愛すべきもの | ナノ


▼ 7 公園

翌日、クローデはそれほど遅くない夜に帰ってきた。しかし荷物はまだ車に積んだままらしく、革服からカジュアルな私服に着替えながら、僕にこう言った。

「オルヴィ。出かけるぞ」
「……えっ? どこにっ?」
「森だ。お前も暖かい格好をしておけよ。冷えるからな」

僕の獣耳を覆うニット帽を被され、着る機会はないかも…と思っていた冬用のコートで体をくるまれた。その後、僕は彼に案内されるがまま、寮のアパートの裏口のはしごを使い、外の駐車場へと抜け出したのだった。

クローデが運転する車に乗り、体をすくめて窓の外を眺める。街灯以外真っ暗で、森の中の道路を走っていく。

「どうした、外だぞ。……怖かったか、大丈夫か」
「ううん。大丈夫。でも、何するの…?」

隣の彼は僕をちらりと見て、「たまにはお前も外を走り回りたいだろうと思ってな」と言った。その時僕は、心の底からほっとした。
もしかしたら、このまま捨てられるんじゃないかと怯えてたのだ。

「なんだぁ。よかったぁ。……クローデ、優しいね。僕、うれしい!」

途端に安心しきった単純な僕は、一転してお喋りになり、窓の外を観察してはしゃいだ。すると穏やかに話をしてくれていた彼が、「昨日は悪かった」と気まずそうに切り出した。

僕はお酒のことだと思い、気にしないでと言った。でもあまり飲みすぎるのは心配だとも伝えた。

「ああ、……そうじゃなくてな。……いや、分かったよ。もうあんな風に飲まねえから」

彼は正面を向き、黒髪をさっと掻き上げる。また無言になってしまったクローデだったが、僕は昨日のキスのこと覚えてるのかなって、ちょっと気になっていた。
人間はお酒を飲むと酔っぱらい、時々あったことを忘れちゃうみたいだから。

数十分が過ぎ、僕らの車は草原にたどり着いた。周辺を囲むように木々があり、草むらも点在している。
クローデはここを森林公園の一部だといい、静かで人が来ないから安全だと言った。
僕は彼からとっておきの素敵な場所を教えてもらったようで、嬉しくて気分が高陽する。

「クローデ、走ってもいい?」
「ああ。いいぞ。あまり遠くには行くなよ」

彼は荷物を下ろし、薪を集めて火を起こし始めた。なんと今日はここで夕食を食べるらしい。初めてのことだらけで僕はわくわくが止まらなかった。

上着を脱いで駆け出そうとした時、ふと立ち止まる。僕は考えたあげく、服を全部脱いだ。ぎょっとする彼を前に、獣の姿に変身する。そうして本能的に、本来のカエサゴに戻った。

「……! お前ーー」
「ごめんね、クローデ。僕、本当は戻れるんだ。でも、クローデと一緒にいるときは、人間の姿でいたかったんだ」

正直に話して、四つ足を揃えて人間みたいにぺこりと謝る。
すると彼は地面に膝をつき、僕の頭を触った。

「なんで謝る? お前の好きな姿でいろ、オルヴィ。……どっちでも、こうやって撫でてやるから」

優しい声が落ちてきて、はっと頭を上げた。彼は、僕のしてほしいことがもう分かってるんだ。二人で過ごした時間がよみがえり、嬉しさが募った。くすぐったい中で彼の膝元に寄り添い、存分に手の温もりを感じた。

「僕、行ってくるね!」
「ああ、気をつけろよ」

ふっと笑うクローデから、そうして元気いっぱいに走り出す。まるで朝と反対みたい。でも、自然を感じて草原を駆け抜け、どこか懐かしい木々の匂いに包まれることを全身が喜んでいた。

「はあっ、はあっ、はあっ」

前より少し成長したカエサゴの体で、草原の端から端まで疾走する。探索の途中立ち止まり、獣の習性で食べれるものも探した。木の実は好きだけど、虫は好みじゃない。
選びながら進んでいると、真っ暗な夜の草原をなにか小さいものが横切った。

僕は目が良くてそこに向かってダッシュする。本能が、それを捕らえようとしていた。遠くで火を起こしているクローデに、獲物を捕まえて渡したい。

そんな思いで必死に走り、動き回ってそいつを捕まえた。
それは、大きいねずみだった。僕の牙が命中したことで、絶命していた。

「…………」

僕は我に返り、草の上に横たえる。しばらく鼻を寄せながら留まっていると、クローデの匂いが近づいてきた。僕は思わず身構える。

「どうした、オルヴィ。探索はもう終わりか?」

捕ったものを見られてしまい、僕は動揺した。自然と目の中がじわりと潤んでくる。

「……僕、狩っちゃったんだ。どうしよう、クローデ。……このねずみ、生きてたのに、僕のせいで……」

話してるうちにぼたぼたと涙が落ちていく。身勝手にも強い後悔が襲い、気持ちがぐちゃぐちゃになった。

「おい、大丈夫だ。泣くな、オルヴィ。狩りは自然なことだ。お前はカエサゴなんだから。獣はそうやって生きているんだよ」

彼は優しい声で僕の体を引き寄せた。まるで子供にやるように、持ち上げて地面に座った自分の膝の上に乗せる。しかし僕はうまく反応できなかった。
動物が狩りをして肉を食らうのは知っている。人間だって肉や魚を食す。

「でも、僕が殺さなければ生きていたのに。……どうしてカエサゴだけ人間に守られるの…?」

森に暮らす動物は大きさこそ違っても、みんな等しい命なのだ。それなのに、僕はクローデに助けられて安全に生きている。両親は人間に殺されたのに。
よく分からなくなってしまった。

「僕は、この子を勝手に殺したんだ。何が違うんだろう? 同じことをしておいてーー」
「同じじゃねえ。生きるために命をもらうのと、私利私欲でカエサゴを襲うことはまるで違うことなんだ、オルヴィ。だから、そんな風に考えるな」

クローデは僕を抱いたまま眉をよせ、苦い顔つきになる。
やがて立ち上がり、僕と死骸を持って焚き火の近くへと戻っていった。

僕は居たたまれなくなって人間の姿に戻った。落ち込んで丸太の上に座っていると、薪をくべる彼がとんでもないことを言い始めた。

「食うぞ。お前が初めて獲った獲物だ。俺は祝いたい」
「な、なに言ってるんだよ。かわいそうなことしたんだよ」
「食わないで無駄に殺すのなら、それが可哀想なことだ。分かるな?」

低い声でハンターの時の厳しい表情で告げられた。すると僕は……頷くしかなくなった。彼の言うとおりなのかもしれない。

その後、ナイフで器用にさばいてくれた彼の姿を見て、正直僕はショックを受けたが目をそらさなかった。自分がしたことだし、ようやく徐々に本当の意味で僕はカエサゴという獣なのだと理解した。

「ねずみ、食べれるの?」
「食えるよ。昔森にいたとき、何でも食った。俺はきっとお前より獣に近いだろうな」

ははっと笑うクローデは確かに、自然の中で作業しているときのほうが生き生きして見えた。疲れた様子の家の中とは違う。

「お前に言ってなかったが、俺は動物保護に携わる前、ただの狩猟者だったんだ。精肉屋と契約して、一人で山にこもり、依頼通りなんでも獲った。そういう意味では、俺ほど悪い人間もいないだろう」

僕に暖かい飲み物を渡して、クローデが語り始める。あまり自分のことや過去のことを話さない彼の話に、僕は真剣に耳を傾けていた。

「そうだったんだ……じゃあどうして、今のハンターになったの?」
「……それはな。毎日動物を殺して、知らない人間をたらふく食わせて、何の意味があるんだと思ったからだよ。俺はガキの頃、常に食い物に飢えていた。稼げるようになったら、全部食欲を満たすのに使おうと思っていたほどだ。……だが実際に金を手にしてやってみると、馬鹿馬鹿しくなってな。食料も金も、生きていくのに足りる分だけで十分なんだと。だから無駄なことは止めて、違うことを探した」

そう話す彼だったが、どこか自分のしてきたことを後悔しているようだった。
僕は獣だし狩る側の立場だけど、今日の出来事であれだけ動揺したのだ。きっと彼は仕事で動物の命を奪うことに、嫌気が差していたのだろうと想像できた。

「でも、それも人間が生きていくためなんでしょう?」
「……そうだが、どう生きてくかは自分で選べるもんだ。こんな俺みたいな奴でもな。まあ、所詮は金のためで大層なことは言えねえが」

自分に対して薄く笑みを浮かべる彼に、僕はつい反論したくなった。

「お金のためだけだったら、僕はとっくにクローデと一緒じゃなかったよ。僕がここにいられるのは、クローデが優しかったからだよ」

居てもたってもいられず、彼の隣に移動して抱きつく。火を焚いた煙の匂いがついている服。すでに慣れ親しんだ温もりが、やっぱり一番安心すると思った。

「お前を励まそうとしたんだがな。俺が励まされてるじゃねえか」

僕がくっついていると、彼はにやりと笑った。そのまま真上から顔を覗きこまれて、はっきり重なるキスをされた。僕の体は一気に燃え盛ってしまうようで、目を開けたまま動けなかった。

「ありがとな、オルヴィ。……お前も元気が出たか?」

優しい声音がまた降ってくる。僕は彼がどんな顔をしてるんだろうと見上げた。そこには穏やかな、でも少し照れくさそうな大人の表情があった。

「……クローデは、忘れてるようで、ちゃんと覚えててくれるから好き」

太い腕に巻きつき、なんだか恥ずかしくなって伝えた。すると彼は「なんだよそれ」と嬉しそうに笑っていた。



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