▼ 48 近づく距離
夜が明けた頃、俺とクレッドは引き続き森の周辺でネイド達の捜索を続けていた。しかし結局成果は得られず、とりあえず騎士団の宿舎へと戻ることにしたのである。
無駄足だったかといえば、そうでもない。敵の魔術師の一人から事情を聞き出し、奴らが何故か「巨体の化物」という不審人物に一掃されているという事実が分かったからだ。
けれど、そういったわりと重要な局面にいるというのに、俺達兄弟は今、何故か団長の執務室でイチャイチャしていた。
「お前、自分の立場が分かってんのかっ」
「……分かってる、兄貴」
「分かってねえだろ、ここ仕事場だぞ。いいからちょっと離せよっ」
「嫌だ。離したくない」
あまり甘い雰囲気には見えないだろうが、クレッドの腕の中にいる俺は、これでも凄いドキドキしている。昨日弟に告白してからというもの、弟の様子が変なのだ。
端的に言えば、ずっとベタベタしてくる。でも時々ぼうっとしたり、遠い目をしていたり……かと思ったら、じっと俺の目を見てきたりして、もうよく分からない。
「兄貴、体……ちょっと痛い?」
「ああ痛えよ。お前のせいで」
「悪かった。我慢出来なくて、無理させたな」
クレッドが申し訳なさそうに告げる。確かに昨日のこいつは色々と凄かった。俺もだけど……
言葉も体も何度も求められて、弟は今よりもさらに俺を離そうとしなかった。
「本当だよ。ベッドもないのにあんな風に……馬鹿だろお前っ」
思い出すだけで赤面しそうになるのを、憎まれ口を叩いてどうにか誤魔化そうとする。
でも床に荒々しく押し付けられたせいで、体の節々が痛いのは事実だ。
腰だってまだちゃんと力が入らなくて、未だにあの時の奴の動きがーーって何を考えてるんだ。もうよそう。
「兄貴、もう一回だけ言って……」
弟がまた俺をうっとりした目で見つめてくる。昨日から何度ねだられているんだろう。
たぶん俺、すでに一生分ぐらいこいつに「好き」って言ってる気がするんだが。
「クレッド……よく聞け。あまり言い過ぎると、価値が下がる気がしないか?」
「しない。兄貴から言われた言葉は、全部覚えてる。全部、大切なものだ」
……えっ。凄い言葉を吐かれた。どこから突っ込めばいいんだよ。こいつ全く嘘を言ってなさそうで怖い。
俺は小さな溜息をついて弟に目線を合わせた。
「分かったよ。今日はあと一回だけだぞ」
「なんでだ? 一日は長いだろ」
はあ? 何いつの間にか一日単位になってんだよ。俺達べつに一日中くっついていられるわけじゃないだろが。
あれ、でも……だからなのか。言える時に言ったほうがいいのかな。頭が混乱してきた。まあいいや。
「……お前が好きだ、クレッド」
真剣な表情で伝えると、弟の蒼い目が途端に輝き出した。何度言われても、こいつは飽きないらしい。なんか可愛いな、そう思いながら頭を撫でてやる。
目をぎゅっと瞑り、白い頬を少し紅潮させて、再び俺を見てくる。また心臓が高鳴り始めてしまった。
「俺も兄貴のことが好きだ。……愛しくて、たまらない……」
……ええっ?
びっくりして思わず驚嘆の声を上げそうになった。表現が一歩踏み込んできたような気がするんだけど。
だがクレッドの顔はもの凄く真剣味を帯びていた。
急に恥ずかしさが全面に溢れてしまいそうな危機を感じた俺は、とっさに身を退こうとした。
「わ、分かった。嬉しい……な」
視線をそらして素直に感想を述べた後、もぞもぞと体を動かす。けれど例のごとく弟の腕から逃れることは叶わない。
「どこ行くんだ兄貴」
「あ、俺……もう部屋に戻らないと。もうすぐ弟子達が帰ってくるかも……」
「帰ったら報告があるはずだ。ここにいろ」
急に団長モードの口調で見下ろしてくる弟に、言葉が出てこなくなる。
あああ、なんか無性に顔を覆いたくなってきた。
一人でどぎまぎしていると、不意に扉がドンドン、と大きく叩かれる音がした。誰か来たのかと思い、ちょっとほっとする。
ようやくクレッドが俺を離し、「入れ」と短く告げた。
扉の外に現れたのは、大男の騎士だった。制服姿で、いつもの厳つい顔つきが更に険しいものとなっている。
「団長、無事に帰って何よりだ。ネイド達はまだのようだな」
「ああ。周辺を探ったが成果なしだ」
「そうか。結界師が一緒なら、帰還するのに問題はないだろうが」
部下であるグレモリーと真面目に会話をする中で、クレッドは昨夜判明した不審人物についての話を騎士に告げた。
「なるほどな……巨体の化物か。久々に腕がなりそうな案件じゃねえか、団長」
「俺はそうならない事を願っているが。魔術師連中を一人で相手出来るとなると、面倒な輩なのは間違いない」
クレッドが思慮深く答える。するとグレモリーが急に俺のほうを向いてきた。
相変わらずデカくて見下ろされるたび、脅されているような気分になる。だが奴は真剣な顔から一転して、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「おい、お前本当にちゃんとした魔導師だったんだな。役に立つんじゃねえか」
「ああ? 信じてなかったのかよ。俺だってそんぐらい出来んだよ。なあクレッド」
騎士の言い方がムカついて、つい弟に同意を求める。するとクレッドは若干真顔になっていた。
ちょっと早く肯定してくれよと目で訴えるが、奴はどこか戸惑いがちの様子だった。
「……まあ、そうだな。俺も多少は驚いた面もあったが」
「はあ? 俺だってちゃんと修行した魔導師なんですけど。確かにお前らみたいな異常能力はないけどな」
「い、異常能力って……。兄貴だって今は聖力が使えるようになっただろ?」
「少しはな。お前みたいな力は出せねえよさすがに」
我ながら卑屈っぽい物言いだと自覚しつつ投げやりに言うと、弟がムッとした顔を俺に向けてきた。ちょっと可愛い。
「当たり前だろ。俺だって長い間鍛錬してこうなったんだ」
「本当かよ、最初から凄かったんじゃないのか」
「違う、兄貴の知らないところで頑張ったんだよッ」
大人気ない俺の発言にクレッドが珍しくムキになって食いついてきた。
はあ、はあ、とお互いに息を吐きながら、久しぶりに長い言い合いをしてしまう。
気がついたら、大男の騎士が白けた様子で俺達を見下ろしていた。
「あんたら仲良いんだな。魔導師、団長の名誉の為に言っておくが、聖力獲得の為に団長が頑張ったのは事実だぜ」
「……ふうん。なんでお前が知ってるんだよ」
「俺達は皆同時期に守護力を授かったからだ。上司である司教の任命のもとな。ソラサーグ聖騎士団では一定の年代ごとに五人の騎士が選出されて、それぞれが聖力を付与される。本来ならお前のような例は特殊中の特殊なんだぞ?」
それは初耳だ。ちょっと言い過ぎたかなと途端にバツが悪くなる。
別に自虐したいわけでないが、俺などより弟のほうが遥かに苦労してるっていうのは分かってるからな。
「そ、そうか。凄い歴史のある事だったんだな。……ごめん、クレッド」
「別に謝ることなんてない、兄貴」
優しい口調でそう言い、何故か頭に手を置かれて撫でられた。おい人前で止めろよ。俺は一応お前の兄貴なんだが。
そう思いつつも我慢していると、グレモリーが何故かにたっとした顔で俺を見た。
「魔導師。団長の栄誉ある戦歴を聞きたいか?」
「えっまじで? 教えてくれ」
「駄目だ。やめろグレモリー」
なんで駄目なんだよ。流れ的におかしくないじゃねえか。弟に反抗的な目を向けると、「ハハッ」と大男の騎士の笑い声が響いた。
「まあ、今日は血生臭え話は止めとくか。今度酒飲みながらでも教えてやるよ」
上司の言葉にすんなり身を退いた部下に、クレッドが溜息をつく。
えっそんなに血と汗にまみれた話なのか? だんだん弟の身が心配になってきた。生きててくれて良かったな、などと柄にもない兄心のようなものが沸き起こってくる。
「グレモリー、そういえばユトナはどうした?」
「……ああ、そうだ。その事で団長に頼みがあるんだが」
騎士の顔が急に曇りだす。普段は血気盛んな大男の珍しい表情に注意を引かれる。
「実はな、ユトナの奴がずっと地下にいるんだよ。あの捕まえた野郎ーーナザレスの相手をしてるんだろうが……ちょっと様子を見て来てくんねえか」
……おいおい。鬼畜の騎士とあの獣は、一体二人で何をしているんだろう。
焚き付けてしまった自分にも少し非があるような気がしたが、無性に気になってきた。
「お前が行けばいいだろう。中を確認してこい」
「やだよ。もし気色悪い場面に遭遇したらどうすんだ。俺はもうすでに奴のせいでトラウマがあんだよ」
グレモリーが顔をしかめ、本気で嫌そうな口調で吐き捨てた。まじでユトナの所業への興味が抑えきれなくなってくる。これは魔導師としての好奇心だ。たぶん。
「その気持ちは分かるが……。しょうがないな、俺が見て来よう」
「なあ、俺も行っていい?」
クレッドの腕を掴んで控え目に尋ねる。しかし奴は唖然とした面持ちで固まった。
「……は? 駄目に決まってるだろう。何を言ってるんだ、兄貴」
「いいだろ、気になって仕方がないんだよ」
「駄目だ! 頭がおかしいんじゃないのか」
「何だと、言い過ぎだぞお前! ただの好奇心だろ!」
俺達の言い争いが再び始まると、腕組みをして間に立つ騎士の突き刺さるような視線を感じた。
「分かった分かった、兄弟喧嘩は止めろよ。俺は別にどっちでもいいが、ユトナには程々にしとけって伝えといてくれよ。団長」
グレモリーは呆れたようにそう言うと、「じゃあよろしくな」と一言別れを告げ、執務室を後にした。
残された俺達は若干呆気に取られていたが、すぐに俺は弟の腕を引っ張り、更にしつこく頼み込んだ。
※※※
結局俺は反対を押し切り、地下に向かうクレッドに半ば強引についていくことに成功した。
実は心の中で、俺はやたらとワクワクする気持ちを抑えられないでいた。あの野郎、ナザレスは一体どんな目に合っているのだろう。
俺にした許しがたい行為に匹敵し得る辱めを、受けていればいいのだが……
決して人には言えない邪悪な思考をくすぶらせながら、扉の前へとたどり着いた。
防音防護の一室からは、何も音が漏れてこない。クレッドは迷うことなく扉を開いた。俺は中の様子が気になり、奴の背中越しに様子を伺おうとした。
だが聞こえてきたのは、耳を疑うような会話だった。
「……ああッ! てめえ、クソ野郎……! もう、やめろッ、抜けよ、早く……っ」
「まだ駄目だ、ナザレス。自分だけ気持ちよくなって、それで終わりだとでも思っているのか?」
「うるせえっ、この変態野郎が……ッ」
「誰が変態なんだ? こんなにぐちょぐちょにして、お前、自分で腰を揺らし始めてるじゃないか」
……え。嘘。
想像以上にハードな会話に俺の思考が完全に停止する。
目の前の大きな背中のせいで視界が遮られている俺と違い、おそらく二人の全貌が見えているであろうクレッドは、無言のまま微動だにせず、その場に立っていた。
「……あれ、団長? どうしたんだ」
「ユトナ、楽しそうだな」
「ああ。本当に愉しいよ。ほら、こいつ凄いだろ?」
ひい! 何普通に会話始めてんだこの二人。おいクレッド、お前今どんな顔してんだ。
つうかナザレスは一体どんな状況に見舞われてるんだ?
「ふっざけんなてめえら! おいクソ騎士! この変態野郎どうにかしやがれ!」
ナザレスの掠れた怒鳴り声が耳に届いてくる。
「よかったじゃないか、気持ち良くしてもらえて。俺の部下は凄いだろ? ああ、だがお前の飼い主候補はそいつだけじゃない。まだまだ続くぞ。覚悟しておけよ」
「……てめえ、クソ野郎! ぜってえ許さねえぞ!」
「別にお前に許される筋合いはない。……もう行こう、兄貴」
弟は決して俺に中の様子を見せようとはせず、静かに告げた。
「セラウェ! 助けてくれ! 俺はあんたじゃないと嫌だ!」
「おい、ナザレス。今お前の相手をしているのはこの俺だ。……忘れたのか? こんなに深くお前に刻みつけてやってるのに」
「……ああぁッ! やめ、もう、はな……はなせッ! ……ん、んああッ」
ちょっと。なんだこれ。俺はどうすれば良いんだ?
ざまあみろ、俺の気持ちが分かったか! と全面的には思えないような気もする。悪いと思ったほうがいいのか。確かにほんの少しだけ、可哀想かも。
いや、でも結構あいつも気持ち良さそうな声出してるよな……って何気色の悪いこと考えてるんだ俺は。
扉をパタン、と閉めた俺の弟は、氷のような笑みを浮かべていた。たった今、常人ならばトラウマになりそうな絵面を目にしたというのに。
こいつの精神力、どうなっているんだろう。それとも、聖騎士団ではこれが普通なのか? 考えてみたら結構残虐なことしてるよな。
「だから来るなって言っただろ、兄貴。……何も見てないよな?」
しばし黙って考えていた俺に、突然クレッドが話しかけてきた。もういつもの、やや心配そうな表情に戻っている。
「ああ、見てない。変な声は聞こえたけど……」
戸惑いつつ答えると、弟が俺の体をぎゅっと抱き締めてきた。何故か慰められているような感覚になり、おずおずと背中に手を回す。
「大丈夫だ。あいつはああ見えて、そこまで酷いことはしない。限界は分かっているはずだ」
限界っておい、余計に恐ろしいんだが。平気なのかこの騎士団。今更だが俺、すごい組織に所属しちゃっているんじゃないだろうか。
「兄貴は何も心配するな」
「……分かった。クレッド」
正直ちょっと弟の怖い場面を見たような気がして、動揺を隠せない面もあったが、しょうがないか。もう少しあの獣の行く末を見てみるのも、悪くはないかもしれない。
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