ハイデル兄弟 | ナノ


▼ 14 着せ合いっこ (回想1)

ある日の午後。
俺は、弟の部屋に備え付けられた浴室で、風呂掃除をしていた。
水魔法で手のひらから水流を噴出させ、洗剤とスポンジを使ってごしごしと磨く。

「……ぶっ、うわあぁッ!」

同時進行がいけなかったのか、水圧が強すぎて顔面から水をかぶってしまった。
Tシャツと半ズボンがびちゃびちゃだ。

「あーぁ、どうしよう。あっそうだ。クレッドに服借りよう」

普段からドジな俺は諦めも早い。
そのまま脱衣所に出て、服を脱ぎながら弟を呼ぶことにした。

「おい、クレッド! ちょっと来て!」
「ーーなに兄貴? どうした?」

リビングで一人過ごしていたはずの弟が、ものの五秒で現れた。
えっ。
早すぎだろ。待機してたのか?

俺の悲惨なずぶ濡れを見た弟は、「うわっ」と叫んで目を丸くした。

「ちょっ、何やってんだ兄貴。風邪引くぞ、早く全部脱いで。……あ、そのまま一緒に風呂で温まったほうがいいかな?」
「いや風呂はいいから。なんかお前の服貸してくんない?」

渾身の提案を却下されたクレッドが、悔しそうに黙り込む。
しばらく不気味に考えた後、「分かったちょっと待ってて」と早口で言い、サッと姿を消した。

「はい。これ俺の服」

なぜか上機嫌な弟は、俺に服を手渡さず、自ら着替えさせてきた。
俺は子供じゃないし一人で出来るんだが?

内心文句を垂れながらも、いつものことだと諦め、あっという間に弟の大きなTシャツを着用した。

「あれ? パンツどこ?」
「俺のズボンだと兄貴にはサイズがでかいと思う。それだけでいいんじゃないか?」

至極真面目な顔で頷かれ、開いた口が塞がらなくなる。
これたけでいいだと。
こいつは馬鹿か? 変態か?
いや両方だろう。

「いい訳ねえだろッ。丈短か過ぎで足寒いし! デカくていいから持ってこいよッ」

思わずブチ切れる。
俺の剣幕に押された弟は、渋々言うことを聞いてくれた。

無事に弟の服を上下着込み(なぜか半ズボン)、二人で温かい飲み物を飲みながらソファでくつろぐ。
でもさっきから弟の視線が、ちらちらと俺の体に注がれている気がする。

「おい。何見てんだよ?」
「だって兄貴が俺の服着てる……かわいい」

うっとりと感慨深げな様子で俺を見つめている。
急に訳のわからぬ恥ずかしさが募り、顔が熱くなるのを感じた。

「もっとそういうのしよう。いつでも貸してあげるから」

興奮と愛情が入り混じったような表情で、優しく俺を抱き寄せる弟。
ほほにちゅっとキスをされ、そのまま口にもされる。

「ん、んん」

腕の中で気持ちよさにぼうっとなるがーーこいつやっぱ変態だろ。

頭の中で突っ込みながら、ある事を思い出した。
そう。小さい頃のクレッドだ。

「俺がお前の服着てるの、なんか変な感じ。……なぁ、たぶんクレッドは覚えてないと思うけどさ。昔はお前が俺の服、よく着てたんだぞ」
「えっ?」

突然振られた話題に、弟は予想通りびっくりした顔をしている。
にやりと笑う俺にある考えが閃いた。

「そういや実家帰ったとき、お前もっと小さい時の話聞きたいって言ってたよな。じゃあ教えてやる。すげえ可愛い、四歳ぐらいのときのクレッドの話」

当時は俺もまだ七歳だった為、記憶はおぼろげだ。
けれどその中でも、何故かはっきりと覚えている出来事がいくつかある。

「聞きたい?」
「……うん。聞きたい」

若干恥ずかしそうな顔をする弟に、俺はつらつらと語り始めた。






庭園つきの広い敷地内に建てられた屋敷で、当時俺は両親と乳母のマリアと世話役のヴィレ、そして八つ上の兄シグリットと暮らしていた。

俺はその年に普通学校に通い始め、午後に帰宅してからは、よく幼馴染や他の友達と遊んでいた。
俺がまだべったりだった兄は騎士学校に通い、いつも帰りが遅かった。

夕方近くになった頃、寂しさを募らせながら、三歳下のまだ小さなクレッドと手を繋いで廊下を歩いていた。

「シグ兄ちゃん、今日も遅いんだって。騎士になるのって、大変だね。クレッド」
「……きしって何?」
「お父さんの仕事だよ。いつも剣もって、ガチャガチャやってるでしょ。すごい疲れるんだよ」

弟はまだ四歳になったばかりで、ハイデル家の男たちが皆、将来騎士を目指すことを理解してなかった。
俺は段々分かってはいたけれど、去年から本格的に始まった剣の稽古が苦手で、すでに乗り気じゃなかった。

「お兄ちゃんも、きしになるの?」

ぴたりと足を止めたクレッドが、丸い蒼目を大きく開けて、尋ねてきた。
俺はぽんと頭に手を置いて撫でた。

「うん。たぶんね」
「じゃあ、ボクもなるっ」

若干考えがちに言った俺とは反対に、弟はぱぁっと嬉しそうな顔で断言した。
まだ物覚えがついてない当時から、弟の意志は強かった。

クレッドは、俺が兄にべったりとくっついていた以上に、俺の周りをいつもうろちょろしていた。
ご飯を食べる時も隣。
皆で母が作ったケーキとお茶を楽しむ時も、すぐ隣。
お風呂に入るときも寝るときも、俺の後をついてきた。

「ねえお母さん。クレッドって、僕のひよこみたい」

台所で、マリアとともに夕食の準備をする母に伝える。
後ろにぴったりついて、服の裾を握っている弟をちらっと見た。
俺と同じ黒髪緑目の優しい雰囲気の母は、ふふ、と笑いをこぼした。

「ほんとね。髪も金色だから、そっくり」

そういう事じゃないんだけど。
当時からほわっととぼけた感じの母だった。
会話を聞いていたクレッドは不思議そうな顔で、俺と母の顔を交互に見た。

「お兄ちゃん、ひよこ好き?」
「え? うん。好きだよ。とことこ歩いて、可愛いから」

微笑みながら言うと、弟は俺以上の満面の笑みを浮かべた。
考えてみると、この頃から俺は弟に異様に好かれていた。

長男はすでに寮生活をするため家を出ていたし、大人たちはいつも忙しい。
父は騎士団で重役を担い、母は家のことや育児、騎士の夫を支えるため外との社交に務める。
小さかった俺と弟は、自然と家ではいつも一緒だった。


夜になると、クレッドはよく駄々をこねた。

「やだ、お兄ちゃんと一緒にねる!」
「もう。でも毎日セラウェと一緒に寝てたら、あなた一人で寝れなくなっちゃうわよ?」
「いいもん、ひとりで寝たくないもん!」

普段は大人しめの弟が、ここぞとばかりに大きな声を張り上げて、母に歯向かっている。
俺の子供部屋で、寝間着に着替えた俺の腰にへばりつき、四歳児の力なのに、痛いぐらいだった。

「クレッド。昨日も僕と一緒に寝たでしょ? また明日にしよう?」
「やだっ」

決して譲らない弟に、母が苦笑する。
騎士たるもの早いうちの自立を促すのは、どちらかと言うと、厳格な父の方針だった。

「しょうがないわね。じゃあ明日は自分の部屋で寝るのよ。分かった?」
「……うん、わかった。お母さん!」

ずっとムッとしていた弟の顔が、途端に明るくなる。
べったりとくっつかれて眠るのはちょっと寝苦しいけれど、弟になつかれていた事は素直に嬉しかった。

その夜は二人で仲良くベッドに入った。
けれど問題は次の日また起こった。

「やだ、今日もお兄ちゃんと一緒にねる!」

完全に昨日と同じシーンだ。
正直に言うと、俺たちの家では、毎日同じ攻防が繰り広げられていた。

「クレッド? あなた昨日の約束もう忘れたの。わがまま言ってると、お母さん怒るわよ?」

柔和な母が珍しく厳しめに言う。
弟は負けじといつものように駄々をこねた。頑固な気質は本当に昔から変わってなかった。
けれど段々自分の状況が不利なことに気が付いたのか、大きな蒼目にうっすらと涙が溜まってきた。

「うぅ……寝るんだもん……」

かわいそうになった俺は、頭を優しく撫でた。

「クレッド。そんなに一人で寝るの寂しいの?」
「……うん。さみしい」
「じゃあ僕の服あげるから。それと一緒に寝てみて」

俺の突然の提案に、母と弟は目を丸くした。
実は俺は、この事はずっと内緒にしていたが、兄のシグリットがいなくて寂しかったとき、兄の服を見つけて大事にぎゅっと抱えていたことがある。

今思えばちょっとやばい行動かもしれないが、その時は親しみのある匂いに安心したのだ。

俺は部屋の棚から他の寝間着の上を取り出し、クレッドに手渡した。

「はい。これ貸してあげるよ。一緒に寝たら寂しくないよ」

安心させるように言う。
でもクレッドは俺の意に反して、また涙がウルっとこぼれそうになった。

慌てた俺は、自分の大きい服を弟の寝間着の上からかぶせ、ぎゅっと抱きしめた。

「ほら、これで大丈夫だよ。今日はこれで頑張ってみて、クレッド。また明日僕の部屋で寝よう?」

弟はぐすぐす泣いていたが、こくっと頭を頷け、納得してくれたみたいだった。
母も俺達の頭をぽんぽんと触り、二人の取り決めを認めてくれた。

「おやすみ、クレッド。よく寝てね」
「……おやすみ。お兄ちゃん」

クレッドは、とぼとぼと歩き、母と共に向かいの子供部屋に戻った。

その夜、部屋を暗くして一人で眠ったことを、今でも覚えている。
小さな温もりがなくなって、兄である自分もちょっと寂しくなったのは、秘密のことだった。



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