俺の呪いをといてくれ | ナノ


▼  105 儀式の果てに

俺たち兄弟はいざ新たなる呪いの儀式へと挑もうとしていた。場所はやはり騎士団領内にある、誰も寄り付かない別館だ。
普段は尋問中の捕虜たちを隔離するための場所らしいが、俺はそこでもう何度目なのか分からない本格的な拘束を受けていた。

「おい師匠っなんで俺だけ手足に鎖つけて、ベッドに繋がれてんだよッ」

動くたびにじゃらじゃら金属音を響かせながら、目をひん剥いて問いただす。
師匠は珍しく魔術の研究者然とした冷静な顔つきで、腕組みしながら俺を見下ろしてきた。

「暴れるなセラウェ。俺の趣味だ」
「なんだとぉ! じゃあどうしてクレッドは拘束なしで自由なんだよ!」

文句を言い隣に並べられたベッドに目をやる。弟は仰向けでただ横たわっていた。
俺の指摘に顔をこちらに向けるが、冷たい表情には静かな怒りが滲んで見える。

「兄貴、俺だって拘束されているぞ。……おい妖術師、貴様妙な魔法を使っているだろう」
「当たり前だ。お前にはただの拘束じゃ心許ないからな。動きを封じる術を何重にもかけている。非力な俺の弟子と違って用心が必要なんだよ」

クレッドが大きな舌打ちをする。
それにしてもおかしい。拘束はまあいいとして、なんで弟は普段着なのに俺だけ薄っぺらい膝丈の白装束を着せられているんだ? 魔力譲渡に必要か、この恥辱。
まるで以前、司祭と弟に聖力を付与された儀式のときと全く同じじゃないか。

悪夢が蘇る。まさかまた、俺変な感じに乱れたりしないよな?
今回は弟自身に新たな呪いを上書きするのが目的のため、助けを求めることが出来ない。
隣に不安げな視線を送ると、さらに心配そうな表情で見返された。

「兄貴、大丈夫だ。アルメアの話によると時間は少しかかるかもしれないが、目覚めたときは俺がそばにいる。だから余計なこと考えないで」
「……うん、分かったよ。お前も、大丈夫か? もし俺が先に起きてたら、ずっと見ててやるから」
「ありがとう。兄貴」

瞳を見つめながら確認しあうと、急に場に殺気じみたものが漂ってきた。
出処はもちろん俺の師匠だ。射抜かれんばかりの目つきに圧倒され、俺は名残惜しくも弟の瞳に別れを告げ、再び天井を向いた。

しばらくして廊下の外から軽やかな足音が聞こえきた。
扉を開けて現れたのは、二人の少年だ。一人は同僚の呪術師エブラル、もう一人は今回の呪いを施す魔術師アルメアだった。

「おじさん、準備は出来たみたいだね。早速始めようか。二人に異常が発生したら、エブラルも拘束魔法で抑えてほしい」
「ああ、任せてくれ。メルエアデ、余計なことはするなよ」
「はっ。俺はお前が弟子に妙な動きをしないか見張ってんだよ」

二人が牽制し合う中、手に分厚い魔導書を数冊抱えたアルメアが、真剣な面持ちで俺たちのベッドの間に立った。
一冊の本の表紙には黒い双翼の紋章が刻まれている。呪いの元凶、炎の魔女タルヤがクレッドの太ももに印したものと完全に同じ絵柄だ。

「……アルメア。頼むから、俺の弟に妙な呪いを植え付けないでくれよ」
「なあにそれ? クレッドの呪いを上書きするには、わりと強力なやつが必要なんだけど」
「は!? まさか前よりひどい事になんないよな?」

新しい呪いの効果は儀式後、弟本人にのみ明かせられる。俺の心は不安でいっぱいだった。
クレッドを見やると俺を安心させるように、こくりと頷いた。

ああ、俺の性欲消失を免れる為には仕方ないのか……もはや狂ってるとしか言えない事態になっているが、そもそもの呪いが異常なのだから仕方がない。

「セラウェさん、心を落ち着かせてください。今から魔力をハイデル殿に注ぎ込むんです。きっと後々あなたの身体の負担も表れますよ。今は無心になって、体を寛がせて」
「……ああ。分かった。皆、よろしく頼む」

エブラルの穏やかな声に諭され、俺は瞳を閉じた。「お前は心配するな」という師匠の低音が耳に届いたが、一番心配なのはあんたの存在だ……と不敬な事を考えながら、次第に力を抜いていく。

弟は大丈夫だろうか。呪術師はああ言ったが、最も負担が大きいのは強大な魔力をもつ血族によって、人生で二回も呪いをかけられるクレッドに決まっている。

だが今更考えても運命は変えられない。
アルメアの詠唱が始まるのを感じ、俺は徐々に意識を手放し始めた。








目覚めると、同じ天井が目に入った。部屋は薄暗く、カーテンも締め切ったままで夜なのか昼なのか分からない。
俺は一人ぼっちだった。誰の姿もなく、無音だ。
手足の拘束も外されていない。動かそうとすると、腕に鈍い痛みが走った。
全身が鉛のようにずっしりと重く、ほとんど力が入らない。

キイ、と扉が開く音がした。急に明かりが差し込み、眩しさに一瞬目がくらむ。
そこに現れたのは、弟ではなかった。長身の男の姿に褐色肌が見え、すぐに俺の使役獣だと気がつく。

「ロイ……ザ……?」

かすれた声で尋ねると、奴はベッドまで来て腰をかけ、俺を涼やかな瞳で見下ろした。
いつもの無表情だが、あまり元気はなさそうだ。

「セラウェ。やっと起きたのか」

一言だけ呟き、俺の髪にそっと触れた。獣らしくない優しい手付きで撫でられ、慣れない状況に目を見開く。
だが俺はすぐに気になっていることを口にした。

「なあ、クレッドは? ……あいつはもう起きたのか? 呪いは、どうなったんだ」

すでに俺たち兄弟の事情を知っているこいつには、呪いの儀式のことも告げてあった。
尋ねると、ロイザの動きがぴたりと止まった。

「お前の弟は、儀式の翌日に目が覚めた。だがお前は……五日間ずっと眠っていたんだ」

どこか歯切れの悪い使役獣の言葉に、愕然とする。そんなに長い時間、俺は昏睡状態に陥っていたのか。
想像とは遥かに異なる状況に、呪いの行方が猛烈に気になり始めた。

「まじかよ、でも……あいつは大丈夫だったんだな。今、仕事中か?」

真っ先に無事を確かめたくなる。早く、弟の顔が見たい。
起きたらそばにいると互いに約束はしたが、そんなに俺が長く寝ていたのなら仕方がない。
俺の質問に、なぜかロイザは言葉を詰まらせた。

そんな中、廊下から足音が聞こえてきた。けれどこれはクレッドのものじゃない。
じっと見ていると、扉の外に表れたのは、目を丸くした俺の弟子だった。

「マスター、目が覚めたんですか!」

大きな茶色の瞳にうるっと涙を浮かばせ、叫ぶと同時にこっちに駆け寄ってきた。
まだ仰向けに寝ている俺の体にがばっと抱きつき、そのまま揺さぶってくる。

「お、オズ……お前なんで……」

口にして、心臓がどきりと大きく跳ね上がる。こいつには呪いのことはおろか、弟との関係だって明かしていないのだ。
だがこの状況、なんて説明すればいいんだ。
薄い装束が弟子の涙で濡れるのを感じながら、俺は恐る恐るロイザを見つめた。奴もどことなく心配げな様子だ。

「あのな、オズ……これは……」
「マスター、大丈夫ですよ。俺もう全部知ってますから」

ぐすっと涙声を発しながらも、言葉尻ははっきりと告げてきた。
ーー全部知ってるって、どこまで?
たぶん顔面蒼白になっている俺の顔を、真っ直ぐな眼差しが捕らえてくる。
なぜか急に、昔の弟とだぶって見えた。

「クレッドさんから、ちゃんと聞きました。呪いのことも、二人が……思い合ってるっていう事も」

オズが真面目な声色で話す。俺は目の前が真っ暗になり、卒倒しそうになった。
うそ……弟子にまでバレたのか。終わった。

意識がふらっと遠のきそうになる中、両頬をがっしりと手のひらに挟まれた。
まだじわりと涙が浮かぶオズの瞳から、目を逸らせなくなる。
するとロイザがオズの腕を掴んだ。

「オズ、セラウェはまだ体が脆い。あまり力を入れるな」
「えっ。あ、そうだよな。……すみませんマスター。でも俺、どうしても言いたくて」

真剣な顔つきに鼓動がドクドクと音をたてる。
弟との関係がばれたのだ。師匠からはなんとか破門は免れたが、弟子は絶望して去ってしまうかもしれない。
そう考えた自分に、急激に悲しみが襲った。

「悪い、オズ。ずっとお前に黙ってて。……誰にも言えなかったんだよ、こんな話。聞きたくないだろうしな」
「……マスター。ほんとですよ、なんで俺に早く言ってくれなかったんですか?」
「え?」

弟子は眉間に皺を寄せ、不機嫌な顔になっていた。いつも明るい笑顔の童顔男が、めったに見せることのない表情だ。

「マスターは何も言ってくれないから。俺は何でも知りたいです。別にマスターが変態でもいいです! 最初からそんなに期待してません!」

やや怒り気味に、突然自己主張を始める弟子に怯んでしまう。
でもちょっと流石に言い方ひどくないか。もう少し柔らかい言い方あるんじゃねえか。

「変態はないだろ、お前……。そりゃ呪いもやばいし、弟とそういう事になってるけどさ。俺は本気なんだよ。もう倫理感とか無視だよ。完全に気持ち優先だよ。でも止まらねえんだ、どうしようもならないんだよ……」

開き直りなのか愚痴なのか分からないが、俺のこぼした言葉を、弟子はまっすぐに受け止めてくれていた。
俺の手を上から握り、穏やかに頷く。

「大丈夫ですよ。そりゃ最初はまさかと思いました。でも俺はいつも怠惰でやる気のない自分の師が、誰かに熱い思いを持てるんだなって、新鮮な気持ちになったんです。それに変な女に捕まるよりは、頼りになるクレッドさんに一緒に居てもらったほうが、俺は安心出来ます」

オズはやけに落ち着いた口調で、しみじみと語った。
……どうやって反応したらいいんだろう。軽く俺の人格批判も入ってるよな。その上俺は弟子に安心される立場でいいのだろうか。

「あ、ああ。そう。ありがとうオズ。……でも、無理してないか?」

そんな風に受け取ってもらえるのは、正直すごく有り難い。けれど当然だが普通は嫌悪感を抱くはずだ。
絶望的な反応を予測していた為、恐る恐る尋ねたい衝動に駆られた。
弟子は一瞬目を見張らせたが、すぐににこりと笑顔になった。

「俺、自慢じゃないですけどマスターの前で無理したことありません。だから俺、マスターが好きなんです。緊張感いらないし、気負わなくていいから」
「そっか。すげえ嬉しいけど、それっていい意味?」
「もちろんですよ。だからもう、うだうだ考えないでください。今はちゃんと体を休めて……」

オズが妙に優しい口調で、落ち着かせるように言ってくる。
ああ、俺は師匠である自分がしっかりとしなければいけない立場なのに、なんか情けない。
弟子の温かさに感謝しながらも、内心では反省を繰り返す。

考えてみたら俺はまだ拘束されたままで、かなりみっともない姿を晒してるし。

「なあ、そういえば師匠とかエブラルは帰ったのか? アルメアも……」

俺の言葉に、弟子と使役獣はおもむろに顔を見合わせた。微妙に不穏な気配を感じ取る。

「グラディオールは数日付き添っていたが、お前の世話を俺たちに任せて出ていったぞ。また来るとは思うが……二人の呪術師は知らん」
「お師匠様もマスターのこと心配して、凄くイライラしてましたよ。その後クレッドさんとどこかに行っちゃって……」
「え!? どういうことだ、つうかクレッドは今どこにいるんだよ? 会えないのか?」

師匠が弟に何かしてるのか。
弟子の言葉にいても立ってもいられなくなった俺は、手足の鎖をガシャガシャと動かした。
すると慌てた二人に押さえつけられる。

「ちょ、マスター、まだ動いちゃだめですよ。拘束は解くなって言われてるんですから」
「なんで? もう儀式終わったんだからいいだろっ。早くといてくれ!」

頑なな弟子を振り切り、俺は使役獣に鋭い目線を向けた。奴は再びベッドに上がり、俺の上向いた頭をぐいっと枕に押し戻した。
おいなんだその挙動は。俺はお前の主だぞ。

「ロイザ、頼む。早くこれを解いてくれ。俺は弟に会いたいんだよ」
「止めたほうがいい。今のあいつは、お前にふさわしくない」

淡々と述べられる言葉に、俺と弟子の驚きの表情が向けられる。
全く理解が追いつかない。やっぱり弟に何かが起こったのか?

「どういう意味だ。お前何か知ってるんだろ? 教えろよ、ロイザ!」
「興奮するな、セラウェ。体に毒だ」
「いいから言えよ! あいつはどこだ!」
 
急激に沸き起こる苛立ちに、全身が熱くなってくる。今までになく血が沸騰するような興奮状態に陥ってしまう。
儀式が終わり、想像していた状況とまるで異なり、俺は動揺していた。
早くクレッドに会わなければ。

「命令だ、ロイザ! 早く拘束を解け、俺を自由にしろッ!」

気がついたら大声を張り上げて、使役獣に命じていた。
考えれば考えるほど、その事が頭を占めていく。まるで急に我に返ったかのように。

弟の顔を実際に見て、何かを確かめ合わなければいけない。
本能に突き動かされるように、俺はベッドの上で焦燥に駆られていた。
オズが緊迫した様子で見守る中、ロイザがさらに顔を近づけてきた。

「セラウェ。お前を守るのが俺の役目だろう。それでもあいつに会わせろと言うのか?」
「あ? まるであいつが危険みたいな言い方すんな……」

睨みつけると、使役獣は深い溜息を吐いた。
けれど俺の勢いと真剣味を理解したのか、拘束に手をかけた。ガシャっと重苦しい音をたて、あっという間に手足が自由になる。

「ロイザ、何してるんだ、駄目だって!」
「仕方がないだろう。俺は止めたが、主の命令だ」
「でもお師匠様があれだけしつこく言ってただろ!」

弟子と使役獣が何やら言い合っていたが、俺は飛び起きて扉へと向かおうとした。
だがすぐに足がふらつき、立ち上がったロイザに体を抱き留められる。

「世話の焼ける主だな。俺に掴まれ」

呆れた口調で告げられ、俺は何故か奴に体を持ち上げられた。肩に担がれ、部屋の外へと向かう。

「おい離せっ、自分で歩けるから!」
「動くな、じっとしていろ。セラウェ」

そうして俺は使役獣に半ば強引に連れ去られてしまった。
とはいえ向かう場所はクレッドのもとだ。あいつに会いたくて、顔が見たくて、仕方がなかった。



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