ハイデル兄弟 | ナノ


▼ 39 あの男

朝っぱらから俺は、魔術師専用の別館に向かい、ある用事を済ませようとしていた。
小脇に抱えた紙袋には、自作の魔法薬がたんまり入っている。
最近はずっと調合続きだったため、体に溜まった疲労感が拭えず、足元が自然にふらついた。

「おい、エブラル。約束のもん持ってきたぞ」

ドアを叩く気力もなく、研究室の扉の前でぼそりと呟く。
待ち構えていたかのように数秒の差でガチャリと鍵が開き、長身の麗しい紳士が現れた。

「セラウェさん。おはようございます。朝から私の部屋に呼びつけてしまい、すみません」

うっ。
爽やかな大人の笑顔が眩しく、神々しいまでの銀髪がきらきら反射して目に痛い。
そろそろ慣れてもいいのに、この呪術師の美形っぷりに俺は毎回狼狽えてしまう。

「ほんとだよ。ったく、お前にまで薬を作らされるとはな」
「ふふ。あなたの調合品はとても評判が良いですからね。教会の魔術師の間でも話題が持ちきりですよ。まぁ私はユトナから教えてもらったのですが」

……そうなのだ。
俺が久しぶりに魔導師らしいことをしてるのは、そもそもクレッドに薬を作ってあげたかっただけなのに、あの騎士がこいつに喋ったおかげで、今では色んな人間から個人的に依頼されるようになってしまった。

ズボラな俺も一応弟の職場なので、断らずに引き受けている。

「別にいいけどさ。任務以外暇だし。……でも自白強要剤とか、睡眠誘発剤とか、こんな物騒なもんどうすんだよ。……まぁどうせ尋問用だろうが」

じろっと視線を向けても呪術師は苦笑するのみで、はっきり答えなかった。
ユトナと同じく尋問のスペシャリストのこいつは、妙な高等魔術を使うため薬など不要と思ったが、もうどうでもいいや。

「代金とは別にお礼も兼ねて、お茶でもしながら少し休んでいかれませんか。セラウェさん、甘いもの好きでしょう?」

そういやなぜか部屋の中から、焼き菓子のようないい匂いがする。
微笑みを浮かべる同僚を前に、少しぐらいいいかと頷き、室内へと誘われた。



広い部屋はアンティーク調の家具類が並び、暖かみのある色合いで統一され、まさに小洒落た紳士の書斎室といった様相だ。
中央の低いテーブルを囲むソファに腰を下ろし、とすっと背もたれに体を預けた。

準備をしに奥に消えたエブラルを目で追いながら、まだ季節が夏ということもあり、首元を緩め、汗ばんだ服にぱたぱた風を入れた。

しばらく待っていると、呪術師は銀のトレーに高価そうなポットとティーカップ、そしてチーズケーキをのせて姿を現した。

「おっ、いいね。俺それ好きなんだわ」
「ええ、知ってますよ。なので貴方のために、老舗の洋菓子屋から取り寄せーーあれ、セラウェさん?」

怪訝な顔をしたエブラルが、トレーを机において、座っている俺のもとにずんずん向かってきた。
突然上から真剣な表情で見下ろされ、息を詰めるが、鋭い視線が首付近に刺さっていると気づく。

「な、なんだ? 何見てんだよ」
「それ……怪我じゃありませんね。赤くなってますが」

小声で呟いた男の白い頬がサッと紅潮し、その台詞の意図にすぐさま気がついた俺は、勢いよくばしっと手のひらで隠した。

やべえ、まさか昨日弟とあんなことやこんなことをしちゃった時のアレが見られてーー

「ちちちち違う、これはそういうんじゃない、単なる事故で、俺は別に露出狂ってわけじゃ」

実は疲れてたのは仕事のせいだけじゃなかった。
ちゃんと服にまで頭が回らなかった自分を悔やみながら、焦りまくって変な弁解をし続けた。

「セラウェさん。そんなに真っ赤になって反論されると、こちらも恥ずかしくなってしまいますよ」
「だ、だから違うって、あんま見んなよっ」

必死に隠そうとするが、一度気になると挙動不審になって落ち着かなくなる。
呪術師は生温かい目で「わたしも大人なので気にしないでください」とか慰めにもならない事を言いながら、再び奥の部屋へと消えた。

戻ってきた奴はなぜか長袖の濃色のシャツを手にしていた。
真面目な顔で手渡され、着替えるように言われる。

はい? なんで俺がいまこの場で他人の服を着なきゃなんないの?

「エブラルさん、意味が分からないんですけど。ああ、そんなに不快だっつうならそろそろお暇するんで…」
「何を言ってるんですか。まだお茶も始まってませんよ。貴方の姿があまりに欲……いえ、余計な想像をかき立ててしまうかもしれないので、どうかお願いします」

照れたように伏せられた藤色の瞳がわずかに揺らめき、俺は奴の妙に色づいた大人の魅力、いや圧力に押され言うことを聞かざるを得なくなった。

なぜこうなったのかは分からないが、夏だというのに長袖を着込み、呪術師とともに他愛のない会話をしてお茶タイムを過ごす。

甘味にも満足しさぁ帰ろうと立ち上がったところで、腕をガッと掴まれ、切羽詰まった表情で見上げられた。

「待ってください。まだ帰っちゃだめですよ。私があの男にドヤされるでしょう」
「……は? な、何言ってんだ。あの男って誰だよ。……ちょ、マジやめろよ、まさかあのおっさんじゃ」

ぎりりと強まる腕の力に慄いた俺の血の気がさーっと引いていく。
その時背後から、鍵が閉まっていたはずの扉がバタン!と開け放たれる音がした。

「おい。てめえの師匠に向かってその言い草はねえよなぁ? セラウェ」

やっぱり。
なんか嫌な予感したんだよね。

ぐるりと首だけ回すと、すでに目の前に巨体が立ちはだかり、腰だけ浮かせた格好悪い体勢の俺の鼻先に、師匠の硬い腹筋がぶち当たった。

「あー、久しぶり、師匠。なんでここにいんの? あ、旧友への訪問か。じゃあ俺はお邪魔しちゃ悪いんでこのへんでーー」
「薬だ。俺がお前に依頼したやつな。おら、よこせよバカ弟子」

黄金色の髪をわざとらしく掻き上げ、彫りの深い顔立ちに輝く金の瞳を鋭く細める。
意味が分からない。けど分かったぞ。

「……エブラル! これ師匠への薬だったのかよ、騙しやがって! 立派な罠じゃねえか!」
「はい。ごめんなさい。この男があまりにしつこくて……自分でセラウェさんに頼めばいいのに、プライドだけは高くて困りますよ」
「うるせえ。俺が頼んだらこいつはビビって実力出ねえだろ。言わば抜き打ちテストなんだよ、これは」

師匠は偉そうに言い放つと、誰も許可してないのに俺をソファの隅へと押しのけ、真ん中にどかりと腰を落とした。

はぁ? テストだと。
師匠らしいことしてたの、俺が弟子になって最初の数年ほどなんだが?

ぎろりと睨むと更に怖い顔で見据えられ、ぶるっと震えた。
このおっさんの前では、俺は百獣の王に睨まれた小ネズミになってしまう。

エブラルが渋々俺自作の薬を渡し、二人はいつものようにいがみ合いながら何だかんだ会話をしていた。

俺、もうこの場にいても仕方ないだろうと思いバレないように腰を上げると、肩をぐっと掴まれた。

「なぁセラウェ。お前なんでこのクソ暑い時期にそんな暑苦しいシャツ着てんだ?」
「……へっ? いや、別にただの、ふぁ、ファッションだけど」
「嘘付けよ。それエブラルの服だろ。どういうことだ」

絶対に目をつけられたくなかった所を指摘され、目線だけ呪術師に向けて死ぬほど睨みつけた。
エブラルは苦笑している。おいふざけんな。

「俺の質問に答えられねえのか? おい」 

師匠が人を問い詰める時、それはもはや尋問ですらなく、恫喝である。
何かにピンときた様子で、険しい顔の師匠は俺の襟首を掴み、ぐわっとボタンを引き千切るようにシャツをはだけさせた。

「なにすんだ、この変態ジジイーー!!」

雄叫びも虚しく、ごく簡単に上半身が露わになってしまう。
蛇のように舐め回す視線が怒りの炎を揺らめかせ、俺は縮み上がった。

「……なんだこれ、ざけんじゃねえぞ、あんのクソ野郎……ッッ」

ぐしゃり、と拳を固める師匠は憤怒して、俺の弟への憎悪を顕にした。
体の痕を見られてしまったことは恥ずかしくて火が出そうだが、正直なぜそこまで師匠が憤慨するのか、俺には分からない。

俺と弟の関係を知られてしまってから、当然さらに当たりは厳しくなった。

「見んなよぉ! なんなんだ、どいつもこいつも、エブラル、全部お前のせいだからな!」
「いえ、どちらかというとハイデル殿が迂闊なんじゃないですか? ……そうだろう、メルエアデ」
「……てんめえ、一人だけ楽しそうな顔しやがって……そんなに面白いか、この悪夢のような状況がッ」
「ああ、愉快だな。お前が大事な弟子の変化に、まるで小鹿のように身震いして狼狽える様子は」

なにこれ。
何故こんな面倒くさい流れになってんだよ。
師匠と弟が険悪な仲だというのは重々承知しているが。

「師匠、悪かったから! だってあんたが来るなんて知らねえだろ、……あ、いや知ってたらどうってわけじゃないけど、さぁ」
「……お前、全然フォローになってねえぞッ」

その後も壮年の男の怒鳴り散らす声に耳が割れそうになりながら、俺は昔から世話になった弟子の義務として、大人しく説教を聞いていた。

クレッドへの罵詈雑言に飛んだときはさすがにブチ切れようかと思ったが、とりあえず我慢した。

もう帰りたい。
そう思った頃合いに、微笑みを浮かべ俺達のやり取りを眺めていたエブラルが、興味深そうに口を開いた。

「でもセラウェさん。この男が何かに執着する姿は、珍しいんですよ。庇うわけじゃないですけど、貴方もそれだけ大切に思われてるってことじゃないですか」

いまさらお前にそんなこと言われてもな。
呪術師への呆れた目を師匠に戻すと、大きな舌打ちをするだけで、いつものように大声で反論しなかった。

俺はにやりと口元を吊り上げた。

「そんなの、俺だって分かってるよ。師匠はなんだかんだ言って俺のこと大事に思ってくれてんだよなぁ?」
「……ああ? 調子乗ってんじゃねえぞ、バカ弟子が。俺がいつお前に……」

目を逸らし素直じゃない師匠に内心笑いが止まらず、ちくちくと責め続ける。
すると呪術師のくすっとした笑い声が響いた。

「メルエアデ。長年お前に付き合ってくれるのはセラウェさんしかいないだろう。……こうも仲の良い二人を見ていると、私も時々思うんだ。弟子を取るのも悪くないかもしれないと」

え?
仲の良いというのは語弊があると思うが、意外な呪術師の言葉に俺は目を丸くした。

「ハッ。今から取ったってもう体力ねえだろ。お前に弟子の訓練とか付き合えんのかよ。そもそも俺だって若気の至りでセラウェなんか弟子にしたんだぞ」
「……は、はぁ? なんだよその言い方、酷すぎだろ師匠!」
「うるせえな、本当の事だろうが。お前がしつこいから認めてやったんだ。……まぁ昔は今よりもっと可愛げがあって、やたら一生懸命なガキだったけどな」

小馬鹿にしたような目つきをされ、ぐっと言葉をのむ。
確かに当時の俺は、師匠を崇拝の対象にして神のように崇め、色々と不可思議な思考や言動を取っていた。

ああ、懐かしい。もはや失われた従順な弟子時代だ。

「そうか。その話、私も興味あるな。……セラウェさん、良かったら少しだけ昔話をしてくれませんか? この男はどうでもいいですが、当時の真っ直ぐな貴方のことは、知りたいです」

呪術師が穏やかな大人スマイルで告げてきた。

俺の話を聞いてどうするんだ。
師匠と暮らしてた時のことなんて、ほぼ虐げられてるかわいそうな若者の俺だぞ。

師匠をチラと見やると、興味なさげにそっぽを向いている。
まあいい。
どさくさに紛れて、師匠の旧友である呪術師に、このおっさんの恥ずかしいエピソードでも教えてやろうか。

「ああ、いいよ。せっかくだしな、面白いかは分かんないけど」

ひと呼吸して、俺は主にトラウマに埋め尽くされた鮮明な記憶を、ゆっくりと辿ることにした。



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