俺の呪いをといてくれ | ナノ


▼ 19 苦悩する男

騎士団長の側近、ヴァレン・ネイドの後に続き、俺とロイザは騎士団本部内の長い廊下を無言で歩いていた。今の心境を表すと、刑を執行される前の囚人のそれに似ている。団長である俺の弟は、一体どんな仕打ちを兄である俺に与えるのだろうか。
絶望的な気分でうなだれていた頭を上げると、廊下の向かい側に予期せぬ人物の姿が目に入った。灰色のローブに銀髪が印象的な、小柄な少年ーー

「エブラル殿」

立ち止まり名を呼んだネイドの前に、呪術師エブラルが笑顔でそれに応えた。こちらに向かってくるそいつに対して、俺は大きく動揺していたのだろうか、異様に体が強張るのを感じる。

「おや、皆さんお揃いで。どちらへ向かわれるのですか?」
「団長の元へご報告することがありまして」

静かに答えたネイドを見上げていたエブラルは俺に視線を移し、ついでにロイザを一瞥した。笑顔は変わらないが、瞳の奥で何を考えているのか分からない様子が相変わらず不気味だ。

「奇遇ですね。たった今私もハイデル殿の所へお邪魔していたのです」

……なんだと? 俺はその台詞を聞いて鼓動が跳ね上がるのを感じた。弟に何の用だ。まさか俺との約束をやぶって秘密をバラしやがったのか? エブラルにじとっとした目で見つめられ、自ずと睨み返す。

「セラウェさん、そちらの方は?」
「……え? ああ、これは……俺の助手だ」

普通に話しかけてくるとは思わなかった為、かなり適当な答え方をしてしまった。拘留中の俺がそもそも助手など連れ込めるはずがないのに、エブラルは特に表情を変えなかった。余計なこと言うなよロイザ、と祈っていると、エブラルの目がロイザをじっくりと眺めていることに気がついた。

「中々興味深いお方をお連れですね。珍しい毛色だ」
「あ、ああ。そう? それはどうも」

どういう意味だそれは、と半信半疑になりながら答える。確かにロイザの容姿は褐色に白髪という、この辺りでは希少な風貌をしているが……つうか毛色ってこのガキ、もしや一発でロイザの正体を見破ったのか? こいつなら十分に有り得そうだと寒気立つ。

「それではエブラル殿。急ぎの用ですので、我々はこれで失礼します」
「ええ、ネイド殿。では……またお会いしましょう、セラウェさん」

別れ際のエブラルの釘を刺すような言葉と笑みに、再び俺の心臓がキリキリと痛みだす。呪術師の姿が遠のくと、ロイザが俺の耳元で予想外のことを口にした。

「おい、セラウェ。今の男……気をつけたほうがいい」
「は?」
「もの凄く嫌な感じだ。強いぞ、あいつ」
「……ああ、俺もそう思う。だがお前、強い奴好きだろ」
「ああいうのは趣味じゃない」

小声で話すロイザの主張は意外だった。今の短い対面で奴の禍々しさを感じ取ったのだろうか。確かにエブラルの保有するとてつもない魔力量には圧倒される。普段は当然ながら隠しているようだが、あの日対峙した俺にはまだ、その感覚が残っていた。

「その男と同意見なのは不本意ですが、彼に注意すべきだというのは同感です」

前を歩くネイドの突然の言葉に俺は驚く。ちらと見えた温厚そうな横顔が、やや険しい顔つきになっていた。ピリピリした雰囲気に緊張が走る。

「どういう意味だ?」
「……ああ、いえ。差し出がましい物言いをしてしまい、すみません。団長室はもうすぐですので」

含みがある言い方が気になったが、ネイドはクレッドの側近だ。騎士として何か思うところがあるのかもしれない。それほどエブラルという人物が、騎士団内でも特異な存在だということなのだろうか?


団長室の仰々しく分厚い扉の前で、俺は内心汗が吹き出していた。なんでこんなに、恐れているんだろう。捕まってしまった組織の団長とはいえ、俺の弟だぞ? そんな怖がることないって、あはは。
落ち着こうと努めながらも、ロイザを睨む。ぜってー余計なことすんなよこの野郎、という思いを込めたつもりだが、俺の使役獣の眼差しには依然として、戦いへの飢えがちらついているように見えた。

「団長、失礼します」

ネイドがそう告げ、扉を開けた。騎士に続き部屋へ入ると、そこは一見大きな書斎のような空間だった。壁にずらりと本棚が並び、重厚な家具と革張りのソファがある。しかし飾られた団旗とガラス越しにある数々の刀剣や装備品を見て、紛れもなく団長室であるのだと実感する。

広い木彫りの机の前に腰を掛けている男を発見した。金色の髪が青い制服に映え、いつもより更に凛々しく見える。仮面をつけた鎧姿じゃないのに、仕事着を着ている弟がなんだか別人に思えた。

「ここへ連れて来いと言った覚えはないが」

聞こえたのは当然好意的な言葉ではない。クレッドは俺を一瞬視界に入れた後、後から入ってきたロイザを見て、明らかに険しい表情を浮かべた。冷たく凍るような顔つきで、一度見たきり俺のことを見ようとはしない。

「申し訳ありません。不測の事態が起こりまして」
「見れば分かる。詳細を報告しろ」

視線をロイザに向けたまま、部下のネイドに促す。ああ、まずいぞこれは。やっぱりクレッドのやつ、怒っている。もう今すぐにこの部屋から逃げ出したくなるほど、威圧感が凄い。これが騎士団長の風格というやつなのか?

「はい。実は先程ーー」

驚くべきことに、クレッドの側近であるネイドは、さっき俺の部屋で起こったロイザとの戦闘やそれに至る会話内容まで、事細かに説明し始めた。長々と繰り広げられるそれに、記憶力すげえと感心しながらも、ご丁寧に最初俺の上にロイザが跨っていたことまで描写され、この男の容赦の無さにぞっとする。

「それで、お前の目的は何だ? 簡潔に答えろ」

厳格な姿勢を崩さないクレッドがロイザに問う。腕組みをし、偉そうな態度をとるロイザに気が気じゃなかったが、俺はその挙動を黙って見守っていた。

「今お前の部下が説明していただろう。俺は自分の主が心配で様子を見に来たんだ。誰の思惑かは知らんが、こんな所に閉じ込められて可哀想だと思わないのか?」
「はっ、心配だと? 身勝手な振る舞いをしておいて、主を守る姿勢がお前にあるのか」

あああ、もうすでに喧嘩腰になっている。もっと冷静に話せよ。いい大人なんじゃないのかこいつら。

「ああ、そういえば目的はもう一つあったな。主から与えられる魔力だ」
「……魔力?」
「そうだ。俺はセラウェから定期的に供給される魔力なしには、この地に存在し得ない。使役獣として力を与えてやる代わりに、己の肉体に使役者の魔力を注がれる。これを魔力供給という。いわば俺達は、切っても切れない関係というわけだ」

ちょ、なんなの、こいつ。なんでこんな気色悪い表現の仕方するの? 俺は目を見開いて横にいるロイザを見た。俺の弟を煽る気満々なのだろう、灰色の瞳がぎらつき完全に興奮状態であることを悟る。

「その魔力供給とは……どんな方法で行うんだ」

クレッドが地を這うような低音で尋ねる。こいつもなんでそんなことを知りたがるんだよ。なんか変な汗が出てくるんだけど。

「そうだな。端的に言えば、日々夜を共にすることで魔力を補うようにしている。セラウェにとって最も良い方法であると言えるからだ。もう長年この状態だから今更変えることは出来ん」

…………は!? なんつった今こいつ?
広義的には間違ってはいないが言い方ってもんがあるだろッ。も、もう無理だ。我慢出来ない。今すぐこいつを黙らせなければ……拳を強く握りロイザへ怒りをぶつけようとしたその時、突然クレッドの震える声が部屋に響いた。

「日々……夜を……共にするだと? な、長年……?」

ずっと冷静だったクレッドの態度が初めて変化を見せた。なんか、凄い形相でわなわなしている。俺は愕然としながら目を泳がすと、側近のネイドと目があった。なぜか気まずい顔をされ咄嗟に目を伏せられる。……え、ちょっと、勘違いしないで、別に痴情のもつれとかじゃないからこれ。

「ふざけているのか、貴様……よくも俺の前で……そのようなことを」
「お前こそ俺の主に好き勝手しすぎなんじゃないのか? 俺はセラウェをお前ほど疲れさせたことは無いが」
「当たり前だ! そんなことがあってたまるかッ!」

お、おい、何なんだよこれ。こいつら一体何の話してんだよ! 俺の中で何かがプチッと切れる音がし、すでに限界が近づいているのを感じた。

「て……てめえ、ロイザ、いい加減にしろよ……もう黙れ」
「なんだ、セラウェ。本当のことだろう? お前が恥ずかしがることはない」
「ちげーよ! この野郎……変な言い方しやがって……なんでいつも俺の言うこと聞かねえんだよ! 殴られてえのか!」

大声を出しながらロイザに向かっていく。高い位置にある胸ぐらを掴むのに若干苦労するが仕方がない。

「殴る……? 出来るのか? ……そんなか弱い手で」

奴の胸元を掴んでいた俺の手がロイザの大きな手に覆われた。至近距離で物憂げに見つめられ、途端に寒気が襲ってくる。なんだこいつ気色わりい……
使役獣のいつもと違う表情に吐き気を覚えていると、ドタッと大きな物音がした。目をやると、立ち上がり机に手をついてこちらを睨みつけている弟の姿があった。

「おい、貴様……ネイドを煽った次は俺に相手をして欲しいんだろう? いつになるか分からんが、気が向いたらやってやる。……だから今すぐ、その手を離せ……ッ」
「ふっ、やっと乗ってきてくれたのか? 中々焦らすのが上手な小僧だ。いいだろう、いつでも来い。楽しみに待っていてやる」

なあ、この二人知ってるの? 相当恥ずかしい流れなんだけど。お前の部下も団長の様子にどうしていいか分からない感じで困ってるからね。もう俺知らねえから。勝手にやってくれよ。使役獣も、俺を利用して戦いたきゃ戦えばいい。

「団長、お話中のところすみませんが。その男が使役獣だという証拠がまだ……」
「あ……? ……ああ、そうだな。俺はすでに知っているからどうだっていいが、まあいい。おい獣、早く獣化してみせろ」

クレッドが凍った様な目つきでロイザを見る。そうか、こいつは俺の家に最初部下達を連れて現れた時、部屋にいたロイザの本当の姿である、幻獣の白虎を目にしているんだ。

目的は果たしたとばかりに満足げな顔でロイザが俺を見た。この野郎、覚えてろよと睨みつつ俺が頷くと、またたく間に奴は白い上質な毛をもつ白虎の姿へと変身した。いつもなら喜んで飛びつきたくなる姿も、今は憎たらしくてたまらない。

ネイドが一瞬驚きの表情を浮かべる。ああ、これからどうなるんだろう。こいつ、捕まるのか? そう不安に思っていると、クレッドが口を開いた。

「これでお前への用件は済んだ。ネイド、こいつを連れ出せ」
「はい。処遇はどうしますか?」
「そんなものは要らん。外へ放り出してこい」
「わ、分かりました」

え……。俺は唖然としてクレッドを見つめる。だが俺がこの部屋へ入って目があって以降、こいつは一度たりとも俺を見ようとはしない。
怒ってるんだよな、怖い。本当に怖い。情けないが兄としての面目も丸つぶれだ。……いや、でも待てよ。ロイザは自由になるようだが、俺の処遇ってどうなるの?

「では、失礼します。ーー行くぞ」

ネイドは大人しくなったロイザを連れて部屋を後にした。団長室に残された俺とクレッドの二人の間に、重苦しい沈黙が流れる。
俺は恐る恐る弟を見た。すると、今まで一度しか目を合わせなかった弟の視線が、俺を捕らえていた。
正直、大きく動揺していた俺はすぐに言葉が出なかった。しかしクレッドは真剣な顔で俺のほうに歩み寄ってくる。

「あ、あの……クレッド? わ、悪かった、全部俺のせいだから。頼むから、怒んないで、な?」

心臓がバクバク音をたてながら、冷ややかな表情でこっちに向かってくる弟を必死になだめようとする。だがクレッドは止まらずに俺のすぐ前に立ちはだかると、いきなり俺の顎を掴んだ。澄んだ蒼い目にじっと見つめられ、息が止まりそうになる。

「……っあ、あの……どうし……」

言葉を言い切る前に、俺の口がクレッドの唇によって塞がれた。口を強く押し付けられ、濡れた舌が強引に中まで入ってくる。

「ん、んんんッ……は、ぁっ」

後ろの壁に押し付けられて、口を全く離す様子がなく一心不乱に舌を絡め取られる。苦しくて奴の制服を必死に掴むが、弟の両手は俺の背中と腰にがっちり回され、体もぴったり密着したまま離れない。

「んぅっ、んむっ、ぁっ、ふ、あっ」

なんでこんな激しいキスしてくるんだ。さっきまで全然目も合わせようとしなかったくせに。怒ってるんじゃないのか? ……いや、これは俺に激怒しているということなのか?
気持ちよさに足がぐらつき、力が抜けてくる。すると俺を支えるクレッドの手に力が入り、そっと唇を離された。

「……は、ぁ……っ……はぁ……」

小さく息をついて弟を見上げると、クレッドも俺を見ていた。顔が近づけられ、そっと頬にキスをされる。そのまま唇が首筋へと添えられ、場所を変えながら吸い付かれていく。

「ん、ぁあっ、……お、いっ……待ってっ……」

俺が奴の背中を掴んで止めようとすると、クレッドが顔を上げた。見慣れたはずのほんのり赤らんだ顔が、一瞬つらそうに歪み、俺はどきりと心臓が脈打つのを感じた。だがクレッドが発した言葉は予想外のものだった。

「兄貴……頭が、いたい……」

そう言って、俺を抱きしめたまま肩に自分の頭を乗せてきた。……え? そんな弱々しい声を出してどうしたんだいきなり。俺はとりあえずもたれかかる弟の頭に手を置いて撫でてみた。

「だ、大丈夫か……? 俺のせいだよな? すまん……」

何をやってるんだろうと思いつつ謝る。するとクレッドがぎゅっと腕に力を入れてきた。黙っている弟に戸惑いながらも、なんとか言葉を紡ごうとする。

「あいつの……ロイザの言うことを真に受けるなよ。ただ強い相手と戦いたいだけなんだ。だからお前をたきつけるようなことをーー」
「……その話はあとでいい」

小声だがはっきりとそう口にした弟に言葉が詰まる。クレッドは頭をもたれたまま話し続けた。

「……さっきエブラルが俺の元へやって来た。兄貴を教会に迎え入れたいという件だ。……俺は最初は反対していた。この仕事は危険にまみれていて、兄貴にはやらせたくない、そう思っていた」
「は? ちょ、ちょっと待てよ。どういうことだ?」

いきなりの話題の変化に追いつけず、俺は完全に混乱していた。明らかにクレッドの様子がおかしい。やっぱりエブラルに何か言われたのか?

「だがエブラルと話して……考えが変わった。こんな状況になるなら、手元に置いておいたほうがいいのかもしれない……一人にしておくよりかは、ずっといい」

クレッドが頭を上げて俺の目を見つめる。俺には自分に言い聞かせるように話す弟の言葉が、何を意味するのかすぐには理解出来なかった。
けれど弟の真っ直ぐな瞳はさっきまでとは違い、揺るぎない決意のようなものを映し出しているかに見えた。

「俺が守ればいいんだ。あの男からも、他の誰かからも、俺が守ってやればいい。……そう思ったんだ、兄貴」

そう言って、俺を再び自分の胸に抱き寄せた。急激に体が熱くなっていくのを感じる。
制服ごしに鼓動の音が鳴り響いているのが聞こえた。俺の音なのか、弟の音なのか分からない。何も考えられなくなっていた俺は、ただ静かにその音に耳を傾けていた。



prev / list / next

back to top



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -