愛すべきもの | ナノ


▼ 27 彼のもとへ

一人で大型の獣を仕留められたら、クローデに会いに行こうと決めていた。カエサゴとして、一人前になった証だからだ。そしてその日はついにやって来た。
僕がジオと森での生活を初めてから、五ヶ月もの月日が経った頃だった。

「……やった……やったよ、クローデ……!」

血のしたたる牙。僕は完全に野生の雄として喜びを露にしたが、振り向いても彼の姿はない。
代わりに緑の葉を揺らす木々の影から現れたのは、ジオだ。

「素晴らしかったよ、オルヴィ。普通は一年かかるところを、君は半年でやってのけた。普段はのほほんとしているが、狩りの才能は目を見張るものがあるな」
「……へへ、そうかな。ありがとう、ジオ」

狩猟の師とも言える彼に褒められて、素直に嬉しく思う。
本当はこの姿をクローデにも見てもらいたかった。けれどきっと彼を求める強い気持ちが、僕を急いで成長させたのかもしれない。

始まりは最悪だったが、ジオに対する情も確かに生まれていた。
この期間、寝食を共にし、自分を傍らで支えてくれたのは確かに彼だったからだ。

だからこそ、秘めた決意は中々言い出せなかった。
不思議なものだ。最初はあれだけ、早くここを抜け出そうと焦燥していたのに。

「ジオ。そういえば、この辺は大きな山がいくつか連なってるよね」
「ああ。正確には三つだね。まだ上の方は雪解けしていない高山だ。……どうしたんだい? そんなことを聞いて」
「いや、別に」

獣姿の二人で外で食事を取っているときに、尋ねると不審がられた。しかし僕の探りはまだ続く。

もう春の暖かい陽気の中、川縁で水浴びをしているとき。
遠くを見つめながら彼に「僕の持久力はどのぐらいもつか」と疑問をぶつけてみた。

彼は真面目に「休みながらなら、一日中走っても大丈夫なぐらいスタミナはあるよ」と太鼓判を押してくれた。
僕は安心したが、寮のアパートからこの森までは確か四、五日かかったのだ。それに険しい雪山も越えた記憶がある。
まだまだこの程度じゃ無理なのだろうか……そう考え始めた夜のことだった。

巣穴から少し離れた場所で、獣人化して火を起こす。
焚き火を囲みひとり計画を練っていた。
すると短い銀髪で背の高い、褐色の男も姿を見せ、近くに腰を下ろす。

「オルヴィ。最近君は、外でも人型でいることが多いな」
「……えっ。そうかな」
「ああ。それに……今みたいに、ぼうっとしているのを見かけるよ」

彼はただ指摘しただけなのだが、穏やかな表情にはやや陰りがあった。鼓動が速まり、彼の目をはっきり見れなくなった。

「僕、あの……練習しておこうと思って」

言いづらかったが、それはクローデのためだった。少しずつ人化したときの感覚も増やしておこうと思ったのだ。
ジオはこちらを見て頷く。

「大丈夫。分かっているよ。君が出ていく準備をしていることは」
「……っ。ジオ……」
「私に気を使わなくてもいい。そもそも、君を連れ去ったのは私なんだ。君はいつでも出ていく権利がある。……こんなに長く引き留めてしまったのは私の責任だが」

彼のはかなげな微笑みが深く印象に残った。
話によると、僕がここ最近地形や体力などの質問ばかりして、とっくに気づかれていたらしい。

「あのね、僕の目標は一人前になって、ここを出ることだったけど……すぐには言えなかったんだ。ジオは僕を、強くしてくれた。最初は腹立たしい思いでいっぱいだったよ。でも、今はジオに感謝してる。僕のために色々してくれたこと……そばに、いてくれたこと」

言いながら心は苦しい。その間僕は、クローデのことを一人にしていたから。
でも、今彼に伝えたことは僕の本当の気持ちだった。

「オルヴィ。君を強くしたのは、君自身の力とクローデの存在だ。私のしたことは本来、許されるべきことではない。それでも……君と過ごせた時間は私にとって、とても幸せなものだったよ」

ジオは僕に向き直り、穏やかな表情を浮かべた。

「だからもう、君を解放してあげなければいけないね。……さて、では準備が整ったら、じきに出発しようか」
「……えっ? ジオも行くの?」
「もちろんさ。君は一人で帰れないだろう? それとも、来た道を覚えているのかい」

尋ねられ、僕は困って首を振る。あの時は精神的にもそんな余裕はなく、後から後悔したのだ。
出来れば彼に道のりを教えてもらえればと思っていたが。突然ジオはあっけらかんと、ある事を明かした。

「大丈夫。今の君の体力なら二日で着くだろう。それにあの時は、わざと遠回りして険しい道を行ったんだよ」
「……ええ!? どうしてそんなことしたんだよ、ひどいよっ」
「すまない。けれど私も必死だったんだ。君を逃がしたくなかった」

彼は大人らしく苦笑して謝った。僕はその周到さに愕然としたものの、当時の彼の強い気持ちを再び知ったのだった。
こういうわけで当初は一人で出発しようと決意していたのだが、ジオが自分が伴うのは当然の義務だとして、二人で行くことになった。



それから数日後。僕はとうとう森を抜け、僕の生まれた管轄区で、クローデがいるあの場所を目指した。
ジオが言ったように、かかった時間は約二日間。

僕は気持ちが急くあまり、長い休憩は取らずほぼずっと走り続けていた。
ついてきてくれた彼には簡単すぎる道のりだったようだが、山をひとつ越えた先に僕らの保護区域は存在した。

だが、ひとつ目の問題にぶち当たる。
境界線に、今まではなかった長い柵が立てられていたのだ。ジオが言うには、密猟者らへの対策強化らしいのだが。

僕とクローデが相対した奴らも大人数だったし、あの時以来動きが活発になっているようだった。
ここら一帯は、僕とジオがいた山を隔てた森よりもカエサゴの数が多く、敵の出入りも増す。

警戒しながら僕らは他の抜け道から森へ入った。獣達の行き来は問題がなさそうだ。

「ジオ。僕、寮のアパートに戻りたいんだ。クローデがいるかもしれない」
「ああ。そうしよう。だがまず、服が必要だな」

そう言って何か考えがあるのか、ジオは他の場所へと向かった。
森林の奥まった崖近くの、木箱や木材が置かれた物置のようなところに着く。

彼は獣人化して、なにやらごそごそと探していた。

「これを着るんだ、オルヴィ」
「わあ、どうしたのこれ。服とか靴があるよ」
「まあね。私は人の世界は好きじゃないんだが、長く生きていると必要に迫られることもあるのさ」

彼がどんな経験をしてきたのか分からないが、ジオも過去に人型になって行動することがあったようだ。
サイズはまったく合ってなかったけど、僕は彼の親切に甘えてそれらを着こんだ。
二人とも獣耳を帽子で隠し、後ろの大きな尻尾もコートの中に押し込んだ。

記憶を頼りに、森を抜けてしばらく歩いた場所にあるアパートを目指す。
そこは確かに残っていた。見慣れた駐車場、ハンターらの車を見て懐かしさに胸がつまる。

まだ日が落ちる前の午後だったから、人気はあまりなかった。僕はいつも抜け出すときに使っていた梯子で二階へ向かった。

そして寮の建物内に入り、僕らが以前住んでいた部屋のインターホンを、震える手で押した。
ジオも後ろで待機している。
だが誰も出てこず、反応がなかった。

胸騒ぎがして何回か押す。クローデは、やっぱり仕事中かな。
僕は外の森で暮らしていたから、今日が何曜日なのかも分からない。

「いないみたいだ……」
「いいや、待て、オルヴィ。人が来るぞ」

そう言ったジオを隣で見上げると、やがてどすどすとした足音とともに扉が無造作に開かれた。

「なんだよ。誰だあんた達」
「……えっ。あの、あなたは……? ここに、クローデは住んでいませんか?」

出てきたのは知らない若い男だった。僕は混乱して彼の名前を出す。だが男は違うハンターのようで、驚くべきことを口にした。

「クローデ? 知らないな。俺はひと月前にここに越してきたんだ」

彼の台詞に僕は目眩がしてふらつく。背中を支えたジオが代わりにミハイルやベックの名前を出して尋ねてくれたが、そのハンターはミハイルだけ知っているらしく、今日は仕事だと教えてくれた。

僕は途端に目の前が真っ暗になり、訳も分からないままアパートを出た。

「クローデ、どこ行っちゃったの……? どうして居ないんだ……」

自分がしたことは棚に上げ、寮を出て行ったらしい彼の状況に頭がいっぱいになる。
彼は無事なはずだ。ハンターの仕事だって、続けているはずでーー。

でも、あんなにひどい怪我をしていた。
どうして僕は、勝手に半年もの間彼を放っておいて、自分が帰ってきたらすぐに元通りになるなんてこと、考えられたのだろう。

すぐに泣き虫の自分が戻ってくると、褐色肌の男、ジオの緑の瞳がじっと視線を合わせてくる。

「オルヴィ。保護局に行ってみよう。私の考えだが、彼はすぐにハンターを辞めるような人間じゃないよ。君のことだって、簡単に諦めるような男ではない」

断言されて、僕は歯をくいしばって頷いた。
彼に早く会いたい。会って謝りたい。
そして自分の気持ちを伝えたい。

そんな思いから、僕達は保護局のセンターへと向かい、居所を確かめようとした。


時刻は夕方になっていた。
僕とジオは獣人化したまま、建物に入り受付へと進む。
そこには制服姿の女性がいた。知らない人だが、僕は一度ここにセンター長と話すため訪れたことがあり、意を決してクローデのことを尋ねた。
すると彼女は僕らのことをじろじろ見ながらも、親切に教えてくれた。

「クローデさんですか。今日はお休みになっていますね。あの、あなた達は……すみません、もう一度お名前を?」
「オルヴィです! クローデは、どこに行っちゃったんですか? アパートにもいなくて……でもハンターなんですよね、うう……」

僕は人の世界に入ると、彼の話となると、さらに感情的になって涙が出やすくなる。
焦る様子をなだめてくれた女性は、なにかを思い出した様子で電話を取った。
なんとセンター長に電話してくれているようだ。
僕はこれで全てが分かると思い、緊張しつつも心待ちにした。

彼女は僕らに「センター長がすぐに来ますからお待ちください」と言い、僕とジオはおとなしくロビーの椅子で待った。

とても長い時間に感じた。その間、色々なことを考える。
あの森の巣穴で、散々思いをめぐらせたことだ。
クローデは、僕を許してくれるだろうか。僕のことを、まだ好きでいてくれるだろうか。

新しい番は見つけてないだろうか。彼は強いし、外見だって格好よくて勇ましい雄だ。
こんな自分勝手な若い雄の僕のことなんか、もういいやって思ったかもしれないーー。

どん底まで想像していると、外のガラス扉の向こうから、大柄な金髪の男が駆け寄り入ってきた。
顔に傷がある体格のいい男性で、スポーティーな制服を羽織っている。

「オルヴィ! ああ、無事だったんだな、君も……!」

それはセンター長のアニスで、ミハイルのお父さんでもある人だ。
僕は立ち上がり、彼に走り寄った。肩をがしりと持たれ、言葉に詰まった様子の彼に掴まって揺さぶる。

「センター長、僕は平気だよ、でもクローデはどこっ? 彼は元気なの!?」
「ああ、ああ。元気だよ。しばらく前に、寮を引っ越したんだ。君のーーいや、事情は本人に聞いたほうがいいな。ともかく、俺もクローデに電話したんだが、つながらなくてな。そうだ、君を送っていこう。さあ」

センター長は僕を車に乗せて、彼が今住んでいる住居へと送ってくれるという。
僕ははやる気持ちを抑え、その言葉に甘えた。

玄関前に止まっていたジープに乗り込み、僕は助手席に、ジオは後ろの席に座った。
運転をしているアニスは、苦渋の顔つきで切り出した。

「本当に、申し訳なかった。今回のことは、すべては私の責任だ。君にもクローデにも……大変な目に合わせてしまったな」

重苦しい空気が車内に漂うが、僕は試験についてはクローデと喜んでいたことを話した。
それに密猟者はどの森にも潜んでいて、獣を襲ってくる。それを日々防ごうとしているハンター達のせいであるわけがないと思った。

「センター長。クローデの傷は、問題がないか?」
「えっ、ああ。大丈夫だよ。運ばれた当初は重症で、入院も長かったが……リハビリも問題なく済んでね。今は仕事に復帰している」

そうミラー越しに話すアニスが、ふと怪訝な顔をする。

「……ん? 失礼だが、君は?」
「私はジオだ。今回はオルヴィを無事に返すために同行している」

さらりと言ってのける褐色の男は、証明をするために頭からキャップを取った。彼の凛々しい獣耳を見て、センター長は急ブレーキをかけた。

「ジオ、だとっ!? ほ、ほんとうに君は存在したのか。この二十数年間で、初めて出会ったな。……というか、ではクローデの話は当たっていたんだな」

ジオは人間にはめったに姿を見せなかったため、驚愕するセンター長だったが、どうやらあの別れた日に現れた男がジオなのではと、クローデは気づいたようだった。

「私があれこれ言う資格はないし、彼も思うところがあるだろう。皆でしっかり話し合うといい」

アニスは気遣うように言って、僕らをやがて森の中にあるひとつの住居へと届けてくれた。
辺りはすっかり暗くなっていたが、静かな二階建ての木造住居に着く。造りは古いけれど温かみのある洒落たログハウスで、クローデにぴったりな気がした。

彼は今ここに住んでいるんだ。
胸の鼓動が最大限までうるさくなったが、窓に明かりはついておらず、誰もいないようだった。

「今日は彼は休みだったから、どこかに出掛けているようだな。でも、きっとじきに戻ってくるだろう。……オルヴィ、ここで待つか?」
「うんっ。ありがとう、センター長。送ってくれて」

僕がお辞儀をすると、彼はじっと僕を見下ろし帽子ごと頭を触った。

「ミハイルにもよろしくね。あと、ベックにも!」
「分かった。君が帰ってきたと知れば、あの二人も大喜びだ。落ち着いたら、会ってやってくれ」
「うん!」

再び車に乗り込むアニスを二人で見送った。
早く皆にも会いたい。きっとすごく心配をかけただろう。
段々とこの森に戻ってきたのだという実感が湧いてくる。

「……ジオ。まだここにいてくれるの?」
「ああ。君さえよければ。彼にも伝えなければならないことがあるしな」

腕を組み、軒先の柱に寄りかかるジオを見て、僕も同じように落ち着いて待つことにする。
だがその場で数時間経っても、クローデは現れなかった。

さすがに心配になり、僕は玄関前の階段に立ったり座ったりを繰り返した。
今日は彼の休みと言っていたけれど、何曜日なのだろう。

静かな夜風に当たりながら、夜空を見上げる。
そこで僕ははっと思い出した。
今日がもし週末だったら。クローデは、あの場所にいるかもしれない。

僕達が昔よく夜に行った、公園だ。

「ジオ、僕あそこに行きたい! 少し離れたところに、森林公園があるんだ、場所は……えっと…」
「森林公園? ああ、分かるよ。じゃあそこへ向かおう、オルヴィ」

彼は僕の提案に一瞬驚いたようだが、しっかりと頷き僕に手を差し出した。
僕はその手を取り、クローデを追い求めてまた出発した。



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