俺の呪いをといてくれ | ナノ


▼  93 ハイデル家の人々U -家族編終-

「兄貴、起きて」

布団の中で横向きになり、クッションを抱えて眠る俺の肩を、誰かに揺さぶられた。あれ、またこのパターンか。でも今回は俺の好きな、心地良い弟の声がする。

「んん……まだねみい……」
「起きないとキスするぞ」

全然良いんですけど。むしろご褒美じゃないか。
まどろみの中くだらない事を考えていると、ぐいっと肩を引っ張られ仰向けにされた。柔らかい唇が押し付けられ、ゆっくりと首に手を回す。

「……んむっ……」

朝っぱらから熱烈な口付けを与えられ、次第に体に変化を感じそうになる。これはやばい。焦った俺は思わずぱちりと目を開けた。
すると、すでにうっとりとした顔つきで息を上げるクレッドが、俺を見下ろしていた。

「……ああ、兄貴。俺も、もう少しこうしていたい。でも……一番上の兄さんが来てるんだ」

眉間に皺を寄せ、言葉尻がどこか悔しさを滲ませている。なんでそんな悲しそうな顔するんだ? 俺にはもっと、お前の可愛い笑顔を見せてくれ……。
いやそれどころじゃない。長男が来てるだと。俺は思わず大切な弟を押しのけ、勢いよく起き上がった。

「おいドアちゃんと閉めたか」
「ああ、勿論。兄さんはまだ玄関で喋ってるから安心しろ」

良かった……。とりあえずあの男がこの部屋まで侵攻してくることは無さそうだ。

俺は一時の安心を得て、すぐに寝間着から普段着へと着替えた。身だしなみを整え部屋を出ると、やや緊張の面持ちでクレッドと共に階段を降りていく。

すると明るく大きな男の声と、両親の話し声が聞こえてきた。

「なんだ、お前一人か、アルベール。今日は孫達に会えるの楽しみにしてたのに」
「いやぁ俺も連れてきたかったんだけどさ、今日は普通に平日だろ。考えたら無理だったわ。諦めろ親父」
「そうよね。でも三人とも元気にしてる? よろしく伝えてね」
「うん、皆元気だよ。またすぐに遊びに来るから。……ところでセラウェ帰ってるんだろ? あいつまだ寝てんのか」

げっ。ちょうど運悪く俺の話題をし始めた。足を止めたくなるのを堪え玄関へ向かうと、そこには長男のアルベールがいた。唯一の既婚者で二人の幼い子を持つ、ハイデル家の跡取りだ。
だがそんな責任ある立場だと一見して判別出来ないほど、陽気で気のいい兄さんといった雰囲気の男だ。ただし勿論例に漏れず、弟達を溺愛するブラコン野郎でもある。

「おお、セラウェ! ようやく現れたな、三男坊。元気にしてたか?」

でかい図体で腕を組み、にこにこと笑みを浮かべる騎士の前に立つ。短い茶髪と同色の瞳に優しく見つめられ、逆に萎縮する。するとそんな俺に構わず、やはり強引に背に手を回され、抱き寄せられた。

「うぐぅッ!」

情けない声を漏らし、かなりキツめの抱擁に必死に耐える。兄弟の中で最も筋肉質でガタイの良い兄の腕に締められると、まじで苦しい。次男と末っ子とは違い、全く加減をしてこない。

「おっ、お帰りなさい。お兄さん」
「そんな他人行儀な呼び方されたら、俺悲しいだろ? 昔みたいにお兄ちゃんって呼べよ」

体を離した途端、両親の前なのに構わず頭をなでなでし、そんな変態的な呼び方を提案してくるとは。やはり次男のシグリットと同様、ハイデル家の人間……恐ろしい男だ。
つうかなんで俺がいい年して十才も年上の兄貴をお兄ちゃんとか寒々しい呼び方しなきゃなんねえんだよ、ふざけんじゃねえぞこの変態ーー

脳内で文句を爆発させながら気が付いた。俺もたった今隣に若干苛ついた顔で佇んでいる弟に対し、同じような事を強要させていたよな。兄ちゃんて呼んでくれなんて言って。ごめんクレッド。

「わかりましたお兄ちゃん。これから気をつけるね」
「よし、良い子だな。それでいいぞ」

無感情かつ棒読みで言い放ったのだが、アルベールは満足そうに俺の頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。

「クレッド、後で剣術の勝負しようぜ。俺もまだまだ現役だからな、若いお前にも負けねえぞ」
「別にいいけど、俺達その前にやる事があるんだって。そうだろ、お母さん」
「あっそうそう。折角四人のガタイの良い息子達が揃ってくれたから……あ、セラウェは違うわね。とにかく私の家庭農園の収穫手伝って欲しいのよ〜。結構広くてね、色々な野菜作ってるの」

何故か天真爛漫な笑みで、思いもよらない事を言い始める母。俺は口をあんぐりと開けて表情だけでも抵抗の意を表そうとする。おいこの人、趣味の範囲広げすぎじゃないか。

「え? うちに農園なんてないでしょ? なんで俺達がそんな事やんなきゃいけないの?」
「おい、俺の妻にグチグチと文句を言うな。じゃあお前たち、頑張って来いよ。イスラ、俺達はテラスでお茶にするとしよう」
「そうね。行きましょう。あ、シグリットはもう初めてくれてるから。皆で力を合わせて宜しくね」

二人は俺達兄弟を残し、さっさと仲良く上階へと上がっていった。ぽつんと立ち尽くす俺の肩に、アルベールが溜息混じりに手を置いた。

「しょうがねえなあ、じゃあ行くぞ二人共。あっ、セラウェ。今日は日差しが強いからちゃんと帽子かぶれよ。クレッド、お前はそんな小奇麗な格好じゃ汚れんだろ、早く着替えて来い」

アルベールはまるで俺達を幼い頃のままの弟と同じであるかのように扱い、笑みを見せた。有無を言わせない強引な兄貴肌だが、長男らしく面倒見は良いのだ。
俺達は顔を見合わせ、渋々と言うことを聞いた。





母お気に入りの家庭菜園は、敷地内の余分なスペースを思い切って耕地にし、本当にちょっとした農園と呼べるぐらいにだだっ広い場所だった。これは確かに人手がないと厳しいだろう。
季節は春に向かっている最中とは言え、気温はそれほど高くない。正午が過ぎ日の光が燦々と照らす中、俺達四兄弟はせっせと芋掘りをしていた。

「おいシグリット。すげえよな、母さんって。いつの間にこんなに芋を植えたんだ。まさか休暇中にこんな事をやらされるとは思わなかったぜ」
「兄貴、不満を漏らすのは勝手だが手を止めないでくれよ。まだこの列だけじゃなくて、あそこに広がってるのも全部やらなきゃなんないんだぞ」
「分かってるよ。お前普段はチャラチャラしてんのに、変に生真面目なとこあるよな」

同じ騎士団に所属する兄二人は、年も二歳差で近いせいか仲が良さげだ。思い思いに喋りながら働く奴らを横目に、俺はぜえぜえ息を切らしながら農作業をしていた。

なんで実家に帰って、肉体労働しないといけないんだろう。考えてみたら祖母のお使いもしたし、ずっと体動かしてないか。
昨日だって夜いっぱい弟とあんな事をしちゃったのに……もう疲労困憊だ……。
いやいやいや。頭をぶんぶん振り邪な考えを跳ね除けようとすると、弟が近寄ってきた。

「大丈夫か、兄貴。きついのか」
「ああ。すでにすげえ疲れた。俺もともと全然力ないし。なんか日差しで頭がくらくらしてくんだけど」

正直に弱音を吐くと、クレッドに顔を覗き込まれた。心配げに見つめられドキドキする。おいそんな近くに来られると余計に動悸が強まるんだが。
しかし焦る俺の背後に、大きな影がぬっと現れた。

「セラウェ、もうへばってんのか? ははっ、まったくお前は本当に体力ないよな、しっかりしろよ!」

豪快な笑い声と共に、突然ばしん!とケツをはたかれた。俺は加減の知らない騎士のスキンシップに、思わず背中を仰け反らせ、大きな声を上げた。

「んああぁッ!」

や、やべえ変な声出た。どうしよう上の兄二人がぎょっとした顔で俺を見ている。

「な、な、何すんだよセクハラ兄貴っ!!」

俺は自分の失態を必死に隠すようにムキになって吠えた。だってまじで痛え、つうか今日は腰もケツも大事にしなきゃやばいから。本当は歩くのも結構気使ってるから。

「……兄さん。兄貴になんて事するんだ。もっと優しく扱ってくれないか……ッ」

半分涙目状態の俺の腰を抱き、クレッドが怒りの声を上げてアルベールを睨みつけた。きょとんとする長男は俺達の事を交互に見ている。

「悪い、そんなに痛かったか? なんだセラウェ、お前腰痛めてるのか。今尋常じゃない反応したよな」
「えっいや別に大丈夫だから。全然気にしないでお兄ちゃん」
「そんな訳にいかないだろ。俺が見てやるよ。普段から騎士の負傷の具合チェックしてるから、色々助言できるぞ」

途端に真面目な顔で迫ろうとする兄から後ずさり、俺はクレッドの後ろへと隠れた。俺の腰の具合に助言出来る事なんて一つもないと思う。

「兄貴は大丈夫だ。俺達に任せて、ちょっと休んでるといい」
「う、うん。そうしようかな」

俺を見て優しい口調で告げる弟に同意する。強引な兄に対し恐れが募った俺は、恥を偲んでクレッドの背からこっそりと様子を窺った。するとアルベールは驚きの表情を浮かべた。

「お前ら……なんか様子変わってないか。前よりやたらと仲良くなってるような……」

ひっ。やっぱまた突っ込まれたよ。そりゃあずっと俺と弟は互いに余所余所しく、時々ピリピリしていたもんな。
また汗を掻きながら説明しなきゃなんないのか。そう思っていると、様子を見ていたシグリットが間に入ってきた。

「ふふ。俺は兄貴より二年長くこの二人と暮らしてきたから分かるが、二人とも昔から凄い仲が良いぞ。まあ前はクレッドがセラウェの後を可愛らしくくっついてたが、今は大部男らしくなったもんな。どことなく関係が反対になったように見えるよ」

おい余計なこと言うんじゃねえ。反対ってどういう意味だ。俺が無言で次男を見据えると、アルベールが急に納得したように微笑みを見せた。

「まあ確かにな。いつの間にか体格も完全に逆転してるしな。セラウェ、お前も少しは鍛えたらどうだ? きっと腰も治るぞ」
「は? いいよ俺は。そんな面倒くさいこと」
「そうだよ兄貴、鍛え抜かれたセラウェなんて、誰が見たいんだよ。なあクレッド」
「…………。まあ、俺は今のままの兄貴でいいな」

なんだこの会話。皆して俺を話のネタにしやがって。どうせ俺は細いしお前らみたいな屈強な騎士じゃねえよ。一人だけ不自然だよ。

「でもなんで俺だけ背も低いんだろう……」

ぽつりと呟いた。別にそこまで低くはないが、遺伝的にちょっとおかしいと思うときはある。こうして図体のでかい奴らに取り囲まれていると尚更だ。

「えっそりゃ全く鍛練してないからだろ。お前俺達がどんぐらい苦労してこの体作ったか知ってるのか」
「いやいやお兄ちゃん、それだけじゃないだろ。親父の遺伝もあるだろ」

偉そうに述べる長男に対抗すると、クレッドが思慮深げに口を開いた。

「だって兄貴、小さい頃からずっと夜更かししてただろ。魔術書広げて昼夜問わず勉強してたから、成長の妨げになって身長が伸びなかったんじゃないのか」

弟の冷静な指摘に唖然とした。しかもどこか、だから俺はずっと構ってもらえなかったんだと言いたげな嫌味が入ってる気がする。「そ、そんなことないだろ」と白々しく目を逸らすと、上の兄二人が笑い声を上げて賛同した。

結局俺はたじたじな感じで、騎士三人にからかわれてしまったようだった。
その後休み休みで農作業を続けた俺達四兄弟は、無事に全ての芋を掘り終わり、ノルマを達成した。

ようやく肉体労働を終え早くシャワーを浴びて休みたい、そう思っている中で、マリアが現れ俺達に庭園に来るように伝えた。



一度家に戻り服を着替え準備をして皆で向かうと、そこではテーブルの上に様々な料理が用意されていた。遅めの昼食を家族全員揃って楽しむのだろう。

両親はすでに席につき、葡萄酒の入ったグラスを片手に、優雅に外での時間を満喫していた。

「皆、ご苦労様。さあたくさん食べてちょうだい」
「わあー美味そう、いただきまーす」

俺はさっさと席につき、何も食べてないせいで空腹だった腹を即座に満たしていった。
家族皆も母のお手製のご馳走に舌鼓を打ちながら、会話を弾ませて幸せそうな表情を浮かべていた。

思えば明日で休暇も終わり、騎士団領内に帰るのか。色々不測の事態も起こったが、終わり良ければ全て良しといった感じで、俺は妙な満足感を得ていた。

隣の弟を見やると、優しい笑みを返された。なんだか休暇中は、こいつのやたらと嬉しそうな笑顔を何度も見た気がする。俺も一緒に幸福感が募り、二人で過ごす事が出来て良かったと心から感じていた。

二人の世界で見つめ合っていると、やはり水を差された。

「そういやセラウェ、苺はもう食べれるようになったのか?」

アルベールがフォークに刺した真っ赤な苺をぷらぷらさせながら、俺に尋ねてきた。
いきなり何の話だよ。そう思いながら「食べれるよお兄ちゃん。なんで?」と冷静に聞き返した。

「だってお前、昔はこの表面についた種が気持ち悪い〜って泣いて、俺に全部取ってくれって縋ってきただろ」

何その急な暴露話。恥ずかしさに呆然とする俺の周りで、両親も兄弟も皆笑いだした。隣にいるクレッドもニヤついて笑いを堪えている。

「そんな事もあったわねえ。可愛い、セラウェったら」
「それでどうしたんだ、その苺は」
「親父、聞いて驚くなよ。俺が全部綺麗にナイフで表面を削いでやったんだ。その後こいつ、美味しそうに食ってたよ」

わざわざそんな事をやってくれたのか。申し訳ないけど全然覚えてない。
いやそうじゃない。俺はぷるぷると震えながら爆笑している皆を睨みつけた。

「や、やめろよそんな昔の話っ! 子供の言う事だろ!」

ムキになって反論しても、家族からは温かい目で見つめられるだけだった。なんなんだこいつら、楽しそうにしやがって。狼狽える俺がそんなに面白いか。

「かわいいな、兄貴。俺、もっと兄貴の昔の話聞きたい」

極めつけにクレッドが耳元で囁いてくる。顔が真っ赤になりそうなのを堪え、わざとらしく咳払いした。
するとタイミングを見計らったかのように、次男のシグリットが余計な事を言い始めた。

「俺だってセラウェのエピソードあるぞ。そうそう、俺が寮生活始めるってことで家出てく日あっただろ、その時俺の腰にへばりついて、お兄ちゃん行かないで〜やだ〜って泣き叫んでたんだよな。ああ、物凄い胸が痛くなった、あれは」

ふ、ふざけんな。どいつもこいつも好き勝手言いやがって。確かにそれは覚えてるが、今言わなくてもいいだろ。弟も聞いてるんだぞ。

けれど俺の憤慨も虚しく、家族はまたもや生温かい表情で、思い思いにしみじみと反応をしていた。
慰めるようにクレッドに頭を撫でられ、ぶちっと切れた俺は、思わず立ち上がって反撃に出ようとした。

「お、俺だけじゃねえぞ! クレッドだってなあ、すげえ小さい時の話だけど、俺と一緒に寝てない時も寂しい寂しいって言って、俺の服抱き締めたまま、泣きながら寝てたんだぞッ」

はあはあ言いながら奴らに宣言すると、ぽかんとした顔を向けられた。え、何この反応。思ってたのと違うんだけど。
恐る恐る弟を見やると、顔を赤らめて恥ずかしそうにしていた。ふふ、こいつはさすがに羞恥を感じているか。良かった……

「そうだったのか、兄貴。それは覚えてなかった。でも俺、そんな小さな頃から兄貴のこと、大好きだったんだな……」

弟が感慨深げに素直な声を漏らしている。何故今そんな爆弾発言を、こんな皆の前で、言い出した……?
固まってしまった俺に、クレッドはにこりと笑顔を作った。もう家族の反応確かめるの怖い。恐怖に怯えていると、その場はなぜか、再び爆笑に包まれた。

「ふふ、そうそう。クレッドは一番お兄ちゃん子だものね。私もよく知ってるわよ。セラウェの服たくさん自分の部屋に溜め込んで、足りなくなっちゃう程だったんだから」
「まったく、お前はこうと決めたら周りが見えなくなるからな。幼少時からそういう気質だったんだろう」
「可愛いなあ、お前ら二人とも。やっぱ何年経っても、いくらでかくなっても、あの時のままに見えちゃうんだよな。実際変わってねえし」

両親と兄達が頷き合いながら、楽しそうに話している。あれ、別に大丈夫なのか今の。
焦っていたのは俺一人だけだったと気付き、力なく腰を下ろした。

そのまましばらくは、俺達二人の昔話で盛り上がる年上の奴らに、適当な相槌を打った。クレッドは依然として幸せそうな顔を俺に向けている。

いつもと変わらぬ家族の面々に翻弄されつつも、弟の満ち足りた笑顔を見た俺は、実家に帰ってきたのは間違いじゃなかったと、ひとりでに確信するのであった。



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