Otherside | ナノ

▼ 41 見張る

ベルンホーンは反省していた。具体的なことを言わずに、ただ結婚結婚と押しつけ過ぎていた事を。

シスタは二人の果てしない未来を望んでくれている。
婚姻はそれを保障するものだと思っていたが、まずは信頼を得ることこそが重要だろう。

「そうだ、あいつは驚いていたもんな。俺が百年先もそばにいると告げたとき。……あぁ、俺はきっと想像以上に軟派に見られているのだろう、そうではないのに。こんなにもお前一筋なのにな」

ぼやきながら透明の姿で街の大通りを歩いていた。
並木道の数十メートル前を行くのは銀髪を結わえた堕天使リンデだ。

すらっとした儚げな中年の男は買い物でもするのか、呑気に外を歩いている。
この一週間、ベルンホーンは彼が外出した際に尾行した。

あの難民保護アパートで出会った半魔の堕天使ヴァロに、出かけるタイミングを通話で教えてもらったのだ。

だがこれまで怪しいことはなかった。
仕事終わりのシスタと落ち合う光景もない。単に図書館に行ったり骨董店に入ったり、冥界を満喫しているようにしか見えなかった。

「つまらないおっさんじゃないか。こんな奴のどこがいいんだか」

立ち止まったリンデを遥か遠くから見据えていると、彼は歩道から歩いてくる一人の青年を見つけてまた歩き出した。

なんとそれは、白いローブをまとった黒髪のシスタだった。

だがリンデはまるで尾行するかのようにシスタのあとを離れて歩き、ベルンホーンは憤慨する。

なぜシスタが仕事終わりにこの街にいるのかも分からない。
しかしまずはこの男の行動だ。

「おい、お前! 何をしている、何故シスタをつけているんだ」
「…………ッ!」

まるで気づいていなかったのか、急に路上で悪魔の手に肩を捕まれ、リンデは怯んだ様子で振り返る。

「君は……なぜここに」
「俺が聞いているんだ。あいつを狙ってどうするつもりだ?」

ベルンホーンは横目でシスタが短い階段をのぼり、洒落た宝石店へ入っていくのを見た。ガラス窓から中の様子が分かる。

「そう怒らないでくれ。今日彼がこの街で買い物をすると聞いたから、会えるかと思って来ただけだ」
「会ってどうする、いい年して若者のケツを追っかけるなジジイが。あれは俺の男だ」

綺麗な顔をした若い悪魔が本気の形相で罵ると、彼はなにやら言いたげに腹のたつ苦笑顔を浮かべていた。

ベルンホーンがこの天使を近づかせまいと立ちふさがっていると、しばらくしてシスタが店内から出てくる。

そのまま彼は帰路へと向かうのか、大通りを歩き出した。

けれど青年に後ろから違う男が近づいてくる。黒いマントを羽織った男は若く気弱そうな外見だったが、呼びかけられたシスタは親切に立ち止まり話を聞いてやっていた。

「あれもお前の友達か?」

ベルンホーンがすぐに男の正体が堕天使であると見抜く。
ここからでもまとう瘴気が異なることを察知したのだ。

リンデも目を凝らして二人を眺めている。

「難民は多いんだ、あの区域に住んでるだけでも千人はいるよ。魔人の彼はある意味目立つから、声をかけられても不思議ではーーいや待てよ、あの顔つき……どこかで見たことがある。彼は……クローデスの集会にいたかもしれない」

そう告げられた瞬間、ベルンホーンは天使の胸ぐらをつかむ。

「クローデスだと? なぜシスタが狙われている、お前が情報を流したんだろう!」
「僕はそんなことはしない。君が水面下で調べられていたんじゃないか? 彼とはまだ短い付き合いらしいが、君の行動に変化があったのだろう。それを狙われたんだ」

明らかに怪しい男の指摘は悪魔の怒髪天を突いた。
まだシスタから離れない若い堕天使を横目に、リンデを激しく睨みつける。

「お前は何者だ? 今すぐ殺すぞ」
「僕はただ彼らに勧誘されている者さ。断っているのにあまりにしつこく、いかがわしい餌まで吊るしてくるから煩わしくて、潰そうと思っていた」

リンデは組織の犯罪的証拠を集めて通報しようと考えていたらしいが、ベルンホーンはこの男が盗聴されていたのではと考えた。

そうこうしているうちに、シスタは堕天使と別れまた歩みだす。彼は親切で真面目な青年だが、ここでは世間知らずだ。

だからベルンホーンは今の男を尋問しようと考えた。

「お前はここから消えろ、奴は俺がやる。ユーゲンにあの男を調べさせろ」
「だがーー」
「いいから行け。邪魔をするな」

リンデを追い払い、自分は青年を見つめたまま離れていく不審な天使に向かっていった。

だが、ベルンホーンは向かう相手を間違えていた。
真っ先にシスタの無事を確かめるべきだったのだ。

シスタの体は紫と黄金が混じったような光に包まれる。
はっとしたベルンホーンが駆け寄る前に、その体ごと道から跡形もなく消えてしまった。

「なっ……クソッ!」

今の魔法は遠隔によりかけられていた上位の転移魔法だ。ベルンホーンに気づき、すぐに逃げようとした若い堕天使に使える代物ではなかった。

「くっ、来るな!」
「馬鹿が」

若い男はすぐに悪魔の腕に羽交い締めにされ、建物の裏の茂みに連れ込まれた。
人目につかない場所で壁に体ごと押しつけられ、掴まれた首が強く締め付けられる。

「グゥッ」
「あいつをどこにやった、言え」

目が血走り気を失う寸前で力を弱め、男に息をさせる。
だが怯えていたはずの堕天使は短く笑い出した。

「……ハハっ! やっぱりお前の新しい魔人か! 声をかけて正解だった、馬鹿はお前だ! 我らの組織に連れられ、今から激しい拷問を受けるんだ! 返してほしければ我々の言う事をッ」

お喋りな口を悪魔の大きな手のひらが鷲掴む。
力をいれれば顔がすぐに壊れるほどだがベルンホーンはそうせずに、悪魔にしか分からない言語を不気味な声質で唱え始めた。

それは堕天使の目の焦点を失わせ、瞳を真っ黒に変色させる。

ベルンホーンは静かに男の脳から記憶を読んでいた。
膨大な量から欲しい部分だけすすり尽くすように魔力でさらっていく。

記憶によれば奴らのアジトはここから遠い山の中だった。
完全に気を失った男の顔をようやくベルンホーンは押し潰す。残った胴体からは魂を奪い、自身の身体に吸収させた。

それからベルンホーンは男を抱え、目的地に向かい出した。





一方シスタは暗い建物の中で気を失っていた。
五人の黒いマントを羽織った男たちが、石台に乗っているシスタを取り囲んでいる。

窓から灰色の光が指す室内には蝋燭が灯り、奥には祭壇がある。
シスタがやがて目覚めると、男たちはくすくすと不快な笑みで話し始めた。

「起きたか、魔人よ」
「……ここは……どこだ……」

頭痛がしたシスタは頭を押さえ、状況を悟る。自分が見知らぬ者達に拉致されたことに。

男達は先程話しかけてきた難民の堕天使と同じ格好をしていて、冷や汗が背を伝った。

「お前達は、まさかーー」
「クローデスだ。お前は我らが追っている上級悪魔が原因で捕らえられたのだよ。……ふっふっふ、待っていれば新しい魔人の下僕を作ると思っていた。だが今回は仲間に引き入れずにいたぶってやる、我らをコケにした罰だ……」

低い笑い声で満たされ、シスタは体がこわばる。
ここにいる者たちは実力が遥か上の魔術師のようだった。

詠唱をしようとしても発動しない。魔法で封じられているのだ。

五人の男達はそれから問答無用でシスタに暴力を振るい始める。四肢を押さえつけられ、体を殴られた。

遠くにいた誰かが「そいつは性奴隷だ、顔をやれ」と言うと集中的にやられる。

「ぐっ、ぅ゛ッ」

これが元天使なのか。
魔族にもこんな扱いや悪意を受けたことがなかった。それはベルンホーンに守られていたからだったが。

男達が手を休めると、また奥の顔が見えない男が指示を出した。

「あの悪魔の弱点を言え」
「…………そんなものはない」

シスタが答えるとまた暴行が再開した。
口から血を吐き、歯は折れて視界は見えない。目が腫れ上がってしまっている。

けれどシスタは動じなかった。
こんなことは序の口ではないかと想像していたからだ。

「どうしてこんな事をする……お前達の信念はいったい何なんだ」
「ふふふ……我がクローデスは魔界を正す必要がある。我らは神のために堕天した。戦いは続くのだ、この地を神に返上するその日まで!」

祭壇近くにいる男はそう叫んだ。
虚ろな意識の中、シスタは男達が神のための過激思想を持っていることを知る。

「くく……こんなふうに小さなアジトでこそこそと……お前達の本部は魔界だろう? 隠れてないで魔王に直接言ってこいよ。……会うこともできないなら、相手にもならないんだろうな」

シスタが潰れた顔で笑うと、仲間の一人が腹部を強く蹴った。
呻くシスタの襟を掴み、鮮やかなグリーンに光るペンダントを引きちぎる。

「けっ黙れ! 薄汚い悪魔に仕える男娼が!」

弱々しく腕を伸ばしたシスタは、そのペンダントが堕天使の拳の中で壊されそうになるのを見つめた。

けれど宝石は壊れず、腹を立てた男に遠くに放り投げられてしまう。

シスタはそれを目で探す。
どこかで緑に光るまぶしい存在を。

ベルンホーンは必ず自分を見つけにくる。
だから大丈夫だ。

「……ベルンホーン……」

堪えていた体力が途切れそうになった時だった。

大扉が騒音とともに開く。
そこには、躯を脇に抱えた銀髪の悪魔が立っていた。



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