のエハルドは私服姿で待っていた。シスタが扉を開けると彼の大きく開いた瞳は涙ぐみ、近寄ってきては広い腕に抱きしめた。

「シスタ、無事でよかった、お前を守ってやれなくて悪かった……!」

温かい男の腕に久々に抱かれ、シスタは目を閉じてじっと感じ入る。
ソファに隣り合うと、エハルドは懐からさっそくペンダントを取り出した。

「事情は大体知っている。あいつから弁護士を介して連絡がきたんだ、これをお前に渡してくれって」

予想していなかった状況にシスタは思わず涙ぐむ。

「あの場所に行って、見つけてくれたのか?」
「ああ。軍部が来る前に一人で忍び込んだ。猶予は一日あったが、見つかったらマジでやばかったぞ。ほんとめちゃくちゃなことさせるよな」
「すまない……ありがとう、エハルド」

これが大事なものだと理解してくれている。
今は会えないから余計にだ。

「トロアゲーニエ様にも相談したんだ。あの人に隠しておくわけにはいかないからな。彼はベルンホーンを信奉していて、すぐに力になりたいと言ってくれた。それにお前のこともすごく心配してたよ。また会おうって。だから大丈夫だ、シスタ。俺もいるし、お前は絶対に一人じゃないぞ」

肩を抱き寄せられ力強く励まされる。
シスタは柄にもなく泣きそうな顔で何度も頷いた。




だがその日はさらに劇的なことが起こる。
連れてきてくれたブルードに言われ、親友との短い面会のあとも、しばらくその隠れ家に残っていた。

すると夕方になり、一人の男が現れたのだ。
セットした黒髪に管理局の制服、眼鏡の奥の瞳に緊張感をもたせたユーゲンだ。

「ユーゲン! 来てくれたのか」
「お久しぶりです、シスタ。あなたを迎えに来るのが遅くなってしまいすみません。今の仮住まいの居心地はどうですか? 安全な場所だと聞きしましたが」

情報を管理する彼ですらシスタの居所は何も知らないようだった。

「私のことは心配いらないよ、良くしてもらっている。それよりベルンホーンのことだが……」
「はい、そのことを伝えに来たのです。準備や手配に時間がかかってしまったのですが、ようやくあなたを彼のもとに連れていける日が決まりました」
「本当か!?」
「本当ですよ。ですが、あなたは実情について何も知らないと聞いています。魔族の「法」の話ですからね。なるべく大きなショックを受けないように、気を落ち着かせてください。いいですね? でなければ案内できませんから」

真面目な顔つきで言われシスタは息を呑む。
そんなにひどい状況に彼は見舞われているのだろうか。

しかし自分は冷静でいなければ。
たとえ何が起ころうともベルンホーンを支えたいのだと、深く胸に刻む。

「わかった。連れて行ってくれ。ユーゲン」
「では明日の朝にまたここで。よく休むんですよ、シスタ」

素早く取り決めをし、こうして二人は別れたのだった。



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