Undying | ナノ


▼ 15 魔術師

「アディル。ここに保湿剤を置いておく。体に塗るといい」

弟の部屋の扉前に、シグリエルは調合品を置いた。中からは「……わかった」と声が聞こえてきたので安心する。

昨日の一件以来、アディルは顔を合わせるのが気まずいのか、兄から距離を取っていた。
激怒しているわけではなさそうだが、シグリエルは自分の行動を省みると何も考えられなくなった。

弟に触れたかったのは事実だ。だが、あんな事をするとは。アディルは自分の思いや欲望をぶつけていい所有物ではない。

「…………俺は、罰を受けるべきだ」

手のひらを覗き、その奥深くに潜む邪悪なものを見つけようとした。けれど思い出すのは、弟の肌触りや温もりのみで。

浴室の鏡の前に立ったシグリエルは顔を上げた。
自身から解き放たれたがっている死霊たちが、すごい速さでぐるぐると取り囲み、慣れたはずの叫び声が飛び交い脳を犯していく。

「ウッ」

頭を抱えて後ろのタイルに激突し、ずるりと下に落ちる。
目を閉じて荒い息を整え、やがて静かになっていった。

その時だった。
頭の中をある死霊の声が占領する。

「ーー旦那、旦那! 大変だ、俺の話を聞いてくれ!」
「なんだ。……ズタ」
「今、屋敷にあの男がいる! 魔術師のサウレスだ! あいつひさびさに来やがって、ラノウとコソコソ話してやがるぜ!」

シグリエルはその報告を聞き、重い体を起こした。
鏡に映った暗い紫色の瞳と目が合い、無感情で黒い布をばさりとかける。

「待っていろ。今話を聞く」

命じたシグリエルはその足で地下の研究室に向かった。
乱雑な机上のそばで黒装束をまとい、青白い霊魂を呼び出す。

「あのよ、聞いて驚くなよ旦那! ラノウの野郎、全部あの魔術師に話しやがったッ! あんたを裏切ったんだよ、これだからクソマフィアは! 今すぐ殺すべきだ! 俺と旦那と不死者の兄ちゃんがいればすぐ殺れるぜ!」

興奮する死霊を前に、シグリエルは腕を組んで熟考した。
当主の裏切りは想像していた。あれだけ言うなと念押しされたら、普通は喋るだろう。こちらが魔術師を恐れていると考えるからだ。

それにアディルの無事を知り、兄が大事な弟に手を出さないと分かれば、隙をついて奪い取る計画も練るはずだ。

「では俺が屋敷に行こう。魔術師の様子を探ってくる。お前は戻れ、ズタ」

命令に対し死霊は雄叫びをあげて言う通りにした。
こうして深夜、シグリエルは屋敷にひとり潜入することを決めた。




ズタによれば、魔術師はいつも数日程度滞在していく。
当主とは仕事の話はもちろん、公私共に親しくしていて、魔術師のほうが一回りほど若いらしいが、その実力から組織の助言者の役割をも担っているという。

調査によりすでに建物内のことを熟知していたシグリエルは、遠くから至る場所で警護している者達を魔法で眠らせた。

寝室からはラノウのいびきが聞こえてくる。
奴はズタに任せ、自分は階下にある客室を見回った。

白い邸宅は芸術品が並び、犯罪組織とは思えないほど優雅な作りだ。男だけではなく、当主の妻と幼い子供も二階で眠っているようだ。

シグリエルはある客間から、男女の声を聞いた。
廊下の物陰で息をひそめると、下品な嬌声が響く。

顔をしかめ、様子をうかがった。
するとやがて、部屋からネグリジェ姿の女が出てきた。容貌から当主の妻だとわかる。

「ねえ、まだ足りないわ。私の部屋に行きましょうよ」
「そうだね……いや、明日にしよう。少しずつ、楽しもう。ね……?」

女の華奢な体を覆う長身の男が、高めの澄んだ声で囁く。
それは魔術師サウレスだった。実物を見るのは初めてだったが、髪は白いものの顔立ちは甘く優男といった雰囲気だ。

シグリエルは二人が当主に秘密で、逢瀬をしているのだと知る。

遠くで気配を絶ち、二人が別れたのを見て隠れようとすると、魔術師が後ろ姿のまま立っていることに気づく。
女が去った後も、不自然にその場に留まっている。

ただの後ろ姿なのに、シグリエルは体が次の動作を阻まれ、やたらと黒い闇のような不気味な殺気に、囲まれている感覚がした。

「…………ッ」

奴は気づいていたのか。
一歩後ずさろうとすると、白髪の男が振り向いた。
口元を上げてシグリエルの視線を捕らえる。黒い瞳が異様で、こちらを見つめていた。

「君はこんなところで何をしているの? 繊細そうなオーラなのに、結構大胆なんだね」

すたすたとガウン姿で向かってくる。
金縛りにあったように動けない。魔術師はシグリエルの黒いフードを無遠慮に取った。

「ああ、綺麗な顔だ。死霊術師という鼻つまみの職業には似合わないよ。もったいない」

好き勝手に述べられ、ぎりぎりと体が細かく振動する。
初めて会う男に恐怖を感じていた。

「……何を……した……なぜ、俺を……」
「知っているかって? 知らないよ。アディルが蘇ったって聞いたから、推測しただけだ。不死者になったんだろう? 可哀想に」

サウレスは笑った。まるで同情など浮かべずに。それどころか、笑いをこらえているようなふざけた細目だ。

「僕にいきなり攻撃してこないって約束するなら、拘束を解いてあげよう。そもそもここへは客人として来てるから、戦闘は避けたいんだ」

その気になればシグリエルは首を折られると思い、大人しく要求を飲んだ。
苦しかった強張りを解放され、ゆっくりと距離を取る。

「あんたは、何者だ。あいつを襲ったのはあんたの手引か」
「ははっ。被害妄想がすごいな。僕は君の弟を気に入ってるよ。わざわざ殺したりしない。いつでも出来るとしてもね」

その台詞が父と重なり、シグリエルの憎悪を呼び起こす。

「はあ。冗談だろ、怖い気出すなよ。……とにかく、僕を探るのは身の程知らずだ。ほら、もしこいつが憑いたのが僕だったら、こんな風に……初日で消えちゃうところだったよ?」

サウレスは手のひらを上にして、白い炎を浮かび上がらせる。シグリエルの視線が突き刺さった。
そこにいたのは、捕らえられた死霊のズタだったからだ。

「旦那ァッ、助けて、俺死んじまう! 今度こそまじで死ぬッ!」
「うるさい奴だ。現世でも僕達に迷惑をかけ、死んでもなお煩わしい存在に成り果てるとは。だから僕は死霊の類は大嫌いなんだよ」

冷たい顔で言い放ち、サウレスは目の前で右手をぐしゃりと握りつぶした。
耳が裂けるような絶叫を残し、ズタは消滅した。

「…………ッ」

この男は、死霊を祓うでもなく消し去ったのだ。
冥府へ行く機会を失った霊魂は、文字通り無に帰す。

死霊術師ではない者が、いとも簡単に見せた術にシグリエルは言葉を失う。

「なあ。アディルは不死者になったんだろう? 会わせてくれないか、その歪で世界に不必要な物体に」

全身に怖気が走り、シグリエルは全速力で逃げ出した。
だが廊下を突き進んでいくと、眼の前に魔術師が到達する。

「逃げるなよ。僕とラノウのことが知りたいんだろう? 教えてあげるから。魔術師同士、仲良くしようじゃないか。君の鼻をつく匂いも我慢してあげるからさ」
「……ふざけるな! 俺と弟に近づくな!」
「君が勝手に近づいてきたんだろ。ラノウは諦めないよ。必ずアディルを取り戻すと言っていた。僕はどうでもいいけどね」

サウレスの口撃は止まずに永遠に繰り返されていく。

「あ、そうだ。呪詛はどうなった? 僕心配してたんだ。あれのせいでやっぱり彼は死んじゃったのか? 見るも無惨だろうから、その時近づかないようにしてたんだが」

シグリエルは力の差を知りながらも発狂し、魔術師に掴みかかった。体格は優位で力任せに押し倒し、馬乗りになる。

「黙れ! 黙れッ!! あいつに手を出すやつは殺してやる!!」

魔法で抵抗されないのをいいことに、殴りつける。
何度も殴打され、サウレスの顔はぼこぼこにへこんだ。
だが、後ろから声がかかった。殴っていたはずの顔が、しぼんだ風船のように薄っぺらくなる。

「シグリエル。やめておけえ。そいつにはまだ敵わねえって。お前がここで命を落としたら弟はどうなる。つうかこの俺様が、つまんねえだろッ、へへへッ」

ディーエが現れ、シグリエルは瞳の色を無くし茫然と床に膝をつけていた。

「やっぱりね。君みたいな若いやつが、死者覚醒なんて出来ないと思ってたんだよ。一人の力で。……こんなに強力な悪魔を従えていたとは……」

顔つきを変えた魔術師は黒ずくめの長髪男、ディーエを遠巻きに眺める。

「あんまりイジメないでやってくれよ、こいつはギリギリで生きてんだ。心はとっくに死んでんだよぉ」

わざとらしくお涙頂戴の顔つきで悪魔がすがる。
サウレスが冷たい瞳で若い死霊術師を見やった。力が抜けたように、一点を見つめ動かないでいる。

「へーえ。死んでる割にすごい切れてたけどな、今。あれだけ怒れるなら大丈夫だろ。死ぬなよ、若いんだから」

サウレスはシグリエルの頭をはたいた。

「なんか興ざめだな。悪魔ついてるんなら遊べねえわ。じゃあな。僕もうおやすみの時間だから。あ、アディルには会わせろよ。隠したりしたら家に行くぞ」

豹変したサウレスは、シグリエルの顎を指で上向かせ、念押しをした。だが虚ろな瞳は何も映しておらず、サウレスは舌打ちをする。

魔術師が去ったあとも、しばらくシグリエルはその場に置かれていた。



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