愛すべきもの | ナノ


▼ 25 ジオ

僕とジオは数日間森の中を移動した。時々休んで眠り、また出発することの繰り返し。
その間の記憶は、あまりなかった。僕は考えることをやめていた。ただ自らを率いるカエサゴの雄のあとを追うだけだった。

二人は元いた場所からかなり遠くの森に着いた。
ジオはここに決めたようだ。巣穴を作り、僕らはそこで寝起きをする。
冬らしく相変わらず雪が積もっていたが、景色はどうでもよかった。

「オルヴィ。また食事を取らないつもりか? ほら、君の分だぞ」
「……いらない」

食欲がなかった僕は、彼が持ってきた生肉を無視した。だが彼は根気よく毎日分け与えてくる。外で狩りをして得たものだ。

僕は夜になると穴蔵を抜け出て、落ちてるものを食べ、最小限の食事を取った。一人にもなりたかった。
他には何もやる気が起きず、ただ寝床で横になって過ごす日々だった。

クローデのことを考え始めると、涙が出た。寝そべった獣の目尻から音もなくこぼれ落ちる。
彼は病院で治療を受けているはずだ。治るのに時間はかかるだろうけど、きっと快方に向かう。そう信じた。

目覚めたとき、僕がいないって分かったら、クローデはどんな反応をするんだろう。約束をやぶって、森に逃げたんだと思うかな。
彼は、悲しむかな。それとも怒るかな。ひとりぼっちにしたから。

知りようもないことを想像しては、声も出さずに肩が震えた。


ある夜、また一人で森の中を歩いていた時だった。
獣の僕は段々と匂いや気配を察知する力が育っていて、周囲を警戒した。

すると、遠くの木陰にカエサゴがいた。凛々しく立った獣耳と濃い褐色の毛並み。その姿を見て咄嗟に苛立ちがわく。

「ジオ。なにしてるんだよ」
「散歩だよ。君のほうこそ、こっそり食事かい?」

雪景色の中彼がゆっくり近づいてきて、正面で足を止める。この雄は、僕を監視することが趣味なのだろうか。初めて舌打ちをしたい衝動に駆られた。

「……あの時も、僕たちを見ていたのか。遠くから。それで、窮地に陥ったときに、助けに来たの? まるで狩りのタイミングを見計らうみたいに」

じろりと睨みつけて問う。彼はいつもの穏やかな表情を変えずに、口を開いた。

「君とクローデがどこまでやれるのか、見ていたのは事実だ」

そうはっきりと告げられて僕は前足でぐっと雪の地面を掴んだ。
どう腹を立てても、僕らはジオに助けられた。僕は彼の助けなしには、クローデを救えなかった。

そもそも、ああなったのは僕のせいなんじゃ?

「僕が……弱いから。何も出来なかった……ただの足手まといにしかならなかった」

視線を落とすと、ジオはよりこちらに近づく。
慰めるようにまた鼻先を彼の鼻に触られ、びくっと後ずさった。

「君が弱いのは確かだが、それはまだ若いカエサゴだからだ。今から強くなればいい。私はその手助けがしたいんだよ、オルヴィ」

見上げると、まっすぐな緑の瞳に捕らわれる。

ーー手助け?
僕とクローデを離ればなれにしておいて。僕の幸せは、誰よりも彼と一緒にいて、彼と強くなることなのに。

暗く沈んだ瞳がジオにも伝わったのだろうか。
何も答えなかった僕に、それ以上彼も言葉はかけなかった。

居心地が悪いのは変わらないまま、僕は寝床に戻りまた孤独な夜を過ごした。



翌日。距離を取っていたジオから、声をかけられた。
また小言を言われるかもしれない。そう思ったが、外の巣穴近くに座っていた僕は顔を上げた。

「君がクローデのことを気にしているのは分かっているよ。私は彼を保護局に渡す際、『少年は無事だ』と伝えた。彼が目覚めて私のことや状況を聞けば、君が自分で出ていったのではないことぐらい、理解するだろう」

ジオは肩をすくめ、僕のことを見やった。降参したかのような表情に、僕は立ち上がる。「本当に?」と聞くと、彼は頷いた。

自分の意思で彼のもとを去ったのは事実だが、クローデに僕は無事なんだと伝えられていることには安堵した。

同時に、今まで頭からすり抜けていたことに気づく。
僕は彼が状況を知ったら、僕に失望するのではと、そのことばかり考えていた。

でも優しいクローデは、僕の身を案じるかもしれない。
生きていると知れば尚更だ。
僕が今、そばにいない彼のことが頭から離れないでいるように。

「……ジオ。どうしてジオは、僕を連れてきたの? 強くするためって、本当にそうなの?」

僕は彼の本当の目的が知りたかった。
こんな面倒なことをしてまで、僕と一緒にいるのは、なにか違う目的があるんじゃないかと考えた。

彼は難しい顔をしただけで、答えなかった。
頑なだった僕の姿が今度は彼に向かったように、心を閉じた表情。

そんな雄の姿が僕に接近したのは、その夜のことだった。


なんとなく今日はもうここでいいやと、夜の散策には出かけなかった。眠れないのは相変わらずだったが、僕は彼に背を向けて横になっていた。

昼のジオの話を聞いて、僕には少し希望が湧いていた。もしかしたら、またクローデに会えるかもしれない。
僕が一人で彼のもとに帰れるぐらい、立派になったら。

でも想像して、それはいつなんだろうと悲しくなった。
クローデの匂いを思い出すけど、いつか忘れてしまう可能性だってある。別れるときに、なにか彼が身に付けていたものを、借りてくればよかった。

彼のことが恋しくて、心配で、また目が潤んでくる。
ぐすぐすとやっていると、尻尾に何か気配が近づいた。

「……な、なにっ」

僕はびっくりして起き上がり、後ろを向く。同じように寝そべるジオが薄く瞳を開けて、僕をじっと見ていた。
ここに来て初めて彼のことを落ち着いて目に映して、気まずくも感じた。

目を拭うため掃除をするフリをして顔の毛を掻いていると、低い声が届いた。

「眠れないのか、オルヴィ」
「別に……そんなことないよ」

彼は起き上がり、僕の顔をぺろりと舌で舐めた。同じ獣にそんなことをされたことがなかった僕は、体をよじり「大丈夫」と逃げようとする。
だか彼はしつこかった。慰めようとしてるのは何となく感じたが、今の彼にそれをされたくないと、僕は意地を張った。

「僕にかまわないで」
「……だが、いつも君が泣いているのを見るのは、心が痛む」

ジオの言葉にまた僕はカッとなった。体を起こし、グルル、と牙を剥く。怖くは見えないだろうけど、怒りをぶつけたかった。

「じゃあなんで! なんでだよ! 僕は……っ、僕が悲しいのは……全部っ!」
「ああ。私のせいだな。分かっているさ」

いつも冷静なジオの声が腹立たしい。彼は僕よりかなり年上で、強くて、何もかも分かった風なのに、僕のことは何も知らないんだ。

感情が回りだして、疲れた僕は力が抜けた。
うなだれて巣穴の土の上にまた横たわる。
彼を無視して目を閉じた。しばらくそうしていると、今度は手が伸びてきた。

人間と同じ、ごつごつとした大きな手だ。
でも濃い褐色の肌色で腕も太く戦士のように鍛えられている。

ジオはなぜか獣人化していた。深い緑の目はどこか塞ぎこんでいて、こちらを心配そうに見ている。

「どうして人化したの、ジオ……」

僕は彼の行動が理解できない。だから疲れたまま尋ねた。

「君を慰めたかった。人肌が恋しいんだろう?」

そう言って彼は僕の答えを聞かず小さいサゴのままの僕に、近寄る。伸ばされた腕に捕まった僕は、彼の胸板に抱かれた。
このまま、抱えるようにして眠るつもりらしい。

「人肌なら誰でもいいわけじゃないんだけど。ジオはいやだ」

僕は意地の悪いことをわざとはっきり言った。
なぜか自分の気持ちも傷つきながら、今度はなんて反応するんだろうと試した。

気分を悪くするか、それとも冗談ぽく大人の余裕で笑うだろうか。
そう思ったのだが、彼は「それも分かっているよ」とただ静かに答えただけだった。
僕は拍子抜けして、でも彼の寂しげな表情が妙に頭に残った。


翌朝目覚めたとき、何が起きたのか分からないが、僕は人化していた。
白い手足に土がつき、寒さで目を開ける。
飛び起きると、穴蔵の入り口から、体を屈めて大きな男が入ってきた。

彼は手にふかふかの白い毛皮を持っていて、僕にかぶせるように渡してきた。

「どうしたの、これ。っていうか、なんで僕は人化してるんだっ?」
「それは私にも答えようがない。誓って君には何もしてないぞ」

わざとらしく両手をあげ、降参の仕草で褐色の男が前に腰を下ろす。彼はこの森にも以前暮らしていたことがあるらしく、毛皮はその時に使っていたもののようだ。
外の光が入ってきて、暗闇よりさらに彼の端正な容貌がわかる。

どうやら僕はジオと眠るうちに、自然に獣人の姿になってしまっていたらしい。
ショックで呆然とする。とりあえず毛皮で下半身を隠した。

もしかして、人の温もりに無意識に安心して、この姿になってしまったのだろうか。
あの日以来、しばらく人化していなかったから余計に悲しみが襲った。
クローデのことをもっと思い出してしまうからだ。

「……っう……っ……」

情けなくもまたジオの前で涙を流した。こんな雄の姿、いい加減彼は馬鹿にするだろう。

「オルヴィ。どうすれば君は泣き止むんだ?」
「……知らないよ、放っておいて…っ」
「それは出来ないな。出来れば君には、笑っていてほしいからね」

彼は優しく僕の頭を撫でた。最初の頃の怒りよりも、そうされることで強い寂しさに包まれる。
頬にぼろぼろとこぼれる滴を、彼の長い指が拭き取っていく。

「ジオ……」
「なんだい?」
「……ジオも、寂しいの? 誰かが、必要なの…?」

僕は彼の顔を見るために頭を上げた。
彼の顔つきは困ったふうに見つめ返してくる。

「そんなことはない」

落ち着いてそう言い返すけれど、普段饒舌な彼の姿は、この森では見られなかった。
僕といると、時々戸惑った様子でこちらを眺めている。

「嘘だ。ジオは寂しいんだ。だから僕に、こんなことするんだ……」

彼の言葉を否定して強く見つめると、彼は腰を起こした。
僕のすぐそばまで向かってきて、後ろの壁までじりじりと追い込まれた。

「なにするんだよ、どいて……!」

彼はとうとう怒ったのだと思い僕は怯えたが、そっと手のひらが僕のほっぺたを包んだ。

「君は、忘れてしまったようだな。……君と番になりたいと言った、私の言葉を」

そう言って睫毛の長い瞳を近づけてくる。僕は怖くなりぎゅっと目をつぶった。
すると額にちゅっ、と小さく唇が当てられた。

目を開けると同時にがっしりとした褐色肌の肩が視界に飛び込んできて、腰がずり落ちそうになった。
 
「無理だよ。僕はクローデと番なんだ。だから悪いけどーー」
「……クローデか。彼といても、君は本当の意味で強い雄にはなれないよ。彼はずっと、君を守ろうとするだろうからね」

鋭い眼差しと図星を突いた言葉がまた、僕の胸をえぐり出す。

「分かってるよ、そんなの! ……やっぱりジオなんて嫌いだ! 僕を馬鹿にしたいだけなんだ!」

子供のようにわめいて、彼に捕まった腕の中で暴れる。
ジオは小さくため息をついたようだが、頑なに僕を離そうとしなかった。



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