▼ 42 蹂躙
「……ベルン、ホーン……」
視界の隙間から見えた悪魔の姿にシスタはほっとした。
しかし彼が自分を確認すると、そのぎらついた恐ろしい眼は堕天した男達を冷たく捕らえた。
ベルンホーンは抱えていた躯を床に投げ捨てる。
首から上がなかったが、あの声をかけてきた男だと予想がついた。
「貴様、なぜここにッ!」
「お前ら全員報いを受けさせてやる」
低い地鳴りのような声が響き、皆は戦闘態勢に入った。しかしベルンホーンの姿は瞬時に消え、妙な音だけが鋭く聞こえる。
ヒュン、ヒュン、と建物を交差するものは、ひとりの黒いマント姿の天使の胴体を真っ二つに分断させた。
「ゥ、グァアッ」
それは青白く光る大きな斧で、ベルンホーンが腕を伸ばすと自動的に手のひらに素早く収まる。
彼は今度はそれを握りしめ、猛スピードで男達を仕留めていく。
彼の伯母であるドュールに造らせた特別な武器だ。
敵は詠唱する間もなく、バラバラの首や手足、胴が転がった。
彼らは防御魔法を張っていたのだろうが、斧が切り裂く威力が上回ったのだろう。
「クソッ! 残虐な悪魔めが!」
シスタをいたぶり、残っていた最後の一人が両手を天にかかげて魔法を放とうとするが、その腕は二本とも投げられた斧に切り落とされた。
「ギャァァァァ」
そして最後にけたたましい口に刺さり、やがて静寂をもたらす。
ベルンホーンは息を切らしてもいない。
この小者達を始末するのになんら不自由はなかった。
「…………ふふふふ! 素晴らしい力だ、上級悪魔よ。この者達で貴様を倒せるなどとは思っていない。私の前に現れてくれただけで今日はうまく行きすぎている……!」
リーダー格の男は散らばった死体に目もくれず、肉体から力を解き放ち始めた。
室内が純白で満たされる。まぶしすぎて目も開けていられないほどだ。
「聖力か……そんなものをよく隠しもってられたな」
「ははははッ! 神より授かりしご加護は、この暗く沈んだ淵の世でもけっして輝きを失わないのだ!!」
浮かび上がった男は全身の光をおおきな光線に変え、悪魔に放つ。爆発と同じほどの攻撃は、ベルンホーンの形態にも即座に変化を与えた。
あの地上で見た光景と同じだ。
光線を跳ね返す黒いドームの中で、みるみるうちに肉体が黒く巨大に膨れ上がり、漆黒のつららを体中に生やした悪魔の姿が誕生する。
両者が戦い始めると建物の屋根が破壊された。
まだ薄暗い空の下に晒される。
「ベルンホーン……死、ぬな……」
シスタは目だけで彼らの姿を追う。
何が起きているのかわからない。ただ轟音と攻撃の白と黒の光が遠くで光っているのみだ。
天使は聖なる力を使う。悪魔の天敵であり、神と同様に討伐できる力を持つ者だ。
堕天した者は力が弱まるとされているが、シスタはベルンホーンが心配でたまらなかった。
懸命に腕に力を入れ、起き上がろうとした時。
頭上を人の形をしたものが飛んでいった。
それは奥の祭壇の上の壁にぶち当たり、心臓を黒く太いつららで貫かれている。
「は……ははは……これほどの……強さとは」
男は黒い血を吐き出し、目の光を失っている。
だが黒い獣となったベルンホーンは長く伸びる腕で突き刺したまま歩いてきた。
「まだ生きていろ。お前は百回殺してやる」
獣の恐ろしい咆哮が響き、殺戮は死んでからも続けられた。
自我を失っているのか、保っているからなのか、堕天使の肉体が細切れになるまでぐさり、ぐさりと貫かれた。
「ベルンホーン、もう、死んでいる……やめ、ろ……もとに、戻って……くれ」
シスタが這いつくばりながら手を伸ばすと、黒い悪魔は振り向いた。あの時より暗く底の見えない緑の瞳に見下ろされ、シスタはびくりとする。
しかし、早くベルンホーンを感じたくて手を這わせた。
すると彼は完全に向き直り、こちらに歩いてきた。
段々と姿が長身の銀髪の男に戻る。
服は破れ、白い肌からはまた黒い血のような魔力が流れ出ていた。
「あれが俺の元の姿だ、シスタ」
彼はそう言って青年の横にひざまずくと、その腕に抱いた。
熱く焼けるような体に抱きしめられ、シスタはひとまず安心する。
「すまない、私が捕まったせいで……」
「何も喋るな、すべて俺のせいだ。……こんな目に合わせてしまった」
ベルンホーンは聞いたことのないような、悔しさと悲しみがまじった震え声で告げた。
シスタの顔は原型が分からないほどに膨れ上がり、体も大きなダメージを受けている。
すぐに治療をしようと手を当てるが、特殊な魔法をかけられていて傷が治らなかった。殲滅してもなお天使の力に阻害されているのだ。
「クソ……ッ」
ベルンホーンはともかくシスタの体を休ませるために眠らせようとした。
しかしシスタは手を伸ばし、悪魔の顔に触れようとする。
「ベルンホーン、待ってくれ、お前にもらったペンダントが奪われてしまった」
「そんなことはどうだっていい、シスターー」
「よくない…大事なものだ」
悪魔の瞳は揺れ、奥歯を噛みしめる。
まだ殺し足りない。今からクローデスに乗り込み、全員をなぶり殺してやりたい。
そう考えたが、目の前の青年をとにかく癒やさなければならない。優しく髪に触れて落ち着かせ、額にキスを落とした。
眠りに落ちたシスタを抱えながら、ベルンホーンは楕円形の魔石を取り出す。
通話装置でかけたのはユーゲンだ。彼はすぐに出て、ちょうどいいことにあのリンデと一緒にいると言った。
シスタをさらった男をすでに調べあげていて、奴は数年前に保護区から出た後消息不明になっていたという。
「そいつなら殺した。他にも何人かやった。ーーああ、わかった。すぐに戻るよ。シスタの治療をリンデにやらせてくれ。……逃亡なんかするか。……ふん、これ以上はやらないさ、今はな」
吐き捨てたあと、装置を切る。
シスタを抱えて立ち上がった。ひとまず管理局にもどり、これからのことを考えなければならない。
けれどベルンホーンは、自分のことなど二の次だった。この腕の中の青年が無事でいるならば、どうなってもよかったのだ。
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