▼ 14 呪術師のもくろみ
「す、好き……? 俺を……?」
そう問い返す俺の声は若干震えていた。顔を紅潮させたクレッドが静かに頷く。
一瞬夢でも見ているのではないかという錯覚が頭をぐらつかせる。
「それって……どういう……」
思考は混乱を極めていた。たった今俺たちは初めてキスをした。その気持ちよさは実際悶絶するほどだったが、その終わりに、突然弟から好きだと告白されるとは、夢にも思っていなかった。
ああ、お前それはな、呪いのせいで熱に浮かされてるだけなんだよ、だからただの思い込みなんだよ、と一蹴出来るほどの強さと確信が俺にはなかった。何故ならこうしている間にも、弟の真剣な瞳でひしと見つめられ、その気持ちを肌で感じていたからである。
言葉が見つからない俺を抱きかかえたまま、クレッドは急に立ち上がった。前に置かれた机の上に軽々と乗せられ、押し倒される。
「お、おい?」
声をかけると、俺の顔に再び迫ってきて、もう一度唇を押し付けてきた。さっきのとは違い、最初から奪うように激しさを求めるキスに、たじろぎながらも喘いでしまう。
「んっ、んん、ふ、……っぁ」
合間ではぁっと息継ぎをすると、クレッドの濡れた瞳とかち合った。激情に駆られた表情で、息が上がるのを見せつけながら喉をゴクリと鳴らす。
「あ、兄貴……したい、けど……今したら、止められない」
完全に余裕をなくし、思い詰めた顔でそう言われる。弟の切羽詰まった勢いに押され、言葉を失う。
「はぁ、はぁ……あに、き……どうすれば、いい?」
さっきまでの弟とまるで様子が違う。窮地に立たされているのは俺の方なのに、子供のような顔で助けを求めてこられ、心臓がドクドクと不規則に動くのを感じていた。
「……わ、分かった、したいんだな? でもな、たぶんお前仕事が残ってるんだろ? 今始めたらまずいよな?」
弟の変化に戸惑いつつ、言い聞かせるように優しく諭す。なんだか分からないが、こっちも物凄くどぎまぎしている。なんで俺が妙な気持ちで慌てふためいてるんだ。
「…………うん、そう……だな」
う、うん? 今、うんって言ったのかこいつ? どうしよう、口調まで変わっている。興奮冷めやらぬ様子で、悲しげな顔をする弟に何て言えばいいのか、本気で考えを巡らせる。
すると突然コンコン、と扉が軽めに叩かれる音がした。
え、また誰か来たのか? と瞬時に不安が襲い、急いで起き上がろうとする。だがその際、俺の上で扉の方を見やり「チッ」と舌打ちを打って怒りの表情を浮かべたクレッドの顔を、俺は見逃さなかった。
「なんだ? 尋問中だ、入ってくるな」
大きな声で牽制したクレッドの苛つきを直に感じ、一瞬慄く。大丈夫なのかこいつ、一旦冷静になったほうがいいんじゃ……と心配すると、外からは意外な返事が返ってきた。
「すみません、ハイデル殿。セラウェ・メルエアデさんにお聞きしたいことがありまして」
「……それは至急の用か?」
「ええ、そうです」
その声と口調はどこかで聞いた覚えがあった。そうだ、騎士団に捕まった夜に現れた、少年らしき呪術師だ。……つうか、俺に用ってなんなんだ。額に冷や汗が出るのを感じる。
「分かった。少し待て」
そう告げたクレッドは乱れていた俺の服を整え始めた。昨日も同じようなことされたな、とぼんやり回想する。いや、そんなことよりお前のほうがーー
「すまない。いいか?」
「あ、ああ。でもちょっと待って、お前それつけたままじゃまずいから」
小声で話すとポケットに入っていた布切れを取り出し、クレッドの鎧に出してしまった自らのソレを丁寧に拭いた。
今更ながら何てことをしてしまったんだと青ざめてくる。だがその時、不意に身を屈めたクレッドから、そっと頬に口づけを落とされた。
…………え?
柔らかい唇の感触がじわっと広がり、一瞬の出来事に思考が停止する。
「今日の夜、……待っていてくれ」
耳元でそう囁くと、奴は何食わぬ顔で再び仮面を被り、扉へと向かった。
な、なに今の……色々おかしすぎてついていけないんだが。あいつどうしちゃったんだよ、夜、待つって……え?
ぼうっとしたまま後ろ姿を目で追う。扉が開かれても、クレッドの大きな体に隠れて呪術師の姿がよく見えなかった。
「それで、用件はなんだ?」
「逃亡した男の件でお話が。メルエアデさんと二人にして頂いてもよろしいですか」
大人しく椅子に座って話に聞き耳をたてていると、不穏な言葉が聞こえてきた。逃亡した男ってなんだ? まさかーー
「今必要なことか?」
「はい。尋問権は司祭の元に集う我々魔術師にも、平等に与えられています。それとも、何か不都合なことでもあるのですか? ハイデル殿」
な、なんだか雲行きが怪しくなってきた。固唾を呑んで見守ると、クレッドが少し黙った後「いいだろう」と返事をした。どうやら俺は二人目の男に尋問されるハメになってしまったらしい。
「ありがとうございます。……ここでは落ち着かないので、私の研究室に来て頂いてもいいですか?」
クレッドは無言だ。沈黙が続きおかしいと感じた俺は、つい立ち上がった。するとクレッドが扉から数歩下がり、呪術師の姿がはっきりと現れる。
俺の弟子と同じかもっと若いぐらいの年頃の、白い肌に銀色の髪が神秘的な、見目麗しい少年だった。呪術師らしく、灰色のローブを身にまとっている。
「彼について行け」
クレッドが俺にそう一言だけ告げると、呪術師は穏やかな笑顔を俺に向けて会釈をした。
※※※
「申し遅れました。教会に所属する呪術師のマキア・エブラルと申します。エブラルとお呼び下さい、セラウェさん」
「は、はあ……」
年に似合わない口調に戸惑いつつ返事をする。つうか自分のことは姓で呼べと言っておきながら、何故すでに俺の名前を呼んでいるのだろう。
「あの、ここはどこなんですか……研究室のようには見えないんですけど」
俺は非常に困惑していた。何故なら、一面真っ白のだだっ広い何もない空間で、美少年の呪術師と程よい距離を保ち、さながら決闘が始まるかのごとく立ち合っていたからである。
一体何が起こるのか分からない恐怖。少なくとも、ゆっくり座ってお話しましょうという雰囲気ではない。
「ここは魔術師用の訓練室です。特殊な結界が張ってあるので防音防護が完全な場となっています。お話の前に、まずあなたの力を見せて下さい。では、いきますね」
「…………は?」
すらすらと放たれたセリフに呆気にとられる俺をよそに、エブラルと名乗った呪術師はいきなり右手を天に掲げた。またあの聞き慣れない呪文だ。流れるような速度で歌うように唱え始めている。
何だか分からんが、これはまずいーー俺はとっさに防御魔法の構えをとり、詠唱を開始した。
「無駄ですよ。攻撃魔法ではないので」
どこからか呪術師の声が響き、目で追おうとするがいつの間にか姿がない。どこへ消えた? そう思っていると、自分の体の動きがぴたりと止まった。口と目線は動くが、それ以外の自由を失う。
「な、なにーー」
「言霊を使った呪術の一種です。あなたが以前使用した制限魔法を真似てみました。完成度はいかがですか? 口は動くでしょう、解いてみてください」
そのふざけた言い草にカチンとくるが、他者がかけた術を解くというのは口で言うほど容易ではない。
俺はとりあえず解除魔法を唱え始めた。ああやっぱ駄目かも、感じる魔力量の差から、かけられた術の強力さをひしひしと感じる。
「くっ……」
思わずうめき声を上げると、いつの間にか目の前に、もやもやと霧が立ち込め始めた。今度は何するつもりなんだ。焦りに惑わされる中、再び奴の声がした。
「なるほど、少し苦しそうですね。手も自由にして欲しいですか?」
俺がギリッと鋭い視線を投げつけると、途端に両手が自由になった。すぐさま古代文字を宙に刻み、もう一度解除魔法を試みる。
額に汗を感じながら、ああ疲れる、なんでこんな目に合っているんだろうと当惑した。さっき弟と戯れていたせいか未だ体の疲労が酷いというのに。
「…………っはぁ、はぁ、はぁ」
半ば無理やりやってのけたという感じだが、ようやく奴が奇襲的にかけてきた術が解け、俺はその場に膝をついて倒れた。
「何のつもりだよ、お前……!」
「すみません。セラウェさんの魔力と力の程を少しばかり知りたかったのです。どうぞお許しを」
その言葉と共に一斉に霧が払われ、エブラルの姿が現れた。俺が睨みつけると、奴はにっこりと笑顔を浮かべた。こうして見ると、あどけない顔をした少年としか思えないのだが。
「魔力量はギリギリ上レベル、おそらく非戦闘型で補助魔法に特化した魔力温存タイプとお見受けします。耐性値も悪くありません。合格です」
「……は? ……おいなんでいきなり俺を分析した上に説明した? つうか合格って何?」
全く意味が分からない。俺達ほぼ初対面だよね? いくら尋問相手といえど、不躾にも程があるんじゃないのか。
「それでは早速お聞きしたいことが。よろしいですか?」
「ちょ、ちょっと休ませて。疲れたから」
「体力は中の下といったところでしょうか」
「うるせえな!」
マジでこいつ何なんだ。普通じゃない、というか捉えどころが無い上に限りなくうざい。
「昨日の事件時に、あなたを襲った男を我々は捕らえ、他の者と同様この教会領内へと連行しました。ですが、今日の朝騎士が部屋を確認すると、なぜか男の姿は忽然と消えていた……部屋にはもちろん、敷地内には結界が張り巡らされているので、通常は逃げることなど不可能なのですが」
エブラルが真面目な声で語っている。俺まださっきまでの行い引きずってんだけど。ランク上の呪術師の勢いについていけず呆れ果てる。
「……つまり、どんな手を使ったのか知らんが、奴が逃亡したということか」
「はい。ハイデル殿から聞いていませんでしたか?」
「えっ? い、いや……聞いてないが……守秘義務じゃないのか」
確かにクレッドは何も言わなかった。事実を俺に伏せていたのは、俺が尋問の対象だったからだと思うのだが。
「いえ……失礼ですが、当日のご様子からも、ハイデル殿とあなたが些かただならぬ関係に見えましたので」
はい? 何を言い出すんだこのガキーーただならぬ関係だと? ももももしやバレてねえよな? 俺にカマかけてんのか?
「全くの誤解だ。何を言ってるんだ君は」
「そうですか。では、あの男との関係を改めて教えて頂けますか」
「か、関係も何も、あの場で突然襲われただけで、名前も知らないな」
エブラルの疑念をこめた視線が突き刺さる。クレッドといい、こいつといい、尋問って本当に精神が磨耗してくるぞ。何故こうも身に覚えのないことで、理不尽に責められる思いをしなきゃならないんだ。
「ハイデル殿によると、あの男にはあなたの制限魔法も通用しなかったようですね。あなたが気を失わせたのではないのですか?」
「いや、違う。騎士団が入ってきて、突然意識を失ったというか……」
「おかしな所はありませんでしたか? 何かを口走ったとか」
もちろんあった。だが正直に言ったらもっと面倒なことになるんじゃないのか。俺が黙っていると、真剣な眼差しを向けるエブラルが小さな溜息をついた。
「セラウェさん、降霊術ってご存知ですよね。俗にいう口寄せです。死者の霊魂を呼び寄せて自らに憑依させ、真実を語らせる妖術です。私は呪術師として、死者との会話を行うことがあるのですが……知っていますか? 生霊との会話も可能なのですよ。例えばあなたを私の自由にして、勝手に生霊として呼び出し、記憶や思考を共有することなんかも……」
なに、恐ろしいこと言い出すの、この人ーー。
変わらず俺を凝視する笑顔に、怖気が立った。深い藤色の目に映る混沌に、意図せず囚われてしまいそうになる。
ああそういうことか。駄目だ、俺は全てを甘く見ていたんだ。このソラサーグ聖騎士団に捕まった時から、すでに歯車が狂い出していたというのか。
「俺を脅してるのか、お前……」
「あなたが正直に話して下さり、なおかつ私のお願いを聞いて下されば、そんなことはしません」
は? なんか要求増えてんだけど。お願いって何だよ。このガキ綺麗な面して調子のりやがって。なんか雰囲気も昔のあいつに似ていて腹立ってくるんだが。
「あの男がそんなに気になるか? あんたに何の関係があるんだ?」
「関係があるのはあなたじゃないですか。むしろ協力出来るのはこちらの方だと思いますが」
こいつ、やっぱり全部知っているんじゃないのか。回りくどい言い方をするところが余計に癪に障る。
「……本当に何も知らねえよ。だが何故かあの男は俺を知っていて、俺に会いたかったと、俺が目的だとそう言った」
「そうですか。分かりました」
追求してきた割に、ものすごくあっさり納得したことに驚く。
「逃亡を成功させたとなれば、我々の面目も立ちません。結界を張った術師もお怒りのようですし、あの男を捕まえるのは、目下の課題となるでしょう」
「ああ、そう……」
「我々が捕えることが出来れば、あなたの身の安全も保証されると思いますよ」
「まぁ、……確かに。もうあんな目に会いたくないしな。あ、つうかこの話、……ハイデルには言わないでくれよ」
俺に全く身に覚えがないのに、あの男に狙われていることをクレッドに知られれば、さらに面倒なことになる気がした。
「そう仰るのであれば、秘密にしておきましょう。そもそも私は彼の部下ではないので、その必要もありません。ただし、私のお願いを聞いて頂けますね?」
……完全に今までの流れ、脅迫というか恫喝だよな。恐ろしいわこの呪術師……もう笑顔にやましさしか感じ取れねえ。俺は奴の前で盛大に溜息をついた。
「聞ける範囲でな。一体何が望みなんだよ」
「セラウェさん、我々魔術師と共に、リメリア教会司祭のもとで働いてみませんか?」
「…………なに?」
「あなたのお力を見込んでの提案です。悪い話ではないと思いますが」
いやいやいや、悪いお話過ぎるだろ。何軽いノリで言っちゃってんだこのクソガキは。つまりあれか、弟の同僚となれと? 阿呆かッ。
「あのー、あんまり大人をからかうの止めてもらえる? 俺なんか雇われるわけないでしょ? 自分で言うのもなんだけど、そんな力無いから俺には。さっき確認したよな?」
もし実力があったとしても、こんな訳の分からない組織に入るなんてごめんだ。恐ろしいにも程がある。
「あなたの力の程はさきほど評価した通りです。しかし昨夜遭遇した制限魔法の見事な出来栄えに、私は感心してしまいました。あなたのような人材が必要なのです」
「なんか恥ずかしいからヤメロよッ、それに全然心こもってねえぞ今の台詞!」
エブラルはふふ、と怪しげに笑った。急に殺気立つような異様な雰囲気に、背筋が凍りつく。
「面白い方ですね、あなたは。いいんですか? 私にそんな態度をとって。私は知っているんですよ、ハイデル殿の秘密を……」
「…………え?」
な、なにいきなり全然違う話ぶっこんできてんだよ、もうこいつの意図するものが全く分からない。
ーーいや、まさかこいつ、俺がクレッドと親しいと思い込んで、俺を利用してあいつを陥れるつもりなんじゃ? さっきもわりと険悪な雰囲気だったし。
「そういうことか。お前、あいつが気に入らないんだな? 悪いが、俺は何の役にも立てねえぞ。ただの知り合いだから」
「そうなんですか? ただならぬ関係なのではーー」
「うるせえ! そこから離れろ!」
「隠しても無駄ですよ。ハイデル殿の最近の様子の変化……私が気付いてないとお思いですか?」
「……な、なに言ってんだ」
「呪術師の本業は呪いを施すこと、そして解除することなのですよ。ここまで言えばおわかりでしょう」
呪い、という言葉に戦慄する。こいつ、やっぱり知っているのか? 全て見えているのか? なんで俺はこんなにも、この無邪気な笑みを浮かべるガキが恐ろしいんだ。
「早く言うことを聞いてください。あなた、いくつ私にカードを切らせれば気が済むんですか」
若干うんざりした様子で言う呪術師に、開いた口が塞がらなくなる。どうして俺が責められているんだ。なぜ俺にそこまで固執するんだよ。これなんの悪夢なんだろう、なんで目覚めないんだよッ。
「教会に協力して頂ければ、逃亡した男の調査と、ハイデル殿の秘密を守ることをお約束します。いかがですか? セラウェさん」
有無を言わせない堅固な眼差しに、自分の弱さを痛感した。俺の力が必要だなんて、絶対に嘘だ。
この呪術師の目的は別にあるはずだ。だが、今の俺はそれを暴くどころか、目先の問題すら自力で対処出来ない事実に、虚しく震えるしかなかった。
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