ハイデル兄弟 | ナノ


▼ 65 魔術師のおまじない U

「……あれ。……なんだ? かわいい、幻覚が……。ああ、俺は疲れてるんだな」

金髪蒼眼の背の高い男は、目を細めてぼそっと呟き、踵を返そうとした。
引き止めないほうが良かったのだろうが、俺はこんな時でも弟の顔が見れて嬉しくなってしまい、声を上げた。

「あっクレッド……! 幻覚じゃねえって、俺、あの……」
「……え? どういうことだ?」

目を見張って硬直する弟に、俺はぱたぱたと近づいていく。靴も緩くなってるし歩きにくい。
くそ、俺は師匠の術でもこんな目に合ったことはねえぞ。

弟は俺の前にそびえ立っていた。俺の目線がちょうど腹の上ぐらいで、なんだか別人の大人の男に見える。

「いやほんとに俺なんだ、お前の兄貴だって。さっきアルメアが来てイタズラされちゃってこんなことにーー」
「……なに、悪戯!?」

クレッドはすぐさま両膝を床につき、俺の肩をつかみすごい剣幕で尋ねてきた。
おいそこに食いつくのか?
焦りながらも俺は冷静に事情を説明した。有り得ない事態だとは思うが、まじないとは本来突拍子もないものなのだ。

「本当なのか、あいつなんで兄貴にそんな事を……ていうか、ほんとに兄貴なんだな……確かに服がぶかぶかだ」

まじまじと眺められ、急に恥ずかしくなってくる。
ああ、くそダサい、なぜ俺はこんな惨めなガキの姿に。散々アルメアのことを馬鹿にしていたバチが当たったのかもしれない。

しかしなぜか落ち着いた風に俺の手を引き、ソファへと座らせたクレッドの反応は、少し想像と違った。
俺に向き直り、優しく頭を撫でてくる。

「子供の兄貴か……信じられないが、かわいらしいな。そういえば、記憶の中と同じ感じがする」

懐かしいといった様子で目元を緩められ、妙に落ち着かなくなってきた。
隣にいるといつもより更に体がでかく感じて、ちょっとビクッとする。

突然クレッドが俺のことを上から優しく抱きしめてきた。
おいおい何してんだこいつは、犯罪で捕まるぞ。

「ちょ、クレッド、苦しいっ」
「え、そうか。ごめん。……いやなんか、すっごくかわいいな。兄貴なのに、弟みたいだ」

……はっ? 弟だと?

聞き捨てならないセリフに、俺はぜえせえと息を吐き、奴の長い腕から抜け出した。
さっきから可愛いって言いすぎだろ。なんだよ普段の俺と何が違うんだ。

「俺はお前の兄だぞ! 小さくなっちゃったけど、一日で解けるって言われたし! 頭だって大人のままなんだからなッ」

精一杯吠えるとクレッドの口元がぴくぴく動き出す。笑いをこらえてる顔だ。
馬鹿にしやがって。縮んじゃった俺の気持ち分かってんのか。

「そうだな、ごめんごめん。でも声も高くて、どこからどう見ても子供だ。けどどんな姿になっても、俺は兄貴が好きだよ」

それは嬉しいけど、なんか取ってつけたような物言いじゃないか。素直に喜んでいいのか? 
俺がふくれっ面で黙っていると、慌てた様子のクレッドが立ち上がった。

「あ、お菓子食べるか? ちょっと待っててくれ、ネイドが置いてったやつがあのへんにーー」

そう言って奥の部屋に消えた弟は、いくつかの菓子類とジュースらしきものを持って帰ってきた。
机に並べて俺に微笑みを向けてくる。

「……おい。俺は子供じゃないんだが? さっきそう言ったよなぁ。つうかお前こそ昼ごはん食べたか? ほら、俺お前にお弁当作ってきたんだ」

こんな変な状況で渡したくなかったが、せっかくなのでカゴに入れた弁当ボックスを差し出した。
クレッドの目が丸くなる。

「えっ、俺に作ってきてくれたのか? 大変だっただろう……! キッチンも広くて背が届かないだろうし」

はあ? 
真面目な顔で心配され体の力が抜けていく。

「馬鹿かお前ッ、これは朝から準備してたんだから大丈夫だよ! ちゃんと話聞けよっ」
「あ、ああ。そうだった。つい思い込みが……悪かった兄貴」

俺が子供の姿になっただけで、こうも態度がおかしくなるとは。

「本当だ、兄貴の味だ。すごく美味しいよ。ありがとう」

もぐもぐ食べながら褒め称え、時折俺の頭を子供にやるみたいに撫でてくる。
普段もよく撫でられるが、今はやたら表情が慈愛に満ちている気がする……。

ああなんか、マジで落ち着かない。
正直いろんな面で敵う所がないと思ってた弟に対して、俺が誇れることって、こいつの兄貴だってとこなのに。
これじゃあ全く面目が立たないんだが。

しょうがない。
こいつが食べ終わったら、そろそろ試してみるか。
アルメアが教えてくれた、このまじないを解く方法だ。すごくやりづらいけど。

一日中このガキのままでいるなんて、冗談じゃないからな。このまま家にも帰れないし。

「クレッド、美味かったか?」
「ああ。最高だった。ありがとな、兄貴」
「じゃあちょっと、顔こっち来て」
「……は?」

俺が体を寄せようとすると、びくりと弟の肩が跳ね上がった。
すかさず口を近づけて、狙いを定める。するとクレッドがもの凄い速さで飛び退いた。

「な、なっ、何してんだ兄貴! どういうつもりだ!」
「いや、ちょっとぐらいいいだろ。早く顔貸せよ」
「駄目に決まってるだろう! 俺はそこまで人間失格じゃないぞ!」

断固として拒否してくる弟の、若干青くなった顔を見るのは、悪いけど少し面白かった。
別に俺だって欲求不満でこんな事やってるわけじゃない。

「だってこうしないと、俺もとに戻れないんだよ。アルメアに言われたんだって、キスすれば呪いがとけるって」
「……えっ。嘘だろ、なんだその卑猥な解き方は」
「いや俺達の前の呪いよりマシだろ。可愛いもんだろ」

そうなのだ。
魔導師としての観点からしてみれば、これはちょっとした悪戯に過ぎないまじないだ。
口づけで呪いが解けるというのは、わりと古典的な方法でもあるし。

だが弟にとってはかなりの衝撃だったらしい。

「いやっ、無理だ、俺には。そんなこと出来ないよ、こんな小さい兄貴に……っ」
「さっき俺がどんな姿でも愛してるって言ったよな? いいだろこんぐらい」
「それはそうだけど、ちょっと、待って……ほんとに!」

四の五の言い出す弟の肩に小さな両手をのせ、俺はソファに膝立ちになった。
いつもより更に近くに寄らないと、キスすら出来ないのだ。やっぱこの身長差は不便すぎる。

「んっ」

目を見開いたまま硬直するクレッドに、ちゅっと軽い口づけをする。
すると目の前にある顔がぼわっと赤くなってしまった。新鮮な反応に「あ、ごめん」と思わず素で謝った俺の周りが、突然もくもくと黒い煙に包まれていく。

これはーー。

期待に胸を膨らませ、瞳を閉じたまま身をまかせると、手足がいきなりぐん!と引っ張られるように、伸びる感覚がした。

ソファに座った俺は、どこか真新しい気持ちで、きちんとジャストサイズになった服の袖やズボンを見やった。

「ああー! 良かったぁ、戻ったぞ!!」

弟に振り向き、喜びを露わに一目散に抱きつく。
がしっといつもの広い腕に抱きとめられて、途端に安心に包まれた。

「……兄貴っ。ほんとだ、戻ってる……」
「な? 言っただろ。まじでよかったお前がそばにーーんむっっ」

大きくなった体を大事に抱きかかえたまま、突然クレッドに唇を塞がれてしまった。「んんんっ」と息苦しい声を漏らすが、構わず大人の熱いキスをじっくりと施される。

「っはぁ、……っあ、……な、なんだ? いきなり何してんだっ」
「……ああ。本当に良かった、もとに戻って。俺はこっちのほうがいい。……あ、あんな事もうしちゃ駄目だッ、分かったな兄貴!」

まだ赤い顔で安堵しながら怒り出す弟に、俺は呆気に取られながらも、こくこくと頭を頷かせた。

もしかしてちょっとトラウマを植え付けちゃったのか?
早く解きたいあまりに、なんか申し訳ないことをしたかもしれん。

「分かったよ、悪かった。もう子供にはなんないから安心しろよ。俺だってお前と普通に触れ合いたいし」
「うん、俺も……。あ、でもあれきりだったのか。かわいかったからちょっと寂しいな」

懲りずに微笑むクレッドをじろりと見つめる。するとまた慌てて「いや今の兄貴が一番に決まってる」と取り繕いだした。

大人気なくも納得のいく言葉をもらい、俺はやっと肩の力を抜いて、いつも通りクレッドに寄りかかることができた。



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