俺の呪いをといてくれ | ナノ


▼ 66 すれ違う思い -クレッド視点 回想5-

ハイデル家では、家族皆が揃う夕食の時間を大事にしていた。
大きいテーブルを俺達兄弟と両親で囲み、普段は厳格な父も母の手料理を堪能しながら上機嫌に笑い、皆で会話をはずませ楽しく過ごす。
けれど俺が十二歳になった頃、この家族団欒の時間に、兄貴の姿がないことが多くなっていた。

その夜も兄貴の帰宅が遅かった。階下で父の怒鳴り声がし、俺は階段の上から玄関の様子に聞き耳を立てていた。

「おい、お前なんだその格好は! こんな時間までどこで何をしていた!」
「別に何もしてないよ。ちょっと遅くなっただけだろ」

冷静さを欠いた父の詰問に、面倒臭そうに答える十五歳の兄貴はこの頃、完全な不良少年となっていた。
おかしな魔術連中とつるみ始め、夜な夜な外で何かを行っている。俺はそんな兄の動向が気になって仕方がなかった。

「セラウェ、あまり皆を心配させないで。遅くなるならちゃんと言いなさい」
「……分かったよ。ごめん、お母さん」

母には素直に謝る兄だったが、その後も続く父の叱責を振り切って、自室がある二階へと上がってきた。
すぐに駆け寄った俺は兄の姿を見て、言葉を失った。何故か全身泥だらけで、服も顔も所々に乾いた土が付いている。

「に、兄ちゃん、なんでそんな汚れてるの? 何してたの?」
「え? ああ、ちょっと属性魔法の訓練してたんだよ。まだあんまり上手くいかなくてさぁ」

さっきまでのピリピリした空気を感じさせない、いつもの兄の様子に一瞬ほっとした。しかし訓練という言葉を聞いた途端、目眩がしそうになった。
何故なら兄貴は昔から体力もなければ運動のセンスもない。面と向かっては言わなかったが、当時の自分にもその事ははっきりしていた。

心配になった俺は思わず兄貴に抱きついた。

「うわっなんだよっ」
「あんまり危ないことしないで、兄ちゃん。俺、心配だよ」

自分の服が汚れるのも気にせず、腕に力を入れて素直な感情を表そうとした。けれど小さな頃と同じ抱擁は、何故か兄貴に受け入れられなかった。

「バカ、離せよもう、クレッドっ」
「なに? なんで駄目なの?」

体を引き剥がされ、揺れ動く深緑の目に見つめられる。その頃俺も急激に背が伸びていて、兄貴より目線が少し下ぐらいになっていた。

兄の気持ちが理解できない。皆で心配してるのに、何故伝わらないんだろう。
そんな思いが胸に込み上げ、我慢できなくなった俺は、もう一度兄貴を抱きしめた。
だが今度は拒否されることなく、耳元で溜息が吐かれただけだった。

「おい。お前な、誰かれ構わずこんな事してんじゃないだろうな」
「どういう意味? ……抱きつくこと? 兄ちゃんにしかしてないよ」
「……本当か?」
「うん。本当だよ」

もともとが優しい兄は、俺の背中をぽんぽんと叩いて、しばらくそのままにしてくれた。
俺はその頃、言い様のない寂しさを抱えていた。自分の知らないところで独自の世界を持つ兄貴が、どんどん遠くに離れていってしまう。
それなのに自分は幼い頃と何も変わらず、兄の温もりを忘れることが出来ない。
分かっていても、当時兄離れをしようという気すら起きなかったのが、今考えると恐ろしく思う。


数日後。俺はまた色々と考えを巡らせながら、学校でカナンと話をしていた。
授業の合間の休憩時間に、廊下の端にある窓から校庭をぼんやりと眺め、その日やたらと会話の多い親友の相手をする。

「ちょっと聞いてよ、クレッド。兄ちゃんがさあ、新しい女連れてきたんだけど、すげえ裏表激しいんだよ。兄ちゃんの居ないとこではマジで無表情で冷たいの。俺にも感じ悪いし。ほんと趣味悪いよな〜」
「ふうん、そうなんだ。大変だね……」

カナンは画家志望の兄の話をよくした。キシュアは芸術家肌でその頃から自由奔放な付き合いをしているようだった。興味のない俺は聞き流していたが、話が自分の兄に及ぶとそうはいかなかった。

「そういえばセラウェお兄ちゃんの彼女ってどうなったの?」
「……は? 何言ってるんだよ。彼女じゃないよ」
「ほんとに? 家とか連れてこないんだ」

親友に振られた話題に何故か過剰な反応を示してしまった俺は、必死に平静を保とうとしていた。
兄貴と一緒にいたあの子の姿を見ることは、その後なかった。キシュアは魔術仲間の一人だろうと言ったが、いつも見えない所でコソコソしている兄貴の様子に、ただの子供だった弟の俺が詮索できる術もなかったのだ。
それに、心のどこかで知りたくない気持ちもあった。

「ねえねえ、ハイデル君。ちょっといい?」

俺達の背後から、いきなり女の子の声がした。驚いて振り向くと、同じクラスの子と、もう一人の知らない子が立っていた。

「何? 君たち、クレッドに何の用?」

俺が返事をする前に半笑いのカナンが偉そうに尋ねた。もう一人の女の子が何故か顔をうつむかせ、時々俺のことをちらちらと見てくる。

「シヴァリエ君には用はないの。……あのね、ユリアちゃんがハイデル君にお話したいんだって。いいかな?」
「……話? いいよ。どうしたの?」

俺は単純にその場で尋ねた。すると隣からぶっと吹き出す声が聞こえた。俺が訝しんでカナンを睨むと、ユリアと呼ばれた子が恥ずかしそうに口を開いた。

「あ。あのね。二人でお話したいの。ハイデル君と……」

俺と同じ金髪の緩やかな髪質の女の子だった。清楚なワンピースを着ていかにも女子らしい服装をしていた。
カナンとクラスの子に促された俺は、昼休みになった頃、校庭の隅にある樹木の近くの椅子に座り、その子と話を始めた。
最初はたわいもない会話をしていたが、初対面なのですぐに話すことがなくなった。するとユリアは突然俺のほうを見て、顔を赤らめさせた。

「私、ハイデル君のことが好きなの。付き合ってくれませんか?」

それは初めて俺が受けた告白だった。当時の俺は正直言ってそういう事に疎かった。
それどころか、好きと言う言葉を聞いた直後、何故か兄貴のことを連想した。さすがに自分でもおかしいと思い、すぐに頭から振り払おうとした。

「えっと……」

必要に迫られ思考を回転させ、「どんな時でも女性には優しくしろ」という父の言葉を思い出した。
頭の隅では「話したことないのに何故俺が好きなんだろう」と疑問が湧いたが、それは胸にしまった。

「気持ちを伝えてくれてありがとう。でもごめんね。俺には心に決めた人がいるんだ。だから君と付き合うことは出来ないんだ」

十二歳にしては芝居じみた台詞だと思ったが、なるべく正直に述べた。しかしその言葉が失敗だったとすぐに悟る。目の前のユリアが言葉に詰まり、みるみるうちに涙を溜めていったのである。
そんな悪夢のような状況に更に悪夢が重なった。 

無言で今にも泣き出しそうな彼女に困り果て、校庭に目をやった。すると表情が分かるぐらいの距離に数人の生徒が連れ立って歩いているのが見えた。
そこに兄貴の姿があることに、俺は目を疑った。しかも背の高い見知らぬ男に肩を抱かれ、もう一人の女の子ーーあのブラウンの髪の長い子も一緒にいた。

「兄ちゃん……?」

それを見た瞬間、告白のことが頭から吹っ飛んでいた。何故か無性にその光景が気になり、兄のことしか考えられなくなっていた。
凝視していると、兄貴も確かに俺のことを見た。しばらく目線が合ったかと思えば、何食わぬ顔で視線をそらされた。

大きなショックを受けた俺は、その後動揺を隠しながら彼女をなだめ、なんとかその状況を切り抜けた。
その日はカナンに根掘り葉掘り尋ねられたが、頭の中はそれどころではなかった。


家に帰り、俺は自室へと向かった。呆然とベッドに腰をかけ、その日の出来事を反芻していた。
すると突然扉が叩かれた。

「クレッド。ちょっといいか?」

返事を聞く前に扉を開けたのは、珍しく早く帰宅した兄貴だった。いつも俺が部屋に押しかけている為、ここへ来ることはめったに無い。
本来なら嬉しさに飛び上がるような出来事だったが、その時は一番会いたくない人物でもあった。

「兄ちゃん……何か用?」
「いや別に、ちょっとな」

動揺を抑えながら部屋の中に招き入れると、兄貴は小さなソファに腰掛け、俺のことをじろじろと見てきた。
何故か普段にはない居心地の悪さを感じながら、俺は気持ちを落ち着かせようとしていた。

「なあ、お前もう彼女出来たの? 今日、女の子といるの見たぞ」

唐突に浴びせられた質問に言葉を失い、緊張に体を強張らせて兄貴に視線をやった。
あの時はすぐ目を逸らし、興味なさそうな素振りをしていたのに。何故今そんな事を聞いてくるんだろう。

「ち、違うよ。そんなんじゃない」
「違うのか? なんだ、お前ももうそんな年なんだなぁって思っちゃったよ」
「………え?」

少し笑みを浮かべて平然と話す様子に、頭の芯がぐらつくのを感じた。渦巻く感情を追い立てるかのように、胸の奥がズキズキと容赦なく痛み出す。

「俺……まだ十二歳だよ。そんなの要らないよ」
「そっか、そうだよな。確かにちょっと早いよな。お前はそんな急がなくてもいいよ。……まあ、いつかそういう時が来るだろうし」

まだどこか笑みを浮かべている兄の言葉に、一気に感情が揺さぶられた。
どういう意味だろう。なんでそんな事を言うんだろう。
大好きなはずの兄に対し、無性に怒りが湧いてきた。

分かったのは、俺が兄貴に対して感じているような気持ちは、兄貴には一切ないということだった。
当然といえば当然なのだが、その時の俺は頭を殴られたようにショックを受けていた。

「兄ちゃんと違って俺はそういうの興味ないから、どうでもいいんだよっ」

俺は苛立ちを抑えきれず、拳を強く握りしめて兄貴を睨みつけた。
すると呆然とした兄の大きく見開いた瞳と目が合った。

「ちょ、ちょっと何怒ってんだよお前。こういう話すんの嫌なのか?」
「嫌だよ! もううるさい! 早く出てってよ!」

兄貴に反抗的な態度を取り、声を荒げたのはその時が初めてだった。
いても立ってもいられなくなった俺は子供のようにわめいた後、兄貴の腕を強引に引っ張り、自分の部屋から追い出そうとした。
しかし、その時はまだ兄貴のほうが力が強かったのか、両腕をがっしりと抑えられた。

「おい、ちょっと待てってば、落ち着けよ」

動揺したような焦り顔で見つめられ、俺ははっと我に返った。
昔からこの顔を向けられると、興奮していた気持ちが不思議と治まっていく。その時も同じだった。

「悪かったよ、クレッド。お前が嫌だったら、もうこの話題しないから。ごめんな。ちょっと気になって聞いちゃったんだよ」
 
深緑の目が真剣な眼差しで俺を捕らえていた。
今なら分かるが、弟を心配する兄としての普通の気持ちだったのだろう。
もしかしたら兄貴は俺に頼られたかったのかもしれない。だが俺はこの説明できない感情を、よりによって兄貴本人に打ち明けるなど、到底出来なかった。

優しい兄の心遣いが、子供だった当時の俺の心を苦しめた。けれど同時に、その優しさに縋りたくなるのも事実だった。

「……ううん。俺もごめんね、兄ちゃん……」

寂しさを埋めるように、また兄の体に抱きついた。この前の抱擁の時とは違い、どこか悲しい感情が襲っていた。
嫌がる素振りを見せない兄貴の態度に甘えるように、しばらくそのままでいた。だがそんな束の間の二人の時間に、とうとう忘れ難い瞬間が訪れた。

「でもなんか相談したい事とかがあったら、俺に言えよ。これから俺、あんまりお前に会えなくなるかもしれないからさ」

兄貴がそう言った瞬間、与えられた安心が瞬く間に消え去った。

「何言ってるの、兄ちゃん……会えないって、どういう意味……?」

聞き間違いだろうと思いながらも、言葉の意味を注意深く探ろうとする。真っ直ぐに目を見て尋ねると、兄貴は少し困ったような表情をした。

「お前には早めに言っておいた方がいいと思ったんだけどさ。……俺、十六になったら家を出ようと思うんだ」

一瞬のうちに頭が真っ白になる。
けれどすぐに様々な感情が駆け巡り、俺は思わず兄貴の服を力任せに掴んだ。

「家を出るって、どういう意味? どこに行くの?」
「えっと、師匠になってくれそうな人を見つけたんだ。まだ全然相手にされてないんだけどな。その人のもとで本格的に修行したいなと思っててさ……」

兄貴は気恥ずかしそうに告白したが、気が動転した俺にとっては、そんな事はどうでも良かった。

「……な、なんで……どうして? 兄ちゃん、俺と一緒にいてくれるって言ったのに! もう忘れたの? ひどいよ!」
「えっ、お前……そんな昔のこと、まだ覚えてたのか?」

何気なく放たれた言葉が、俺の胸をさらに残酷に撃ち抜いた。
あの時から大切に胸の中で温めてきた記憶が、途端にひび割れてしまいそうになった。
兄貴の気持ちと俺の気持ちの度合いは違う。その埋められない大きな差を、俺はその時改めて痛感したのだった。

「覚えてるよ、当たり前だろ……だって、二人で約束したんだ。大事な思い出だよ……。だからそんな事、言わないで、兄ちゃん……」

俺はきっと泣きそうな顔をしていただろう。縋るように見つめると、言葉を失っていた兄貴が俺の頭にそっと手を置いた。

「……ごめん、クレッド……そんな顔、するな……」

慰めるように優しく撫でていた兄貴も、少し眉間に皺を寄せ、つらそうな表情を浮かべていた。
いつも安心を与えてくれたはずの兄の手に触れられ、その時の俺は、胸に直接苦しみが広がっていくのを感じていた。

一緒にいると約束したのに、離れていってしまうなんて。
あの時、必死になって引き止めていれば良かったのだろうか。けれど子供の自分に何が出来たのだろう。
今だって、ただ自分の気持ちをぶつけることしか出来ないのに。

兄貴は知らないだろうが、その頃から俺の感情は大きく狂い始めていった。



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