Undying | ナノ


▼ 47 この愛に身を捧げよう

夜になり、シグリエルらは湖畔にある古城に辿り着いた。石造りの古めかしい城内は静かで魔物もいない。

マルグスは転生してからここを拠点としていたようで、あちこちに巣くう死霊の淀みを慎重に祓いながら進んだ。

「……アディル。俺はこの場所に見覚えがある」
「えっ…? 兄貴、ここに来たことがあるのか?」
「いや……この城じゃない。だが、なんとなく記憶と重なるんだ」

敵の気配を探り先頭をゆく弟に告げる。
螺旋階段や赤いカーペットの廊下、蝋燭台や家具まで、幼い頃に見た情景がちらついていた。

あれは、なんだったか。
夜に母に手を引かれ、食事室とは反対の道を歩いていた。だが部屋から出てきた父は母に厳しく何かを言い、母は突き飛ばされて床へ手をついた。

シグリエルは恐れと悲しみに襲われながら、しゃがみこんで母の手を握ったのだった。
その日以来家族で夕食を取ることはなく、母は病院へ入った。

「…………ぐっ」

呻いたのは弟のアディルで、おぼろげな意識から我に返った兄は背を支える。
武器を構え後ろを警戒していた剣士も「大丈夫か」と近寄ってきた。

「どうした、アディル」
「手首が…反応しているみたいだ。……あの角から、強い気が押し寄せてくる」

そこは食事室への道だった。シグリエルは皆を連れて向かう。
古い木の扉の前に立ち、そっと開ける。中を伺うと、真っ暗だったが人影がいくつかあった。

足を踏み入れたシグリエルは、食事室がやはり記憶と酷似していると気づく。
同じなのは室内だけではない。縦長の食卓に向かい合わせで座る二人の女性に、体が硬直した。

「なっ……」

一人は長い金髪の美しい女性で、自分の母だ。顔は暗い影により見えない。
もう一人は黒髪褐色肌の女性で、アディルの母親である。

「兄貴…? 何があったーー」
「見るな、入るんじゃない!」

きっぱりと言い放つ兄に顔色を変えたアディルは、扉の向こうに無理やり体をねじ込んだ。
目を凝らし、人物を認識しようとする。兄が腕を引こうとするよりも早く弟は大きく声を上げた。

「お母さん!」

まるで昔に戻ったかのような涙声の弟の姿が突き刺さる。

「アディル! 行くな!」
「離してくれっ、お母さんっ」

もう亡くなったはずなのに、一瞬記憶が混濁したのか弟は突き進んでいこうとする。
やむなくシグリエルは背中から押さえ込み自身に縛り付けた。

室内に入ったゾークも絶句する。
食事室の奥にいるもう一人の男の存在に気づいたからだ。

「二人とも、下がれ!」

手のひらから魔法を放ち防護結界を張ろうとする。だがそれは不可思議な音にかき消され液状になって崩れ溶けていった。

奥から広がる殺気が足元まで充満していく。
転生した父と再会した日のような、あの息苦しい空気が。

「おい。家族団欒を邪魔するな。剣士」

冷酷な表情のマルグスはまだ悪魔を従えていない様子だった。それでも強大な力は残存しており、透けるような青白い肌と魔眼は惜しみない魔力を湛えていた。

ゾークはなんとか剣を構え、金縛りの術を解こうとする。仲間の行動が封じられたシグリエルは奥歯を噛み父を睨んだ。

「さあ息子達よ。席へ着け。お前達の母親もいるぞ」
「……ふざけるな。死霊を弄んで愉しいか。……それは俺達の母親じゃない」
「そうか? お前達は小さかったから、もう顔も忘れてしまったんじゃないか。残念なことだ」

立ち上がったマルグスは黒髪の女性の前に行き、髪を掴んでうつむく顔を上げさせた。血に染まった無惨な容貌が暴かれ、アディルは絶叫する。

「やめろ、やめろ!! お母さんに触るなっ!」
「ふふっ……ははは。ほうら、お前の弟はこんなモノを母だと認めているぞ。よほど寂しかったんだろうな」

シグリエルは外套の中に弟を抱きしめる。
言葉にならない思いの前では怒りや憎しみすらも影を潜めていく。

「嫌だ、嫌だ、兄貴っ」
「アディル。よく聞けアディル。彼女は俺達が昔、一緒に丁寧に見送った。彼女はあの場所で眠っている。あいつが二度と触れることの出来ない場所だ」

兄は弟を慰める。
だが二人とも知っていた。魂はこの父親が奪ったことを。そして当然のように悪魔に捧げたことを。

「あぁあぁああッッ、離せ、兄貴! あいつを殺るんだ! 皆殺された、俺達の家族も、仲間も!!」

シグリエルは心を鬼にして弟を制止する。
しかし内に抱える兄の怒りと同調し悪魔化していく弟は、腕の中で叫びもがいていた。

「なんだ、余裕だな。シグリエル。ではお前の母親の話をしてやろうか。そこのゲーナの血を引く女は私にとってどうでもいい女だ。ただ呪詛を作り上げたかっただけだからな」

淡々と興味なさそうに言う父を息子達は強烈に睨み返した。

「けれどお前の母親は違う。私は本気でお前の母親を愛していた。……お前を身ごもるまではな」

憎しみのこもった冷たい眼差しにシグリエルは眉根を寄せる。

「あいつは私のことを一番に理解し支えてくれる、良い女だった。他の馬鹿共とは違い、論理的で卓越した思考が出来る女だ。けれど……お前を妊娠してから、あの女はお前を一番に愛するようになった。お前を最も優位とし、お前のために生き、お前の幸福のみを願う無価値で短絡的な人間に成り下がった。何の役にも立たない、無知な赤子のために!」

熱を帯びた演説を続けるマルグスの様子が、急激に冷めていく。

「だから用が無くなったんだよ。頭がおかしくなったから医者に任せることにした。お前を取り上げたら救いようのないほど本当に狂って死んでしまったがな」

肩を竦め、笑い話にする父をシグリエルは眺める。
そんなことのためにこの男は自分の妻を死に至らしめた。
まるで人に人の心を見出さず、ただ飽きて玩具を取り換えるかのように。

同じく心がもう死んでいるシグリエルは、自分を見上げる弟の目を見た。自らの事のように苦しむアディルを見ているほうが辛かった。

「時々考えるんだ、親父。あんたが今も誰かに愛されていたら、こうはならなかったのかと」

静かに告げる息子の言葉を父は正面から受ける。

「愛か。簡単に移り変わる、もっともくだらない、議論の余地のないものだ。お前の母親だって、結局は自分のためにお前を愛した。人間には自分以上に愛することの出来る存在などいないんだ。血の繋がりも、他人でさえも、意味はないーー」

シグリエルはこの時初めて、父の中に僅かに残った人間性を見た気がしたのだが。
次の言葉でそれは決裂する。

「もうやめにしろ、シグリエル。弟を利用するな。お前達はただ似ている境遇の中、同じ父親に虐げられたというだけで、傷を舐め合っているにすぎないんだ。それは本物の愛などではない。そいつは永遠にまとわりつく虚しい自分の影だろう? もっと利己的に生きればいい。自分のために私に乞えよ、シグリエル。……生きたいと」
 
笑いを含む憐れみの瞳から視線をそらし、シグリエルは不死者の弟の頬にそっと触れる。

自分の中に潜む悪魔は、ずっと父の影だと思っていた。だが今、弟をただ望む自分は何を求めているのか。許しか、安息か、無償の愛か。

「俺は弟に、生きてほしい。アディルが笑って過ごせる未来が来るのなら、何を犠牲にしてもいいと思ってここまで来た。……俺はその未来の為なら、なんだってするつもりだ。だが、それはお前への命乞いじゃない。俺とアディルが、二人で始めて、二人で決めることだ」

告げ終わると、しんとした空気の中に父のため息が漏れる。

「なるほど。強情な奴だな。何を犠牲にしても、か。見上げたものだよ。一人の肉親のためにそこまで出来るとはな。……ただお前にひとつ聞きたい。その素晴らしい犠牲心には、この老いぼれも含まれているのか?」

どさり、と前方の床に現れた物体。
それは白髪の痩せた老人と、折り重なる金髪の娘の体だった。

シグリエルの瞳は変わり果てた二人を映す。
魂のない青白い躯となった大切な師と、その恋人を。

喉が焼け付く。
全身が震え、反射的に首を振る。
金髪を掴み、すべてを否定する素振りで言葉を噛み殺す。
唸り声を上げそうになった。
だが、空間を押し戻すかのような男の声が響く。

「嘘だ! 君の師は死んでなどいない! 信じるな、シグリエル!」

シグリエルの虚ろとなった瞳は剣士に向かう。

「本当だ、君を必ず助けに来る! 諦めるな!」

その必死さと焦燥に何かを感じ取るが、もう自分の理性が失われていくのを遠のく意識が認めていた。手は真っ黒に侵食していき瞳は変色し、背からは黒装束を突き破り棘が手足のように生えていく。

「兄貴、俺も行く、一緒に行くぞ」
「アディル、来い。あいつを殺るぞ」

兄弟は感情を放棄し、剥き出しの闘争心に身を預けマルグスに向かっていった。




戦闘は熾烈を極めた。
シグリエルは植物のごとく伸びる金属質の棘でマルグスの体を執拗に突き刺し、隙が生まれた瞬間に背後から高速のアディルが打撃を繰り出していた。

マルグスは悪魔化した息子達から猛攻を受け、その全てをぎりぎりの所でかわし反撃する。

「ふふっ、お前達もとうの昔に人をやめたようで嬉しいよ。殺すのに躊躇せずにすむ」

思ってもないことを言い、獣の形をした赤い瞳の影を数体出すと狙いを定めた。一体で上位魔術師が数人必要なほどの強力な召喚獣だ。
ベルンホーンが居なくともここまでの力を出す転生者に、実際に皆驚きを隠せなかった。

「俺が相手をする! 君達は奴を仕留めろ!」

ゾークが盾となり猛獣の攻撃に耐えて凌ぐ。剣士の力が最大までみなぎり盾に守られた仲間の防御力を上げ、決して壊されない強固さを生む。

シグリエルは遠隔攻撃で敵を狙い撃つ。
一方でマルグスはまず弟をいなそうとするが素早い不死者は簡単に捕まらない。

アディルは兄が黒い死霊により作り出した袋に保護されていた。食虫花を模した巨大な思念は弟だけを傷つけず、不死者の腕がマルグスを引きずり込む。

父を羽交い締めにし黒く染まったアディルは人の心を失ったように笑い声をあげた。

弱体化した父の体は溶かされていき、アディルは手首にあるゲーナの紋章の力で捻り潰そうとする。

その時放たれた光は、相反するはずのゲーナと悪魔の力が融合した不可思議でまばゆいものだった。
アディルの瞳は金色に光り、指先から特殊な輝きを放ちドロドロになったマルグスの体を幾重もの光線で焼く。

悪魔の笑い声が室内に響き渡る。どちらのものなのか、剣を構えたままのゾークは兄弟を案じた。

その時、マルグスはゾークの足元にいた。
液状が男の肉体を形作り、這いつくばる上半身が足に絡みつく。

「お前を私の身代わりにしてやろう」

地を這う声を聴いた剣士は咄嗟に身を翻し術式を放つ。兄弟は異変に気づきゾークのもとに飛んでいく。

けれど近づいたシグリエルに黒い触手が忍び寄り、首に巻きついた。
きつく締め付けられ苦悶の顔で呻く。

アディルはそれを剥がそうとするがマルグスの底力は暴走し止められない。
いま力を使えば兄に危害が及ぶと分かり、弟が苦悩に満ちていく。

気力を絞り出したゾークはそれを魔法で自分に引き寄せた。
シグリエルは解放され獲物を見つけたヘビのごとく剣士の全身に絡みつく。

「なぜだ、戻れ、……戻れッ!」

マルグスの舌打ちをよそに剣士の姿は黒くうねる物体の中に沈み見えなくなっていく。
シグリエルは前のめりになり手を伸ばして救おうとするが、父の半身が邪魔をした。

「ゾーク!」
「シグリエル、大丈夫だ、必ずーー」

彼の顔が覆われ声が聞こえなくなっていく。
夢中で探し、引っ張り出そうとする。アディルも物体を剥がそうと必死に戦う。

「きっと伯父さんが来てくれる、諦めるな、シグリエル」
「……え?」
「俺はエルゲの甥だ……生きろ、死ぬな、二人……と、も」

彼はそう言い残して触手の中に飲み込まれていった。
同時に内部から眩しい閃光が起こる。ゾークが最後に放った魔法によりそれらは四方に引き千切られた。

黒い蜜がシグリエルの顔にびちゃりと跳ね飛び、呆然とする。
膝をつき、剣士の言葉を反芻した。

「……あ、あぁ、あ……ゾーク……そんな……エルゲが……なぜだ、何も知らずに、俺は」
「兄貴っ!!」

瞳から自動的に涙があふれていき、人間の姿に戻っていく。まだ、諦めてはならないのに。

自分達を助けようと人が死んでいく。
自分達が生きたいと望んだために。

……大事な人達を、また失っていく。

ゆらゆらと立ち上がったシグリエルはナイフを手にしていた。

触手がわずかに残る父の倒れた体に向かって、振り下ろす。
何度も何度も何度も。あの日決意した瞬間と同じように。

額、首、心臓にナイフで刻み付け詠唱を施し、封印の手はずを整える。

「ぐっぅ、ぁぁあ゛ッ、やめろ、シグリエルッ!」

極限まで弱りわずかな抵抗を試みた父はうつぶせになり、その場から逃れようとした。
手首の傷痕はただれ、全身へと広がっている。

「ベルンホーン、私を助けろ! 何をやっている、早く現われろ! 消えてしまう、こんなところで! ふざけるな、契約を守れ、クソ悪魔がッ!!」

消滅していくマルグスは爪で床を引っかき、何度も罵倒と呪詛を吐いた。
シグリエルは最大の力を込める。

突然、振り返ったマルグスはにやりと笑った。
触手を変形させた黒い槍をアディルに向ける。

「シグリエル、お前は最後に殺すと言っただろう? 弟の本当の死に嘆き悲しめ」

それはマルグスの終わりの言葉だった。
転生者は何も知らずに黒い霧となり消えていく。

「アディルーー」

兄が咄嗟に弟の前に身を投げ出し、その槍を上半身に受けたことを。
シグリエルが衝撃で自分の上に倒れてくると、アディルは空間が割れるような声を上げた。

「兄貴ッ!」

シグリエルの体は父の悪魔の力に侵食され深い傷を負うが、光に包まれていく。ゲーナ族の神秘の力だ。
兄を救うどころか、闇を排除するその動きをアディルは察知して叫ぶことしか出来ない。

「嫌だ、兄貴、なんで、死ぬな! どうして俺をかばった、馬鹿野郎! 起きろよ、嫌だ嫌だ嫌だッ!」

体を揺するがシグリエルの呼吸は弱まっていき、体の力がどんどん失われる中、薄く瞳が開いた。

「アディル、泣くな」

なぜか兄は口元に優しい笑みを浮かべ、弟を安心させようとした。

「アディル……」
「嫌だっ、兄貴、やめてくれ、いかないでくれ! いやだよ、いやだ、兄貴ぃ……っ、ああぁああ」

手をぐっと握る弟は髪を振り乱し懇願する。
そんな弟の手を兄は握り返した。自分にもう時間がないことを知りながら。

父を倒せはしたが、その先の未来まで、愛する弟に見せることは出来なかったと悔やんで。

「ごめんな、アディル……。お前ともっと一緒に……いたかった……」

兄の瞳から頬へ涙が伝う。
アディルは声が枯れるまで泣き叫ぶ。
今このときにいっそ、一緒に死んでしまいたいと思った。

だがそれは叶わなかった。
シグリエルはひとり、弟の温もりを感じながら絶命した。



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