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目が覚めると、違う匂いのシーツに顔を突っ伏していた。
隣には誰もいない。少し考えたところで、昨夜はあの若い男と寝たんだったと思い出した。
ベッド脇に投げ捨ててあったズボンに手を伸ばし、携帯を取り出す。無音にしていたが、あいつからの着信が何件もあってうんざりした。
ブラインド越しの窓はすでに明るい。シーガはもう起きたのか?
立ち上がり服を着た俺は、こっそりと部屋を出た。居間から遠い寝室を離れ、廊下を歩いていく。途中、ドアの向こうから水の音がした。
あいつは今シャワーを浴びてるんだろう。
ちょうどいい、思い立った俺は昨日気にかかった謎を解こうとしていた。
工房へ向かう際、不自然な中の様子が見えたあの部屋へと向かう。
何かを隠しているような奴の態度が未だひっかかっていた。
室内に入り、そっと明かりをつける。
一見普通の広い部屋だが、至るところが黒い布に覆われており、まるで物置状態だ。
死体とか出てきたらどうすんだよ。
ホラー好きの俺は馬鹿げたことを考えながらも、躊躇なく布をばさっと剥ぎ取った。
「……あ? なんだこれは……」
下に隠されていたのは、ただの白い家具類だった。
居間で見たのとは雰囲気の異なる、より精巧に美しい彫刻がほどこされた品々ではあったがーー。
食卓や食器棚、長椅子や本棚に使えそうなものまで、家具一式が揃っている。
職人であるあいつの、特別なシリーズか何かだったのか?
疑った自分を恥じ、さっさと部屋を出ようとした。
すると扉近くの棚にある写真に気がついた。
この島らしき浜辺で、女性と赤ん坊の姿が写っている。これは、誰なんだろうーー
「ザック。こんなとこで何してるんだ」
廊下から突然現れた半裸の男に、俺はビクッと肩を跳ねさせた。
鍛えられた上半身を見せつけ、長ズボンを履いたシーガがタオルを持って立っている。
「悪い、何があんだろうって気になっちまって」
あくまで落ち着いた体で部屋を出ようとしたが、逆に奴が入ってきた。
俺の肩にそっと手を置いて、中の家具類を見渡している。
「ここ、お前の作品置き場だったんだな。一段と気合い入ってんじゃねえか。綺麗だな」
少し高い目線に話しかけると、奴は驚いたふうにこちらを見た。
「……そう思う?」
「ああ。すげえ高く売れそうだ」
感心して言うと、隣から若干の笑い声が漏れる。
「この部屋のは売らないよ。大事なものだからね」
奴は正面に向き直り、真剣な表情を見せている。何事かと緊張が走ると、だんだんシーガの頬がほんのり染まっていった。
「これは……俺達二人のための、家具なんだ。いつか一緒に、って考えてたんだよ」
恥ずかしそうに青年がはにかみ、告白をした。
…………なんだと。
ゾッとするとかよりも、こいつは一体全体何を言っているんだろうと、俺はぼけっと呆けてしまった。
どう反応すべきなのか、判断に困る。
「あのよ。……お前、俺のストーカーなのか?」
「ちっ、違うよ。そうじゃない。君を怖がらせようとか、そんなつもりはまったくーーああ、でも、信じられないよね。だからその、俺達はーー」
慌て出すシーガを見て、俺はますます眉間に皺を寄せた。
現実逃避をしたくなったが、差し迫った現実を思い出す。
はっとなり携帯の時間を見た。
「やべえ、もう行かないと」
「ちょっと、待ってザック。どこ行くんだ」
「集金だよ。今日家賃払う日なんだ。怒り狂ったババアが襲ってくんだよ」
真に迫って告げると後ろから吹き出す声が聞こえた。
事の重大さを知らないシーガが笑っている。
「そんなに怖い人なの?」
「ああ。お前も会ったら引くと思うぞ。まず夢に出るほど顔が怖い」
「……そうか、ちょっと面白いな。会いに行ってみるか」
奴の興味をひいたのは意外だったが、もたもたしている時間はない。
さっきまでの奇妙なやり取りは、一旦別の場所に置くことにした。
俺はシーガとともに大家の家に辿り着いた。
すると白髪を結わえた仏頂面の老女が出てきた。島民らしく鮮やかなワンピースに金の宝飾をじゃらじゃらつけている。
「なんだい、ザック。何の用だ」
「おはようばあさん。実は鍵忘れちまってよ、昨日から家ん中に入れてねえんだ。すぐに家賃払うから、開けてくんねえか?」
俺としては普段の恐れから、かなり下手に出たつもりだった。
しかし大家は形相を変え下から睨み付けてきた。
「ああ? ってことはあんた私がわざわざ貼ってやった張り紙見てないのかい。集金の形態が今月から変わったんだよ」
「は? 何のことだよ」
「後ろの男に聞きな」
背後には一緒に来たシーガがいた。なぜか申し訳なさそうに苦笑している。
ばあさんが奴に向かって、顎で俺を指し示した。
「もう知り合ったのか? シーガ」
「はい。昨日偶然彼に会って」
「嘘をつくな。昨日お前がこそこそフェリー乗り場に行ったの知ってんだよ、私は」
二人が当然のように喋り出し、俺は呆気に取られた。
「はは。すみません。集金する人のことを、ちゃんと知っておきたかったんです」
その台詞を聞いてすぐ、俺は奴に振り向く。
「どういうことだ? お前が集金すんのか、俺の家賃」
混乱しながら詰め寄ると、シーガは素直に頷き、頭を下げた。
「実は、そうなんだ。黙っていてごめん、ザック」
いけしゃあしゃあとのたまう奴の胸ぐらを、俺は勢いよく掴んだ。
なんだ? 奴に弄ばれたのか?
今までの時間はなんだったのかと、騙された気分になった俺は激しい怒りに襲われた。
「ザック。そう怒るんじゃないよ。こいつは私の孫だ。優しくしてやってくれ」
だが珍しく優しげな声を出す大家の声に、引き戻される。
「なんだと……? 嘘ついてんじゃねえ、ばあさん。呪われた魔女みたいなあんたからどうやってこの純朴な優男みたいのができ上がるんだよ」
「おい家賃値上げするぞクソガキ」
血管を浮き上がらせた老女に恫喝され、ますます混乱が広がる。
二人を見るが、まさか血縁関係だったとは。
見かねたシーガが、やっと口を開いた。
「ザック。君に会うの、初めてじゃないんだ。覚えてないかな、俺のこと。もう10年近く前だけど……」
驚くべきことに、シーガは突然回想を始めた。
それは俺が、17のときのことらしい。
当時俺は、付き合っていた五歳年上の男と半同棲生活のようなことをしていた。
同じ施設出身で、互いに働きながら、自分は定時の高校にも通っていた。
休日の朝早くにドアが乱暴に叩かれ、寝ぼけ眼で玄関に出ると、大家のばあさんと小さなガキが立っていた。
「おい金だ、金! 先月は一週間待ってやったんだ。今月はぴったり揃えてもらうよ」
「……分かったよ鬼ババア。ちょっと待ってて探すから」
開口一番気が滅入る台詞をふっかけてくる大家の怒号を浴びながら、俺は中へと戻った。
封筒に金を入れ居間を通りかかると、ばあさんとガキがちゃっかりテーブル前に腰をかけていた。
俺は見慣れない子供の姿に、やっと気がつき近くへ寄った。
半裸の俺が怖かったのだろうか、黒髪で背の小さな少年は上目使いで俺を見上げてきた。
「坊主、ばあさんに誘拐されたか? 気持ち分かるぜ。早いとこ逃げな」
「おい、その子は私の孫だ。脅かすんじゃない。ていうかあれだ、ザック。ココアでも出してあげてくれよ。なあシーガ、欲しいだろう?」
にんまりと怪しい笑みで孫に語りかける。するとそのガキも同じくらい厚かましいのか、俺をぼうっと見たまま、こくりと頷いた。
ため息を吐いた俺だが、小さい子供を見ると施設を思い出す。
だからなるべく優しくしてやろうという気になったのだった。
「上手いか? 坊主」
「……うん。美味しい。ありがとうお兄さん」
控えめに微笑むガキを見て、奴の頭を無造作に触る。
「おいばあさん。あんたもやっと寂しい独り身から解放されんのか。良かったな」
「違うよ、残念だがね。夏の間預かってるんだ。この子の父親が外国に行っちまってるからさ」
話しぶりからたぶん母親はいないのだろうと推測したが、そういえばばあさんの娘はすでに亡くなっているという話を聞いたことがあった。
俺はカップに隠れている子供の顔を覗き込んだ。
「ばあちゃんいて良かったな。お前には優しいんだろ。俺にはこえーけどな」
自虐気味に言うと、子供は初めてにこりと笑顔を見せ、声を出して笑ったのだった。
親身になってくれる肉親がいるのは、羨ましいことだ。
他人事ながら、俺はどこかでほっとした気持ちを持ったことを覚えている。
一瞬感傷的になりつつ、さあそろそろ帰ってくれよと腰を上げたところで、急に後ろから裸の男に抱きつかれた。
「ザック、俺にもココア入れてーー」
「……ああ? お前もう起きたのかよ。まだ寝てろよ」
「だってうるせえんだもんよ、がちゃがちゃ……。あ、大家さんいらっしゃい」
調子よく述べてへばりつく男の体を剥がし、ソファに座らせた。
だらしのない男だが、まだ若かった俺は当時こんな奴に惚れ込んでもいた。
「ここあんたの家じゃないんだけどね。まいいや、ほらシーガ。よく見ておけ。あんな大人になっちゃ駄目だぞ〜」
嫌みたらしく言うばあさんだが、そのガキはやけに俺と男のことをじろじろ見ていた気がする。
やっぱり小さい子供には教育上良くねえか、などと他人事のように当時の俺は考えていたのだった。
……というちょっとした日常のひとコマだったはずなんだが。
言われなければけっして思い出さなかっただろう、大昔の話だ。
それなのに、今日という日に大きく作用していたとは。……誰が想像するんだ?
「あれ以来、君のことが忘れられなかった。おばあさんからよく君の話を聞いていたけど、実際は優しい目をもった男の人で、でも格好よくて、初めてどきどき心が鳴ったんだ……その時はこれが初恋だったんだなってことも、子供だった俺は気づいてなかったけどーー」
ぽうっとした顔で恥ずかしい告白を始める男を、まっすぐと見つめる。
どうしていいか分からず、頭の中を整理しようとした。
知らないうちにあの子供に好かれていたというのか? しかも、こんなに長い間……
「ちょっと待てよお前、だって……あんとき、14、ぐらいか? 小学生ぐらいかと思ってたぞ、どんだけ成長してんだよ!」
「うん。俺チビだったから、あれから頑張って運動したりたくさん食べたりして、大きくなったんだよ。……君に早く追いつきたくて、同じぐらい大人になりたいなって、そればっかり考えてた」
力強く話すシーガは突然俺の手を取り、ぎゅっと握ってきた。
「どうかな…? ザック……君の視線の端にひっかかるぐらいの、男には…なれたかな?」
間近で見つめられ、不覚にもドキリとした俺は喉を鳴らす。
そんな時、玄関先で静かになった大家の視線が、痛いほど突き刺さるのを感じた。
「なああんた達。朝早くに起こされて、玄関前で私は何の話を聞かされてるんだい? とっとと帰りな、ザック。どうせこいつの家に世話になったんだろう。また茶ぐらい出してあげなよ」
ばあさんの提案に頭をうなだれる。
簡単に言うが、たった今明らかになったこいつの問題はどうすんだよ。
つまりシーガは、未だに俺に恋をしてるっつーことになるんだろうが。
「それとあんた、また疲れた顔してるな。だから毎回言ってんだろう? あんな仕事やめなって。まともな職につけ、今からでも遅くないよ」
ああ、またいつもの説教が始まった。この大家は会うたびに俺のヘルスを遠慮なく削ってきやがる。
「……うっせーなばあさん、遅いんだよ。つうか小言やめろよ、疲れた顔は別の理由だからな」
「あのなあ、こっちだってな、あんたが好きでやってんなら何も言わないんだ。だがどうせ嫌々やってんだろ、ザック。年中気だるそうな顔に出てるよ」
どくっと心臓が鳴り、キリキリ痛み出す。
俺は体は頑丈だが、こう見えて結構もろいんだよ。
それに今このタイミングで、この男の前で、仕事の話は止めてほしかった。
「へーへー、考えとくよ。じゃあもう行くわ、新しい集金係に家教えてやんねえとな。騒がせて悪かったな」
俺は半分やけくそな気持ちで、シーガの腕を取る。
この後、どうすりゃいいんだ?
こいつの話が本当ならば、ーーいやきっと本気なのだろう。昨日からのおかしな言動も辻褄が合う。
そうすると俺には何らかの、対応が求められるはず……なのか。
頭の中でごちゃごちゃ考えながら、結局二人で家に戻ることになった。
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