▼ 38 遠征、繰り返す喧騒
聖騎士団長の弟から特殊な守護力である聖力を付与してもらって以来、俺は特訓に励んでいた。
主な目的は聖力を活用した防御魔法の獲得である。魔力は関係ない為、正確には魔法ではない。だが現れる効果は似たようなものなので、便宜上魔法とする。
すでに形になってきた新たな能力に、俺は感心していた。クレッドが言っていた通り、奴の守護力の一部とはいえ充分に強力なバリアを張ることが出来る。
しかも効果は宿敵である対ナザレスのみでなく、標準的に魔法や物理攻撃に対する防御としても活用し得るのだ。
その上驚くべきことに、この聖力は弟や四騎士らのように、攻撃魔法としての発現も可能だということが分かった。
俺は騎士ではないので剣に力を付与することは出来ない。だが魔導師として魔術式の応用を行っていけば、さらなる魔法の進化を遂げる可能性が出てきて、もはや一人で笑いが堪えきれなくなっていた。
「はっはっはっは!! 最高じゃないか、何の苦労も無しにこんな力が手に入るとは! ……おい、ロイザ、ちゃんと受け止めろよ」
「セラウェ。早くしろ」
「まあ待て、結構集中力いるんだよこれ……」
魔術師用の訓練室で、俺は使役獣相手に自分の新しい魔法効果の実験を行っていた。こういう時、打撃ダメージを受けることが少ないロイザの半実体が大いに役立つ。
「はあッ!」
とくに意味もなく大声を上げて聖力を発現させ、使役獣に向かって無遠慮に撃ち放つ。
ロイザは俺の命令通り防御も回避もせず、ただ身構えて立っていた。攻撃が鋭い発火音のようなものを立てて奴の体に衝撃を与え、数メートル後方までふっ飛ばす。
「……今のは中々良かった」
一瞬白い気体に包まれたロイザだが、目に見える傷跡はない。何こいつ、どこまで無敵なの? 俺の攻撃がまだ完成されてないのかな、やっぱ。
しかし悲嘆に暮れる俺の視界に、一瞬歪んだ表情を浮かべる使役獣の姿があった。
「見てみろ、セラウェ。俺の指がおかしい」
「……はっ?」
使役獣の発した不穏な言葉に耳を疑い、慌てて奴のもとへと駆けつける。手を掴んで観察すると、確かに指が変な方向に曲がっていた。
「あ、うそ。ごめんロイザ。痛かった?」
「痛くはないが、久しぶりに感じた衝撃だったな。……お前の弟の聖力とやらは、想像よりもずっと楽しめるものらしい」
不気味な表情で悦に浸る使役獣を無視して、俺は治癒魔法を施した。ま、まじかよ……こいつにわずかでも打撃を食らわすとは。
はは、ここ最近感じてなかった妙な優越感が沸き起こってくる。全く自分の力じゃないのに。
「治ったぞ。んで、なんか感想教えてくれないか? ここをこうしろとか、ああしろとか、助言的なものをくれれば嬉しいんだが」
「俺に分かるわけないだろう。……ただ一つ言えるのは、あの騎士の聖力とは違うな。特殊な匂いがする」
「また匂いかよ……人間の俺に分かるように言ってくれよ。まぁこれはクレッドから貰ったやつだからな。威力は奴に遠く及ばないらしいが」
それでも俺にとっては、その効果は絶大だ。このチート野郎の指を負傷させたことは結構な自信となっていた。
精神と肉体をバランスよく制御するのが難しいことを除けば、無詠唱で済むというのも非常に有り難い。
「まったく。弟の匂いだけでなく、さらに変な能力まで付けて帰ってくるとは。お前はそんなに俺に不味い食事をさせたいのか?」
「はいはい、ごめんなさい。だから最近多めに魔力供給やってんだろ?」
「回数の問題じゃないんだが。俺は質に関して言ってるんだ」
この使役獣、近頃やけに理屈っぽいんだよな。そういうところ人間臭くなられても困るんだけど。
「あ、やべえ。そろそろ時間だ。帰って支度しないとオズが怒るぞ。今夜出発だから」
「ふっ。いよいよ明日から任務とやらが始まるのか。ようやくつまらん日常から抜け出せそうだ」
ロイザが不気味に笑う。そうだ、ついに俺達は明日初任務の日を迎えるのだ。だから今日まで必死に似合わない訓練なるものをしてきたわけだが。
まぁ聖力も手に入れたことだし、この使役獣がいればたぶん戦闘にはそれほど困らないだろう。……ちゃんとこいつが言うことを聞けばの話だけどな。
若干の不安を感じつつ、俺達は訓練室を後にすることにした。
※※※
出発の時間が迫る中、俺達三人は家で荷造りをしていた。遠征は数週間に及ぶらしく、すでに面倒くさい事この上ない。
「オズ、要るもの全部詰め終わったか? 俺の服と枕と酒も入れた?」
「はい、荷物はもう準備出来てますよ。あ、ロイザ、重いから運ぶの手伝って。そこにあるの全部な」
「……俺を荷物持ちに使うとは良い度胸だな、お前」
弟子の言葉に使役獣が文句を言いながらも従っているのを横目で眺める。準備が終わったら、俺達は領内のある場所へと向かうように指示されていた。
なんでも、大抵の騎士らは馬で陸路を取り遠征地に赴くらしいが、俺達魔術師らは、転移魔法の使用許可が下りている。
俺は非常に安堵した。だって、任務だけでも煩わしいのに、その前に長旅のせいで体力を消耗したくなどない。
準備が整うと、まだわいわい騒がしい弟子達に声をかけ、俺達三人はようやく家を出発した。
指定場所は何故かエブラルの研究室がある建物だった。入った途端になんとなく感じていた嫌な予感は、すぐに的中した。
「あ、エブラルさん! 今日はお世話になります」
「いえいえ、オズさん。これも仕事のうちですので、お気になさらず」
胡散臭い笑顔で玄関先に立っていたのは、灰色のローブ姿の少年だった。まさかとは思うが、こいつの転移魔法を使うのか? あの時の悪夢がまざまざと蘇ってくる。
「セラウェさん。体の調子はどうですか?」
「え? ああ、まあ問題ないけど」
「特訓するのは良いですが、程々にして下さいね。まだ完全に馴染んでないようですから」
エブラルの言葉に眉がピクリと動く。こいつ、魔力だけでなく聖力のことまですぐ察知すんのか? 恐ろしいガキだ。
黙っていると、ロイザが俺達の間に割り込んできた。
「おい呪術師。任務とやらに、俺が楽しめそうなものはあるのか?」
「あなた方三人はまだ新人なので、最初は周辺の魔物掃除が仕事になるでしょう。ロイザさんには少し、物足りないかもしれませんね」
「魔物だと? つまらんな。また一方的な殺戮になってしまう」
「もうロイザ、言葉づかいには気をつけろって言ってるだろ?」
弟子が使役獣をたしなめている。ほんとだよ、なに猟奇的なこと言ってんだよこの野郎。
つうかロイザのやつ、エブラルのこと嫌ってるくせに普通に話している。それほど戦闘欲が抑えきれないのか? すでにギラついた目から奴の欲求不満が見て取れる。
「ではそろそろ時間が来たようなので、皆さんをお送りしましょう」
「おい、エブラル。俺達だけなのか? 他の魔術師たちはどうした?」
そういえば、もう任務が始まるというのに、俺はこの呪術師と結界師のローエンしか同僚らしき人物に会っていない。さすがに妙じゃないか?
「ああ、他の方達は個人主義というか……中々言うことを聞いてくれない方々ばかりなんですよ。でも向こうで会えると思いますから、どうぞお楽しみに」
「なんだそれ、どんな連中なんだよ。……つうか言い忘れていたが、この前お前の転移魔法でひどい目に合ったんだからな。今度はちゃんとした場所に送ってくれよ!」
団長室で騎士に縛られたトラウマを思い出し、必死に懇願する。エブラルはにやりと不敵な笑みを浮かべた。おい、何考えてんだ。ふざけんなよ。
「えっ、マスター。どういう意味ですかそれ」
「セラウェ、怖いのか? なら俺が抱き締めていてやろう」
「……はっ? おい離せよてめえッ」
使役獣が無表情で体をがしっと掴んできた。力加減を知らないやり方が俺のか弱い身を軋ませてきて痛い。
「エブラルさん大丈夫ですよね? え、何笑ってるんですか? ……なんか俺も怖くなってきた、マスター!」
無言で不気味な笑みを向けてくる呪術師に怯んだのか、弟子まで俺の体にぎゅっと抱きついてきた。
何これ、なんで俺こいつらに捕まってんだ? 冷や汗が止まらないんだが。
「お前ら離れろッ、大丈夫だからッ」
「三人とも、仲がよろしいですね。またあの方が嫉妬するんじゃないですか? そんな姿を見たら……」
少年が珍しく楽しそうな声色で告げる。すると奴は優雅に詠唱を行い始めた。
くそっ、こうなったら邪魔をせず静かに受け入れるしかない。
しかし俺達三人は呪術師エブラルの見事な転移魔法によって、またしても変な状況に飛ばされてしまったのである。
飛ばされた先は見たこともない部屋の中だった。一見して応接間のような雰囲気だ。でもそこにいたのは俺達の見知った人物だった。
「うわッ!」
目の前に現れた長髪の騎士が大きな声を出したかと思うと、俺達を見て大きく目を見開いた。あ、ネイドだ。良かった……
安心していると、奴はそそくさとその場を立ち去ろうとした。
「では俺はこの辺で失礼します団長」
抑揚のない早口でそう告げて、すぐ後ろの扉へと向かう。逃げるように部屋を後にしたネイドを呆然と見送っていると、俺の弟子がすぐに声を上げた。
「く、クレッドさん! これは、違うんです! すみません、マスターに抱きついたりなんかして!」
そう言ってオズがすぐに俺から手をほどいた。何言ってんだ、なんで俺の弟に謝ってんだこいつ。……え、弟? ああそうか、ネイドがいるってことは……
俺は恐る恐る振り返った。するとそこには机を挟んで椅子に腰掛け、無表情で俺達を見ているクレッドがいた。えっなに、またこのパターンなの?
「……お前はいい、オズ。兄貴には必要な人間だ」
冷たい顔で言い放ち、凍てつく視線はいまだ俺に抱きついたままの使役獣を捕えていた。
「えっ本当ですか? やったあ! マスター、クレッドさんから許可貰いましたよっ」
「ああ、そう、良かったね……ちょっと黙ってろお前」
本気で喜んでいるオズに注意し、俺は静かに怒りを溜めながら、ロイザの拘束を解こうとする。だが力が強すぎてビクともしない。
この状況、何度目なんだよ。さすがに俺も飽きてきたぞ。
「おい、いつまでそうしてるつもりだ? 兄貴から離れろ」
「嫌だと言ったらどうなんだ? そういえば、まだお前からこの間の謝罪を受けていないな。何なら感謝の言葉でもいいが」
またそうやって煽るだろ? こいつは馬鹿なのかな。
クレッドが苛ついた様子で大きな足音を立てながら、こっちに向かってきた。また怒ってるよこいつ。この間はあんなに可愛い顔してたのに。
「俺の人生において、お前に対する謝罪や感謝など有り得ない。存在そのものが許し難いんだ、そろそろ分かってくれないか」
「大げさな小僧だな。俺の主に妙なものを植え付けておいて、なんだその不遜な態度は。お前のせいで飯が不味くてかなわんのだが、どう責任を取ってくれるんだ」
「はっ、それなら何も食わずに餓死すれば良いんじゃないか? 兄貴の負担も減るだろう」
こいつら兄弟みたいに仲悪いなぁ。結構似たものどうしなんじゃないか? 話してる内容もくだらないし、子供じみてるよな。
「マスター、クレッドさんって結構毒舌ですよね。こんな兄のどこがそんなに良いんだろう?」
小声で隣にいるオズが聞いてくる。お前もかなりの毒吐いてるんだけど気付いてるのかな、この弟子は。
俺は奴らに聞こえるよう、盛大なため息を吐いた。
「ロイザ……もう離せよ。俺の弟が焼きもち焼いてんだろ? 可哀想だと思わないのか?」
「俺には愉しいだけだが。……それは命令か? セラウェ」
「そうだよ何度も言わせんな」
半分ヤケクソで寒い台詞を吐いた後、ようやく我儘な使役獣の拘束から解かれた。弟はまだ険しい表情でロイザを睨みつけている。
「クレッド、お前もそんな怖い顔すんな。可愛い顔見せろって、な?」
「……分かった。兄貴」
「良い子だな、お前」
優しく言ってやると、途端に弟が顔を赤く染め上げた。何かを言いたそうに俺のことをじっと見つめてくる。こいつ、やけに素直だな。まじで可愛いかも……。
いやそんな事を考えている場合じゃない。
ふふふ、どうだ。俺の弟子と使役獣にわざと妙な雰囲気の俺達を見せつけてやったぞッ。
秘めた兄弟の関係が弟子にまでバレることはないだろうが、いつまでも苛々ビクビクしているのは性に合わない。つうかもう疲れた。
俺はオズとロイザの表情を確認しようとチラ見した。だが二人は何故か平然としている。あれ……? 無反応? 呆れてんのかな、ま、まあいいや。俺は気を取り直して弟に向き直った。
「おいクレッド、ここはどこなんだ? 俺達いきなりエブラルに飛ばされたんだが」
「騎士の宿舎にある執務室だ。儀式が行われる神殿では転移魔法が使用できない。兄貴達には当分ここで寝泊まりしてもらう」
「へえ、そうなのか。で、俺達は何すればいいんだ?」
「主な任務はこの地域と神殿の周辺での魔物討伐だ。明日からさっそく開始される。難しいものではないが、一応監督役として魔術師を一名呼んでいる。詳しい内容は彼に聞いてくれ」
途端に団長の顔になり、粛々と告げられる。
魔術師って誰なんだ。気にはなったが、とりあえず俺はクレッドの話を真面目に聞いていた。
なんか変な気分だな、弟から命じられるとは。でもこれも仕事か。面倒くさいけど、無事に遂行するしかない。
急に大人しくなった隣の使役獣とか色々不安事はあるが、まあやってやろう。俺は一人静かに決意した。
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