▼ 43 捕まる前
ベルンホーンは霊魂管理局に戻ってきた。すでに待機していたユーゲンに医療室へと案内され、そこで元天使リンデに青年の容態を見せる。
治療器具が並ぶ部屋の寝台に寝そべるシスタは気を失っていた。
「……こんな目に合わせるなんて、酷すぎる奴らだ……」
一瞬言葉を失っていたリンデだがシスタの服を脱がせ、頭から爪先まで白魔法を当てていく。彼にも聖力が残っているようで魔力とは異なる回復能力のより高い治癒を与えていった。
「堕天使の攻撃は特殊な殺傷能力をもつ。僕は回復の専門家ではないため少し時間がかかるよ」
「構わない、なんでもいいからやれ」
冷たい声で近くに立つベルンホーンが命じた。
悪魔はさきほどから顔や腕、はだけた胸など全身に黒い液体を流している。
完全な生体に変化すると生じる煩わしい副作用であるが、天使はもとより同族のユーゲンも初めて見たため、驚きを隠せないでいた。
「どうぞ、エアフルトさん。タオルを」
「ああ、もらうよ」
受け取ったベルンホーンが険しい顔で拭き取るが、状況は変わらなかった。
ユーゲンは眼鏡を直し彼に頭を下げた。
「申し訳ありません。彼を天使に近づけるべきではありませんでした。私の責任です」
「いいや、どのみちこうなっていたさ。俺がやってきたことの結果だ」
ベルンホーンが悔いに満ちた眼差しでシスタを見つめる。
顔は少しずつ腫れを引かせているが、強大な力に痛めつけられて消耗が激しい。
「奴らの魂を七つ持ってきた。誰だか調べてくれ」
「はい、すぐに。……今回の件はさすがにもみ消すことは出来ません。彼らは犯罪者ではありますが、あくまで難民として登録されている者達なので」
「はっ、奴らがなんであろうが心底どうでもいい。見ろ、俺はまだ殺し足りない。必死に怒りを抑えているんだ」
緑の瞳の瞳孔が射抜くように睨みつけ、ユーゲンは足がすくみそうになる。
同僚とはいえ格上の悪魔を刺激してはならないことは承知していた。
「そうですね……解りますよ。ひとまずは、所長に来て頂いて判断を仰ぎましょう」
こうして局の部長を務める彼は、普段は夜の時間に不在の所長と連絡を取った。
しばらくして、局の会議室に皆は移動した。
シスタも寝台に寝かせたままベルンホーンはそばにいて、これからの話し合いを行うことになった。
扉から急ぐ革靴の音が聞こえ、ばたんと開けられる。
金髪が珍しくさらさらの恰幅のよい男はパジャマ姿で、就寝しようとしていたところだった。
「ちょっと、どういうことだい? かなりやばい問題だってそれ!」
砕けた口調で現れた所長はテーブルにばんと両手をつき、中央に座るベルンホーン、そして離れた両隣のユーゲンとリンデをそれぞれ見やった。
「所長。やってしまったものはしょうがないですよ。やっぱり通報ですか?」
「そりゃそうだよ、君は管理局の上のほうの職員なんだから、特別枠と言っても完全な所属だからね! 難民を本来保護すべき立場の者が、七人も殺しちゃったって……あーあー! どうするんだよもう!」
ひとしきり叫んだ中年の上司はちらりと横たわる青年を見る。そしてため息を溢れさせた。
ベルンホーンがこの青年を大層可愛がっていることは、もう十分に知っている。
「はぁ。しょうがないね。大事な所有物を傷つけられたら怒り狂う気持ちはワシにもわかるよ。けれどなぁ……」
所長の視線は初対面の元天使リンデにも向けられた。
「ていうか君だれ? 新しい職員じゃないよね?」
「いえ、そうなりました。彼にはこれから私どもの下で働いてもらいます。ここまでの事態を知られてしまったわけですから」
「……え? 僕が?」
ユーゲンが頷く。ベルンホーンは面白くなかったが、ここへ来る前にすでにユーゲンがこの男の記憶を読み、潔白を証明していたのだ。
この男は本当に何も知らず、元守護天使という職業柄、ただ好意を持ったシスタを見守ろうとしていただけらしかった。
「ああそう、別にいいけどさ。とにかく、この件はけっして外に漏らさないようにしてくれ。もちろん行き過ぎた正当防衛なわけだが、魔人くんは君の所有だし、情状酌量も少しはあるかもしれない。ワシも口添えしておくから」
「ありがとうございます、所長」
ベルンホーンはようやく黒い液が止まってきた体で、あっけらかんと答える。この場でもっとも事態を重要視していない顔つきだった。
「君、ほんとにわかってるの? 結構やばいことなんだから。エアフルト家の力が一番頼りだけど、そうだユーゲンくん。君の裁判官のお父さんにもお願いしてみてよ、量刑減らせないかって」
その時点で天使のリンデは眉を寄せた。この魔族達は平然と話しているが、この悪魔はじきに本当に拘束されるのだと。
まるで天界で追放されたときの自分のように。
しかし所長に話を振られたユーゲンは当然のように頷く。
「ええ、もちろんです。私に出来ることはなんでもするつもりですよ」
「やめておけ、ユーゲン。お前はあの獣人の青年のこと、本気なんだろう? 要求をのむ代わりに別れさせられるぞ? 俺はこんなことでお前の将来を潰す気はない」
ベルンホーンが肩を竦めて言うが、ユーゲンは固辞した。
「私はあなたとシスタに恩がありますから。必ず報います」
「大げさなやつだな、お前らはすでに両思いだっただろう。シスタの手柄ではあったがそう深刻に受け止めるようなことではーー」
「ありますよ。私の生活が、将来が変わったのです。素晴らしい未来が三人のおかげで見えました。それに……これは一大事ですよ、エアフルトさん。罪状が認められれば、最高で百年の禁錮刑になります。そんなにも長く彼と離れ離れになっても構わないのですか?」
ベルンホーンは口をつぐんで返す言葉を失う。
「百年……だって? 君はそんなに長く捕まる可能性があるのに、堕天使たちを殺したのか? なぜそこまでしたんだ、捕らえて局に引き渡すだけでよかったんじゃないのか」
リンデが問い詰めると悪魔はじろりと見据える。
「お前はどうなんだ。確か守護していた人間が、子供に虐待を働き我慢ならなくて殺したんだよな? 妻子がいても自分の信念を曲げられず血で手を染めた……お前のことは嫌いだが、そういうあふれんばかりの自我でその先の道を決定してしまう奴を、俺はわりと好んでいるんだ。……シスタのためなら俺はすべてを捨てられる。そしてあいつに手を出した奴がいれば、必ずこの世から消してやる。これは永遠に変わらない俺の掟なのさ」
満足気に笑う顔にリンデは背筋がぞっとした。
「まあまあ、もうこれ以上はやめてね。ワシらも困っちゃうから。とにかく、君らはすでに提出用に魔人くんの写真と映像を記録したね? ではベルンホーンくんは出頭する準備をしてくれ。あ、ここから出ちゃだめだよ。あと一時間後に内密に軍部を呼ぶから」
「わかりました、所長。ご迷惑をおかけしてすみません。ーーそれじゃあユーゲン、こいつのことはまだ見張っておけよ。俺は執事を呼んでシスタを迎えに来てもらう」
「了解しました。エアフルトさん、どうかお気をつけて」
頷くベルンホーンは同僚と遠くない日の再会を約束し、その部屋に青年と二人きりになった。
まだ目覚めぬ顔をそっと触り、しばらくは会えなくなることをひとしきり悔やむ。
「シスタ、お前が目覚めたらショックを受けるだろうか? そばにいてやれなくてごめんな……だが心配するな、俺は大丈夫だ」
そうやって話しかけ撫でていたが、悪魔は再び通話装置を手に取る。
屋敷にいる老執事に連絡すると、事情を知った彼はすぐに準備をし、管理局へと現れた。
職員に案内されて扉が叩かれ、両手に鞄をもった黒スーツの男が礼をした。
「ベルンホーン様、シスタ様の容態はーー」
「意識はある。だが安静にさせておいてくれ。俺はこれから軍に拘束される手はずになっている。迷惑をかけるな」
執事のブルードは恐縮し、ベルンホーンに持参した荷物を渡した。
眠る傷ついたシスタを見下ろし、強く悔やむ表情を浮かべた。
それから若き主人に再び深く頭を下げる。
「申し訳ございません。私がシスタ様の護衛を務めていれば、このような事も起こらなかったはずです。私の力不足でーー」
「いいや、お前には俺達の家のことを全て任せている。これらはみな、油断していた俺の責任だ。そして引き起こしたこともな」
ベルンホーンは今日だけで周りを何度かなだめる羽目になった思いながら、信頼する彼らにこの先のことを任せることにした。
ブルードはしっかりとシスタを抱き上げ、最後の挨拶をする。
「落ち着くまで安全な場所に身を隠せ。お前の命に代えてもシスタを守るんだ。頼んだぞ」
「かしこまりました。全力でご命令を遵守いたします。お気をつけていってらっしゃいませ。あなたのお帰りをお待ちしております、ベルンホーン様」
そう言って執事は黒い霧の中に消えた。
ベルンホーンは一人きりになる。
どのくらいの別れになるのか、今は想像もつかなかった。
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