▼ 27 二人の同僚
「マスター、本当に大丈夫ですか? 今日はゆっくり休んでてくださいよ」
「平気だから心配すんな。調べたいことがあんだよ」
俺の研究部屋で、弟子のオズがさっきから人の背後をうろちょろしている。何度目か分からないその言葉に、俺は溜息をつきながら文献を漁っていた。
オズには風俗店で起こった事もすでに話した。心配かけまいと黙っていたが、事態が深刻になりつつある今、そうも言っていられない。
あの憎き変態野郎ーーナザレスに昨夜再び奇襲を受けたからといって、めそめそ落ち込んでいる暇はないのだ。
開いている書物は全て、幻術に関するものだった。本来幻術とは、対象がもつ体内の感覚を狂わせ、錯覚や幻覚の効果を引き起こす魔術式だ。範囲を拡めれば、空間そのものを施術者の意のままに見せかけることも出来る。
しかし、ナザレスは魔力をほぼ持たないにも関わらず、実体なき肉体を保持している。その供給源がどこなのか分からないのだ。魔法を無効化するというのも、奴自身が幻影であるということの証ならば、合点はいくのだが。
俺の使役獣も完全な実体ではないが、膨大な魔力を保有することが可能な上、固有の魔法が使える幻獣だ。まぁ、その分使役者の魔力を大量に食うのだが。
「おい、セラウェ」
扉が開き、振り向くと噂のロイザが仏頂面で立っていた。んん? なんか機嫌が悪そうだ。
「なんでお前人型なんだよ。家では獣でいろよ」
「あいつの気配がする。もうすぐ来るぞ。だが一人じゃない」
なんだ、意味深な言い方しやがって。あいつって誰だよ。
「あ、マスター。もしかして、ネイドさんが言ってた、教会の使者の方じゃないですか?」
「ああ? 使者? ……色々説明しに来るっていうアレか。面倒くせえな」
俺は調べものを一旦終えて、弟子と使役獣とともに、そいつらを出迎えることにした。服をきちんと着てリビングへと向かうと、そこで俺は、驚愕の人物がすでに我が物顔でソファに腰を下ろしているのを発見した。
俺を見るなり、いつものいけ好かない笑顔を浮かべて、丁寧に会釈をしてくる。
「は……? なんでお前がここにいんの? つうか、どうやって入った? 鍵かけてるはずだけど」
あまりの衝撃に、瞬きをくり返しながら問いかける。おいおい、こいつは使者なんていう可愛いらしいもんじゃねえぞ。城から抜け出してきた悪魔だぞ、俺のプライベート空間に絶対入れちゃ駄目だろ。
「セラウェさん。お邪魔しています。もう少し頑丈な鍵にしたほうがいいですよ。仮にも魔導師なのだから」
開口一番嫌味を忘れないとは、いい性格してるよな。このクソガキは。そういや俺、この間こいつのせいで変な騎士二人に捕まったんだけどな。
「エブラル、何しに来たんだ。わざわざ俺の家まで」
「何って、お仕事の説明に参りました。あ、どうぞ、お弟子さんと助手の方もご一緒に」
そう言って笑顔でオズとロイザに促す。侵入者のくせに当然のごとく振る舞いやがって。
オズは「えっ俺もいいんですか」とか言いながら、ちゃっかり俺の隣に腰を下ろした。一方ロイザは黙ったまま俺達の様子をうかがい、距離を取りつつ壁に寄りかかっている。
この呪術師、今日は一人ではないらしい。隣には茶髪に眼鏡をかけた、物静かそうな青年が座っている。こいつ、エブラルの助手か何かか? それにしては癖もなさそうで、普通っぽい。
「ああ、紹介が遅れました。彼もこれからあなたの同僚となる人です。セラウェさんに興味があるらしく、一緒に来てもらいました」
同僚だったのかよ。興味ってなんだよ。すごい嫌な響きなんだが。俺がじろじろ見ていると、奴の眼鏡の奥の緑の目が、一瞬鋭い眼光を放った。
「俺は結界師のカミル・ローエンだ。君のことはエブラルやハイデルからすでに聞いている。よろしく頼む」
「……あ? ……ああ、よろしく」
結界師だと? なんでわざわざ俺の家に来るんだ。怪しすぎる。一見普通の挨拶に聞こえたが、俺の弟から一体どんな風に聞いているんだと、気が気じゃなくなってくる。
「では、セラウェさん。本題に入りましょうか。最初に、我々の活動内容をご説明しますね。まず第一に、教会自治領であるソラサーグの地における、異教徒討伐。第二に、国内各地における聖地の保護。具体的な討伐対象となるのは、黒魔術に傾倒し、残虐行為を行う者。または悪魔召喚を行う魔術師。そして国王に対する異分子の排除。それらに伴う魔物討伐……」
ちょっと待てよ、何勝手に長文喋り始めてんだ。すでに面倒くさくなってきた。つうか、そんなに色々あるの? クレッドのやつ、今エブラルが言ってることが全部仕事なの? 俺には無理だわ。明らかに多忙極めてるだろ。
「へえ、なるほどね。それで、俺は何をすればいいんだ? もう少し、噛み砕いて言ってくれないか」
「直近の任務として、来月に聖地保護遠征が行われます。セラウェさんにも同行して頂く予定です」
聖地保護遠征……かったるそうな任務だな。遠征ってことは遠出すんのか。ああ、嫌だ。俺、出先で安眠出来ないんだよね。
「詳細はハイデル殿からお聞きになってください。任務の参加者についても、その時に伝えられると思いますので。ああ、それと、セラウェさんのお弟子さん達にも同行して頂いて結構ですから」
「……えっ、俺も行くんですか?」
エブラルの言葉に、黙って話を聞いていたオズが口を開いた。まじかよ、俺の弟子と使役獣も一緒に行くのか。三人で任務に励めってことなのか。安心していいのか悪いのか分からない。
「もちろんです。オズさんも魔術師として十分な素質が見受けられますし」
「本当ですか? はは、嬉しいなあ。教会の方にそう言ってもらえるなんて」
おい、弟子の野郎、何本気で喜んでんだよ。こいつに騙されんな。平気で人を脅すような奴だぞ、このガキは。
「そちらの方も、一緒に来て頂けますね?」
エブラルがロイザに視線を向けた。奴の藤色の瞳が、また不気味な色を放っているように見える。しかし使役獣は何も答えず、ただ黙って俺達を監視しているようだった。
「ああ、まあ、あいつも連れてくよ。一応、必要だからな」
「……彼はどういう存在だ? 完全な生命反応が感じられない。君の使役対象か?」
俺の言葉にかぶせるように、何気なく述べられた結界師の指摘に、俺は目を見開いた。だがもっと驚いたのは、その後の呪術師の発言だった。
「ええ。いわゆる半実体と呼ばれるものですね。おそらく儀式によってこの世に呼び出された、召喚獣か何かなのでは……」
いや完璧に当たってるよ、その推測。この二人なんなんだよ。見ただけで分かるもんなのか? 触りも調べもせずに?
「……ふふ、よく分かったな。任務に連れていくなら、説明しておく必要があるか。おい、ロイザ。獣化しろ」
そう言って俺が振り向くと、奴は何故か人型のまま、エブラルとローエンを睨みつけていた。おい、早く言うこと聞けよ。俺が恥ずかしいだろうが。
「断る。そういう気分じゃない」
「……は? 気分もクソもあるか。なんで言うこと聞かないんだよお前」
相変わらず無表情のまま、頑として俺の命令を拒否する使役獣を、白けた顔で見る。この結界師と呪術師にいとも簡単に正体を見破られたことが、気に食わないのかな? しょうがない奴だなあ、こいつは。まるで子供じゃないか。
「構いませんよ。いずれその美しい毛並みを見せて頂ければ」
エブラルを見ると、また例のいやらしい笑みを口元に浮かべていた。たぶんロイザも本能的に、こいつの邪悪さを感じ取ってんだろうな、と納得する。
「じゃあ、仕事の話は一段落ついたな。それよりーー」
俺はエブラルに言うことがあった。もちろん昨夜のナザレスの件だ。この場で進んで話したいことではないが、男の確保に尽力すると宣言したこの呪術師に、隠していてもしょうがない。
「いえ。ここからが重要なのです。せっかく結界師もいることですし」
「あ? どういう意味だよ」
急に真剣な表情になったエブラルに気をとられ、俺はローエンを見やる。すると、静かにしていた奴が急に立ち上がった。
何をするつもりだと訝しんでいると、いきなり手をかざし、長い呪文を唱え始めた。その時見えた、結界師の腕を覆うように刻まれた黒い紋様に目を奪われる。
もしかして、こいつーー。
これは、攻撃魔法や補助魔法といった類のものではない。空間が一瞬、不気味なざわめきを響かせた。パンッという奇妙な音と共に、詠唱が終えられ、ローエンの手がゆっくりと下げられる。
「……お前、俺の家で勝手に何してんだよ」
ローエンに向かって、不快感を露わにして問う。まったく、教会にいる魔術師は、揃いも揃って常識のない奴らばかりなのか。いきなり魔法を使うなんて、不躾にも程があるだろ。
「結界を張ったんだ。それも強固なやつを。君は逃亡した男に狙われてるんだろう?」
その言葉を聞いて、俺は硬直した。ああ、それでわざわざ俺の家に来てくれたのか。……ってふざけんな、一日遅えよ馬鹿野郎ッ!
「ま、マスター。結界って……」
「ああ、そうだな。ツイてないわ、俺」
俺は若干青ざめた表情のオズの言葉に、小声で返事をした。エブラルとローエンの注意が、俺の方に向けられる。
「わざわざ悪いなあ、どうもありがとう。でもね、お前らに言うことがあるんだわ。俺、昨日すでに、またあの男に襲われたんだよね」
それまで穏やかだった呪術師エブラルの表情が、一変して冷たい顔つきになる。
「……本当ですか、セラウェさん。あなたまた襲われたんですか?」
「ああ。就寝中にな。最悪だろ。……ロイザが来て、間一髪で助かったが」
俺はその時の状況を簡潔に説明した。自分が行った恥ずかしい行為についてはなるべく省いたつもりだ。
ナザレスは実体を持たず、ロイザの攻撃が全く効かなかったこと。奴が幻術らしきものを使い、霧のように消えたことなどだ。
「なるほど。霧ですか……厄介ですね。状況的に幻術による可能性が高いと思われますが……。男の魔力の少なさから、この世の人ならざる者ーー霊体であるという可能性も拭いきれない」
「……え? 霊体だと? あいつ幽霊なのか?」
思わぬ言葉にうろたえる。え、お化けとかそっち方面の可能性もあるのかよ。俺に取り憑こうとする怨霊か? あんな精力旺盛な幽霊がいるのかよ。
「まだ分かりません。私は死者と生者の関連を調べる呪術師なので。あらゆる可能性を吟味したほうがいいと思いまして」
「……エブラル。彼らは早いところ、騎士団領内に移り住んだほうがいいんじゃないか?」
結界師が懸念を滲ませる声で告げる。確かに、またいつあの男が襲ってくるとも限らない。本気で荷造り始めたほうがいいのかもしれない。
「そうですね。早い方がいいでしょう。とりあえず、ローエン。あなたはこの家中に結界を張ってください」
「ああ、分かった。……セラウェ、と呼んでいいか。悪いが、部屋を見させてもらうぞ」
そう言って立ち上がり、俺の返事を聞く前に、さっさとその場を離れてしまった。……なんか、普通の奴じゃないのかな、あいつ。淡々としていて、凄くマイペースな奴なのかもしれない。
俺は溜息をついて、エブラルに視線を向けた。
「俺、お前にちょっと聞きたいことがあるんだわ。二人きりで」
「何ですか、一体」
急な俺の申し出に、エブラルは怪訝な顔を示した。弟子とロイザをリビングに残したまま、俺はかまわず呪術師を研究部屋へと誘った。
※※※
エブラルを小さめのソファに座らせ、俺は上に着ていた服を脱ぎだす。けっして変な意味じゃない。だが、目的の為にはこうする必要があるのだ。
「せ、セラウェさん? 私、あなたのような趣味ないんですが……」
さすがのエブラルも俺の行動に引いている様子だ。安心しろよ、俺だってお前をどうこうする気なんて全くない。これ以上ただれた交友関係を持ってどうするんだ。
「いいからこれを見てくれ。この肩の傷だ」
「……え?」
それは昨夜ナザレスにつけられた、噛み跡だった。オズの治癒魔法による治療を受けたにも関わらず、跡が消えない。俺よりもすでに見識が深そうなこの呪術師にその事を説明し、意見を求めようと思った。
「そうですか……ナザレスによる印がこんなところに」
「印?」
「ええ。どういうつもりかは知りませんが、この噛み跡には何か、思念のようなものを感じます。だから通常の魔法では消えないのでしょう」
呪術師が歯型を見つめながら、真剣な表情で告げる。印とか思念とか、なんだよ。まるで呪いみたいじゃねえか。ただ噛まれただけかと思ったのに。あいつ、何者なんだ?
「なあ、お前の力でも何とかならないか? 情けないが、こんなもんつけたままじゃ、俺……」
「ハイデル殿ですか。確かにこれを見た彼の反応が、どうなってしまうのか、もはや私にも想像がつかないほどですね。……可哀想に」
…………はい? 俺そこまで言ってないけど? もう嫌、このクソガキ。ロイザにしろこいつにしろ、何なんだよ。
「セラウェさん、あなたまだ、私に隠していることがあるでしょう」
「え……何が」
「ナザレスは、何か手がかりになるような事を口走ったのでは?」
ぎくりとする。そうだ、あいつは俺に助けられたとか言っていた。それに、前回に引き続き、クレッドのことを知っているかのような口ぶりだった。
どうしよう、明かしたほうがいいのか? だがそんなことしたら、団長である弟に悪影響が及ぶのでは。俺はまだ完全にこいつを信用出来ないのだ。
「その印を見て思ったんですが、ナザレスはあなたとハイデル殿の仲を知っているのかもしれないですね。だからわざわざ見せつけるように、あなたに歯型なんか残したのでは」
直球で述べられ、冷静に俺を見据える藤色の目にたじろぐ。……もう、こいつに隠し事出来ないのかもしれない。たぶん俺達の仲も気付いているだろうし、あ、そうだ。もう兄弟だとバレなければいいのかな。
「そうだな、お前の言う通りかもしれない……奴の本当の狙いは、ハイデルなのか? 陥れようとしているとか……」
「分かりません。でも実際に狙われているのはあなただ。このままでは……」
エブラルが急に黙り、考え込む素振りを見せた。何故かオレの心臓がどきどきしている。
「ああ、私はまたハイデル殿に責められるのか。あの方、怒らせたら怖いですよね」
「……え? 急にどうしたんだよ。お前にも怖いもんなんてあるのか?」
「失礼な。騎士団長の本当の顔をご存知ないのですか」
エブラルの目が少し見開かれた。こいつでも、こんな動揺したみたいな顔するのか。
確かに俺は弟の団長の顔はよく知らないが、あいつがいかに変態かということは、誰よりも知っていると思う。奴の二重人格ぶりもな。
「ですがセラウェさん。私には今回のことを彼に報告する義務があります。宜しいですね?」
「いや……俺から言わせてもらえないか? 自分でちゃんと話そうと思うんだ」
エブラルが意外そうな顔で俺を見る。俺だって本当は、自分から言いたくなどない。もの凄く嫌だ。でも、言わなければならないだろう。たとえどんなに、最悪な事態を招こうとも。
「分かりました。ではお願いします。その印についても考えてみますね。……それから、あなたをお守りする手段についてもいくつか案がありますので、それはまたの機会に」
「ああ。助かる」
そう言って、俺達はひとまず長い会話を終えた。
騎士団領内に、もうすぐ移り住む。そして、弟に今回の事を話さなければならない。自分の不注意とはいえ、すでに起こってしまったことは仕方がない。
胃がキリキリと痛む中、俺は改めて覚悟を決めようと思い至ったのだった。
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