ハイデル兄弟 | ナノ


▼ 16 一緒に遊びたい (回想3)

待ちに待った休日がやってきた。
この日も当時七歳だった俺にとって、八つ年上の兄シグリットに遊んでもらえる贅沢な日ーーになるはずだった。

「うあっ、ちょ、クレッド、あんま動くなってッ」
「わぁい、おいちゃんお馬さん! もっとはしれー!」

大きなリビングの床で、俺の兄と小さな弟はお馬さんごっこをして遊んでいた。
クレッドは楽しそうに、四つん這いになったシグリットの上に跨り、目を輝かせている。

「ねえ、まだ? クレッド、今度は僕の番って言ったでしょ」
「やだっ。ボクのお馬さんだよ!」

四歳の弟は普段俺のいうことを素直に聞くことが多かったが、たまに凄く頑固になる。
シグリットは弟に振り回され、ぜえぜえと息をついていた。
やがてクレッドの気が済んだのか、俺と交替になった。

俺は幼い頃から動物が好きで、屋敷の敷地内にある厩舎にも、よく父の所有する馬を見に行っていた。
乗るよりも餌をあげることのほうが好きだったし、兄を馬扱いするのもどうかと思ったが、遊んでもらえれば何でもよかった。

「行くぞー!」
「わっ、おいセラウェ、それじゃおんぶだろ! 普通に乗ってくれよっ」

文句をつける兄の言うことを聞き、さあ始めようと言ったところで、邪魔者が入った。

「何やってるんだ、お前たち。シグリットに遊んでもらってるのか?」

居間の扉から顔を出したのは、大きな体の父だった。
びしっと決まった稽古着を見て、途端に嫌な予感がした。

「「お父さんっ」」
「よしよし。二人とも、面白かったか?」
「うん!」

俺たちに微笑みを向け体を屈める父に対し、クレッドが元気に返事をする。
気になって兄をちらっと見ると、すでに疲れた様子で床にあぐらをかいていた。

「なんだよ親父。まさか今から稽古つけてやるとか言うわけ?」
「ああ、その通りだ。お前もうすぐ試験だろう。俺が指導してやる」
「……はあ。分かったよ」

二人のやり取りを見て、やっぱりかと肩を落とした。
休日とはいえ、こうして父と兄は思い立ったように、剣術の立合いを始めることが多かったのだ。

「ええ、僕まだシグ兄ちゃんと遊んでないよ……」
「ごめんな、セラウェ。終わったらまた続きしてあげるから」

腰を上げて立ち上がり、兄も申し訳無さそうに俺の頭を優しく撫でる。
悲しげに見上げていると、クレッドはいつの間にか俺の隣にぴたっとくっついていた。
しょうがない、二人で遊ぼっか。そう言いかけた時、父が思わぬことを口にした。

「セラウェ。お前も一緒に来て、見ているといい。勉強になるぞ」
「……えっ。僕も?」

微笑んで頷く父だったが、俺はあまり気が乗らなかった。せっかくの休日だし、剣よりも違うことがしたいと思っていたのだ。

「お兄ちゃん、どこいくの? ボクも一緒にいくっ」

皆がクレッドに驚いて振り返った。
まだ小さな弟は普段、稽古場に入ることを許されてなかったのだ。
父がしゃがみこみ、弟の目をまっすぐ見た。

「クレッド。お前はもうちょっと大きくなってからがいいな」
「どうして? ボクもお兄ちゃんと一緒がいい……」

俺の服の裾をつかみ、弟がやや控えめに父に告げる。
稽古着をまとった厳つい父が、ちょっと怖かったのかもしれない。

「クレッドはまだ小さいから、危ないんだよ。じっと座ってられないでしょう?」
「ボクちゃんと座ってるよ。動かないよ。……だめ?」

優しく諭すと、弟は真面目な顔でお願いしてきた。
当時から口うるさく、何事にも慎重な父が許すはずはないと思っていたが、俺の予想はあっさりと外れた。

「……そうか。クレッドも俺たちが剣で戦っているところ、見たいんだな。小さいのに良い心構えだ。いいだろう、じゃあ皆で行くぞ」

弟の気持ちに動かされたのか、父が満足そうにうんうん頷いた。
唖然とする兄と俺をよそに、クレッドは一人「やったあ!」と飛び上がりはしゃいでいた。


稽古場に着くと、父はすぐに奥のほうに入っていき、両手に重そうな柵を持って現れた。
隅に立っていた俺たちを、手早い動作で囲みだす。
まるで檻の中の動物のようになってしまい、俺とクレッドは目を白黒させた。

「お父さん、これなあに? 僕たち出れなくなっちゃったよ」
「クレッドが飛び出したら危ないだろう。お前たちはこの中で座って見てなさい」

何故そこまでするのだろうと思ったが、父は息子たちに対し、剣に興味を持つ機会を出来るだけ与えたかったのかもしれない。
現に二人の緊迫する剣の立合いが始まると、クレッドは柵に手をやって、食い入るように見つめていた。

シグリットが父に向かい勢いよく剣を振りかざし、父は最小限の動作で攻撃をいなす。
力の差は歴然だったが、兄の気迫と父の威圧感のせいで、あたりにはむんむん熱気が立ち込めていた。

小さな弟は、二人の動きに時折感嘆の声をあげ、俺よりもよっぽど剣術に関心があるように見えた。

「すごいすごい! お兄ちゃん見てっ」
「ほんとだぁ、すごいね。あの二人」

じっと眺めていた俺は、早くまた兄に構ってほしいなとぼんやり思っていた。
二人が稽古を終え、俺たちのもとに帰ってくる。

「よし。今日の指導はこれで終わりだ。お前たち、大人しく見てて偉かったな。稽古はどうだった?」
「えーっと、二人ともかっこよかったよ。ねえ、クレッド」
「うん、おもしろかった!」

顔を見合わせた父と兄は、若干照れながら喜んでいるようだった。
先に稽古場から父が去り、俺は兄をわくわくしながら見上げる。やっと自分の時間がやってきたのだ。
シグリットは暑そうに服の中にバタバタと風を入れ、思わぬことを呟いた。

「あー汗かいた。俺風呂入ってこよう」
「……えっ。シグ兄ちゃん、今からお風呂入るの? じゃあ僕も入っていい?」

兄との時間が惜しくなり、すぐに問いかけた。
俺の言葉に兄は一瞬目を丸めたが、すぐに笑顔になる。

「うん、いいよ。じゃあ久々に一緒に入ろうか」
「ずるい、ボクも入る!」

すかさずクレッドが俺たちの間に割り込んできた。
さっきまで剣に見とれていたのに、もういつもの弟に戻ってしまったようだ。
兄は必死なクレッドを見てぶっと吹き出し、俺たちの頭にぽんぽんと手を乗せた。

「はいはい。よし、じゃあ三人で入るぞ」

弟と手をつないだ俺は、嬉しい気持ちで兄の後を追った。



屋敷の一階にある風呂場には、三人がいっぺんに入っても余裕の、大きな浴槽があった。
乳母のマリアがすでにお湯を準備していてくれて、ほわほわと湯気が立っている。

まず服を脱いだ俺たちは、それぞれが小さな椅子に座り、体を洗い始めた。

「二人とも、ちゃんと体洗えよ」
「「はあい」」

石鹸を泡立てて体をこすっていると、しばらくしてある事に気が付いた。

「シグ兄ちゃん、背中届かないから洗って」
「おし。じゃああっち向いて」

ごしごし洗ってもらっている俺を、隣で泡まみれになったクレッドが、じとっとした目で見ていた。

「お兄ちゃんボクも。はい」

くるっと後ろを向けて、背中を頼んできた。
有無を言わさぬお願いに、俺はふふ、と笑いをこぼしながら、一緒に洗ってあげた。

「はい、クレッド。出来たよ」
「頭もあらって、お兄ちゃん」
「ええ? しょうがないなあ」

やけにワガママな弟の頭をわしゃわしゃと洗ってあげる。
すると今度は後ろにいたシグリットが、二人の間に入ってきた。

「え、いいなあ。ていうか俺の背中は誰が洗ってくれるんだよ。じゃあクレッドお願い」
「……ボク?」
「なに、嫌なの? じゃあセラウェに頼もっかなぁ」
「いやじゃないもん、ボクが洗う!」

クレッドは焦ったように急に立ち上がり、一生懸命兄の背中を洗い出した。
まだ頭に泡がのったままの弟の姿が、なんだか可愛く思えた。


三人で湯につかり、お湯がざばあっと溢れだす。

「あー……気持ちいい。やっぱ汗流した後は、風呂だなぁ」
「ねえねえシグ兄ちゃん、後で何して遊ぶ? 僕はねえーー」

目を閉じて湯船を堪能する兄に向かって、俺は身を乗り出し、しつこく話しかけていた。
この頃の自分は、兄に構ってほしい故に、わりと積極的な行動を見せていた。

しかしそこで、予期せぬことが起きた。
浴室の扉の外から、大きな足音がドタドタと響いてきたのだ。
音の主が、勢いよくドアをがらっと開け放つ。

「うわわあぁっ」

俺は一人びっくりして悲鳴を上げた。
そこにはガッシリとした体躯をもつ、俺たちの一番上の兄アルベールが立っていた。

「あれ、なにお前ら三人仲良く風呂入ってんの。ずるくねえ?」

シグリットの二つ年上の、十七歳の長男がにやりと笑い、見下ろしてくる。
兄弟で唯一の短い茶髪頭で、当時から気のいい兄さんといった感じの風貌だったが、行動が読めないところが多々あった。

「ちょっ、兄貴、勝手に開けんなよ! 早く閉めろって!」

呆然とする俺とクレッドとは違い、兄はなぜか大声を出して慌てていた。

「はあ? なんでだよ。俺も入ろうっと。おいお前らちょっと詰めて」

アルベールは素早く着ていたシャツとズボンを脱ぎ去り、素っ裸になると風呂場に入ってきた。
シグリットよりも腕や足が逞しく、遥かに勇ましい体つきをした男の姿を前に、子供だった俺は若干怯えていた。

長男が体をさっと流し浴槽に入ってくると、シグリットが悲鳴をあげた。

「うわっ狭い、ふざけんなよ兄貴ッ」
「いいじゃねえか、文句言うな。まだ余裕あるだろ」

いくら広い浴槽といえども、二人の男と子供二人がぎゅうぎゅう詰めになってしまった。
アルベールはすぐ下の弟を押しのけ、俺とクレッドに笑顔を向けた。

「久しぶりだなあ、セラウェ、クレッド。元気にしてたか?」
「う、うん。こんにちは。アルお兄ちゃん」

おずおずと返事をする俺の顔を、ぐいっと不思議そうに覗き込んでくる。

「おいおい、なんだその堅い挨拶は。もっとこっち来いよ、セラウェ。お兄ちゃんが抱っこしてやるぞ?」

長男の威厳を振りかざし迫ってくる兄に、「わああっ」と俺は叫び声をあげた。

俺が五歳の時に、アルベールは遠い地にある騎士学校で寮生活をするため、家を出ていた。
それ以来こうして時折実家に姿を現すのだが、俺にとっては身近な兄というよりも、大きな体をしたちょっと強引な大人というイメージだったのだ。

「おい止めろよ兄貴、セラウェが怖がってるだろ? ほら大丈夫だぞー、無視していいから」
「あ? ひでえお前、何だよ、こいつらといつも一緒にいれるからって余裕じゃねえか」

二人の兄がしゃべりながらも、アルベールの長い腕はかまわず俺のほうに伸びてきた。

「だめえっ! お兄ちゃんはボクのっ」

すると端っこにいたクレッドが立ち上がり、またしても俺とシグリットの間に入り込んできた。
前とは違い、弟に助けられ、ちょっとほっとする。

「はは、仲良いなぁお前ら。やっぱ可愛い。じゃあクレッドから抱っこしていい?」

アルベールは全く気にする様子がなく、今度は軽い弟を持ち上げようとした。
力の強い長男により、水からざばっと浮き上がるクレッドが足をバタつかせる。

「やだやだぁ!」

三人でベッドにいた時と完全に似たようなシチュエーションだったが、自分の身代わりとなった弟がかわいそうに思えた。

「あっ、クレッドちょっと顔が赤いよ。のぼせちゃったら大変。もう出よっか」
「……え? うん、ボクもう出るっ」

全然元気な様子の弟が、無理やりアルベールの手から着地し、急いで浴槽をまたがる。
俺もそそくさと後に続いた。

「え、ちょっと、お前ら冷たくない? 久しぶりの再会なのに……そっか、照れちゃってんのか?」

振り返ると、にこっと明るく話すアルベールの横で、シグリットがなぜか真っ青な顔で俺とクレッドを見ていた。

「ま、待てよお前たち、俺も出るから……っ」
「待つのはお前だろ。もうちょっと付き合えよ、シグリット」
「やだよ! なんで俺が兄貴と二人で風呂入んなきゃいけねえんだよッ」
「昔はよく二人で入っただろ? 照れんなよ」

アルベールが逃げようとするシグリットの肩を、がしっと掴んで引き戻した。
完全に焦り顔で怯える兄の顔は、珍しかった。
いつもは頼れる大きな存在の兄も、長男の前では俺たちと同じように、か弱い一人の弟になるのだった。

「じゃあ僕たち先に上がってるね。ゆっくり入ってていいよ」
「じゃあね、おいちゃんたち」

ぐちぐちと喋っている二人を横目に、俺とクレッドはやっと自由を得た。
脱衣所で二人、すっかり温まった体を、タオルで拭きながら落ち着く。

けれどやっぱり、もうちょっと兄を独り占めしたかったと残念に思った。

「はあ。クレッド、今日は二人で遊ぼっか」

ぽつりと呟くと、一生懸命服を着てる途中だった弟がぴたりと止まった。
俺に向けた表情をぱあっと輝かせ、腕にぎゅっと掴まってくる。

「うん、お兄ちゃんと遊ぶっ!」

その笑顔は、今日一番の弟の嬉しそうな顔だった。
なんだか自分を見ているみたいでちょっと恥ずかしくなる。
けれどちょっぴり沈んだ俺の心も、体と同じく、またポカポカと温かくなった気がした。



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