俺の呪いをといてくれ | ナノ


▼ 110 新たな呪い -クレッド視点-

目を開けると、腕の中に温かな人肌を感じた。兄が俺の胸にぴったりとくっつき、静かに寝息を立てている。
なんて幸せな夢なんだろう、久しく触れることの出来なかった柔らかい体を抱き寄せると、気持ち良さそうに頬をすり寄せてきた。

「……んん……クレッド」

名を呼ばれ、はっとして目を見開く。布団を剥がすと、傷だらけの兄の姿があった。
滑らかな肌に所々無残な噛み跡が残されているのを見て、頭が真っ白になり、一気に血の気が引いていく。

嘘だろう?
誰よりも大切で、傷一つ付けてはならないと誓った愛する兄にーー俺はなんて事をしたんだ。

絶望と自分への怒りを滾らせる俺の前で、兄の寝顔は無垢そのものだった。
痛ましい姿なのにも関わらず、安心したような表情で瞳を閉じている。

俺はすぐに起き上がろうとした。
離れたくない、でも離れなければならない。近くにいてはいけない。
けれど無意識にそれを察知したのか、兄の腕が胸に絡まったまま動きを封じてきた。

「兄貴……?」

問いかけても返事はない。微かに動く目元には薄っすらと隈が見える。
昨日のことを思い出す。恐ろしい事に、断片的に記憶が失われていた。
兄を傷つけて思うままに抱いたことは覚えている。心に抱えていた愛を伝えた事も、こんな事をした俺に対して、兄から大切な愛の言葉を与えられた事も。

だからこそ余計に、自分のした事が許せない。

身を引き裂かれる思いで腕を取り除き、ベッドから立ち上がる。すると横向きで体を丸めた兄の顔が、つらそうに変化した。

「……い、くな……」

眠っているはずなのに小声で呟かれ、俺は固まってしまう。触れてはいけないのに、黒髪をそっと撫でた。

「どこにも行かないよ、兄貴」

自信のない声が虚しく響く。返事をすると兄はまた眉間の皺をなくして、すーすーと寝息をたて始めた。

俺は浴室へ向かった。温かいお湯でタオルを濡らし絞る。すぐにベッドへと戻り、兄の体のそばに腰を下ろす。
薄っすらと血が滲む場所を拭い取り、綺麗に拭いていく。
兄の体がぴくりと反応を見せるが、起きる様子はなかった。

俺は、最低だ。どうしてこんな事になったのだろう。
魔術師アルメアにより新たな呪いの上書きを受けて、全てが解決に向かうのだと楽観視していた自分が、愚かだった。


あの儀式の直後、完全に自我を失った俺は兄に襲いかかったという。
記憶はなく、意識が戻ると俺は騎士団別館の一室で、エブラルとメルエアデによる拘束魔法を受けていた。

だがすぐにアルメアと二人きりにされた。頭ががんがん鳴り響き強い目眩が襲う中、じろじろと様子を眺める魔術師を睨みつけた。

「どういう事だ……儀式はうまくいかなかったのか」
「呪いは無事かけられたよ。君の異常はある程度予測していたが、聖力による拒絶反応と注がれた兄の魔力による影響が強いみたいだ。ほら、見てごらん。瞳の色が変化し続けている」

アルメアは黒いローブから鏡を取り出し、俺の顔の前に差し出した。自分の瞳の色が、黒くなったかと思うと、濃い緑に変わる。
異様な光景に、俺は完全に言葉を失った。

「貴様……何の呪いをかけたんだ……ッ」
「教えてあげるから落ち着きなよ。って言っても難しいか。君にかけた新たな呪いはね、二つあるんだ。一つは月に数度強い発情を促す呪いだよ。対象は君の想い人。セラウェのことだね」

不気味な笑みを浮かべ淡々と話す魔術師に戦慄する。

「なんでそんな、呪いをーー兄貴に負担をかけるような真似をするなと、言っただろ」
「タルヤの呪いは君が思ってるよりも強大なものだよ、なんせ死に際の呪詛だからね。それを上回るものでないと、上書きする意味がない。だが今言った呪いは、兄の性欲消失を防ぐのには関係がない」

この男は、ふざけているのか?
拳に力が入り、怒りをぶちまけてしまいそうになる。

「そもそも性欲が消失するといっても、正しくは解呪後、二人の状態が呪いがかかる前に戻る事を意味するんだ。君は前から兄への欲望があったようだが、セラウェは違うだろう。それを防ぐ為に、二つ目の呪いを用意した。君たちが気に入ってくれればいいんだけど……」

不穏な言い分に、胸騒ぎがした。
その後呪いの内容を語りだすアルメアを前に、俺は頭を抱えたくなった。
兄は、どんな反応をするだろう? 呪いがとけた後も、俺を思っていてくれるのだろうか。

いや、今は先に対処すべき問題がある。
兄を前にすると途端に自我を失ってしまいそうな自分の状況を、何とかしなければ。

「クレッド。今は不安だろうが、必ず事態は収束する。それまで兄を遠ざけておくんだ。……まあ、セラウェのほうも君に触れられないとなると、更なる欲求が募り出して危険な状態になるかもしれないけどね」
「……なんだと?」
「前に説明した通りだよ。だがこうなってしまった以上は、仕方がない。落ち着いたらまた抱いてあげればいい」

俺は怒りに身を任せ、奴に掴みかかろうとするのを必死に堪えた。
そんな状態の兄を放っておけと言うのか? だが今、最も危険な存在になってしまった自分に何が出来るのだろう。
無力さを痛感し、頭をうなだれる。

約束した通り、未だ眠ったままの兄のそばについていてあげたい。目を覚ましたときに抱きしめて安心を与えてあげたい。
けれどその願いは叶えられなかった。

メルエアデに拘束を受け、家に連れ戻されそうになった時、兄の様態を聞きつけた弟子のオズが現れた。
自分にはこんな事態を引き起こした責任がある。今までの経緯と自分の思いを余すことなく伝えた。

元々人に理解を求める考えはなかった。異常だとみなされても仕方がない、だが兄のことを諦める気は毛頭ない。
思いの丈を告げると、オズは予想に反して俺の言う事を汲み取ってくれた。

「クレッドさん、俺はマスターが好きなんです。だからクレッドさんのマスターを好きだっていう気持ちはすぐに分かりました。俺なんかより、ずっと強くて比べ物にならない思いなのかもしれないけど……。マスターを守ってあげてください、お願いします」

兄の弟子の瞳は潤んでいた。第一印象からそうだったが、この男は一見素直で抜けているように思えたが、目に見えない意志の強さを感じる。
何故か昔の自分を思い出すような、不思議な存在だ。

兄が弟子を大切にしていることは知っていたが、こうして話をしていると、オズも兄の事を本当に大切に思っている事が伝わってきた。

「分かった。ありがとう、オズ。俺がこれからも兄貴のことをーー」

口にして、我に返る。今の俺に、兄貴を守ることが出来るのか? そんな資格があるのか。
今まで疑うことのなかった誓いが揺らぎ始める。
近くで睨みを効かせていたメルエアデに連れられ、俺は家へと閉じ込められることになった。

だが予期せぬことが起きた。
数日後に目を覚ました兄が俺の家へとやって来たのだ。不安げな表情を目にした途端、俺はまた強烈な目眩と共に自我が揺らぐのを感じた。

兄は俺のことを求めていた。全身を使って感情をぶつけ、必死に訴えかけてきた。
俺の心の中は、荒れ狂っていた。胸の奥底では抱きしめて安心させたい、俺の持て得る限りの愛を与え、もう二度と離さないと誓いたい。

だが理性を失くした野蛮な振る舞いは、愛する兄に対し、見るも耐えない仕打ちを与えた。

あの時、白虎がいなければ俺は何をしていたのだろう。
昨夜よりも恐ろしいことになっていたに違いない。
涙を濡らす兄を身が引き裂かれる思いで振り払い、遠ざけようとした。

それから数日が経っても、俺は依然として家に監禁状態にあった。
このまま落ち着くのを待つしか無い。勿論一時も兄のことが頭から離れることはなかったが、近くにいるべきではない。

そう思っていたのに、ある日家に騎士団から手紙が届いた。差出人は側近のネイドだ。
休暇届けを出した俺に、律儀に報告をしてくる。だがその知らせには、目を疑う事が書かれていた。

『司祭の任務計画書によると、近々セラウェさんとユトナの任務が予定されています。どう致しますか?』

即座に紙を握りしめた。俺の許可も無しにどういう事だ?
何の目的なのかは知らないが、明らかに司祭の目論見が窺えた。

自分の部下である四騎士のユトナに対しては、騎士としての信頼は確かに存在する。実力も申し分ない。
だが俺の中では、最も兄に近づけたくない人種の一人だった。

俺が言えることではないが、今の兄は呪いのせいで普通の状態とは言えない。
アルメアの言葉を思い出し、急激に嫌な予感が募り、居てもたってもいられなくなった。

そこへ家に嬉しくない訪問者が現れた。
音もなく姿を見せ、玄関へ仁王立ちとなっていたのは、俺をここに閉じ込めた張本人の妖術師だった。

「よお聖騎士。調子はどうだ? ……まだ不完全みてえだな。なんだその面は、なんか文句あんのか?」

話す隙を与えず最初から喧嘩腰に向かってくるこの男が、俺は大嫌いだった。
なぜこんな不遜な男が兄の師でいられるのだろう。

「別に普通だ。変わりはない」

素っ気なく答えると、メルエアデは深く皺を刻み込んだ顔で俺に凄んできた。

「何が変わりないだ、嘘つき野郎。またセラウェを襲いやがって」

反論出来る言葉はない。だが俺が次に言おうとしている事は、さらにこの男の怒りを買うだろうと予想できた。

「メルエアデ。俺を解放しろ。兄貴が危険だ」
「何言ってやがる。危険なのはお前だろうが」

言い返せない自分の状況が恨めしい。だがこのまま家でじっとしているわけにはいかない。
俺は意を決して兄のことを説明した。考えすぎだとは思わない。強烈に感じる嫌な予感と、今までの経験からいって、俺は兄を注意深く見守る必要がある。

「頼む。兄貴をこれ以上、放っておけない」

普段の俺ならばこんな男に頭を下げるなど、虫唾が走ることだ。だが兄への思いが俺を突き動かしていた。

「……へえ。それでお前は、セラウェを傷つけないと約束出来るのか」

俺は黙り込んだ。きっとまた兄のことを傷つける。
体は前よりも落ち着いた気がしていたが、それはきっと距離をおいているからだろう。再び目に入れれば、何をするか分からない。正直言って自信はなかった。

妖術師は溜息を吐き、俺の胸ぐらを力強く引っ張った。

「物理的なことを言ってんじゃねえ。あいつの心をズタボロにしやがったら、お前を殺す」

全身からおびただしい殺気を放ち、視界に入れるもの全てに敵意を向けるような気迫で告げられる。
本当にこの男の存在から態度から、全てが気に入らない。だが認めたくはないが、兄を大事に思っていることは理解出来た。

俺は息を飲んで頷いた。

「約束する。俺には、兄貴より大切なものなんて、ないんだ」

今の信頼に値しない俺の状況を鑑みても、一定の理解を示した妖術師に対し驚きはあったが、俺はもう兄のこと以外考える余裕がなかった。

業務に戻り、神経は過剰に研ぎ澄まされていたが、意外にも滞り無く過ごせたことに安堵した。

だが騎士団本部内のロビーで兄の姿を見かけた時、やはり強い動揺が襲った。
俺を見た途端に身を乗り出し、大きな声で名を呼ばれた。瞳は深い不安と焦りを表している。縋るように見つめられるのは、あまり経験がないことだった。

ああ、今すぐ自分の胸に抱き寄せ、その感触を確かめたい。
顔を見れば分かる。もう寂しい思いなど感じさせずに、ずっとそばにいてあげたい。
心の内ではそう思っているのに、頭の中では許しがたい加虐心に満ちた思考が、ぐるぐると巡っていた。

俺はすぐさま視線を逸し、兄を視界に入れないようにした。
隣にはユトナの姿があった。俺以外の人間がそばにいるなど、受け入れられるものではない。だが今兄にとって最も危害を加え得るのは、自分なのだ。

脳裏に焼き付いた兄の顔は疲れていた。
俺は、兄が俺の家を訪れて以降、騎士団領内にある俺の自室で寝起きしていることを知っていた。

この時ほど、兄の居場所を感覚的に察知してしまう能力を呪ったことはない。
どこにいるか分かるのに、そばに行けない。
どんな気持ちで一人で眠っているのだろう。俺のことを、待ってくれているのだろう。

苦しみに胸が引き裂かれる。
どうして俺は、こんな事になってしまったのだろう。
幸せにすると誓ったのに。


それからは、昨日起こった通りだった。
時を見計らい、俺は騎士団本部内の自室を訪れた。兄の姿を一目みて安心できれば満足だった。
だがやはり帰ってこなかった。

激情に駆られ屋敷へと向かう。部屋に辿り着き、兄が上半身裸となり、ユトナのそばに座っているのを見て卒倒しそうになった。
もちろん身が引きちぎられる思いだ。だが俺に文句を言う資格はない。

兄に縋りつかれても、ただ慰めて立ち去るべきだったのか。そんな事が出来るはずがない。
しかし結果的に、また傷つけてしまった。俺はどこまで愚かな人間なんだ……


つらつらと考え、思いを馳せながら、ベッドの上で未だ眠っている兄の頬にそっと触れた。

時計を見ると、すでに朝だった。
俺は名残惜しくもその場所を離れ、身支度を整えた。屋敷の当主に報告をしなければならない。
窓の外を見やると、馬車がちょうど到着するのが目に入った。依頼主が任務の状況を確かめに来たのだろう。

瞳を閉じて横たわる兄を見やり、俺は階下へと向かった。
人員の交代に驚いた様子の当主だったが、ユトナから聞いた任務の状況と兄の様子をかいつまんで報告し、後ほど教会の聖職者を派遣すると約束した。

納得する当主に、疲労した魔導師をしばらく部屋で休ませたいと申し出ると快く応じられた。
自分の昨日の振る舞いを考えれば、騎士として様々な有るまじき行為を行ったと分かっていた。
だが後悔してももう遅い。
話を終えると、俺はすぐに上階へと向かい、兄のもとへと戻った。

やはり少しも離れていたくない。
俺はまだ脅威となる存在のはずなのに。
はやる気持ちを抑え、部屋へと入る。だが何故かベッドの上に兄の姿がなかった。

どういうことだ?
やっぱり俺の振る舞いに怒って、いや恐れて逃げ出したくなったのかもしれない。

「兄貴、どこだ?」

大声を出し部屋を出ようとすると、浴室の扉がバタン!と開かれる音がした。
驚いて見やると、下着姿の兄がぼうっとした顔で立ち尽くしていた。
こちらを見てすぐに大きく見開かれた目が、真っ赤になっている。

「……クレッド!」

悲痛な面持ちで名を呼び、駆け寄って胸へと飛び込んできた。
しばらく抱きついた後で俺を見上げた兄の瞳は、まだ涙で濡れていた。



prev / list / next

back to top



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -