ハイデル兄弟 | ナノ


▼ 50 卒業祝い U (弟視点 回想終)

兄がレストランに姿を現した時、思わず目を見張った。
最後に帰省した際の父との大喧嘩を、俺も端から見ていたのだ。
俺の卒業時にはまた帰ると言ってくれた兄も、きっと気が変わっただろうと思っていた。

それなのに、来てくれた。
また兄の顔を見れたことが、たまらなく嬉しかった。

そうだ。
俺はこの二年間、もしかしたら兄のことを忘れることが出来るんじゃないかと、密かに自分に期待していた。

だが結局無理だった。到底不可能だった。
朝起きると兄の顔が浮かぶ。ベッドに入りまぶたを閉じると、兄の顔を思い出す。

物心がつく前から無意識に抱いていた想いを、完全に忘れ去るには、さらに膨大な時間を要するのだろうか。

諦めにも似た心境で日々を過ごす中、今日再び、兄の変わらず愛らしい顔を前にして、俺は改めて自分の考えの甘さを思い知った。





(なぜ俺は……まだこの人が好きなんだろう)

家族六人がテーブルを囲む中、俺の隣にはちょこんと兄が座っていた。
こんなに小さかっただろうか。肩が細かっただろうか。

これほど愛らしい横顔だっただろうか?

「……何見てんだよ? そんなにおかしいか、さっきの事が」

フォークでぐさぐさと皿にある野菜を刺しながら、兄が横目を俺にやり、じろりと睨んだ。
俺は兄に会わなかった間に身につけた、己の感情を完全に覆い隠す、冷たい微笑みを浮かべてみせた。

「ああ、店の人に俺が兄だと間違えられたことか?」
「……はっきり言ってんじゃねー! くそ、思い出しただけで腹立つわ。なんで俺がお前の弟に見えんだよ」

兄は俺より年下に見られたことに、さっきから憤慨していた。
確かに俺は三つ年下だが、そう見えるかもしれない。十七になった今、自分の意識としても、兄を見ていると前よりさらに……どこか守りたくなるような感覚に襲われた。

「ふふ。どっちがどう見えてもいいじゃない。兄弟ってことに変わりはないんだから。皆私の大事な息子たちよ」

母がいつもの柔らかな空気を纏い若干空気の読めない発言をし、兄が盛大なため息をつく。
しかしそこで黙っていた父が、誰も望んでいないのに口を開き始めた。

「何を言ってるんだイスラ。男としてこれは大事なことだぞ? セラウェ。お前には兄としての気迫が足りないんじゃないか? だからすでにクレッドに負けてるような状態に陥るんだ」
「は? うっせーな親父。別に負けてねえし。だいたい気迫ってなんだよ。俺はそういう根性論が一番嫌いなんだよ」

父に口を挟まれ、兄が不愉快そうに口を尖らせる。すかさず長男アルベールの大きな笑い声が響いた。

「そうだよ親父、気迫っていうかただの体格の差だろ。しょうがねえよ、クレッドは俺らの騎士団に入ってさらに貫禄が増したからな」

身を乗り出したアルベールが、上機嫌で俺のことを語りだす。従騎士としての働きぶりや団内での存在感がどうのと、俺はまだ仮入団の身であったにも関わらず、誇張気味に話され正直辟易した。

「アル兄さん、俺の話はいいよ。いつも大げさなんだよ」
「何言ってんだよ、今日はお前が主役だろ。恥ずかしがんなって。俺は喋る気まんまんだぞ?」
「そうだぞクレッド。俺達は弟のお前の卒業が自分の事のように嬉しいんだからさ」

呼応するように次男のシグリットも頷いて話に入ってきた。
上の兄二人は想像以上に仲が良く、年の差も二つで気が合うようだということは、騎士団に入って接するうちに、より気がついたことだった。

「でも兄貴の言うとおりだよ。本当にクレッドの奴凄いんだよな。こいつが仕えてた上級騎士って俺の後輩なんだけど、ここだけの話、全然そいつより見所あるよ。順応性はもちろん、常に視野が広くてさ。人の下にいるより、使うほうが合ってるような気がすんだよな」
「あー分かる。まだ若いのにな、異様に冷めてるっつうか冷静だし。上の人間にも物怖じしないしな、逆にビビらせてたよな」

二人は思い思いに俺を話の種にし、時折笑い声を放ちながら騎士談議を始めていた。
正直、止めてほしい。兄の前で自分のことを話されるのは、余計に恥ずかしい思いがした。

家族が皆わいわい会話に花を咲かせる中、やけに静かだった隣の兄をちらっと見た。
どこかぶすっとした顔をして、黙々と料理を口に運んでいる。

「兄貴にはつまらないよな、こんな話。悪かったな、今日は」
「……なんでお前が謝んだよ。主役に気遣われると惨めだからやめろ」

自嘲気味にそう言った兄はぴたりと動きを止め、顔をこちらに向けてじっと目を覗き込んできた。
跳ね上がった鼓動を落ち着かせ、見つめ返した。

俺はもう、前に会った時のような子供ではない。
いくら態度が嫌味なものになろうが、嫌われることに変わりはない状況であろうが、焦って突き放すような真似はしない。

そう心に決めたのに、兄の変わらぬ深緑の目に見つめられると、心臓の高鳴りが抑えられなかった。

「なあ、お前さ。卒業して正式に騎士になっても、兄さんたちの騎士団に入るんだろ?」
「……え。ああ、そのつもりだ。団内で推薦を得て、入団試験も受けさせて貰えることになったんだ」

それは事実だった。兄に問われたことは意外だったが、俺の進路はすでに決まっていて、おそらくこのまま入団が可能だろうと見通しが立っていた。

「そっか。良かったな。……あの二人がいれば安心だよな。ちゃんと面倒見てもらえよ」

兄はかすかに眉間に皺をよせて、ぽつりと呟いた。

俺としては何か棘のあるような言い方に感じたが、まだ騎士になる前の若輩者の自分だ。
「兄さん達の助けなんか要らないよ。俺は一人でやってみせる」などと頭に浮かんだ子供じみた言葉を、騎士でもない兄に対し口に出すことはせず、静かに飲み込んだ。





主に俺と兄以外の家族によって、楽しい宴は夜まで続けられた。
満足そうに俺に話しかけながらグラスを何杯もあおる父を、隣の席に移動した母が時折たしなめていた。

アルベールとシグリットの二人はわりと大酒飲みで、自分たちのペースで楽しんでいるようだったが、時折兄に対し絡んできて邪険にされていた。

まだ酒が飲めない俺はそんな皆の様子を、落ち着きを装って眺めていた。
隣にいる兄とまばらな会話をするが、会が進むほどにやはり意識してしまい、段々と頭がのぼせるような感覚に陥っていた。

これが二人きりでなくてよかったと切に思いながら、俺は涼しい風に当たりたいと、外に出ることにした。
その旨を皆に告げ、個室を出た俺は、レストランから裏の小さな庭園に続く廊下へと向かった。

夜の暗闇の中、ぽつぽつと照明が灯る庭園を眺めながら、ベンチに腰を下ろす。

すると店内から人影が現れた。注意を引かれ見てみると、それは女性だった。
俺達の部屋で忙しなく給仕をしていた、俺よりいくつか年上に見える娘だ。

「ここ、涼しくて気持ちいいですよね。今日は何かのお祝いだったんですか?」

制服姿の女性に突然話しかけられ、俺は目を丸くした。世間話のつもりだろうと、差し障りのないように微笑みを向ける。

「ええ、そうなんですよ。学校の卒業祝いで、皆が揃ってくれて」
「お客様のですよね。わぁ、おめでとうございます」

にこりと笑みを向けられ、素直に礼を言うと、彼女は気恥ずかしそうに目を細めた。
そのまま二言、三言と会話が進み、この人仕事はいいのだろうかと思い始めた矢先ーー

足音が聞こえた。
俺はそれがすぐに誰だか分かった。耳が覚えているのだ。
同時に、真っ直ぐにこちらに向かってくるのに気づき、心臓が急激にうるさく鳴り始めた。

「あー……クレッド、ここにいたのか。……ごめん、邪魔だったか?」

兄は目を逸して頭を掻きながら、俺達の前に立ち尽くした。
俺はすぐにベンチから立ち上がった。

「いや、大丈夫だよ。兄貴も涼みに来たんだろ、ここ空いてるぞ」

すかさず言うと、兄はちらりと女性を見た。従業員の彼女は慌てた風に頭を下げ、「じゃあ私はこれで、ごゆっくりなさって下さいね」と言ってその場から去った。

二人の間に、気まずい沈黙が流れた。
俺は内心、頭を抱えたくなった。
ただの見知らぬ人だが、女性と二人でいる所を兄に見られたことが、嫌だった。

兄は俺の前まで来て、なぜか顔をまじまじと見つめてきた。
それだけでなく全身を眺められ、体中に熱い視線を感じ、すぐに頭がぐらついてきた。

真正面にいる兄は、実際に小さく感じた。
抱きしめたら俺の腕にすっぽりと収まってしまいそうなほど、華奢な体つきだ。

「……お前、マジでモテるんだな。そりゃそうだよな。……いいよな」

いきなり告げられた言葉に、胸がぐさりと音を立てる。
想像はしていたが、何も言わないでほしかった。俺は昔から、兄にそういう事を言われるのが嫌だったのだ。

「別に……女にモテても良い事なんかないよ」

ショックを隠すように冷たく言い放つと、兄は驚いた顔をしたが、すぐに聞こえないように舌打ちをして見せた。

「なんだそれ、本気で言ってんの?」
「ああ、そうだよ」

苛立ちからじっと視線を合わせ、威圧的に見下ろした。
だって本当のことだ。
俺は女なんかいらない。
兄に好かれなければ、何の意味もない。

誰も知ることのない自分の気持ちを、心の中で虚しく叫びながら、兄を見つめた。

「へえ。俺も一回言ってみたいよ、そんな台詞」

どこか溜息混じりに口にした兄に対し、ぐっと拳を握りしめる。自分の感情が沸き立つのを感じた。

「兄貴はモテないだろ。モテなくていいよ」
「んだとてめー! 失礼な事言うなっ!」

途端に顔を真っ赤にして向かってくる様子を前に、抱きしめてやりたくなった。
そのまま文句を言う口を塞いで、自分に抗えないようにめちゃくちゃにキスをしてーー

馬鹿な、俺は何を考えているんだろう。
必死に目眩を抑え、俺は無言でその場に立っていた。

兄もしばらく黙り込んでいたが、段々落ち着かない様子で腕を組んだり、髪に手をやったりした。
そして、おもむろにポケットに手を突っ込んだ。

何かごそごそとやりながら、スーツの中から取り出したものは、色鮮やかな包装紙に包まれリボンがかかった、プレゼントのようなものだった。
俺の目は兄の手に握られたそれに、釘付けになった。

「あのさ、これ……今日はお前の卒業祝いだから、手ぶらじゃあれかなと思って。……土産物屋で見つけたもんだけど。……はい」

兄は俺の目を見ずに、その箱を俺の胸に突きつけた。

信じられなかった。
……俺のために、用意してくれたのか?

そんな予想は微塵もしていなかった為、衝撃を受けすぎてすぐに言葉が出なかった。
震えを抑えながら、兄の手から箱を受け取った。

「……別に、気に入らなかったら、その辺に置いといてくれていいからーー」
「いや、そんなこと、ない」

兄の言葉に焦り、俺はやっとのことで声を絞り出した。
嬉しかったのだ。
どうしようもなく、頭が真っ白になって思考が飛んでしまうほど、兄からの贈り物が心の底から嬉しかった。

「……ありがとう。兄貴」

自然と自分の口から出た言葉に、兄の緑の丸目が大きく見開いた。
俺は正直、泣きそうになっていた。
もう十七なのに。騎士学校を卒業して、これから正式に騎士になるというのに。

やっぱり兄を忘れることなんて出来ない。
ずっとずっと、こうやって、兄の思いに揺り動かされ、好きでい続けてしまうんだ。

「う、うん、まあ……受け取ってくれるんならそれでいいけど……」
「……開けていいか?」

緊張しながら尋ねると、ぶっきらぼうに返事をした兄の了承を得て、包みを開けた。

箱の中には、見たこともないような、透明な虹色の輝きをした菱形の石が入っていた。
革紐の部分を手に持ちじっくりと見ていると、神秘的な気を発する石の力に、すっかり魅入られてしまった。

「すごい、美しいな」
「……そうか? それお守りだから、なんか戦いとかで効力あるかもな」

さり気なく述べた兄が、俺の事を思って告げてくれたような気がして、さらに愛しく思えた。

俺はこの気持ちをどう表せばいいのだろう?
礼を言うだけじゃ足りない気がしたが、それ以上何も出来ない。

兄達のように抱擁すればいいだろうか。そう考えたが、そんな事をすれば、今度こそ俺はさらに道を踏み外してしまうような気がした。

「じゃ、じゃあ俺もう戻るから。お前ももう来いよ、うるさい兄さん達が探してるぞ」

俺がぐだぐだ考えている間に、兄はそう言って踵を返した。

本当はもう少し一緒に居たかった。
自分の気持ちをまっすぐに、何の含みもなく伝えることが出来ていたら。
そんな事は叶わないのに、俺はどこか切ない気持ちで、俺のもとを去る兄を静かに見送った。



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