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俺は、なんでこの見知らぬ若い野郎と一緒に、フェリーで飯なんか食ってんだろう。
無事にチケットを手に入れ、二階建ての中規模客船に乗り込んだ俺は、シーガという男と窓際のテーブルで向かい合っていた。
「なあ、あんた家具作ってるって本当かよ」
「ああ。一応店やってるんだ。自宅と工房兼用だけどね。木彫りの机とか寝台を作ってて……趣味も兼ねてるけど、時間がいくらあっても足りないよ」
楽しそうに話す青年を見て新鮮な思いがしつつ、手に職がある奴は素直に羨ましいとも思った。
ただ体を売っている自分とは大違いだ。
「へえ、いいな。一人で仕事すんの」
「興味あるのか? 後で見せてあげるよ、ザック」
毒気を抜かれる笑顔を連発し、爽やかな会話を進めてくる。
年は近いのに違う世界に生きている好青年の話を、俺は頬杖をついて聞いていた。
でも、待てよ。この男本気なのか?
「つうかさ、あんたの家に泊めていいわけ? こんな見ず知らずの男をよ」
「全然構わないよ。あの島の人は皆いい人だし、君も悪い奴には見えないから」
自信ありげに言う男の見る目のなさが、本当に笑える。
こいつはもしかしたら、馬鹿なのかもしれないな。俺だったら俺みたいな奴には、絶対に関わらないだろう。
何も知らないくせに適当言うんじゃねえ、などと野暮なことを言う気力は、もう夜遅い今残ってなかった。
今日はあの客の前にも、違う客を一人相手していたのだ。
慣れ親しんだ船の緩い揺れと、子守唄のように心地よい青年の声に、眠気が誘ってくる。
あくびをした俺を見たシーガは、「眠い? 仮眠室で横になるか?」と声をかけてきた。
俺はその言葉に促され、立ち上がった。
「ごちそうさま。……シーガ、あんたは眠くないか。悪いんだけど、一緒に来てくれねえ? 一人じゃ寝れねえんだ」
厚かましい願いに奴の瞳が見開かれる。
ずっと前のことだが、フェリーに乗っていて見知らぬジジイに体を弄られたことがあった俺は、若干のトラウマを引きずっていた。
なぜこいつを信用したのかは分からない。だがどう見ても普通のノンケだし、きっとこの親切な男なら頼めば何でも聞いてくれんじゃないかという、安易な考えが浮かんだのだ。
「もちろん、いいよザック。俺も行こう」
余計なことを聞かずに快く引き受けてくれたこいつは、たぶん本当に良い奴なんだろうと思っていた。
船内の一階奥に位置する仮眠室のひとつに、俺たちは入った。
二段ベッドが二つ並ぶ、狭い部屋だ。
それぞれ違うベッドの下に横になり、俺は疲れもあってか、すぐに眠りに落ちてしまった。
どれぐらい時間が経ったのだろうか、ふと耳元に物音が届いて、俺はゆっくり目を開けた。
「っ……く、ぅ……ッ」
顔を覆っていた毛布をずらして、音がするほうに視線をやる。
すると向かいのベッドの上の黒髪が、わずかに動いているのが分かった。
「はあ、……は、ぁっ、……ぁあ、っ」
男の息苦しそうな声が響き、はっとなった。……シーガか?
具合でも悪くなったのだろうか。
起き上がろうとした俺は、一瞬動きを止めた。よく見ると、背中までかかった毛布が動くのと同時に、奴のマットレスまで前後に動いている。
んーー?
何やってるんだこいつは。まさか……
唖然とした俺は音を殺して寝床から降り、奴の近くに忍び寄った。
うつぶせで顔を背けたままの奴はまるで気がつかず、いかつい肩が荒い呼吸とともに上下している。
「あっ、あぁ……くッ……」
近くで様子を伺うとはっきりしてきた。片手は見えないが腰が不自然に動き、細かなあえぎ声が止まらないようだ。
この野郎、たぶん床オナしてやがる。
俺はしばらくその様相を間近で眺めていた。
さっきまでのやり取りがちゃぶ台返しされたような気になる。こいつはちょっとの時間でも、公共の場での自慰が我慢できない助平なちんぽ野郎だったのだ。
すーっと冷めてきた。
奴の片手はこちら側にあり、シーツをぐっと握っている。
俺はその手の甲をじっと見た。綺麗な白い肌だが、職人らしい武骨さもある。
顔を近づけ、舌を出す。
ねっとりとシーガの手の甲を、舐めてやった。すると奴はびくりと動きを停止させた。
今この瞬間、心臓が止まりそうな勢いに違いない。
シーガが遅い動作で顔をこちらに向ける。
「……あ……ザック……」
「気持ちよさそうだな。てめえも変態かよ」
俺はベッドに乗り上げ、再び奴の手を舐め上げた。顔が強張ったシーガだったが、奴の神経の図太さは俺の予想を越えていた。
再び瞳を伏せ、下半身の動きを再開させたのだ。
はぁ、はぁ、と淫らな喘ぎをもらしながら、オナっている。
「あんた頭おかしいの? 俺男だよ?」
「……、あっ、ああ、それ、いい、してくれ……ッ」
なんと奴は顔を赤らめさせたまま、興奮状態で頼んできた。
呆れと引いた気持ちにさせられるが、この純朴そうな男も所詮は性欲の奴隷なのかと、憐れみの目を向ける。
シーガの背中に手を這わせ、撫で上げた。短い黒髪の後ろ髪をといて、赤く染まった耳元に口を寄せた。
舌を這わせて耳を舐めてやる。焦らして愛撫すると、奴は下でびくびく体を震わせた。
「あ! ああッ、ザック、んあ、あ、気持ち、いい、それ、ああ、やばい」
今日会ったばかりの男に舐められてマスかいて気持ちがいいだと?
こいつは中々狂っている。
だが俺は思わぬ場面でこの男との共通項が見つかったことに、どこか冷静だった。
「出せよ、ほら。今日はあんたに助けられたからな、特別にただにしてやる」
「あっ、ああッ、だめだ、はあ、はあっ……入れる、絶対に入れる……君にッ」
……は?
男は訳の分からないことを口走り、下半身をのけぞらせた。
そしてそのまま、達したのだろう。息を過剰に吐き続け、やがて動きが静かになった。
部屋に男の呼吸音だけが響いている。
頭をうなだらせたまま、シーガはじっとしていた。
「おい。なんか言えよ。お前は男友達の前で平気でシコる性癖があんのか? まあ俺たち別に友達じゃねえけどよ。それともあれか、どうでもいい他人だからはっちゃけて利用しただけか」
ベッドから立ち上がり近くのペーパーを投げて渡す。
奴は恥ずかしそうに起き上がると、それを受け取り後ろを向き、こそこそと衣服を綺麗にしているようだった。
「ごめん。こんなことしたの、初めてだ。……君が近くに寝ていて、それで、どうしても……我慢出来なくなったんだ」
男の供述に首を傾げる。
それにしても、最後の台詞はなんだったんだ。
「お前、ノンケだろ? なんで俺に反応してんだよ」
「……ん? ああ、……そうだよな。ええと、実は以前君を見かけた時から、気になっててさ……」
口ごもる奴を見てますます怪しいと感じた。
俺を見かけただと? フェリーも深夜帯の人は少ないし、こういう大柄な好青年風の男ならば、俺の目にも入るはずだ。
「君の赤い髪、目立つから。あと綺麗だなって、思って」
シーガは照れたように笑い、世辞の言葉を伝えてきた。
自分の嫌いな赤髪のことを言われ、小さく舌打ちをする。
「綺麗ってなんだ。男にそんなこと言われても嬉しくねえよ」
「……そう、か。ごめん」
奴が所在なさそうに顔をうつむかせる。
注意深く見ていたが、変態とはいえ暴力的な奴ではなさそうだ。……今のところは。
指先で奴の顎を取って俺のほうに向かせた。
茶色い瞳が驚きに大きくなる。見つめ合うシーガの頬は、再びじわりと赤く染まっていった。
「なあ。お前んち、ココアある?」
「……えっ? ああ、あるよ」
「俺、ココア飲みたいんだ」
突拍子もない事を言う俺に、またシーガは子犬みたいに頭を縦に振った。
「いいよ。でも、俺の家、ほんとに来てくれるのか?」
「……ああ。野宿はごめんだからな」
少し考えた振りをした後、同意して見せる。
奴は嬉しそうに表情を明るくした。
なんとなく、こいつはまだ隠してることがあるような気がしたのだ。
俺には何の関係もないはずが、やけにその閉じられた箱を開けたくなった。
他に何が入ってるのか知りたい、この手で暴いてやりたいと思った。
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