▼ 57 三人の暮らし
依頼主メイサンへの報告はゾークが、ミズカにはシグリエルがそれぞれ報告をすることになった。
連れてきた不死者の青年を人々に会わせることは、彼の動揺を招くため後日に持ち越された。
「それで、どうするんだ? 彼は君達の家で居候してもらうのかい? もしあれだったら、うちに来てもいいが。……ああ、だが俺は仕事で家を空けることのほうが多いから、つまらないかな。それに部屋も汚いから居心地がよくないか」
「おい汚いのかよ。どうせ酒瓶ばっかなんだろ」
「アディル、独身男の部屋なんてそんなもんさ。……あ、いいや。君に掃除をしてもらおうとかそういう魂胆じゃないぞ、ハラド」
焦り気味に言う中年の剣士は、これでも真面目に誘っているつもりだった。実は密かに秘密の兄弟仲を知っているため、半分は気を使ったというのもある。
しかしそんなことも知らないアディルは新しい仲間を積極的に誘った。
「いやうちに来いって。つうか兄貴の家だけど。部屋広いしいいよな?」
尋ねられたハラドと兄は似た素振りで顔を見合わせる。
「……いいのか。俺が行っても」
「ああ、来い。初めからそう考えていた。……それとアディル、あれは俺達の家だ。忘れるな」
正すと弟が少し照れた様子で頷いたため、シグリエルも納得が出来た。
「ではまた俺は寂しい一人生活だな。…猫でも飼うか」
「あんたなぁ、ハラドを猫扱いすんじゃねえよ、俺達の仲間なんだぞ」
「そんなことしてないだろう、俺はただ皆の気分を明るくしようとなーー」
二人がやけに口数を増やす中、シグリエルはもうひとりの寡黙な青年に告げた。
「ゾークは頼りになる親切な男だ。彼の伯父は俺の師なんだが、死者覚醒の研究者できっと力になってくれる。遠くないうちにお前にも会わせよう」
約束をすると青年もこくりと頷いたのだった。
その後、剣士と別れた三人は深い森の中にある自宅へ到着する。
白シャツと色褪せたズボン姿の青年は、吹き抜けの木造りの居間を見上げて眺めた。
「ほら、兄貴の服。ちょうどいいんじゃねえか?」
素早いアディルが取ってきたものを渡されると、ハラドは礼を言って受け取った。
居間は最近模様替えをしたため、生活感がありつつ洒落た空間になっている。
「台所に、酒棚もあるな。……お前達は不死者だろう? それほど来客があるのか」
「いや、まあ。準備だよ準備。俺らも色々あって、まだ不死者歴半年くらいなんだよ。先輩のあんたに教わりたいぐらいさ」
明るく話す弟にハラドは面食らう。
どうしてそんなふうに生き生きとしていられるのか、わからなかった。
家族がともにいるからなのか。さきほどの剣士もそうだが、外界との繋がりも絶えてないようだ。
シグリエルを見やると、この兄のほうが感情に乏しそうで不死者らしく思えた。
「ハラド。二階の部屋を好きに使え。それと、お前の体をあとで診させてもらってもいいか。落ち着いたらでいい」
青年は黙って受け入れた。
体のことを話したり調べられるのは好まなかったが、彼らに対してはそうする義務があると分かっていた。
夜、シグリエルは研究室でミズカへの報告を魔法鳥で行ったあと、居間へ戻ってきた。
いつもならば弟と休む時間だ。
居間には弟がいて、斜め前のソファに座ったハラドとお喋りをしていた。
「あ、兄貴。この人さ、前は大工だったんだってよ。この家を間取りとか材質とかプロ目線で褒めてたぜ。よかったな」
「…そうなのか? ここは以前、仕事で一緒になった魔術師から譲ってもらったものなんだ。老人でもう亡くなってしまったが。……きっと家を建てた彼の腕がよかったんだろう」
シグリエルは二人のそばに立ち経緯を教えた。
初耳なため弟は驚いていたが、シグリエルは青年にある提案をする。
「大工なら物づくりが好きなんじゃないか。作業場も用意できるし、外は自然の木であふれている。お前の好きにしていいぞ」
「……いや、今は大丈夫だ。ありがとう」
あまり元気のないハラドだったが、無理もないと考えた。
体は昏睡から目覚めたばかりで、魔力はあるものの心身が不安定なままだ。
それに彼はまだ自分の思いを語ることに後ろ向きな様子だった。
シグリエルは新たに出来た仲間をゆっくり見守ろうとする一方で、自身の習慣を変えるつもりもなかった。
「アディル。そろそろ寝よう」
「んっ? おお、そうだな…」
弟が一瞬気恥ずかしそうにしたのが分かったが、素直に自分についてくる。
そんな兄弟をハラドは訝し気に見上げた。
「寝る? 不死者に睡眠は要らないだろう」
「俺達は夜は休むことにしているんだ。なるべく人間らしく生活したいからな」
シグリエルはそう言って、居間からさほど遠くない自室に弟と向かう。
その行動は不自然に見えただろうが、気にしなかった。
だが一度だけ振り返り、ハラドにこう告げた。
「また明日な、ハラド」
「……ああ、……ええと……おやすみ」
戸惑う青年にそう声をかけられたため、一抹の不安もひとまず消えて、二人は休むことが出来た。
◆
「おっはよう、ハラド!」
「……ああ、おはよう」
「あれ、もう着替えてんのか? ちゃんと寝間着着たか?」
「着たよ。……けど、あれは必要か?」
「必要だよ。いいもんだよ寝間着は」
居間に一番のりだったアディルは、そう言いながら運動用の訓練着を着ていた。
朝になると、いつも森の中を走り込み、汗ひとつなく満足げに帰ってくる。それが日課だった。
対してシグリエルは前と変わらず、午前中は動きが遅い。
まず研究室へ向かい、ひと段落ついたあとに温室で植物を世話したり、実験をしたりする。
不死者の青年が居候となっても、その生活は変わらなかった。
ハラドは困惑するばかりだが、活発な弟のほうを見ていると、自分もふと外に引き寄せられた。
家の周辺は誰もおらず、木々の間を冬の風が吹き抜け、鳥のさえずりがうるさいだけだ。
「なあ、あんたガッチリしてていい体だよな。やっぱ大工だからか? 喧嘩はどうなんだよ」
突然、高い木の上から現れたアディルが地面に完璧に着地し、好戦的な表情で向かってくる。
「喧嘩か……十代の頃は、夢中になったときもあった」
「はは! 俺も同じようなもんだ。なあ組手しようぜ。出来るか?」
短い黒髪を両手でかきあげ、不敵に笑うピアスづくめの少年にハラドは目を見張る。
だが体は意外にも拒否をせず、しっかりと腰で構えて戦闘のポーズを取った。
こうして二人は、突如打ち合いを始めた。
時も忘れ、夢中で打撃を繰り出し、人離れしたスピードでそれをかわし、また撃ち込む。
そんな様子を、いつしか外に出てきたシグリエルが目撃した。
「何をやってるんだ……あいつらは」
目を疑ったものの、二人の活気に溢れた面構えは楽しそうにも見え、しばらく見守っていた。
やがて兄に気づいた弟は動きを止め、玄関口の長椅子まで歩いてくる。
「いやあ、すげえよこいつ! めちゃくちゃ強え! 最高だよあんた!」
「ぐっ、胸をどつくな」
二人そろった所を見た兄は立ち上がり、興味深い顔をした。
「ハラド。俺も見させてもらったが、アディルについていけるとは見どころがあるな」
「……そうか。俺も……楽しかった…のかもしれない」
素直に吐露する青年に、兄弟は柔らかい表情で頷いた。
ハラドは空を見上げ、懐かしそうな眼差しで太陽の光を浴びる。
彼は感極まった様子に見えた。その姿はまるで、何十年ぶりかに生を実感したかのようだった。
「俺は、姿が周りに見られないように隠れてばかりで、こうやって思いきり動くこともしなかった。自分はもう、人とは違う。……誰かと接したら、気味悪がられ、その相手も汚してしまうんじゃないかと……そう思っていた」
悲痛に声を絞りだした青年の背を、シグリエルはそっと支える。
彼の気持ちが痛いほど心に通じた。誰とも共有できない深く鋭い痛みが。
そして彼の苦悩の根幹が、やはり変わってしまった肉体そのものに起因するのだと感じた。
「お前の思いは俺にもよく分かる。……ハラド。俺達にはなんでも話せ。お前の苦痛を少しでも取り除いてやりたい。……それに、今こうして話しているお前は、紛れもないお前自身だ。俺にはお前の魂の色がよく見える。それは昔から何も変わっていないはずだ」
シグリエルは解決のために、感情を交えつつも論理的に語りかけた。
青年の心にも訴えは響いたようで、揺れる瞳で見つめ返される。
「ありがとう……シグリエル。俺も……変わっていないのだと思いたい。出来るなら、また自分らしくありたい。……俺は、自分のこの目が、大嫌いだ……ッ」
彼が握った拳を開き、変貌の象徴である白く濁った眼球を掴もうとする仕草をした。
アディルは即座に手首をつかみ、切羽詰まった面持ちで兄を見やる。
「きっとその目もなんとかしてみせる。俺達に任せてくれないか、ハラド。……俺は、弟のために不死者の研究をしているんだ。今はそこに自分も含まれるが。より人らしい姿に近づけることは、皆の目的でもある。だから、諦めないで、一緒についてきてくれ」
シグリエルは彼の肩に手を置き、自分の固い意志を示した。
その日の夜は、シグリエルは地下の研究室にハラドを招いた。
彼の身体を調べる許可が下りたからだ。
今回のことにまったくの打算がないといえばそうではない。
とくに死霊術師としてシグリエルが関心をもったのは、彼の肌の色だった。
「瞳の色は、エルゲにも相談してみよう。俺に全てを教えたのは彼なんだ。彼は恋人や俺を覚醒させた時にも、難しいとされる瞳の色をほぼ完ぺきに再現させた」
「そう、なのか……」
向かいに座るハラドはその内容自体にひどく驚いていたが、シグリエルの話を大人しく聞いた。
「お前の肌の色は、濃褐色だ。だが、外見や肌質からはあまり自然に見えない。これは……ひょっとすると、後天的なものか」
見抜かれた青年は言葉に詰まったが、素直に認めた。
「そうだ。俺は目覚めたあと、最初はもっと汚い、緑がかった灰色の肌をしていたんだ。それを親父が、何度も妙な液体を塗ったり、体を浸したりしてこうなってしまった。……本来は普通の白い肌だ」
彼は恥ともいえるように告白する。
シグリエルは黙考した。保存状態は悪くないが、構造は思ったより複雑で、年代も数十年単位で経っている。
しかし最も不可解だったのは、ハラドが契約者なしに今も作動できている点だった。
「お前は魔術を使えなくとも、魔力はあるという話だったな」
「ああ。親父は俺に魔術師の跡を継がせたがったが、俺は自分の道を進んだ。魔力は多いと小さい頃から褒められて育ったよ」
皮肉めいて告げられ、シグリエルの思考はよりいっそう巡っていく。
術式も知らない普通の人間が自立出来ているのは、彼が生まれ持った不死者との親和性と、父親の熟練した腕によるものだったのかもしれない。
昔の時代のため、今よりも死者覚醒の技術は遅れていたようだが。
「……親父がどうして俺をこんな姿にしてまで、この世にとどめようとしたのか、今でも分からないんだ」
憎しみのこもった声に気を取られる。
「お前を愛していたんだろう」
シグリエルの言葉はつい出たものではない。
だがハラドは鋭利な目つきで睨みつけた。
「俺は愛されていたのか。そうだろうな。親父の深い愛情は感じた。生きていた頃も、死んでからも。だが、愛していたら何をしてもいいのか」
すぐには答えられなかった。
それはシグリエル自身にとっても永久的な問いなのだ。
「お前の言う通りだ。死者覚醒はひどく残酷で、身勝手な行為だ。頼まれてもいないのに、俺は弟を勝手に不死者にした。もう一度会いたい、奪われたアディルを腕に抱きたい。そんな自分本位な思いでな」
ハラドは顔全体をじわりと歪ませていく。
「……お前達は、どうして死んだんだ? なぜ二人とも、不死者になったんだ」
「ふっ。それを話すと長くなるぞ。つい半年前の話だ」
だが、苦しみは何年も続いた話だった。
シグリエルは自分のことを言わないまま彼と心から通じ合うことは出来ないと考え、これまであったことを全て包み隠さず話した。
父親の非道な行い、弟の死、悪魔との契約ーーそして自分の死と覚醒。
そのどれもが、みるみるうちにハラドを青ざめさせ、言葉を失わせる。
彼は動揺し、現実を否定したいかのように頭を左右に振った。
「うそだろう……そんな畜生が……お前らの親だっていうのか……ッ」
シグリエルはそうだ、と述べ黙って見つめている。
感情を抜きにして事実のみを語った。
境遇を比べても意味はない。今の自分を作る道は、他になかったのだ。
けれどマルグスへの憎しみは、一生消えずに残り、体の裏側で燃え続けている。
今はもう、それを見ようとしなくても、よくなった。
ハラドは目の前の静かな男のことを考える。
「ひどい質問をしていいか。……お前は、弟がいなくても不死者として生きる意味はあると思うか」
「ないな。お前には偉そうに言ったが、俺はアディルがいるから生きている。今も昔も、同じなんだ」
迷いがない眼差しと口調に、ハラドは拍子抜けした様子だった。
だが、静寂の中、次第にくつくつと笑い始める。静かな男と、態度が変わった男の光景がちぐはぐに映った。
「さらに言うと、お前が仲間になればアディルの状態改善の助けにもなると思った。お前に言った言葉はすべて本心だけれどな。……幻滅したか」
まだ印象が上下するまでの関係ではないかもしれないが、シグリエルは冷静に尋ねる。
青年の反応は予想よりも軽やかだった。
「……いいや、綺麗事を言われるよりも共感できたよ。……シグリエル、お前は弟を愛しているんだな」
そう問えば、返ってきたのは人間的な、寂しさを覆うような柔らかい笑みだ。
「ああ。誰よりも愛している」
不思議なことに、今まさにシグリエルが本当の意味で心を開いたようにハラドは感じた。
だから不意に自分の話をする気になった。
「俺も当時、一人の女を愛していた。だがこの姿になってから、どうしても会うことは出来なかった。……情けないことに、逃げ出したんだ。俺が死んで悲しむ彼女の前に現れ、過去の自分と決別する勇気もなかった。……親父はそんな俺にも、どこにいても、ついてきたけどな」
呆れたような笑みは、どこか物悲しい。
父親の存在は彼にも影のようにつきまとう。
それは他人がどうこうできる簡単な問題でない。
いつまでも、事実は変わらずそこにあるままだ。
だから自分がどう向き合うか、考えて生きていく必要に迫られる。
けれど、少なからず親子両方の気持ちが理解できたシグリエルは、こう声をかけた。
「俺にはお前の親父さんの気持ちを代弁する権利はないが……愛とは、そういうものなのではないかと思う。お前とただ、どうしても離れたくなくて、彼は生涯をかけて試行錯誤していたんじゃないか」
一方的に聞こえても、彼にとってはそれが真実で、そう生きるしかなかった。そして何より強く抱いた望みでもあったのだと。
そう考えを述べると、ハラドは指を絡ませたまま、穏やかな顔つきで思いを巡らせる。
「……不思議だな。俺にはまだ、そういうことが分からない。本当の愛を知らないんだろうな」
素朴な呟きに対しては、シグリエルも返事に困った。
「いつか知るかもしれない。俺達には時間はたっぷりあるんだ」
「はは、そうだな。……ああ、俺も不死者の彼女でも探すしかないか」
仲間内だけで使える冗談のように、青年は笑みを浮かべる。
シグリエルは軽くため息をつき、わざとらしく肩をすくめた。
こうして二人は、予期せず長い間会話をした。
「なんだか、情けないな。俺はもう何十年と生きてきたのに、こうやって若者に話を聞いてもらうとは」
「今日はそういう日だったんだ。今度は俺の悩みを聞いてもらうさ。……そういえば、ハラド。聞きたいことがあった」
彼の周囲の者はとっくに亡くなっていたが、シグリエルには出来ることはまだあると思っていた。
「家族の行方を調べるか? お前の血縁が残っているかもしれないぞ」
「いいんだ。会いたくない。向こうも困るだろう。俺はとうに死んだ身だよ」
即答する彼の台詞には悲哀が混じっていた。
しかし、顔つきは昨日と比べれば少しずつ柔らかくなっている。
ハラドにとって同じ不死者である兄弟との交流は、これから確かに、彼に変化をもたらすものだった。
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