▼ 81 裸の付き合い -休暇編3-
騎士団の保養地があるゼーレンの街には、団員もよく訪れるという人気の場所がある。屈強な騎士達といえど、日頃演習や任務などで疲弊した身体を癒やす為に役立つのが、湖周辺に点在する温泉だ。
せっかくだからということで、俺達四人も近場の露天風呂を訪れたのだがーー正直俺は人と風呂に入るのが好きではない。日々の煩わしさを忘れ、一人でゆっくり湯に浸かりたいからだ。
けれどまあ昔からの幼馴染との付き合いだし……そう考えて、脱衣所で服を脱ごうとしていた。
けれど問題があった。それはこの、さっきから隣でじろじろと俺の様子を窺っている弟の存在だ。
「兄貴、ちゃんとアレ持ってきたか?」
「えっ……ああ、持ってきたっていうか、下に履いてるけど」
「本当か? ちょっと見せて」
「んあっ何すんだ、触んなよ馬鹿ッ」
クレッドが俺のパンツに手を突っ込み、中を覗き込んでくる。
おい、公衆の面前でなに猥褻行為働いてんだ、この変態野郎は。
「良かった、ちゃんと水着履いてるな。……本当は上だって誰にも見せたくはないが」
真剣な顔で頭のおかしいことを述べる弟を横目で見やる。ここ男湯だし、俺はれっきとした成人男性なんだけどな。やっぱりこいつ頭湧いてるだろ。
「なあお前こそ、ちゃんとあの印……隠れてるのか? ちょっと見せてみろ」
「……はっ? 駄目だ止めろ、見るな兄貴ッ」
すでに上半身裸の弟のズボンを無理やり引っ張り、中を確認しようとした。
あ、あれ俺何やってんだ。自分からこんな興奮を増長させるようなことーー今欲求不満なの忘れてた。
すぐ目の前にクレッドの筋肉質な裸体を感じて、急に我に返った俺はパッと手を離した。
すると一転してニヤリと笑った弟の顔が近くに迫ってきた。
「……どうしたんだ。今、何か考えた?」
「な、なんでもねえよっ」
「でも顔が真っ赤だぞ。なあ教えて、兄貴……」
こんな場所でそんな卑猥なこと言えるわけねえだろうが。
つうかこいつ、俺のこと兄ちゃんって呼んでくれる約束はどこ行ったんだよ。やっぱ外では無理なのかな?
悔しく思いながら睨みつけてると、背後から「うわっ」という馴染みのある声がした。
「クレッド……お前やっぱすげえ体してるな。俺の想像以上だ。ちょっと触らせて」
同じくすでに水着姿のキシュアが、やや興奮の面持ちで近寄ってくる。おい俺の弟の何を想像してんだよ。
親友は躊躇なく、クレッドの腹筋に手のひらを這わせた。
「あー、すごい。硬いな。綺麗に割れてて肉付きも程良い。お前まさに芸術品だわ」
「は、離せキシュア、そんな風にペタペタ触るなッ」
おいふざけんな、いくら親友といえど、さすがに温厚な俺も腹が立ってくるぞ。
「やめろよ、クレッドが嫌がってるだろ!」
「だってさあ、俺前にこいつのヌード描いただろ。あれがこんな風に成長するなんて……感慨深いよな。あ、また絵のモデルやってくんない?」
顎に手を当ててしみじみと語り出す男に、まじで殺意が湧いた。俺もあの時のこいつの暴挙を鮮明に覚えている。
まだ年端もいかない可愛い弟が、この変態の餌食になってしまったんだから。
「やるわけねーだろ馬鹿かてめえっ、こいつの裸はお前のもんじゃねえんだよ!」
「なんでお前がキレんだよ、俺はクレッドにお願いしてんだけど」
「兄貴の言う通りだ、俺はもうあの時の子供じゃないんだぞッ」
三人で揉み合っていると、更なる問題人物が現れた。
完全に女顔のカナンが、長い髪を束ねて上半身裸でうろうろしている。俺は何故かその姿を見るなり卒倒しそうになった。
「わー!! カナン、お前何やってんだよ!」
「……えっ、どうしたのお兄ちゃん。そんな血相変えて」
きめ細やかな白肌にほっそりとした腰つき、しなやかな体の線が一見して見る者を惑わせる風貌に、俺は思わず持参した大きいタオルを奴に勢いよく被せた。
こいつやっぱり全然男に見えない。
「か、隠した方がいいぞ、上もっ」
「は? 何言ってんだよ、俺男だぞ。意味が分かんないんだけど」
「お前が良くても周りがドギマギするだろーがっ」
「もう変なこと言わないでよ、お兄ちゃん。頭大丈夫か?」
本気の様子で引かれて俺も一瞬ハッとなった。でもなんか凄い目のやり場に困るんだけど。
ほら、脱衣所にいる他の男客もチラチラこっちを見てる。ぜってーカナンのこと気になってるんだ。
兄的な思いから疑心暗鬼になっていると、突然肩をぐいっと後ろから掴まれた。
「兄貴。馬鹿じゃないのか? こいつはただの無邪気な男だぞ。考え過ぎだ」
「そうそう。んな変態的な目で見てんのお前だけだよ、セラウェ」
弟とキシュアが冷たい目で俺を見下ろしてくる。お前ら平気なのか? こんなキラキラした中性的な物体が裸でうろついててもーー。
つうかクレッドのやつ、お前が言えることじゃねーだろ。さっき俺の体どうのこうの言ってたくせに。
俺達のやり取りを無視して浴場へ歩いていくカナンを見やりながら、俺は大きく肩を落とした。
露天風呂に出ると、外はまだ気温は高くないが晴れていて、日の光が肌に当たり心地よく感じた。
広々とした温泉にはまばらな客がいるだけで、気兼ねなく入浴を楽しめそうな雰囲気だった。
ゆっくりと熱いお湯に身を浸し、体の芯から温まっていく。
「おーすげえ、カナン見てみろよ。こっから湖も見れるし、眺め良くねえ?」
「うわホントだ! この温泉当たりだな〜」
ざぶざぶと湯の中を進みながら、シヴァリエ兄弟が年甲斐もなくはしゃいでいる。こいつらも昔から変わらず仲が良いよな。
遠目で見ていると、キシュアも画家というわりに、少し日に焼けた引き締まった体つきで目を引くことに気がついた。
こうやって他の男共の裸体を目の当たりにすると、元々自分になかった自信がさらに消え失せていくようだ。
なんか俺だけ、何の特徴も無くて普通な気がする……。
俺は隣で湯の中に浸かっている弟に、こそっと耳打ちした。
「なあ、クレッド……俺の体、どう思う……?」
「……え!?」
何故か弟はもの凄い大声で反応し、蒼い瞳を大きく見開いた。しばらく考えた後で急に俺に向き直り、妙に真面目な顔を作った。
「兄貴の体は完璧で、最高だ。詳しくはここでは言えないが……その素晴らしさは俺が保証する。もっと聞きたいのなら今日の夜、俺がじっくりと一つずつ説明していってあげーー」
「おい今すぐ黙れ。時と場所を考えろ」
聞いたのは俺だが、暴走しそうな弟を出来るだけ低い声色で制止した。
こいつに尋ねたのが間違いだったな。全然違う意味合いの答えが返ってきたんじゃないか。
真顔になった俺のもとに、離れたとこで喋っていたキシュア達が再び寄ってきた。
いい年した男四人が肩を並べて温泉に浸かってるというのも、かなり微妙な絵面だと思うが仕方がない。
「あー気持ちいい……ほんと最高だな、この温泉。カナン、お前の職場って胡散臭い集団だと思ってたけど、結構良い趣味してんだな」
「なんだよそれ。確かに奇人変人ばっかりだけどさ。なあ、お兄ちゃん」
「ああ、まあな。まともな奴一人も居ないもんな。教会だけじゃなくて、たぶん騎士団もだけどな。とくにお前の部下達みんなヤバイよな」
そう言い放ちクレッドのことを見やると、図星だったのか奴は無言で素知らぬ顔をしていた。
けれどその時、弟の表情が突然一変した。大きく見開かれた瞳は露天風呂の入り口に向けられている。
「……な、なんであいつらがここに……」
弟は珍しく取り乱した感じで呟き、固まっていた。
え、誰だよ。まさか知り合いか?
訝しんで同じ方向を見ると、そこにはたった今俺が話題にした騎士達の姿があった。
「あれ、ハイデルじゃないか。珍しいな、こんなとこで出会うなんて。おいグレモリー、団長がいるぞ」
「えっ嘘だろ。……ああッ! マジじゃねえか、何兄弟仲良く温泉入ってんだよ、団長」
楽しそうに笑う美形の騎士の横で、大男の騎士グレモリーが大声を上げてこっちに向かってきた。
こいつ想像以上に凶悪な体つきをしている。こんなのに襲われたらひとたまりもない。
予期せぬ仕事場の奴らの出現に言葉を失っていると、隣にいるクレッドはぷるぷると震え出していた。
「……お前ら、これは偶然か? 俺はわざわざ違う区域を選んだのに……」
「なんだよそれ、つれねえなあ。俺達今回の熊狩りも楽しみにしてたのによ、団長抜きだと気が引き締まらないだろ。なあユトナ」
「確かにそうだな。でもハイデルは今ご友人達とお楽しみの最中らしい。あんまり邪魔するのは止めておけ」
しかし大男は美形の騎士の言葉を無視し、勢いよく温泉に入ってきてクレッドに絡み出した。
ユトナは軽く溜息をつくと、同じく湯に入り堂々と俺の隣に腰を下ろした。
にっこりと微笑まれ、俺も汗を滲ませながら笑みを返す。内心、この男には警戒心を解いたらまずいと心していた。
「君の裸は初めて見るな、セラウェ。すごく綺麗だね」
「へっ……? そう? そんな事言われたこと無いけど。お、お前も中々だよな、ユトナ」
さすが変態鬼畜の騎士だけあって会話の初めから卑猥だ。褒めてるつもりなのか知らないが、爽やかに言われるとつい不快感を忘れそうになる。
けれどその場に俺の親友が割り込んできて、強引に肩に腕を回された。
「おい、あんたクレッドの部下なんだろ。こいつに何か用?」
「君は誰だ? ……シヴァリエ、お前の知り合いか?」
「知り合いっつうか俺の兄貴だよ。お兄ちゃんの親友でもある」
「お兄ちゃん……? ああ、セラウェのことか」
おい恥ずかしいから止めてくれよ、その呼び方。一応聖騎士団直属の四騎士の前だぞ。
美形の騎士はキシュアには答えずに、俺に向き直り興味深そうな顔つきをした。
「君は本当に面白い男だな。周りにこんなに色々な男が群がって……ハイデルが過剰に心配するのも分かる気がするよ。……ふふ、俺も段々君への関心が強まってきた」
ユトナは形の良い目を細めて言った。えっなんかいつも以上に怪しげな雰囲気を醸し出している。
俺はお前のようなド変態には、まるで食指が動かないんだが。
「あ? てめえ、どういう意味だそれ。俺の親友に変な関心持つなよ」
「ちょっと兄貴止めとけよ、こいつ見た目と違ってかなりヤバイ奴だから」
「酷いことを言うな、シヴァリエ。俺は気に入ったものには優しくするぞ」
なんなんだ、好き勝手に話しやがって。でも珍しいな、何故かクレッドが俺を助けに来てくれない。
気になって弟の様子を見ると、遥かに体格の勝る大男の騎士によって絡まれていた。
屈強な裸の騎士同士の光景に、思わず視線を逸したくなるのを堪える。
「だからよ、団長。一日ぐらい俺達に付き合えよ。あんたも狩猟やりたいだろ? 生ぬるい休暇なんか取ってると、すぐ筋力落ちるぞ」
「お、お前に関係ないだろ。俺は今兄弟で久々にゆっくりとした時間をーー」
「ああ? あんた職場でも兄貴のことばっかじゃねえか。そんなんじゃ部下に示しがつかねえぞ」
グレモリーが真剣な顔で弟を問い詰めている。言っていることは間違いなく奴が正しい。っていうかクレッド、普段からそんなに俺のこと話題にしてるのか? 団長としてやべえぞ、それは。
俺は気になって湯を掻き分け、弟のもとへと向かった。この二人の間に進んで割って入りたくはないが、このまま弟を放っておけない。
「クレッド、お前……本当に良かったのか? 大事な恒例行事を抜けてまで、俺達に時間を割いてくれて……」
「何言ってるんだ兄貴、俺がそうしたくて決めたことだぞ。こんな男の言う事は気にするな」
「おいそりゃないんじゃねえか。なあ魔導師。一日ぐらい俺達に団長貸してくれよ」
「ええ……」
「なんだその嫌そうな顔。てめえ本心隠しやがって、偽善的な野郎だなっ」
はあ? なんで俺がそこまで言われなきゃなんねえんだ。俺だって弟との旅行楽しみにしてたんだぞ。
「やっぱ嫌だね。クレッドは今俺達と仲良く過ごしてんだよ。邪魔すんなデカ騎士」
「ああ? この野郎……団長独り占めしてんじゃねえぞ!」
グレモリーが子供のような言い分で、俺に怖い顔を向けて凄んできた。
「うるせえ! お前のもんみたいに言うな、こいつは元々俺の弟なんだよッ」
俺は周りの目も気にせず、つい大声で幼稚な物言いをしてしまった。
なんだろう、珍しく本音をぶつけて言い合いをしてると、不思議と気分が高揚してくる。クレッドもいつもこんな感じだったのかな?
「兄貴……!」
弟に視線を移すと、蒼い目を輝かせて嬉しそうに俺を見つめていた。
グレモリーは一瞬怯んだ様子で、はっ、とムカつく声を漏らした。
「なんだこいつら、仲良くしやがって。……まあいいや。じゃあこうするか。団長、明日の飲みには付き合えよ。いつもの酒場予約してあるからよ」
……えっ。何それ、酒場? この騎士達、そんなとこで例年楽しく盛り上がってたのか。
「は? なんで俺が……忙しいって言っただろ、グレモリー」
「ったくよお。じゃあそいつらも一緒でいいよ。また飲み比べしようぜ、団長」
なるほどな。話を聞いていて分かったが、この大男、クレッドが好きなんだ。すげえ構ってほしいみたいな空気出してるし。
俺の師匠を思わせる闘争心の塊みたいな体格して、団の外では意外に子供っぽいとこがあるのだと感じた。
「じゃあそうするか、クレッド。せっかくだから」
「おい仕切ってんじゃねえぞ魔導師。お前はついでだからな」
何故か偉そうに言われ癪に触ってきた。いちいち突っかかって来やがって。年下のくせに。
クレッドは溜息をついていたが、部下に押し切られ渋々了承したようだった。
職場のことを忘れ休暇に来たはずが、思いがけない事態になってしまった。
何事も起こらなければいいなと思いつつ、俺は今度こそゆっくりと温泉に浸かり、日頃の疲れを癒やすことにした。
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