▼ 118 またあの男
旅行から帰ってきて数日後。師匠の言いつけ通り、俺と弟は森の中にある木造の大きな一軒家の前にいた。
師匠の家に来るのは久しぶりだ。クレッドだって、俺が奴に誘拐されたのを救出した時以来だろう。
「兄貴、俺がいるから大丈夫だよ。さっさと入って終わらせよう」
「う、うん。そうしようクレッド」
ぴりっとした空気を纏いながらも笑みを浮かべる弟に、ひきつった顔で頷く俺。
この魔王の巣窟に足を踏み入れて無事に帰れるかどうかは、マジで神のみぞ知るところだぞーー
手短に祈りを捧げ扉に手をかけようとした時だった。
「よお。よく来たな、お前ら。待ってたんだよ。さあ中に入れ」
扉を全部覆うほどの巨体が現れ、獅子のたてがみを思わす金髪と、無駄に整った男らしい顔立ちを前に心身が震える。
一応いつもと違い余所行きの服を着てきた俺たちだったが、師匠も珍しく黒シャツなんか着ておしゃれに見える。
なんなんだ、怪しい。彼女でも出来たか?
「ええと…お邪魔します。今日はわざわざ呼び出しておいて何の用だよ師匠? 一応お土産は持ってきたけどさぁ。まさか変なこと企んでないよな」
テンパった俺は緊張に耐えられず、まくし立ててしまった。
険しい顔で腕を握ってきたクレッドに一瞬焦るが、頭上から師匠の笑い声が降りかかる。
「ハッ! 緊張すんなよセラウェ、今さら俺とお前の仲でよ。旅行帰りで疲れてるお前らを労ってやろうという俺様の親心を、無下にすんのか? あ?」
不気味な笑顔を向けられるが、旅行より今の状況のほうが疲れるんだが。
「ところで聖騎士。お前今日は自慢の長剣をぶら下げてねえんだな。俺の家に丸腰で入るとは、いい度胸してんじゃねえか」
……ほら来たっ。
さっそくぎろりと人を小馬鹿にした視線で俺の弟に絡み始めている。
頼むクレッド、奴の喧嘩に乗るなよ、今日のところはーー。俺は一心にそう願っていた。
「ああ。今のお前の言葉が事実なら、武装は必要ないだろう。俺と兄貴は知人からただ歓待の招待を受けただけだからな。違うか?」
落ち着いた雰囲気で話す弟をぼうっと見てしまう。
そうだったのか。確かにこいつ普段のお出掛けの空気に近いよな。もしかして、大人になったのかな。
「知人だと、てめえ。俺はこいつの師匠かつ後見人だぞ。……ったく相変わらず口の減らねえガキだ」
ぶつぶつこぼしながらも師匠は俺たちを中に案内した。
ていうかいつ後見人になったんだよと思ったが、予想よりも二人が落ち着いていた為俺も突っ込むのは我慢した。
吹き抜けの木造家屋の中央に位置する居間を、通りすぎた。
あれ、いつもはここで喋ってるのにおかしいなと思いつつ、俺たちは後をついていく。
長い廊下を進み地下への階段を下りていき、たどり着いたのは、師匠の秘密の部屋ーーもとい特別な客を招くときに使用する、密室の客間だった。
防音つきの頑丈な扉を通された俺とクレッドは、促されて長いソファへと腰を下ろした。
窓もなく薄暗いバーのような照明に照らされ、辺りを見回す。高そうな暖炉に鎧の装飾、記号か暗号にしか見えない絵画などに囲まれ、そわそわしてくる。
師匠は真向かいの皮張りの椅子に背を預けた。
「おい、どうしちゃったんだよ師匠。なんで今日はこんなすごい部屋使うんだ? 俺でも二回ぐらいしか入ったことねえのに」
「ん? だから言ってんだろうが。俺なりの歓迎だとな。まず腹割って話すには、贅沢な環境が必要だろう。……ああ、そうだ。酒とツマミもいるな。ちょっと待ってろ」
「え!?」
大声で反応した俺を無視し、師匠は部屋を出て普通にどっかに行ってしまった。
弟子であるパシリの俺に命令しないのか? やれ飯を作れだのコレを出せだのといつもはしつこいのに……
二人きりになったのを確認し、すぐにクレッドに向きなおる。
「おい、やべえぞ。今すぐ逃げよう。なんかここ怪しすぎる」
「……えっ。落ち着いて兄貴。大丈夫だよ、たぶん」
対してクレッドは取り乱したりもせず、優しく俺をなだめてきた。
どういうことだ?
弟は分からないのか、この奇妙さが。
だが注意深く観察すると、クレッドの蒼い瞳はどこかをまっすぐ見据え、何やら内に秘めた闘争心のようなものが燃え上がってる様にも見えた。
もしかしてこの二人、水面下で戦っているのか…?
例えば先に切れたほうが負けとか。そういう男のプライドをかけた戦いの最中なのか。
「若造。お前は嫌いなもん何もねえよなあ? あったとしても一切気を使う気はないが」
「……いや、何もない。何でも食えるぞ。ちなみに兄貴は豆が苦手だ。大きいやつな」
「ああ、んなことは知ってるわ。何年同居してたと思ってんだよ俺たち。なあセラウェ」
嫌味ったらしいおっさんが俺ににやりと笑いかける。
やっぱくだらない事でちくちくいたぶってきたか、と思ったが弟はこめかみに血管をやや浮き上がらせただけで我慢していた。
しかし、驚きだ。
師匠は前に俺が里帰りした時と同じ感じで、美味そうな蒸留酒やら軽食を用意してきた。
しかも味も結構うまい。不自然にナザレスの姿が見えないが、あいつに作らせたのだろうか。
それに様子を見ていると、師匠と弟もなんだかんだで初めて普通の会話をしているように見える。
もしかして、本当に師匠のやつ、何の目論見も持ってないのかーー。
「おい若造。これ、吸ってみるか? エブラルの呪いを解いたときあったろ、あん時に部族の生き残りからお裾分けしてもらった葉巻なんだ。いい仕事してんだろ、ほら。お前に分かるかわかんねえけどよ」
「……師匠、それただ貰ったんじゃないだろ、絶対ぶん取ったんだろ」
「うるせえな。どっちも同じだろうが」
犯罪者紛いの師には相変わらず辟易とするが、どうやらこの男は俺の弟に本気で勧めてるらしい。
俺は弟が煙草を吸っているところなんて見たことないし、断るだろうと思っていた。
「そうか、じゃあ一本貰おう。味の違いぐらいは俺にも分かる」
そう言って受けとるのを見て、俺は目をひんむかせた。
「え! いや無理すんなよ、お前吸えないだろ?」
「いや、普段は吸わないけど吸うことは出来るよ。勧められた時だけだけどな」
クレッドは師匠から火をもらい、葉巻を吸うと自然に煙を吐き出した。
誰が見ても様になっていると思うだろうが、そのやけに大人びた姿を見た俺は、少なからずショックを受けた。
そんなこと、俺に一言も言わなかったじゃねえか……弟の知らない一面がまだあるんだ……。
「う、旨いのかよクレッド」
「うん? ああ、確かに……味は違うな」
「じゃ、じゃあ俺も吸ってみるか。師匠一本くれよ」
「「駄目だ」」
……はっ?
何気なく言った言葉に、二人の男から即座に禁止をされた。
意味が分からない。俺もいい年した男だしそもそも人の許可なんていらないんだが?
「なんで俺だけ駄目なんだよ! お前らおかしいぞ、ていうかずるい! 早くよこせ!」
「暴れんなセラウェ。お前一本も吸えねえだろうが。昔顔真っ赤にして咳き込んでたの覚えてんぞ」
「え? そんなことがあったのか、兄貴。不良だな。駄目だよ」
二人に一気に責められ、口をぱくぱくさせてしまう。
おいいつから徒党を組んだんだ? ふざけんなよ仲悪いくせに。
地団駄を踏みながら諦めた俺は酒を探した。
低いテーブルの上に、師匠のそばに置いてある高級そうな瓶。ガラス細工の美しさが気になり、手に取ろうとする。
だがその前にさっと師匠の大きな手に奪われた。
「なにすんだよ師匠っ、それも駄目なのか? 本当に俺今日あんたに歓迎されてんのか?」
「これはお前にはちと強い。どうだ聖騎士、試してみないか」
また俺を素通りされ弟に振る舞っている。怪しいぞこのおっさん……悔しく思ったものの、師匠はクレッドのグラスに酒を注いだ。
なんだこの二人、本気で雪解け間近なのかよ。なんか気持ちわりい。
「そんな子供みたいに拗ねるな、セラウェ。さあ魔界の話を聞かせろよ。どうせお前のことだ、ビビってばっかだったろうが……楽しかったか?」
急に親みたいな優しげな顔つきで尋ねられ、唖然とする。
……だがちょっと待てよ。俺この男に、魔界に行ったってまだ教えてないよな?
「な、なななんで知ってんだあんた。まさか覗き見してたのか…!?」
「んな姑息な真似するか。エブラルと会った時にな、あのアルメアとかいうガキが現れたんだよ。お前らに一族の紋章と加護を授けてやったとか、自慢げに喋ってたぞ」
あ、あの野郎。余計なこと教えやがって。
帰宅した日アルメアに迎えにきてもらったのだが、お土産を無事に渡し礼は言っといたものの、師匠に会ったなんてことは言ってなかったぞ。
「まあ魔界は楽しかったよ。クルーズ船に守られてたから危険な目には合わなかったしさ。弟が全部考えてくれたからすげえ思い出になったし。……そ、それでさ師匠。あんたも魔界に行ったことあんのか?」
俺達のラブラブな思い出を詳しく話したところで怒りを買うだけだと思い、さりげなく気になっていたことを探ろうとした。
師匠は天才の妖術師だし、長年師事した俺もたいていのことは知っていたつもりだったのだが、元々この人は俺以上の秘密主義者なのだ。今さら何を言われても覚悟は出来ていた。
「ああ、あるぜ。仕事でな。まああんなとこは一生に何度も行くべき所じゃねえ。瘴気もそうだが、あらゆる面で人間には毒だ。お前もある意味ラッキーだったな、最初で最後だろ。んな経験は」
真剣な師の顔で語られ、確かに俺は友人の魔術師によって忘れがたい経験を得たのだと実感する。
「あれ、そういやアルメアってさ。あいつ何なの? なあクレッド、あの紋章のお陰ですごい特別扱い受けたよな、俺たち」
隣で静かに飲んでいた弟に興奮気味に話しかけると、奴はグラスを片手にまっすぐ前を見ていた。
「ああ……そうだな。すごかった……ほんとに」
言葉少ない弟を不思議に思いながら師匠を見ると、なぜか奴は口元に薄い笑みを浮かべていた。
「あのガキか。お前まだ分かんねえのか? あいつは半魔族の吸血鬼だよ。お前らの呪いの儀式を行う前、怪しいと踏んだ俺が下調べをしたんだから、間違いない」
顎に手を当て自信たっぷりに述べた男に、開いた口が塞がらない。
半魔族……まではなんとなく予感はしたが、きゅ、吸血鬼ってなんだよ。
「え、あいつ血すすってんの? 裏ではそんな血みどろな奴だったの?」
「ばあか。血の匂いはもうしてねえだろ、元だよ元。簡単に言えば訳あって地上へ降りてきた吸血族の末裔だ。一族でも奴らの世代はひっそりと隠れて生活してるようだが……中にはタルヤのように魔族の血が抑えられない奴もいるってわけだな」
ひ、ひえっ。
大変な事実を知って震えてくる。どうしよう、俺さんざんあいつのことチビとかガキとか執事のことも弄っちゃったよ。身の程知らずもいいとこだったな。
「そっか……でもだから、俺あの吸血城で、吸血王に人間の花嫁って間違えられたのかな。この紋章のせいだったのかよ……ふざけんなよ」
「ハハッ! なんだそれ、マジかよお前。よく生きて帰ってこれたな。奇跡だわ」
爆笑する師匠に俺は思わず「うっせー! 弟がいたからなぁ!」と逆切れをしたのだった。
「クレッド。まあアルメアのことはびっくりしたけどさ、別に今までと変わんねえよな。そもそも人間でも師匠とか騎士団とかおかしい奴等はいっぱいいるし」
まとめようとした俺は、隣の弟に話しかける。
正直言って、なんとなくずっと黙っている弟が気にかかっていた。
しかしーー馬鹿な俺が気づかないところで、今まさに、大変な事態が起ころうとしていた。
「…………」
クレッドはぼうっとしたまま虚ろな瞳で、俺の問いかけに答えない。
一方上機嫌に笑う師匠は、弟のグラスに酒を注ぎ続ける。
「おい、クレッド? どうした? 具合悪いのか」
「ちげえよセラウェ。俺の酒が旨くて感動してるんだろう。ほらもっと飲め若造」
親父の飲みハラに対しても弟は何も言わず、また機械的にぐびっと酒をあおる。
おかしい。いつもと様子が違う。
焦りが湧いてきた俺は、師匠から高級酒を奪い、ラベルを凝視した。
するとなんと、そこには目が飛び出るぐらいの度数が記されていた。
「おっ、おいおいおい! これ90℃超えてんじゃねえかよ! ざけんな師匠! こんな危険なもん俺の弟に与えやがって!!」
「ピーピー喚くな。わざわざ俺が聞き取り調査してこいつでも屈しそうな強い酒を入手したんだ。人はなぁ、酒飲むと本性が出るんだよ。今日はこいつのヤバイ側面を暴き出してやる。……これが俺の歓迎の仕方だ、おら分かったかセラウェ!」
がしりと太い腕を組んだ師匠が、ものすごく悪い顔で言い放った。
やっぱり、そういう下らないことを企んでいたのか。許せねえっ!
怒りで俺まで沸騰しそうになるが、クレッドどうすりゃいいんだ。まさかもっと変なことにならないよな?
心配した俺は、大事な弟にぎゅっと寄り添った。
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