▼ 29 弟とプール
あれからルニアが長男にせがんだらしく、そう遠くないうちに外出の許可が出た。行先は彼の念願の「公共のプール」だ。
「ねえ騎士さん、早く鎧脱ぎなよ! そんな暑苦しい格好してる人どこにもいないよ!」
「わ、分かりました。ルニア様。落ち着いてください」
「うわぁ、すごいすごい! ムッキムキだぁ〜兄上も美しいけどあなたも最高だね!」
裸になった屈強なエハルドの腹筋を触り、はしゃぐ末弟に悪魔は呆れた瞳を向ける。
更衣室で皆と同じく水着姿の青年を見やり、溜息を吐いた。
「なぜあいつを連れて来たんだ。家族水入らずでよかっただろう、シスタ」
「いいじゃないか。ほら、彼もかなりエハルドのことを気に入っている。騎士が好きなのかな、やはり男の子だな」
呑気な青年は悪魔を促し、二人に付いていく。
ここは魔界にある屋内の豪華スパ施設で、美形の魔族たちが優雅に温水プールや様々なアトラクションを楽しむことが出来る。
ベルンホーンは人混みが嫌いだが、貸し切りを嫌がった末弟の言うことを聞いてやり、遊びに付き合うことにした。
ルニアにとっては護衛に囲まれた厳格な雰囲気よりも、世間一般の過ごし方を経験してみたかったのだろう。
「兄上からお前たちに賃金が出ているぞ。よかったな、シスタ」
「なんだって? 私は要らないよ。これは仕事ではないし」
「お前に借りを作りたくないんだとさ。あの魔人トロイエのことも眉をひそめていたが、カウェリネス公爵家との繋がりを作れたことは上出来だと俺を褒めてきた。複雑な心境だな」
ぼやくと一見二倍ぐらいの身長差の大人と子供が振り向いた。
「ベルン兄様、僕たちあの滑り台やってくるね!」
「おお、行っておいで。ちゃんと見張ってろよ、トロイエ」
「了解しました」
騎士然と礼をする金髪の刈り上げ男に、内心舌を打ったベルンホーンは青年を連れて行く。
二人が遊んでいる様子が見えるビーチチェアに寝そべり、ウェイターに飲み物を頼んで一服し始めた。
シスタは隣の椅子から全体を眺めている。自分は泳ぎが下手だが、ルニアに喜んでもらえているのは嬉しい。二つ返事で参加してくれた親友にも感謝だ。
そんな時、目の前をとんでもない美女が通り過ぎた。赤いビキニを着たブロンドの若い女性で、豊満すぎる胸と尻を惜しげもなく揺らし歩いていく。
魔族はたいてい美男美女だが、家族連れの者も含め周りの男達の視線をさらっていた。
男の性としてシスタも目で追うと、ベルンホーンも同じように視線を流していた。すると彼女は自然に彼に振り向き、思わせぶりに片目をぱちりと瞬く。
ベルンホーンは「ふふっ」と低い声で笑い愛想よくしていた。
そんな悪魔がちょうど青年に振り向き目が合う。
「見たか、すごいでかいケツだ」
真面目に品評する顔つきがおかしく、シスタは失笑を抑えて頷く。
「確かにな。……お前も普通の男なんだな。というか、やはり尋常じゃなくモテるんだな。お前を見ているのは彼女だけじゃない、あちこちから隣に視線を感じるよ」
ただの感想として述べただけなのに、悪魔はにたりと笑って起き上がり、正面から見つめてきた。
「俺が女に色目を使われるのは当然のことだが。今のはただ、お前がやはり一番だと再認識していたんだよ?」
「なんだその言い訳がましい言葉は。別に私に気を使うことはない。男同士じゃないか」
「んん? おかしいな。俺達の深い仲からすれば、お前は嫉妬すべきだぞ」
「なぜそんなことを……ではお前は同じ状況なら嫉妬するのか」
「そうだな。……いいや、微笑ましく思うかな。同じ男として」
平然と違うことを言うその余裕が嫌味ったらしい。
「私を子供扱いするな」
憤慨するものの、これが抱かれている立場の弱さかと身にしみる。
そんなくだらない事を話している間に、周辺から騎士のよく通る声が聞こえた。
「ルニア様? どこです、ルニア様!」
二人は異常に気づき、すぐに立ち上がり大きなプールの中に入った。
騎士は潜ったり出たりを繰り返し、懸命に探したが黒髪の美少年の姿がない。
「どうしたエハルド、彼はどこに行った」
「それが、さっきまで目の前にいたのに忽然といなくなってーー」
焦る親友と一緒に探したが、確かに見つからない。
するとベルンホーンは大きく息を吸って水中に潜った。
彼はくまなく中を泳ぎ回り、しばらく経つと広大なプールの端っこで突然大きな体躯を現す。
両腕にはがしりと華奢な末弟を抱えていた。
「ぷはぁ! なにするんだよ、ベルン兄様ぁっ」
「こらっ、急に透明になるんじゃない! 皆心配するだろう」
彼は叱責しながら騎士と青年のもとに戻ってくる。しかし抱えられたルニアは舌を出して兄に掴まり甘えた声を出した。
「ごめんなさーい。ちょっとお兄さん達見てただけだもん」
「まったく……。おいお前、見張ってろと言っただろ?」
「申し訳ありません。ーーでも俺は透明化なんて流石に見破れないんだが」
エハルドは困惑していたが、シスタもなんとなく弟の異常さに気づき始めていた。
それからはベルンホーンが150才以上離れた弟に付き添い、波のプールで遊んでいた。青年と騎士も一緒に入っていたが、昼時になり軽食の店の列に並ぶため先に出てきた。
「あの子、すごく活発だな。見た目は恐ろしいほど綺麗だけど、なんていうか妖しげな黒目がさ。まだ10才なんだろ」
「ああ。あと20年もすれば成人だと聞いたが。悪魔特有の色香が漂っているようだな」
二人は平和的な休日に昔のように肩を並べお喋りをする。
人気店の長い列で待つ間、エハルドに顔をじっと見つめられた。
「なんだ」
「いや、俺のことを怒ってないみたいで安心した」
「別に怒っていない。連絡も取り合ってるだろう」
「そうだけど、俺はもっと早く会いたかったぞ。二人でも」
「わかってるさ。最近は地上の友人が来てくれて訓練してたから忙しかったんだ。話しただろう? ……まったく、私達の仲がそんなくだらない事で終わるか。たかがキスぐらいでーー」
「じゃあまたしてもいいか?」
金髪の逞しい男の体が寄ってきて身を屈めた。
親友はなんと広すぎる肩で隠し、話してるフリのような仕草でシスタの唇にちゅっと触れた。
「なっ……お前は頭がおかしいのか?」
「お前が言ったんだろ、キスぐらいなら何度してもいいって」
この男は前世から手の早い遊び人ではあったが、やはり魔界の騎士となり精力に抑えがきかないのだろうか。
「ここは外だしあいつがいるんだ。死にたいのか?」
「死にたくはねえよ。でもお前が好きだからさ、それにこんな格好だし」
水着の腰のゴムをついと引っ張られ、ぱしんと戻される。
いい歳をして悪戯っ子のような振る舞いをする大男に、段々と呆れより苛立ちがわいてきた。その表情に気付いたエハルドは微笑みで取り繕う。
「本気で怒んなって。あ、そうだ。お前今度俺の家来いよ、トロアゲーニエ様がぜひ呼べって」
「……まったくお前は。……本当に彼がいいと言ったのか?」
自信ありげに頷かれてシスタは少し表情を変える。親友の暮らしぶりは前から気になっていた。
それにまっすぐ嬉しそうな笑顔は昔のエハルドの面影が強く、心に響く。
「そうそう、訓練場もあるしお前に剣術教えてやるよ。武器貰ったんだろ?」
「ああ、凄いぞ。今度見せてやる」
二人は魔術仲間だった時のように途端に盛り上がる。
こんなふうに取り巻く雰囲気がころころと変わったとしても、彼らはすぐに心を開き互いを許容しあい、元に戻れるほどに深くつながった関係でもあった。
帰って来ると、育ち盛りのルニアは普段は食べない大衆の食事に喜ぶ。皆も食べ始め、端から見ると親族の甥っ子か何かを大人達が遊びに連れてきている微笑ましい光景だ。
「あー美味しかったぁ。じゃあ今度はシスタね、僕の遊び相手!」
「ああ、行こうか。どこがいい? 私はあまり泳げないから簡単なところにしてほしい」
「うん! じゃあ流れるプールにしよ〜。あっちあっち!」
黒髪の青年と少年が仲良く揃って去っていく。
そして二人の大柄な男達が残った。一人は銀髪の見目麗しい悪魔で、もう一人は強面の勇ましい騎士だ。
シートに座っていたベルンホーンが立ち上がると、エハルドはほっとする。
しかし信じがたいことに、彼はこう言い放った。
「ちょうどいい機会だ。付き合え」
近くのジャグジーのプールに呼び出される。なぜか二人並んで、泡にぶくぶく包まれながらぬるま湯に入った。
騎士は生きた心地がしない。水中で刺されるのではと思った。
「トロイエ。お前は度胸のある男だな。家族団らんの今日この日に、俺のシスタの唇を奪うとは」
騎士の心臓がドキリと鳴り、ものすごい速さで動く。
「……見ていたのか。死角でバレないと思った」
「いいことを教えてやろう。俺に死角はない」
隣でにやりと恐ろしい牙を見せられ、怖気が走る。
悪魔は腰を上げ、近寄ってきた。あろうことか、エハルドの水着を引っ張り水中をもったいぶった様子で見つめる。
「ほう、いいブツを持ってるな。よく見えるぞ。俺に負けていない」
「は、離せ!」
悪魔は片手を上げ、くすくすと笑う。だがその細められた鮮やかな緑の瞳が、だんだんと鋭利な目つきに変化する。
「よく聞け。10回までなら許してやる。だが11回目はお前を殺す。この先長い人生にしたいなら、ちゃんと配分を考えろよ? トロイエ」
遊び心で馬鹿にしているような条件を出され、騎士の瞳が揺れる。
「ああそうだ。このでっかいペニスを挿れても殺すからな。覚えておけ」
脅されているのに余裕綽々な態度を示され、エハルドはぎりぎりと歯を食いしばる。負けていられない。
この悪魔は自分の親友を食い物にしてるのだと、好き勝手に毎晩抱いているのだと、想像しかできない光景に脳天が割れそうになる。
「挿れなきゃいいのか? そういうことだろ?」
「ふふっ。さぁな。俺は寝取られ嗜好はないはずだが……あいつがヤられてるところを見るのは少し興奮するかもしれない」
ふざけた事を言う、倫理観の狂った悪魔に余計に憎しみがわく。
「けれど相手がお前だとな……なぜだか無性にぶち殺したくなるんだよ。シスタはお前が好きだろ? だからさ」
遊びは程々にしとけと告げる悪魔の瞳が、カチカチと反転し本気を示す。
エハルドは耐えきれず、目を逸らした。
「俺は兄上ほど残酷じゃない。だから放置してやる。当面はな」
苛立ち混じりの声にこそ悪魔の本音が隠されている気がしたが、そこへルニアが大きな声で二人を呼び、目を輝かせて駆け寄ってきた。
「ねえねえ、さっきベルン兄様おちんちん見てたでしょ? いいなぁ、僕にも見せて〜騎士さん!」
「ちょっ、ルニア様! あ、あとにしてください! ここでは駄目です!」
天真爛漫な弟に絡まれる騎士を見てベルンホーンは笑う。
一方シスタは体をタオルで拭きながらやって来る。
「何の話だ? どうした、あの二人は」
「さあな。うちのエロガキに捕まったみたいだぞ。いい気味だ」
悪魔の思考など知らない青年は首を傾げていた。
そして夕方になり、皆は帰り支度のために更衣室へ向かった。
ルニアは大人しくシスタの隣で着替えているように見えたが、突然きょろきょろと周りを見つめ出し、浮き輪をもって走り出す。
「待てルニア、どこへいくんだ?」
「僕、この浮き輪返してくるね!」
他の二人もまだ着替えていたため、慌てて身支度をし少年を追いかけた。
最後の最後になにか嫌な予感がして全員でロビーへ向かう。
するとルニアの横顔の笑みが目に入る。彼は知らない男と手をつなぎ、どこかへ行こうとしていた。
シスタは走り寄り、勢いよく男の肩を掴む。
「おい、彼をどこへ連れて行く気だ! その子は私達の連れだぞ!」
「ひっ、ひいっ。違うんだ、この子に熱心に誘われて…!」
男は中年だがガタイがよく、かなり引き締まった良い体つきをしていた。魔族なのに半裸の肌は日焼けしていて、頭には獣耳が生え耳が尖っている。
「お前、獣人族だな。俺の弟に何か用か」
「いえっ、なんでもありません! じゃあこれで! ごめんなボク、またな!」
手を振りながら急ぎ足で獣人が去って行った。
男三人は厳しい目で少年を見下ろす。だが彼はまったく反省しておらず、舌を出してウインクしている。
そして無意識に、黒い角と黒いくねくねしたしっぽが半ズボンから現れた。
「ちぇっ。あのおじさんと遊びたかったのになぁ。どうして皆止めるんだよ。せっかく兄上の厳しい目が光らない日が来たのにさぁ!」
「……ルニア。やっぱり君はわざと男を誘っていたんだな? 危ないだろう、君はまだ小さいんだ」
「小ささ関係ある? 僕だって立派な悪魔だよ、兄様達や執事以外からも精気取れるんだ、早く練習しないと! シスタも最近訓練してるんでしょう? 僕もやって何がいけないの?」
口が立つ小悪魔に腕をもってせがまれ、さすがのシスタも困り果てる。
皆は顔を見合わせ、結局満場一致の意見にまとまった。
「ゼフィルの言う通りかもしれないな。彼は少し屋敷に入れておいたほうがいい」
「ああ、俺もそう思う。ちょっと可哀想だけどな」
「ほらルニア、残念だったな。新しい友人達も味方につけられなかったぞ。もっと周到にやれ、弟よ」
「ええーっ。なんでだよー! 僕はもっと色んな男達と遊びたいだけなのにぃ!」
地団駄を踏む末子を皆は最初とは違い、やや落ち着いた目で見る。
彼の行く末はどうなるのか、つくづく心配になった。
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