▼ 22 護身用
別荘での休暇は素晴らしかったが、あの求婚は冗談だったのだ、そう思うことにしてシスタはしばらく過ごしていた。
そんなある日、ベルンホーンから買物に誘われる。
「私に武器を?」
「そうだ、護身用にな。魔界や冥界には危ない男がたくさんいるからな。お前の身を守らねば」
危険なのは誰なんだと思いつつも、確かに常に丸腰のシスタは携帯用の短剣ぐらいはあってもよいかと、その提案に甘えることにした。
魔界にある初めて行く街だ。高級店が並ぶ路地裏の秘密の店で、看板もなく、一見中が見えない金属の箱のような外観である。
きらきらした黒石が敷き詰められた店内は、カウンターと四方に彫刻台と花瓶があるだけで、がらんとしている。
少し待つと大扉から背の高い女が現れた。金色のまっすぐな髪を横にまとめ、冷たい顔立ちだが妖艶な美女だ。
「ベルンホーン。久しぶりだな。五年ぶりか」
「そのぐらいですね。相変わらずお美しいな。ドュール」
「思ってもないことを言うな。武器の新調か?」
「いえ、俺じゃなくて彼のなんですが。小ぶりのものを一つ、創造していただけませんか」
魔族の女性は白ローブの青年を見下ろす。ベルンホーンほどではなくとも、スーツからこぼれそうな豊満な胸がシスタの目線に近いほど、長身でスタイルがよい。
「君は誰だね」
「シスタ・レイズワルドという者だ。よろしく」
「へえ……ひょっとして、彼の婚約者…か?」
細まる金の瞳は蔑みに感じられた。否定しようとしたが悪魔の声がかき消す。
「なぜ知ってるんです?」
「社交界で私の侍女が耳に挟んだようでな。噂になっているぞ」
「はは……それは愉快だな」
くすくすと笑うベルンホーンに対し、シスタは落ち着きを忘れ憤慨する。
それを見たドュールは男性のようにかたく腕を組み、観察を始めた。
あの長男のように、奇異なものを見る不歓迎な目つきだ。彼女も明らかに高貴な出自なのだとわかる。
「君は不本意なのか。この男に娶られるのが」
「……ああ。いいと言った覚えはない。私は彼の奴隷だ」
「なるほど。奴隷に私の武器を? 何を考えている、ベルンホーン」
「違うんですよ。シスタは特別なんですって。だからいいでしょ? ドュール伯母さん」
途端に口調を崩し肩を竦める悪魔に、青年は愕然とした。
このドュール・ディアトリスという淑女は、亡くなった母親の二人目の姉だというのだ。
ベルンホーンは真剣に購入に訪れたと説明するが、状況は厳しい。
「私の武器がこの魔人にふさわしいか判断せねばな。ではこうしよう。冥界一層にいるビザニルを二体狩ってこい。その頭部を持ってくるんだ」
「冗談でしょう、やめてくださいよ。たかが携帯用の武器に何故そこまで」
「たかが? ならばそのへんの粗悪品でもよかろう。私のである必要はないな。違うか?」
悪魔が押し黙る。
どうやら試されているのだ。シスタには彼女の作品に大きな関心が生まれた。普段武器を扱ってるところなど見たことがないが、あのベルンホーンも世話になっている特注品なのだと。
「分かった。あなたの言う魔獣を狩ってこよう。無事に納品できたら製作をお願いしたい」
「よろしい。頑張れよ」
期待されてない顔つきなのは分かったが、シスタは約束する。
隣で渋い表情をする悪魔とは反対に、妙にやる気に突き動かされていた。
◇
二人は冥界一層の荒涼地帯にいた。さきほどの高級街から一転し寂れた自然が永久に続く地だ。魔族の姿もなく、赤土の地面に枯れた草木や切り立った岩が目立つ。
紫の薄闇を背景に歩く中、隣のベルンホーンは機嫌がよくない。
「お前を手助けするなってさ。さすがに頭がおかしいだろ、まるで小姑じゃないか」
「口が悪いぞ。認められるチャンスをもらったんだ。有り難く受け取らなければ」
何に認められようとしているのか、述べたシスタもよく分からなかったが、久々に魔術師の腕が鳴る。
二人は魔物を探しながら会話した。
「彼女とはあまり関わりがないのか?」
「ああ。伯母はうちの家をあまり好いてなくてね。妹である母の扱いが気に食わなかったんだ。母は奥ゆかしい人で、よく両家の間に立たされていたらしいが。姉妹仲はよかったようだよ」
見事に男系と女系に分かれた両家は婚姻後もあまり深い付き合いはなかったという。
「ではお前の家の者達は皆、彼女の武器を使っているわけではないのか」
「まさか。とくに兄上などは戦場を知らぬ女の作った武器など使えるかといった感じでな。俺もドュールは性格的にそんなに好きじゃない。笑顔も見たことない怖い女だよ」
血縁なのに情が薄い表現は悪魔ゆえに感じた。
「けれど一度、彼女が母のことで一人で屋敷に乗り込んできたことがあるんだ。その時抜き出された長剣が、それは素晴らしくてな。一瞬で輝きに魅せられた。だから周りの反対も聞かず、俺は自分で製作を依頼したんだ。それ以来ずっとあの店に世話になっている」
興味深い話だ。シスタはベルンホーンにも試験のようなものがあったのかと聞くと、苦い思い出を教えてくれた。
「もちろんあった。あの時は死ぬかと思ったな。俺はまだ10才だったんだ。でもなんとかやり遂げたさ」
「10才だと!?」
「そうだ。鬼畜だろ? 今のルニアぐらいの年だよ。もしあいつだったら俺ですら必死に止めている」
甥を引き合いにして苦笑している。
シスタは恐怖がじわじわと襲った。そんなに若くして戦った悪魔も称賛するが、彼女の本気具合が。
自分を待ち受けているものも生半可ではないだろう。
「私も頑張らないとな。それほど素晴らしい武器に見合うように。お前のも今度見せてくれるか?」
「もちろん。うまくいったらな」
彼の意味深な笑いはいっそうシスタの入手欲を掻き立てた。
ビザニルは上層に生息している強い魔物だ。
頭の大きい人型の醜い化け物で、魂を食うのが好きな害獣だという。奴らは魂の川に忍び込んでは結界の罠にかかったり、ハンターと呼ばれる巡回者達に罰されている。
なのでそれ以外の賢い者たちは、落ちている魂の欠片を探してうろつく。元々ビザニルは捨てられた魂が邪気をまとい生まれた魔物なのだ。
「来たぞ、気をつけろ」
荒野の地平線から一匹のビザニルがのそのそと歩いてくる。裸で腹のでかい三メートル近くの巨体だ。
悪魔は気配を消して大木の枝上にしゃがんで見ていた。
シスタは妨害、撹乱が得意で格闘タイプではない。だから一人で戦うには入念な準備と戦略が必要だった。
「ーーぐぅっ、アァァ」
遠距離から結界の罠にかけ閉じ込める。円内のビザニルは暗闇の視界を付与され暴れ出した。
シスタが拘束を強めると雄叫びが轟く。
「ヒ、ウッ、ヒ、ウッ」
おかしな呼吸音を出し、魔物は全身の脂肪を隆起させる。結界をぶち破ってシスタの匂いをたどり、見つけると突進してきた。
「くッ!」
かわしたが接近戦に持ち込まれる。
シスタは瞬間転移し、高威力の魔法を途切れなく放つが、愚鈍な見た目より魔物は高速だ。
これでは長くは持たない。
基礎的な力が地上の魔物とは歴然の差で、魔人になりたてのシスタは苦戦する。
ベルンホーンが難しい表情で腰を浮かす。子供の喧嘩を見ているようで胃がむかむかした。
手を出すなときつく言われているため歯がゆさが募る。
「ぐ、ぁっ!」
そんな時シスタが背後から羽交い締めにされる。
特別な防御結界により触れたら弾くはずだったが、魔物は苦しんでいない。
眉をひそめたベルンホーンが立ち上がる。
「平気だ!」
しかし彼は渾身の力を発揮し、後ろ手で魔物の腹に風を強化した斬魔法を放った。胴体が割れて真っ二つに切り裂かれる。
見ていた悪魔は胸を撫で下ろし、よろめくシスタのもとに駆け寄ろうとした。
その時、反対側からもう一体が現れる。
「おい! お前はよくやった、ひとまず休め!」
「……大丈夫だ、まだやれる」
ゆらりと起き上がったシスタは闘争心をむき出しにしている。
ベルンホーンは気が気でなかった。こんな気持ちは初めてで、正直もうやめさせたいと考える。
よく視える眼で観察すると大きな怪我はしてないようだが、気力は大分消費している。
それにさきほどの肉体への守護に懸念が残っていた。
もう一体のビザニルは倒れたまっぷたつの死体を見ると、猛スピードでシスタめがけ突進してきた。
シスタはそびえ立つ氷の壁を作った。それを魔物が拳を繰り出し破壊する。その間に詠唱し、天井から凍った剣を降らせた。力を使い果たす勢いで。
そうでもしないと敗けると直感した。
だが前のより個体の強さが明らかで、潰れたかに見えたビザニルは荒々しく瘴気を吐き起き上がる。
激しい怒気状態で眼は赤く血走り手がつけられない。
噴気する肉体を前に、シスタは先程と同じ目に合う恐怖を感じた。
突撃されたシスタは防御魔法で耐える。
「ーーぐぅ! う゛っ! ぐはッ」
しかし拳の連撃を受け口から血を吐く。
それを見たベルンホーンは冷たい顔つきになり、木から静かに飛び降りた。
やはり完全に自分が授けた防護が効いていない。
彼が殴られ続けている光景よりも解せない事態に苛立ちが募る。
「来るな……ベルンホーン……ッ」
シスタは諦めず魔物の頭に手を当て魔法を放つ。
それは貫通せず耳を吹き飛ばしただけだ。醜悪に笑う魔物は口を大きく開けてかぶりつく。
シスタの肩に穴が開き悲鳴が響き渡る。
だが同時に、青白い顔に血しぶきが跳んだ。
濡れたまぶたを開けると、魔物の頭部が大きな手に鷲掴まれて剥がされ、首に噛みついたベルンホーンの恐ろしい形相があった。
「ギャアァアアッッ」
魔物は頭部と四肢を八つ裂きにされ、ごろごろと転がる。
彼の美しい顔にも血が飛び散った。
「あ、あぁ……」
「おかしいな。どうしてだ……」
殺気を放つ悪魔は思案顔でシスタを眺める。
流血する肩を押さえたシスタは顔面蒼白になった。
彼の後ろから、さらに大きな個体と他の二体が現れたのだ。
全部で五匹いた。奴らは群れないはずだが、ここは通り道だったのだと悪魔は嘆く。
「ごめんな、シスタ。魔物狩りなんて何十年ぶりだったからズレた場所に案内してしまったな。俺の落ち度だ。そこで待っていろ」
それから彼が繰り広げたのは虐殺だった。青年は同じ体勢で固まる。ベルンホーンは変身するまでもなく、全身生身のままで魔法や武器を使うこともせず、奴らを素手で殺した。
手の力はどうなってるのか、巨大な魔物の腕や首を掴んで引きちぎり、時には彼の好物である肉をかじるように牙で食いつき、乱暴に地面に転がす。
悪魔同士の戦いで見せたことのない野蛮な姿は、美しい容貌の彼のイメージではなく、シスタは放心した。
「……はあ。まずいな、こいつら」
血だらけの口から肉片を吐き捨て、ようやく静かになった場所は、戦場というより屠殺場だった。
「大丈夫か、シスタ。今治してやる」
口元を拭う悪魔は青年の肩に手を当て、治癒をした。
みるみるうちに傷口が塞がる。シスタは流れた自分の血が、魔人となっても赤いことに安堵した。
しかしベルンホーンはというと、自分が青年にかけた守護がはっきり作動しなかった問題に首を傾げている。それも詳しく調べる必要があった。
ひとまず傷は塞がったが、シスタの気力は戻らず悪魔に支えられ立ち上がる。
ちらばったビザニルの死体は、何体あるか分からぬほど混ざり合い、見るも無惨だった。
「ベルンホーン……お前は武器なんていらないんじゃないか」
「ふっ、こいつらにはな。俺は殴り殺すのも好きなんだよ」
いつもの調子で笑えない好みを教えたあと、二人は血溜まりの地面を見下ろす。
「お前に助けられたな。私は失敗した。一体しか倒せなかった」
「言うな。二体分の頭を持って帰ればバレやしない。ほら、自分で切れるか」
取り出したナイフを投げられ、シスタは受け取るが力なく首を振る。
「駄目だよ。私は嘘はつけない」
「これは命令だ。俺はどうしてもお前に護身用の武器を贈りたい。……まったく、こんな面倒になるはずじゃなかった。あのババアのせいで……」
苛立つ雰囲気をまだまとっている。半ば脅されたシスタは結局言う通りにした。
二つの頭部を抱え、白いローブも血まみれのひどい姿で二人は店に直接戻った。
空がすでに黒い闇へ向かう頃だった。
prev / list / next