▼ 59 美女の正体
弟に手を引かれて向かった先は、騎士団領内にある魔術師用の建物だった。
エブラルの研究室がある場所だ。何故騎士であるクレッドがこんな所に用があるんだよ。
「なあ、ここにあの女の人いるのか?」
「ああ、そうだ。今紹介するから」
紹介ってなんなんだ。俺という存在がありながら、この男、残酷じゃないか?
まさかあの美女は、俺と同じ魔術の研究者なのか。
うそだろ、もっと勝てそうにない……自信が萎えていく中、やがてある部屋の前に立ち止まった。
クレッドが扉を開け、一緒に中に入る。
そこはいかにも魔術師の作業所といった感じで、机に高く積まれた書物の横に、ごちゃごちゃと器具が並んでいた。
というか部屋がかなり汚い。美人のわりに随分大雑把な性格してそうだな……
奥に進むと、後ろ姿の女性が机に向かって椅子に腰掛けているのが見えた。
弟はいきなりその人の肩を掴んだ。
えっ……その強引な振る舞いになんかショックを受ける。つうか女性に対して失礼じゃないか。
「おい。お前に紹介したい人がいる」
クレッドのぶっきらぼうな台詞に女性が体をビクつかせ、凄い勢いで振り向いた。
長く真っ直ぐの金色の髪が胸元にパサッと落ちる。あれ、でも胸は無えな。スレンダー系か?
間近で見ると、やっぱ凄い美人だ。細やかな白肌に、金色の長いまつ毛とヘーゼルの瞳。勝手にライバル視してた俺でも、思わず見とれてしまった。
その人は無言で目を丸くして、俺の顔を見ていた。それはもう穴が開いてしまうほどに。
「あ、あの……僕は、こいつの兄なんですけど……セラウェ・ハイデルといいます。どうぞよろしく」
俺は挙動不審になりながら、初対面の美人に向けての喋り方をした。すると何故か隣にいた弟が吹き出した。
何がおかしいんだこの野郎、そう思いつつ睨むと、美女の口から信じられない声が聞こえてきた。
「あー!! うそ!!」
女性から、すごい野太い音が響いた。
え……なんか異様に男らしい声だな。ああ、外見が良いから神様が変な声を与えちゃったのかな、と同情心が芽生えたその時。
「うわマジでクレッドの兄貴じゃん! おいお兄ちゃん、すげー久しぶりだな!」
「…………えっ?」
なにこの人、初対面でお兄ちゃんって……つうか久しぶりって言ったか今。
俺は固まったまま、横に突っ立ってる弟に目線だけ向けた。奴は笑いを堪えている。
「すみません誰ですか。記憶にないんですけど」
「え、酷くねえ? 俺のこと覚えてないの? あー、ガキの頃短髪だったから分かんないかあ」
繊細で儚げな美しい外見なのに、あけすけな態度とテンションの高さからくる破壊力が凄い。
今、俺って言ったよな。この人、女じゃない……誰だこれ。
「兄貴、こいつはシヴァリエ家のカナンだよ。昔よく一緒に遊んだだろ?」
混乱する俺に助け舟を出すかのように、優しく告げる弟。だが俺の頭は一瞬ぐらついた。
それって、俺達の幼馴染の名前じゃねえかーー
「カナンって……まさかお前、キシュアの弟か?」
「そうだよ、やっと思い出した? 兄貴もお兄ちゃんに会いたがってたぞ」
美女だと思っていた顔がニッとあどけない笑顔を向けてきた。
ちょっと待て。記憶を整理しないと駄目だ。
幼少期から家同士の繋がりがあった俺とキシュアとこの二人は、それぞれ年も近いせいか仲良くつるんでいた。
カナンは確かにもともと中性的で可愛らしい顔立ちをしていたが、成長した姿からはほぼ当時の面影を感じない。
実際に会うのも、俺が家を出て以来だから約十二年ぶりだ。
いずれにせよこいつは、クレッドの親友であり、俺の親友の弟なのだ。
「お、お前なんでこんな所にいるんだ。教会で働いてんのか?」
「それはこっちの台詞なんだけど。マジでびっくりしたよ、クレッドの兄貴がいるって聞いて。あ、ちなみに俺ここの回復師だから」
……えっ。回復師? 嘘だろ。俺の同僚じゃねえか。
ずっと姿を見せなかったから会う機会なかったけど。
つうかイスティフの野郎、知ってて俺をからかいやがったのかッ。
それにキシュアから弟が魔術の道に進んだことは聞いていたが、白魔術系統の回復師をやってるなんて話は知らなかった。
「お兄ちゃんも遠征地行ってたんだろ? なんかあの聖地荒らしてた男が師匠なんだってな。すっげーウケるんだけどそれ」
「ま、まあな。迷惑かけて悪かったな」
「本当だよ、怪我人多かったんだぞ。俺久しぶりに忙しくなっちゃったよ」
結構シリアスな話なのに、すごい軽い調子で言われ面食らう。
あれ、こいつナザレスの話は知らないのかな。恥ずかしいし自分からは触れたくないが。
でもちょっと待てよ、普通に会話してるけど、一つ疑問が湧いてきた。
「おいクレッド、なんでカナンのこと黙ってたんだよ」
「いや別に黙ってたわけじゃ……」
目を見てはっきり問いただそうとすると、弟は途端に言葉に詰まりだした。
怪しい。何か隠してるんじゃないのか。
それにさっきだって俺がこのガキを美女だと思いこんで嫉妬してるの見て、面白がってたんじゃないのか?
「クレッド、お前なあっ、ひどいぞ!」
「ちょっと、あ、兄貴。待って、落ち着けって」
俺が再び弟の制服を掴み精一杯凄もうとすると、何故かクレッドは頬を緩ませて楽しそうな顔をした。
そんな俺たち二人に対し、後ろからカナンの笑い声が響く。
「はは、まあいいじゃん。だいたい俺、ここに常駐してるわけじゃないからさ。籍は置いてるけど、任務の時に駆り出されるぐらいだし。回復師として色んな仕事掛け持ちしてるんだよね」
なるほどな、だからあまり姿が見えなかったのか。
……そういえば俺と弟が前に、ナザレスのことで距離が出来た時。仲直りの際に、回復師の部屋でヤバイ事しちゃったのを何故か今思い出してしまった。
まさかバレてないよな。幼馴染に俺達兄弟の淫らな関係が知れたらやばい。
だってこいつの家は俺の家と仲が良いのだから。確実に親に殺される。
「兄貴、どうかしたのか?」
「えっいや別になんでも……ちょっと驚いただけだ。まさかあいつの弟がね……」
そうだ。お互い遠くに住んでて年に一、二度会っている俺の親友、キシュア・シヴァリエ。
奴は俺が騎士団に関わっていることなど知らないはず、なのだが。
「おいカナン、お前今の俺の状況、キシュアに言ったのか?」
「いや言ってないよ。俺も兄貴に最近会ってねえもん。……あ、そうだ! 良いこと考えた! 今度久しぶりに四人でまた遊ぼうぜ!」
なんでいい年して遊ぶとか言ってんだ、この男。
外見は美しく成長しても中身が子供のままだ。あ、でも昔の仲間の前では素に戻っちゃうのって、よくある事か。
「なあそうしようぜ、クレッド! だってお前せっかくお兄ちゃんと仲直り出来たんだもんな。その記念にさあ、いいだろ?」
…………え? 今なんて言った。
仲直りって……何の事だ。まさか回復師の部屋での情事のことじゃないよな。
いや違う、だったらこんな明るい調子で言わないだろ、っていうか言えないだろ普通。
「クレッド、仲直りって何だよ、俺達喧嘩してたっけ……?」
俺は震える声で弟に尋ねた。するとクレッドは何故か眉間に皺を寄せてカナンを見ていた。
まるで余計な事言うな、とでも言いたいかのように。
「おいカナン、黙れよ」
「えっ、ああごめん。つい嬉しくなっちゃっただけだって、怒んなよクレッド」
弟が少し緊張した面持ちになり、空気がぴりっとする。けれど回復師はあまり気にしてない様子で、奴を穏やかになだめた。
なんだろう、弟の態度が余計に気になるんだが。
マジで、俺達何か喧嘩していた……のか? それとも俺、知らず知らずのうちにクレッドに何かしたのか?
一気に頭が混乱してきた。
「あ、じゃあさ。今度長期休みあるだろ? そん時会おうぜ。俺も兄貴に連絡しとくから」
「へ? 休みあるのか?」
若干重苦しい空気の中でも気にせず話を進めるカナンに尋ねる。すると黙っていたクレッドが俺に視線を向けた。
「ああ。いつも遠征の後は一週間ほど休みがある」
「そうなんだ。お前いつも何してんの?」
何気なく聞いた言葉に、クレッドが一瞬答えるのを躊躇ったかのように見えた。
「……まあ、何日かは実家に帰ってるが」
その言葉を聞いて今度は俺がどきりとした。そうか、そりゃそうだよな。
家に三年も帰ってない不良息子の俺とは違い、こいつはもともとちゃんとした男だ。末っ子だけどしっかりしてるし。
「兄貴も一緒に、帰るか?」
「えっ……。俺も?」
「ああ。久しぶりだろ。皆会いたがってるぞ」
まさかの弟からの誘いにどうしようもなく動揺する。そういや師匠にもこの間家に帰れって言われたな。
でも、いいのか。だって俺達こんな事になってるのに……
「ああ!! それ良いじゃん! 俺も家帰ろうと思ってたし。ちょうどいいよ、お兄ちゃん! マジで楽しみ〜」
凄いでかい声でリアクションされ、びくっと背筋が震えた。
なんなんだこのガキ……俺さっきまで絶世の美女に弟を取られるなんて、かなり恥ずかしい妄想してたんだけど。
俺の精神、まじで辛かったんだけど。
「落ち着けよ、カナン。まだ決まってないだろ」
「ええ〜なんでだよクレッド。俺すでにその気なんだけど」
二人の様子を見ていて不思議な気持ちになってくる。
カナンの明るく無邪気な性格はまるで変わってないが、今のクレッドとどういう話で盛り上がったりするんだろう。
「兄貴、気が乗らなかったら今度でもいいんだぞ」
黙っていた俺の迷いを感じ取ったのか、弟が優しく気遣ってきた。
確かにあの父親との問題を考えると、気分は乗らない。それは弟も知っているはずだ。
それにこいつは、本当にいいのか? 俺達がこんな決して人には言えない、禁じられた関係になってから初めて一緒に家族に会うんだぞ?
正気とは思えない……
自分のしていることは棚に上げて色々考えてしまう。
けれど一方で、二人で家に帰ることで、良い意味でも悪い意味でも何かしら掴めるものがあるかもしれない。
そんな風に思うのも事実だった。
俺はどこか決意を示すかのように、クレッドの目を真正面から捕らえた。
「いや、せっかくだから、そうするか」
「……いいのか? 兄貴」
「ああ。一緒に帰ろうかな」
こくりと頷くと、弟が柔らかい笑みを浮かべた。俺は何故かそれを見て無性に安心感を覚えた。
後ろから、まだテンションの上がりきったカナンの歓喜の声が聞こえてきたが、無視した。
「なあクレッド、さっきの話なんだけど」
思わぬ展開にはなったが、美女の正体が判明した今、まだ一つの疑問が胸に残っていた。
幼馴染の姿を目にして昔の空気を思い出したせいか、知らずに気分が高まっていたのかもしれない。
聞かずにはいられない、そんな衝動に押されて口を開く。
「……俺達って喧嘩してたのか? 俺、昔……お前に何かしたのか?」
「兄貴。その話は、後にしてくれないか」
えっ……。
クレッドはあくまで落ち着いた声で切り返してきた。
しかし顔を見ると、さっきまでの温かい表情が弟から消えていた。
なんだ、言ったらまずいことを言ってしまったような気分だ。
「あ、ああ。分かった……」
一瞬壁を作られたかのような弟の振る舞いに、動揺を見せまいとしたが、きっとバレている。
けれどクレッドは、再び何事も無かったかのように俺に笑顔を向けてきた。
なに? こいつ、何を考えてるんだ?
全くよく分からない。
気がつくと、俺の心臓はドクドクと不自然な悲鳴を上げていた。
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