▼ 40 幻惑に堕ちる魔導師 ※
ひんやりと薄暗い場所で、固い地面に寝かされている。微かに届く風から土が混じった匂いがした。
頭上で重なり合った手首は動かず、足は力なく放り出したままだ。
「おい、セラウェ、説明しろよ。これはどういう事だ?」
男の苛つきを隠さない声が聞こえる。だが目の前に奴の姿はない。
いつものように俺に覆いかぶされないのか? ざまあみろ。やっぱり体に張った結界が効いたんだ。
「……何がだよ、この変態野郎。俺を連れさらいやがって」
「はっ。罵られんのは嫌いじゃねえが、今俺はあんたに怒ってんだよ」
寝そべっている俺の視界に、大きな黒い影が見えた。奴はどこにいる? どこから俺を見てるんだ。
「ここだよ……セラウェ」
影が黒い霧に変化し、俺の真上で人影を作り出す。現れたのは小麦色の肌を晒した黒髪黒目の男ーーナザレスだ。
筋肉隆々の体つきで、睨みつけるように見下ろしてくる。
「あんたに触れられねえ……ほら見ろよ、手が溶けちまった」
声に悔しさを入り混じらせながら、指が何本か欠けた掌をひらひらとかざす。
ははは……そうか。確実に守護力の効果が出ていると知り、喉の奥から笑いがこみ上げてくる。
「可哀想だな、ナザレス。だがそれで終わりじゃないんだ」
「……あ?」
同情を装って告げた後、俺は目を閉じて急速に精神力を高めた。聖力をこいつに食らわせ、この手で悪夢を終わらせてやるーー念じながら体内に湧き上がる力を、一気に外へ放出する。
「……ぐあァッ!」
その瞬間、奴の幻影がおぼろげに揺らめいた。だが形が消え去ることはない。ナザレスはうつむいた顔を上げ、口元を歪ませた。
「痛えな……腹がエグれたじゃねえか。あんたそういうプレイが好きなのか?」
「普段は好きじゃない。だがお前に対しては、試してみたくなる」
俺の挑発に対し、くくっと不快な笑いをこぼす。
奴の体をよく見ると、確かに欠けた手と同じく脇腹の部分が再生されてない。このまま時間を稼いで攻撃していけば、俺でも奴を倒せるかもしれない。
「なあ、ここはどこだよ。あの魔術師連中と、お前はグルだったのか?」
「……魔術師? 俺は常に一人だよ、セラウェ。ちょっと利用させてもらっただけだ……あんたに会うために」
ナザレスが急に色めきだった低い声色で囁いてくる。虫唾が走り、大きく舌打ちをしてやった。だが奴の不愉快な笑みは消えない。
「俺はいつでもあんたの事を考えてる……いい加減、体を開いてくれよ」
「ふざけるな、誰がお前なんかにヤラせるかッ」
「酷いなあ。そんな風に拒み続けたって、無駄なのに。ほら、俺の眼を見ろよ……セラウェ。あんたの望むやり方で、犯してやるから……」
黒く沈んだ瞳の奥に、わずかな光が生まれた。だめだ、見てはいけない。そう思っているのに、黒い沼に引きずり込まれるように、逸らすことが出来なくなる。
数秒して、体の上を何かが這う感触がした。服の下で、長い管のようなものがうごめきだす。
「な、に……っ」
肌に吸い付くような柔らかい物体に、全身がぞわぞわと鳥肌を立てていく。
おいまさかーー嘘だろ。
「なんだ。まだあいつとやった事ないのか? じゃあ俺が初めてか……触手プレイ」
ニタリと嬉しそうに笑うナザレスの言葉に凍りつく。必死にもがいて、肌を這いずり回る管から逃れようとする。
「やめろっ、てめえッ」
手首の拘束が弱まったのを見計らい、俺はすぐに服の中に手をつっこみ、触手を取り除こうとした。
だが貼り付いてるはずの管が、掴もうとする手を全て通り抜けていく。
どういうことだ、これも実体がないのか? この感触はどこから来てるんだ。
「馬鹿だなあ、自分から肌をさらけ出して……やっぱあんた、俺を誘ってんだろ」
ナザレスが俺を囲むように両手をついて、まじまじと眺めてくる。興奮した面持ちで、いやらしく舌なめずりされる。
「ああ、ほら、もっと気持ち良くしてやるから……」
まるで奴の命令で触手が動くかのように、ありとあらゆる場所を這いだす。管の先端が柔らかく開き、ちゅ、ちゅ、と吸い付きながら肌を引っ張ってきた。
「うあっ、ああっ」
その上、触手の割れ目からぬるっとした汁が出てきて、胸の先をぬちゅぬちゅと弄り始めた。
「……ふ、ぁ……は、あぁッ」
「感じすぎだ、セラウェ……そんな声出されると、俺も我慢出来なくなるだろ?」
「ふ、ざ……けんなっ、やめ……ろ……っ」
「やめろ? 説得力ねえなあ。顔も体も赤く染めて、嬉しそうに喘いでんのに……」
うるせえ黙れ。これは奴の見せる幻惑だ。実体がないと分かっているのに。
触覚も感覚も支配され、容赦なく現実味が与えられて、じりじりと追い詰められていく。
聖力を発動させようと何度も試みるが、上手くいかない。精神が侵されているせいなのか。
触手が首元に伸びた。ぐるっと巻きつかれそうになり、手で掴もうと服を剥ぎ取り、肌を掻きむしる。するとナザレスの目の色が変わった。
「おい、なんだそれ。俺がつけた印……消えてんじゃねえか」
奴の苛立ちが耳に届く。肩の噛み跡がなくなったのを見て、明らかに動揺を示している。
「……はは、そうだ。お前の印なんて、綺麗に消してやったぜ……いくらこんな事しようが、俺に触れることなんて、もう二度と出来ねえんだよ!」
あざ笑う俺の声が癇に障ったのか、奴の視線がギロリと向けられる。黒い瞳が怪しく光り、再び体が強張った。
「へえ、そうか。これもあいつがやったのか? あのクソ野郎……俺とあんたの邪魔ばかりしやがって、許さねえ……」
ナザレスの声色が低い唸り声のように聞こえた。ふざけんな、邪魔をしているのはお前だろうが。
「お前は一体、何なんだ。……何故俺を狙うんだ」
「……教えてやろうと思ったが、止めた。忘れたのか、俺はまだ怒ってんだよ」
怒りに満ちた冷たい声を発し、俺をじっと見据えた。だがすぐにニヤっと笑い出す。
「なあセラウェ……俺の味、知りたい? 俺の形、知りたいだろ……?」
「……なに、言ってんだ」
この男の飢えた獣のような顔つきを前にすると、吐き気がする。俺はお前のことなんて一切知りたくない。体を委ねたいと思うのは、お前じゃないんだ。
「反抗的な面しやがって。あんたを気持ちよくさせる方法なんて、いくらでもあるんだよ。言っただろ? 今日はめちゃくちゃに犯してやるって……」
奴がそう呟いた瞬間、俺の体が浮き上がった。いや、正確には腕に巻き付いた触手に力を入れられ、自ら体を起こすように誘導された。
「う、あ、あ……」
両手を後ろについて、膝をついたまま仰け反る体勢になった。腕と上半身に触手が絡みつき、目前に迫るナザレスに下卑た笑みでじろじろと見られる。
「あんたのしゃぶってやるよ。あの野郎の口よりイイと思うぜ?」
信じられない言葉が吐かれ、目を見開く。触手がズボンの隙間から入り込み、太ももに纏わりつく。下着の中に入った管の先端が、俺の性器を包むように咥え込んでいった。
「ん、あぁっ、ああっ」
違う、これはただの幻覚だ、落ち着け。そう思っていても、ちゅぷっ、ちゅぷっと音を漏らす触手に責められ、体を不自然に揺らしてしまう。
「完全に勃ってるじゃねえか。……あんたの形、かわいいなぁ」
「っざけんな……! 離せ、……やめ、ろッ!」
まるで様子が見えてるかのように言い放たれ、ぞっとする。
気色が悪い。こいつとこんな事、したくない。触られていないのに下劣な言葉を浴びせられ、怒りと屈辱で頭がおかしくなってくる。
すると触手が今度は尻の間をつついてきた。体が固まり、強い拒否を示す。
「後ろも入っていい? セラウェ……」
「やめろ、お、まえ、……いや……だっ」
全身を強張らせ、震える声で抵抗する。けれど尻の間に、生温かいどろっとした液体が出されるのを感じた。
ぽたぽたとこぼれ落ち、触手がその汁を自らの管に塗りたくりながら、入り口を押し上げてくる。
「……あ、……あっ、や、だ……入って……くるなぁッ」
声をあげ、背中をさらに仰け反らせる。間近に座るナザレスが浅い息を繰り返し、再び口元を大きく吊り上げる。
その瞬間、後ろに衝撃を感じた。尻の間に割り込むように、触手がずぷずぷっと侵入してくる。
「んああぁッ」
嫌だ、嫌だ、ふざけるな。なんでこんな事が起きてるんだ。幻覚のはずなのに、もたらされる感覚に強い拒絶反応が湧く。
「……っ、セラウェ、すげえ、きっつ、い……」
ナザレスがうめき声と共に、おぞましい台詞を吐いた。その間も奥まで達した触手が前後に動き始め、中をぎゅうぎゅう圧迫してくる。
「ああッ、んあっ、はぁッ」
管から溢れ出す液の音がじわじわと耳を犯す。体勢を崩しそうな体が長い管に絡まれ、足をガクガクと震わせる。
「……ッ、気持ち、良すぎ……あんたの中……」
ナザレスの台詞に身の毛がよだつ。うるさい黙れ、なんでお前が、俺の中に入ってんだ。認められない。こんな奴今すぐぶち殺してやりたい。
「これが俺の形だ、セラウェ……覚えて」
「ざ、けん……なっ、ああッ、や、やめ……出てけっ」
「ほんとは気持ち……良いだろ? 奥まで咥えて、離さねえ……し」
ナザレスが俺の前で前かがみになり、両手をついた。今にも襲いかかってきそうな気配に全身が震えだす。
奴に見られながら何度も襲ってくる衝撃に、必死に耐えようとしているのに。
「そうだ、もっと腰振れよ、セラウェ……俺に見えるように」
「んあっ、ああっ、いや、だあッ」
恍惚とした表情で、はっ、はっ、と荒い息を吐く男が目の前にいる。俺はギリッと唇を噛み、奴を強く睨みつけた。
「ああ、そんな顔されると……すげえ、興奮する……もう、あんたの中に、出しても、いいだろ?」
「や、だ……やめろッ、……お前、なんか、いやだっ」
無理だ。耐えられない。どうして、なんで、こんな野郎に俺は……
もう幻覚じゃない、現実にしか感じられない。弟以外のものが、俺の中に入っている。中をぐちゃぐちゃに掻き回され、犯されている。
「んあ、あぁっ、はぁっ、もう、た、助けて」
「なんだ? セラウェ」
「もう、いやだ、助け……て、クレッド……」
「……ああ? あんた、今俺と繋がってんのに、他の男の名前呼ぶのか? 信じらんねえ……」
怒りに任せるように、さらに奥をぐんぐん突いていく。揺さぶられてるわけじゃないのに、下半身の動きが抑えられない。
「いや、だっ……助け、て……もう、……クレッドッ」
自分で腰を揺らしながら、うわ言のように繰り返す。すると、薄目で見たナザレスの顔つきが一瞬凍りついた。
はあ、はあ、と赤黒い舌を出し、黒目がギロつき出す。
「……てめえ、どっから入ってきやがった……」
低く地を這う言葉を呟いたナザレスが、後ろを振り返る。それと同時に、突如奴が勢いよく何かに引っ張られた。
体が強く打ち付けられる音が聞こえ、俺は分けがわからず起き上がろうとした。
「……兄貴、待ってろ」
近くから突然弟の声がして、心臓を掴まれる思いがした。
来て、くれたのか……?
ガシャっ!と硬質な金属音が響き、姿を探すと、辺りに白い光が灯り出した。
ナザレスはどこに消えたんだ? 疑問に思っていると、「あああ゛ッ!!」という奴のけたたましい唸り声が鳴り響いた。
「おい貴様……よくも俺の兄貴に、何度も何度も、手を出してくれたな……ッ!!」
ドスッ、ドスッ、と剣で突き刺す音が聞こえる。なんだこれは、クレッドがやっているのか……?
合間に聞こえるナザレスのうめき声が弱まり、剣の音が一瞬止まった。
「……くく、俺の、セラウェだ。……お前のもんじゃ、ねえ……」
「黙れ。一度に死ねると思うなよ?」
クレッドがそう告げた瞬間、再び鋭い音がブスッと突き刺さり、ナザレスの悶える声が辺りに飛び散った。
さらに遠くから鎧装備を身に着けた者達の足音が聞こえてくる。
「ネイド、こいつを拘束しろ。連れ帰って尋問を行え」
「はい」
弟の冷たい命令が響いたかと思うと、暗かった中にぼわっと人影が現れた。目の前に来たのは、全身鎧姿のクレッドだった。
仮面のせいでどんな顔をしているかは分からない。けれどすぐに俺の前に跪いて、騎士の外套を体の上にかけてきた。体を持ち上げ、ぐるぐるに巻かれる。
「兄貴、遅くなってすまなかった……」
一言だけ呟き、俺を抱き上げる。その場にはまだネイドと、他にも数人の鎧姿の騎士がいた。
「……お前……その呼び方、したら、駄目だろ」
「いいんだ。そんな事は、もう……」
クレッドは静かに、優しい声でそう言った。俺は弟に抱えられたまま、その場を後にする。騎士達に囲まれていたナザレスの様子は見えなかった。
そこは、洞窟内のようだった。出口に向かうと、木々の近くに黒い大きな馬が数頭並んでいた。そのうちの一頭に乗せられる。後ろに乗り込んだクレッドに支えられ、馬が走り出す。
寒い夜の下、雪がぱらぱらと降っていた。針葉樹が立ち並ぶ森の中を、颯爽と駆け抜けていく。俺は馬の上で揺られながら、鎧に包まれたままでいた。
「……クレッド、どこに向かってるんだ? 帰らないのか?」
「まだ帰らない。兄貴と一緒に居たい」
ぼんやりと弟の言葉の意味を考える。けれどクレッドはその後、何も喋らなかった。
でももう、考えなくてもいいや。俺はまた、弟のもとに帰ってきた。もう、それだけで良かった。
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