▼ 23 特別な証
店に戻るなり、ベルンホーンはひりついた殺気を放っていた。
シスタが抱えたものを店主の女に指し示す。
「ほら、約束の頭二つだ。頼みますよ、ドュール」
「揃えたか。……ひどい格好だな、二人共。なぜお前まで服が汚れているんだ?」
じろじろと眺められた。口元など見えるとこは洗ったベルンホーンだが、同じ魔族に全身の血の匂いが嗅ぎ取られないはずがない。
「奴らの通り道に入ってしまいましてね。余分なものを殺っただけですよ」
「……違うんだ。ベルンホーンが五体のうち四体やった。私にあなたの武器を受け取る資格はない、ドュール」
「って、おい!! なんで言うんだ!」
すぐに馬鹿正直な青年に突っ込んだ悪魔は盛大に溜息をつき、呆れて頭を振る。
彼女の顔色は、まるで当然ともいうように変わらなかった。
「君が一体倒したのか? すごいじゃないか」
「どういう意味です……伯母さん」
「私は元からこの魔人の力を試したかったわけじゃない。お前がどれだけ本気なのか確認したかったのだよ、ベルンホーン」
悪魔は怪訝に顔を歪めた。
「面倒なことを決してしたがらない道楽息子のお前が、彼にはよほど熱を上げているらしい。それほど守りたいのかね」
この特別な武器を贈る本当の意味を、この魔族同士はよく知っている。
問いの意図を汲んだベルンホーンは真摯に頷いた。
「ええ。彼への誓いでもあるんです。お願いします、ドュール」
「そうか……ふむ、よろしい。こちらへ来い、シスタ・レイズワルド」
初めて名を呼ばれた青年は、本当にいいのかと混乱する。
だが視線を合わせるだけで強制性をもつ魔族には逆らえず、大人しくついていった。
ベルンホーンは自分も同伴すると主張したが、彼女は許さなかった。重要な施術なのだと、金属張りの厳格な作業室へ案内されたシスタは悟る。
そこは拘束具つきの寝台があった。まるで手術室のように眩しく、見たことのない形の器具が置いてある。
「恐ろしいか? そういう時はあそこの必死な男の顔を見ていろ。笑えてくるだろう」
丸い窓には「中に入れろ!」と叩くベルンホーンの姿が映る。余計に何が行われるのかと戦々恐々となった。
シスタは上半身裸にされ寝そべる。
「何をするんだ? 体が関係あるのか」
「そうさ。何よりも君の魂と精神に関係があるのだ。私の特別な武器はな」
上体を起こそうとするシスタの肩を、彼女はそっと押さえつける。
「ベルンホーンにも同じことを?」
「ああ。彼が幼い少年のときにな。なに、大丈夫だ。最初は少し痛いが、すぐに気を失う。……私は君の根性を気に入った。この世界へ来た経緯もなんとも物悲しいではないか。そんな君に、少しでも応援の気持ちを添えよう」
まぶたに女性の綺麗な手が置かれ、目を閉じられる。
熱くなった腹に何かを差し入れられ、それが彼女の手だと分かった。
苦しみに呻いたシスタだが、じきに言われた通り気絶した。
やがて目覚めると、前面真っ黒な個室のベッドで寝ていた。そばで心配げに手を握る悪魔に既視感が漂う。
シスタは手術着のような薄着で起き上がり、額を擦った。
「私は……無事に済んだのか?」
「ああ。もう大丈夫だよ、シスタ。うまくいったからな」
すると扉から金色の髪が眩しい美女ドュールが入ってくる。
彼女はシスタを起こし、詠唱して青い光をまとう短剣を腹から取り出した。
もう痛みはないシスタだが、体内から現れたものに恐れ慄く。
その短剣は深い青のオーラを発し、明らかに普通ではなかった。十字の柄の部分は銀細工が刻まれ、刃は細くまっすぐ鋭利だ。
手渡されてしっかり握る。するともうその武器は、所有者以外が触れることは出来ないと説明された。
「どういう原理なんだ……これが本当に私の武器なのか。……待て、何か現れたぞ。これはレイズワルド家の紋章だ……!」
まさか魔界で目にするとは思わず、彼女に説明を求める。
由緒正しい家の出であれば家紋が浮かび上がるのだと伝えられた。個人の認証のようなものらしい。
「これは君の精神体の一部で作られたものだ。形は変わらないが君の感情や状態によって切れ味が変化し、無限の可能性を秘めている。自分で刀を研ぐように修練するのだよ」
聞けばベルンホーンの物も同じ工程で創られたようだ。なんでも殺傷能力が凄まじいらしく、普通の戦闘では中々使う機会がないのだとか。
「素晴らしいな……まさか私がこのような代物を得られるとは……あなたに深く感謝する。ドュール」
「いいのだ。不満があれば、君の主人をこれで一刺ししてやればいい」
魔族の際どい冗談に怒るかと思いきや、ベルンホーンも笑っている。
彼女はもっとも重要なことを付け加えた。
「私の作る武器はな、悪魔の心臓を突けば殺せる代物なんだ。君のこの短剣は小さいが、私もベルンホーンも殺すことが出来るのだよ」
彼女は誇らしげに、薄く笑みを浮かべる。
初めて見た伯母の表情に目を見張ったベルンホーンだが、青年に対し認めた。
「そういうことだ。これが俺の愛の証明のひとつってわけだな、シスタ。まあ俺は、お前に無防備なところは見せないが」
ぱちりとウインクをされ、シスタの気が抜ける。
朝、いつも晒しているくせに。
それほど自分に気を許しているのだと、実感したらなんともいえない気持ちになった。
「お前の誠実な思いが伝わったよ。……ありがとう、ベルンホーン」
悪魔は報われた瞬間にほっと安心し、満足げな笑みを浮かべた。
「よく礼を言う男だな。魔界では浮きそうな性質だ」
「そうでしょう? 俺は心配なんですよ。こんなに人のいい彼が、いつか悪いやつに騙されそうでね」
「それはお前のことか」
「違いますって! なんでそんな俺を下げるんです、ひどいですよ伯母さん。シスタには格好いいところを見せたいんですから、協力してくださいよ」
しばし二人の緊張感の減ったやり取りが行われた。
外で払い主に振込の書類にサインをさせる間、青年は部屋でドュールと二人きりになった。
「シスタ。何か不具合があれば私のところに来い。親類のよしみだ。相談に乗ってやろう」
「……えっ? いいのか? 有りがたいが、私はそんな待遇を受ける身分では……」
親類と言われ戸惑いを隠せない。まるで認めている素振りだ。
すると彼女は柔らかい表情をした。当初と雰囲気がまったく異なり、いっそう女性的で見とれる。
「ベルンホーンは昔から徒党を組まず、一人でいることが好きな男だ。そんな彼が君を見つけ、大事にしようとしているのが感じ取れる。……彼の力は少々独特でな、孤独な面もあるのだろう。心を許している君には、出来るだけ支えてやってほしい」
きっと甥は気づいていないだろう、伯母の温かな思いに触れる。魔族でも彼らなりの心があるのだと知った。
「分かった。あなたの気持ちに応えられるよう、私も今以上に彼を信じ、ついていこうと思う。……彼は、私の想像より素直なところがあって、そんな部分は結構好きなんだ。婚約者というのは全然納得していないが」
そう話すとドュールがまた優しく笑う。
最初の印象とは異なり、青年の気分は軽やかになっていた。
店を出て、高級商店が並ぶ帰りの大通りを歩く。
早く帰宅し二人共シャワーを浴びたかっただろうが、まだ不思議な高揚感が抜けきっていない。
「何を話してたんだ? シスタ、お前少し機嫌がよさそうだぞ」
「それはお前がこんなに素晴らしいものをプレゼントしてくれたからだよ」
「ふふっ。気に入ったか?」
「ああ、嬉しいよ。お前に礼がしたいな」
シスタは喜びを感じていて、それを表したくもなっていた。
愛だのなんだのはまだよく分からないが、ベルンホーンの信頼を得ていることが嬉しくも感じた。
自分も彼と信頼を築いていきたい。
ぶつかる面はこれからもあるだろうけれど、長い付き合いになるのだから。その覚悟がより確かなものになった。
「礼なんていいのさ。俺からの気持ちの表れだからな」
そうは言われても考える。
正直散々な目にもあったが、それは別として彼には世話になっている。先程の彼の親類との会話も後押しをした。
「彼女はとてもいい人だったな。お前のことをよろしくと言われたよ。すごく心配している様子だったぞ」
「……おいおい。何を言われたんだ? すぐに信じるなよ魔族の言う事を。はぁまったく心配だ、お前は純粋すぎる」
全然信じる様子のない姿に驚きつつも、そういうものなのかと納得もする。
「信じられるよ。お前とお前の家族はな」
シスタが告げると、彼はなぜか感動の面持ちをした。もう自分に関する部分しか耳に入ってない様子だ。
「俺を信じてくれるのか? そうか……我ながらいい贈り物だったな。だがこれはまだ序の口さ。お前への想いはもっと深いんだぞ。期待していい」
「……それは有り難いんだがな。ベルンホーン、やはり私はお前に与えられすぎだ。何か役に立てないだろうか? こうして武器も得たことだし」
「おいおいおい、待て。それは身を守るための物に過ぎない。俺はお前に戦えというつもりで渡したんじゃないぞ」
やはり反応は芳しくない。
悪魔はまだまだ達成の余韻に浸っていたいのだ。
「なあシスタ、急ぐな。家に帰ってゆっくり話そう。俺もお前も、ひとまずシャワーを浴びないとな?」
彼は青年の肩を抱き寄せ、帰路を歩んだ。
◇
風呂を浴び、二人は広間に集まった。
バスローブ姿で機嫌のよいベルンホーンは、青年の黒髪を自らタオルで拭いて乾かしてやっている。
「さっきの話だが」
「んん? 後ででいいだろう。俺は早くお前をこの腕に抱きたい。久々の遊びで興奮していてな。あっちのほうもガチガチにーー」
「頼む。それは後でするよ。先にこの話を聞いてくれ」
すっぱり男らしく告げられ、水も滴る良い匂いの青年に振り向かれたら黙らざるを得ない。
仕方なくソファで向き合って座り、避けたかった話題を開始した。
「ここへ来てから考えていたんだ。私は奴隷としての働きもあまりしていないし、優雅に暮らしているだけだろう? このままではお前に悪い気がする。だから……何か自分にも仕事がないだろうか」
一体ではあるがあの化け物を倒したことにより、冥界でも少しはやっていけるのではと考えた。体内に備わった武器もきっと自信に繋がるだろう。
「エハルドも騎士として務めているし、私も今は魔人だ。だからーー」
「あの騎士は主人に色々改造されてるんだ。戦闘用にな。はっきり言えば、お前の力では頑張っても冥界二層あたりの仕事しかない。中級がウジャウジャいるところだぞ。そして俺はそんな下層に何があろうとお前をやりたくない。だから、分かるな?」
厳しい眼差しからは本気が伝わり、青年は気落ちする。
「では、私に出来ることはないか……」
この世界に精通している上級悪魔が言うのだから、真実なのだと分かる。
ベルンホーンはそんな彼を同情的に見つめた。
「そうだな、まずは近接の訓練をしろ。とはいえ俺は忙しいしお前と暴れるのはベッドの中で十分だ。そうだ、ブルードに頼んだらどうだ? 老いぼれではあるが十分強いぞ」
「彼に? 悪いだろう、そんなことに付き合わせて。……休みの日にでもエハルドに習うか」
またその名を出され、悪魔は心底嫌な顔をする。
かと言って見知らぬ者に青年の訓練を任せる気はさらさらなかった。
シスタもピリッとした空気を感じ取り、この話はひとまず遠慮をした。
この悪魔は助手など必要としていないし、地上での蛮行を知るシスタにも決して同行など出来ないとわかる。
だが、自分がここへ来た意義を見つけたい。可能ならベルンホーンに時間をかけてでも恩を返せたらと考えていた。
それを伝えると、真剣に思い悩んでくれる。
「ふむ……冥界は魂に関わる業務が主だからな。お前は魂をしまうことや消滅させることが出来るか?」
「いや、出来ない……シグリエルやサウレスなど、死霊術をよく知る者ならば可能だが、私は黒魔術師だ。その鍛錬はしていない」
霊を払ったり魂を浄化させるのは、かなり高度な行為だ。
そもそもシスタに特別な霊感はない。しかし今は魔人の眼を持つため、訓練強化すれば可能なはずだとベルンホーンは考えた。
「その、死霊術を知っている奴か。誰なんだそれは」
「シグリエルだよ。この前会っただろう。マルグスの息子だ」
「ああ! あの不死者の兄か。はは、いつも忘れてしまう。顔は綺麗だが異様に影の薄いやつな」
からからと笑われて青年は眉をひそめる。
「そうだ、そいつに教えてもらえよ。俺とお前は体の構造が違うから、感覚的に教えるのが難しいんだ。俺には生まれた時から魂を扱う能力が備わっていたからな。だがお前が一人で地上へ行くのは駄目だぞ。ここに来てもらえ、その不死者に」
「……何を言い出すんだ?」
シスタは戦慄したが、悪魔は至極本気だった。
冥界へ連れてこいというのだ。
「無理に決まっているだろう! お前は彼らの気持ちを考えたことがあるのか? いい加減にしろ!」
「なぜそこまで切れられなきゃいけないんだ? あいつらは俺に借りがある。中級共を一掃してやったんだから。俺の言うことは聞くべきだろう」
青年の吠えなど気にせず悪い顔つきで微笑している。
シスタはどうにかこの男を止めなければと思っていた。
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