▼ 39 初任務と若き黒魔術師
リメリア教会が統括するソラサーグ地方には、数カ所の聖地が存在する。
今回の保護対象となるラーナ神殿はその中で最も重要な巡礼地であり、各地から聖職者が集まって年に二度の大掛かりな儀礼が行われる場でもあった。
儀式の期間中、聖地の護衛を任されているのがリメリア教会であり、直属の聖騎士団なのである。
俺は今、団長である弟と上司の司祭の指示のもと、弟子と使役獣と共に初任務を行っている。場所は山の奥深くにある神殿から数キロ離れた地点の丘の上だった。
道は狭く、人の気配はない。だがここも明日以降、数々の巡礼者らの通り道となる重要なポイントらしい。
「今のところ何も出てこねえな。すげえ寒いんだけど。いつまでここに居ればいいんだよ」
すでに日が暮れた後で、もうすぐ夜に差し掛かるという頃。俺は地面にしゃがみ込みながら、弟子が焚いた火の近くで暖を取っていた。隣には白虎姿のロイザが目を閉じて寄り添っている。
何故か正面には眼鏡の結界師の姿もあった。
「魔物が出てくるのは普通夜が更けた頃だ、セラウェ」
いつも通り冷静な顔で、火を見下ろしながら答える。冬でしかも外なのに長袖一枚の薄着だ。俺なんか何枚も重ね着した上に分厚い毛織物を着込んでいるというのに。
寒くないのかと尋ねたら、体に防寒の結界を張っていると教えられ、羨ましくなった。
「なあローエン、お前も俺達の監督役なのか?」
「いや、違う。俺は単に君の働きが気になってここにいるだけだ。指定された魔術師も、すでに到着しててもいいはずなんだが」
「ふうん」
結界師が腑に落ちないといった顔をしている。噂の魔術師は聞くところによると、黒魔法を使用して主力攻撃を担う人物らしい。勝手に派手めな奴を予想する。
「マスター、スープ温まりましたよ。あ、ローエンさんもどうですか?」
「え? あ、ああ。いや俺はいい。ありがとう」
俺が頼んだ軽食を準備したオズが手際よく手渡してくる。ああ、温かいし美味い。こんな寒い中で任務なんて気が狂ってるとしか言い様がない。
普通に食事を取り始める俺達二人を、ローエンが不思議そうに見つめてきた。
「君達は初任務だというのに、まるで緊張感がないんだな。……これは良い意味で言ってるんだが」
「いや緊張はしてるけど。まあロイザが居れば何とかなるしな。それにあいつも難しい任務じゃないって言って……」
言いかけて、とっさに口を閉じる。やべえ、気軽にクレッドの話題を出さないほうがいいよな。
焦っていると、結界師が眼鏡を光らせて俺の目をじっと見てきた。
「ああ、ハイデルのことか……。君達、上手くいったみたいだな」
「えっ。……ま、まあ、なんというか」
心なしか口元が笑っているような結界師にたじろぐ。上手くってどういう意味だよ。寒かったはずなのに全身が汗ばんできた。
そうだ、こいつには俺達が仲直りした日、弟に抱きつかれたところを見られていたんだった。あれからこの結界師はとくに突っ込んだ事を聞いてこなかった為、安心していたのだが。
もう俺と弟の関係、結構な人数に知れ渡ってんじゃないかと気が気じゃないんだけど。
言葉を濁しながら無心で白虎のもふもふを撫で上げる。すると使役獣がピクリと動いた。のっそりと体を起こし、こちらに顔を向けてくる。
「……おいセラウェ、来たみたいだ」
「は? 何が?」
「ああ、本当だ。しかも数が多い」
結界師が真剣な声色で同調する。え、どういう事だ。この辺の魔物は夜出るもんだって言ってたじゃないか。
ひとまず二人の察知能力を信じ、俺とオズはすぐにその場を片付け立ち上がった。周辺の変化に気を配っていると、いつのまにか白虎が人型に変身しているのが目に入った。
「ロイザ、なんで人化したんだ。お前の好きな戦闘だぞ、本来の姿の方がいいんじゃないのか」
「ただの狼の群れだ。本気を出すつもりはない」
えっ今から狼が襲ってくるの? 若干焦りながら辺りを見回し、この場があまり開けた場所でないことに内心舌打ちした。魔法を使うには対象との距離が近すぎる。群れであれば尚更だ。
「はぁ。いいか、なるべく取りこぼさず時間を稼げ。その間に俺が補助魔法を詠唱する」
弟子と使役獣に告げ、すぐに了承を得た。そうこうしている内に、魔物特有の雄叫びが周囲に響き渡ってきた。
注意をしながらうかがっていると、早速木々の影から一匹、二匹と唸り声を轟かせる狼共が現れ始める。
げ、結構でかいじゃねえか。明らかに野生動物とは異なり、体が不自然に膨れ上がっている。よだれを垂らし瞳が赤く光っていて、瘴気に満ちた気配からすぐに討伐対象である魔物だと分かった。
俺とオズはそれぞれ詠唱を開始する。気がついたらロイザの姿は消えていた。
「ふん、雑魚過ぎる」
猛スピードで獲物に襲い掛かり、体を抑え込んだ後即座に羽交い締めにし息の根を止める。だが鮮やかにみえたそれは次第に目に見える残虐行為へと変化していった。簡単に言えば色々と真っ二つにしている。
細かく描写するのも恐ろしいほどの光景に俺と弟子は唖然とする。
次から次へと現れる狼達を、オズの火魔法が地面に沿って円で取り囲み炎で包む。俺は残りの魔物に対し強力な痺れを付与する補助魔法を施し、身動きを封じた後にその場に倒れ伏せるように仕向けた。
最後の一匹までロイザが色々やった後、さらなる急襲がないのを確認した俺達はひとまず動きを止めた。全部で数十匹は片付けたかのように見える。
「はあ。マスター疲れましたね」
「まあな。オズ、あいつ見てみろよ。全身血だらけだぞ」
「げっ、まったくロイザの奴、相変わらず趣味悪いよなあ」
「だよな。最低だよ。動物好きの俺とは相容れないわ」
好き勝手に奴の戦闘ぶりを品評し悪口を言い合う。戻ってきたロイザの灰色の瞳は、まだ僅かに興奮の色を滲ませていた。
「お前なんでわざわざ体を汚すようなことすんの? この辺に水辺はないぞ」
「あまりにつまらないから気分を高揚させる為にやっただけだ」
悪びれもせず平然と言う使役獣に開いた口が塞がらない。なんて身勝手な言い分なんだ。いくら魔物といえど不憫だろ。
「君達の戦い方ってそれぞれバラバラなんだな。だが結果的には上手く収まっていて、中々興味深い」
後ろで傍観していた結界師が淡々と述べる。こいつ本当に見てるだけだったな。別にいいけど。
「セラウェ、聖力を使わなかったのか? 瘴気に対して最も効果が高く、とくにこの辺の魔物には有効だ」
「あっ忘れてた。つい、いつもの戦い方しちゃったよ」
「残念だ。俺はそれを見に来たんだけどな」
ローエンが苦笑する。確かにこの眼鏡は、魔法に対する関心が異常に高い。この前二人で行った恥ずかしい実験もそうだが、さっきも聖力の儀式やら効果について、やたらしつこく食いつかれたのだ。
「ああ、また今度見せてやるよ。まだそんなに安定してないし」
「俺にも見せてくれないか? あんたの聖力ってやつを」
……え? なんだこの声。
突然背後から聞こえた台詞に驚き、即座に振り向く。するとそこには見知らぬ男が立っていた。
短めの赤髪に翡翠色の目をした、体格の良い若者だ。自信有りげな表情で俺を見ている。
「誰だお前」
「黒魔術師のシオン・イスティフだ。今日はあんた達のお目付け役を任された。だが一発目はどうやら終わっちまったようだな」
こいつが監督役なのか? 先輩といえど年下だし、明らかに生意気そうな野郎だ。
「遅かったな、イスティフ。君も彼の聖力が気になるのか?」
「そりゃそうだろ。ハイデルの守護力だぞ? 羨ましい限りだ。あんた、どんな手使って奴に取り入ったんだよ」
おいおい、初っ端から無礼な物言いをする奴だな。俺を見る目が明らかに敵対的だ。どんな手って、兄貴の特権だよ文句あるか。そう言いたくなるのを堪え、冷ややかな目で奴を見た。
「はは、そんなに羨ましいか? 色んな事情があってこうなったんだ。だがお前に詳しく話す気はない」
俺にしては珍しく好戦的に言い放った。すると黒魔術師の目の色が変わり、苛ついたような表情でさらに俺に近寄り見下ろしてきた。すかさずロイザがこちらに向かってくる。
「俺の主に何の用だ。不用意に近づくな」
「なんだてめえ、血生臭えな。お前こそ俺に近寄るんじゃねえ」
イスティフがあからさまに不機嫌な顔で荒々しく告げる。かと思ったら突然自分の右手を宙に掲げた。
まさか魔法をぶっ放すのか? 今までの経験からいってすぐに嫌な予感がした俺は、咄嗟に聖力による防護を発動させる挙動を取った。
全て瞬間的な出来事だった。黒魔術師は無詠唱でその場に突如、大量の水を生み出したのである。ざばあっと大きな音とともに上から水流が落ちてくる。
俺は聖力のおかげで全く濡れなかったが、ロイザは全身ずぶ濡れになっていた。
「気持ち良かったか? あまりに酷い姿だったんで、てめえを水浴びさせてやったんだが」
「……ああ、悪くない。代わりに俺の礼を受け取ってくれ」
嘲笑するイスティフの首を、使役獣が高速で掴む。そのまま地から足が離れるまで男を持ち上げたロイザの腕が、今度は一瞬の内に凍りついていき、あっという間に氷に覆われた。
無抵抗でじっとしていたロイザがもう一方の手で氷に触れると、バリバリッと硬い音を立てて氷の破片が剥がれ落ちていき、再び奴の褐色の腕が現れた。
「へえ、あんた魔法もイケんのか。その体、どうなってんだ?」
冷たい声質で問い、自分の首に伸ばされたままのロイザの腕をイスティフがガシッと掴み返す。するとロイザは途端に興味を無くしたように無言で力を緩め、奴を解放した。
この魔術師、年も若く軽そうな外見に反してかなりの手練だ。だが遊びにしては二人共、段々本気の様子に見えてきた。俺達一応仲間のはずだよな? そう思って仲裁に入ろうとした時、結界師が前に出た。
「もういいだろう、イスティフ。彼は味方だ」
俺と同じことを思ったらしいローエンの冷静な声が投げかけられる。意外にもすぐに聞き入れた様子の黒魔術師が、ロイザから少し距離を取った。
「分かってるよ。ちょっと面白そうな奴だから遊んだだけだ。……なぁ、あんたも少しは楽しかっただろ?」
「いいや全く。悪いがお前は俺の趣味じゃないんでな」
使役獣は無表情だが、言葉の端々に苛つきが混じっている。珍しくロイザが遊ばれた風になっているのが正直興味深い。やはりこいつは魔術師の相手があまり好きではないらしい。
ああ、もうすでに同僚となる奴とひと悶着起こしてしまった。まあ始めたのはこの男と俺だが。
「セラウェと言ったな。この男はあんたの従者なのか?」
「いや、まあ……ちょっと違うな。こいつは使役獣だ。本来は白虎の姿をしている」
「白虎? おい、俺にも見せてくれよ」
「ふざけるな。誰がお前の言うことなど聞くか」
さらなる不穏な空気を感じた俺はその場からそっと離れ、静かにしていた弟子のもとに向かった。
二人はまだ何やら言い合いをしている。結界師は呆れた様子でそれを眺めていた。
「マスター、なんか俺さらに疲れました」
「俺も。あの男、結構好戦的じゃね? まぁ俺が標的になんなくて良かったが」
「でもロイザが早速目つけられてますよ」
「確かに。あいつの苦手なタイプっぽいから、見てる分には面白いけどな」
俺達が使役獣の様子を遠目に見ながら話していると、イスティフが急に結界師に向き直り、真面目な表情を見せた。
「ところでローエン、神殿周辺でちょっとした不穏な動きがあったらしい。珍しくハイデルと奴の側近が出向いたって話だ」
「本当か? 儀式は明日からの予定だろう。もう妨害工作の予兆があったのか」
えっ、何その突然の話題は。かなり重要な話じゃないか。ロイザと遊んでないで早く言えよ。弟に何があったんだよと急に不安になってくる。
「いや、いつもと様子が違うんだ。黒い装束をまとった魔術師だという点では、共通してるんだけどなーー」
会話の途中で、イスティフの翡翠色の瞳が大きく見開かれた。途端に無言になったかと思うと、ばっと勢いよく後ろを振り向く。
なんだ? どうしたんだこいつ……
イスティフは先程とは打って変わって余裕を無くした様な表情で、明らかに殺気と同じ気配を放ち始めていた。
「……おい、ローエン。来るぞ」
一言だけ呟いて、眉間に皺を寄せた。場の空気に緊張が走る。そんな中、結界師はふう、と小さな溜息をついた。
「ああ。これは少し厄介かもしれない。何にせよ、俺達がここにいて良かったな」
「そうだな。こいつらの初任務としては、荷が重いだろうよ」
いきなり何不穏な言葉発してんだよ、この二人。そんなにやばいモノの襲来とか寝耳に水なんだけど。
だが俺達も腹をくくって戦闘態勢を取ったほうが良さそうだ。
すでに身構える使役獣と緊迫した様子の弟子に合図を送り、わずかな状況の変化にも感覚を研ぎ澄ませる。
すると、木々に囲まれた狭い上空にヒュンッ!という鋭い音が鳴り響いた。音からして魔法矢だということはすぐに分かった。
俺は即座に防御魔法の構えをとる。せっかくだから今度も聖力を使用することにした。
弟子はロイザも範囲に入れながら、通常の防御魔法を唱え始めた。ローエンとイスティフもそれぞれ俺達の前後に周り、詠唱を開始している。
敵は俺達の位置と動向をおそらく把握しており、こちらからは迂闊に動けない。新たな動きを察知するまでは防戦一方になる恐れがある。そう考えていると、前方の木陰に黒い人影が見えた。
「……おい、姿を現したか?」
イスティフが小声で問いかけると、ローエンが「ああ」と短く返事をする。
よく見ると、ローブらしき服をまとった魔術師のようだ。それも一人ではない。同じ姿をした奴らが、二、三人ほど目に入る。
だが不思議なことに魔術師達の姿は木々に紛れ、ぼんやりと揺らめいて見えた。
何故こんなに接近してくるんだ? 混乱していると、突然背後に悪寒が走った。
勢いよくバッと振り向いても、そこには何もない。焦った様子の俺に対し、結界師が怪訝な視線を向けた。
もう一度体を向き直し、前方を見ようとしたその時、耳元で声が響いた。
『……会いたかったぜ、セラウェ……』
聞き覚えのある、そのねっとりとした声色に、一瞬で身体が凍り付く。
……嘘だろ? まさか、こんな場所に、あいつがいるはずがーー
「………ッ」
心臓がドクッドクッと恐ろしいほどの叫びを上げる。時間が停止したように、体が動かない。
『なあ、今日こそは、あんたのこと……めちゃくちゃに犯してやるよ……』
奴の姿は見えない。
けれど思考が止まった俺の体が、一瞬にしてその場から奪われた。
消える直前、ロイザの怒鳴り声が頭の中で鳴り響いた。俺の名を呼んでいたのだと思う。
なんで? 何故またお前が俺のところにやって来るんだ?
どうして何度も何度も奪おうとしてくる?
でも俺にはもう、触れられないはずだ。だって弟の力を貰ったんだ。あいつに守られているはずなのに。
絶望が襲う中、俺の意識が不意に途切れた。
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