▼ 68 仕事をする弟
週末を迎え、俺は今日もいそいそと弟の自室へ向かう。
たまには違う場所で会えばいいのだが、領内の仮住まいには弟子達がいるし、二人でゆっくり過ごすにはやっぱりこの空間が一番落ち着くのだ。
「お邪魔しまーす」
鍵を開けて室内に入るが、人の気配がない。
えっ。あいつまさかまた風邪で倒れてたりしないよな…。
不安に思いつつ部屋中を探し回る。
「……クレッド? どこ?」
うろうろしていると、廊下の突き当りにある部屋の前に辿り着いた。
ここはーー今まで一度も入ったことのない、開かずの間だ。
ごくりと喉を鳴らし軽くノックすると、中から普通に弟が出てきた。
「わっ兄貴! ごめん、全然気がつかなかった」
「……クレッド! いや、いいよ。ていうかこの部屋なに? こんなとこで何してたんだ?」
突然の登場にびっくりしたが、嬉しくて広げられた腕の中に入りこむ。
ぎゅうと抱きしめてくれたクレッドは、少し言葉に詰まった。
「ああ、今ちょっと仕事してたんだ。普段は家に持ち込まないんだけど……急に上司から、来月の遠征の計画書出せって言われて」
珍しく若干疲れた様子で、ため息混じりに教えられた。
背後を覗き込むと、そこは完全な書斎室だった。
暖色の照明に照らされ、壁にぎっしりと蔵書が収められた棚が並び、広々とした格式高い机には本やら書類やらが重なっている。
「そうだったのか。大変じゃないかよ。じゃあ俺、邪魔じゃないか? やっぱ今日帰ったほうがーー」
正直残念に思いながら尋ねると、クレッドが目を見開き、途端に寂しそうな顔になる。
「そんな、邪魔なわけない。でも、つまらないよな……帰りたい?」
いかにもそうして欲しくないという声で問われて、どうしようと反応に困った。
なんだかお互いに譲り合ってる感じだ。押して来ないこいつも珍しいけど。
「ほんとは帰りたくない。お前の近くにいたいな……休憩時間とかでいいから」
「……っ。兄貴!」
なぜか急に感極まったクレッドに抱きしめられた。
どうやら一緒にいてもいいみたいだ。まぁ、邪魔しなければいいんだよな……。
内心嬉しく感じながら、とりあえずリビングで待ってるかと思い離れようとすると、弟が俺の肩を掴んできた。
「どこ行くんだ兄貴。ここにいて」
「へっ? いやでも、さすがに邪魔だろ…?」
「ううん。全然」
強い眼差しで首を横に振られ、ほんとにいいのかと思いつつ、結局弟の意思に従うことにした。
クレッドがペンを走らせる音だけが響く静かな書斎で、二人で過ごす。
なんだこの雰囲気……いつもと違って新鮮だ。
少し離れたとこにある革張りのソファに腰かけ、本の隙間から、ちらっと弟を眺めた。
二人のときにはあまり見られない真剣な顔にドキドキする。
書類とにらめっこする弟は、どことなく禁欲的というか、妙に色気がある。
制服じゃなくて、逆に私服で仕事してるからか?
やばい、段々興奮してきた。あんまり見るのやめよう。
惜しみつつ目を逸らそうとすると、いつの間にかクレッドがこっちを見ていた。
「わっなんだよ」
「だってずっと俺のこと見てただろ」
少しからかうような口調で、ニヤリと笑みを向けられる。
こいつ分かってたのかよ。途端に汗ばんできた。
「ご、ごめん、気が散るよな。もう見ないから…」
「いいよ見て。なんか兄貴に見られてると、興奮する」
真面目な顔で何言ってるんだこいつは。
気を取り直して本を読む。
一時間ぐらい経過した頃だろうか、ぐーぐーと俺のお腹が鳴り出した。
同時にクレッドの笑い声が聞こえた。
俺は何回こいつの邪魔をすれば気がすむんだと、恥ずかしくなる。
「お腹すいたのか? 食べてていいよ。嫌じゃなかったら、ここで」
「えっ。いやここは駄目だろ、たぶんこぼすし。雑音とかも出しちゃうし」
「兄貴の作り出す音が雑音なわけないだろ。俺、離れたくないよ」
……。こいつ結構わがままじゃないか?
仕事中のわりに結構相手してくれるし。
奴の言葉に甘え、サンドイッチを作って音を立てないように食べる。
お腹が満たされたからか、場の雰囲気になれてきたのか、緊張感が薄らぎ、俺はすっかりくつろいでいた。
「クレッド。今どのぐらい?」
「うーん、あと一時間ぐらい」
「ほんと? じゃあそん時お茶にしよう」
微笑み合って約束する。
兄のくせにもうすぐ弟に構ってもらえると、俺は内心楽しみに待っていた。
頃合いを見て、キッチンで準備をした後また書斎に戻ってきた。
「終わった……!」
ちょうど椅子から立ち上がり叫んだクレッドと目が合う。
喜び勇んで抱きつくと同時に腰を持ち上げられ、そのままソファへと連れられる。
座ったまま抱きしめられて、疲れたのか肩口に頭を埋めてきた。
久しぶりに感じる金髪を撫でて、弟を労る。
「お疲れ様。よく頑張ったな」
「……ありがとう。もっと褒めてくれ」
なに甘えてんだこいつは。頭で突っ込みつつ「偉い偉い」と優しく声をかけた。
ああ、でもやっぱ近くがいいな。触れてると安心の度合いが最大限になる。
クレッドが急に顔を上げて、口を迫らせた。ちゅっと重ねられ、俺は不意に声を漏らす。
「んんっ………ふ、ぁ…」
気持ちよさにぽーっとしながら目をゆっくり開けると、弟の赤らんだ顔があった。
「ああ、良かった……兄貴が足りなかった」
「……へぁ?」
突然意味のわからないことを述べたかと思うと、また何度も優しく口を塞がれ、しばらくキスを繰り返した。
確かに、同じ部屋にいたけど、俺もこいつの温もりが恋しくなっていたかもしれない。
だから今嬉しい。
「なんかこんなにリラックスして仕事できたの、初めてだ。やっぱり俺は、いつでも兄貴が必要なんだな」
弟が俺を抱いたまま納得した表情で語り、急に照れくさくなってくる。
「そうなのか…? それならいいけど…。俺だったら、お前が近くにいたら研究進まないよ。はは」
「どうして? 俺が邪魔するから?」
おい邪魔するのかよ。
でもどうせまた変なことしてきそうだと、簡単に想像できてしまう。
「いや、なんか緊張して集中できない。お前のそばにいると」
「……ドキドキするのか? 俺とこうするの」
意味深な笑みで囁かれ、強めに腰を抱かれた。
ほらそういう事するから、俺は例え作業中じゃなくても心あらずになるのだ。
「するよ。好きなんだから、当たり前だろ……だからしちゃ駄目だぞ」
視線をそらして胸に掴まる。
クレッドはぴたりと動きを止めた。
「それは……難しい。約束できない、ごめん兄貴」
なぜか強い意志を持って告げられ、ガクッとくる。
「なんでだよ、俺にも協力しろよっ」
「だって想像しただけでかわいい。俺我慢できないよ、絶対手出ししちゃうと思う」
はぁ。しょうがない奴だな。
やっぱこいつは仕事してたほうが集中してて良いのかもしれないな。
新鮮な面を見れて嬉しかった反面、将来的に自分が仕事中の時は背後に気をつけよう。
弟に内緒でそう思うのだった。
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