▼ 98 魔術師会議
俺はその日、騎士団領内にある魔術師専用の別館をうろついていた。弟子も使役獣も同伴しておらず、完全に一人で心細い。
もちろんただの散歩ではない。朝起きたら突然オズに「マスター! 今日は教会の魔術師会議があるので忘れずに出席して下さいねっ」などと訳の分からないことを言われ、仕方がなく指定場所へ向かっているのだ。
ああ面倒くせえ。一番嫌なのは戦闘任務だが、ただ座って長々と他人の話を聞くだけなのも疲れる。
とぼとぼ歩いていると、突然背後からゾッとするような気配を感じた。振り向くとやはり、灰ローブ姿の銀髪の少年が不気味な面で佇んでいた。
「セラウェさん、こんにちは。もうすぐお昼なのに、随分眠そうですね」
「げっエブラル。本当はまだ寝てる時間なんだよ。お前も会議室に行くのか?」
明らかに嫌そうに尋ねる俺に対し、呪術師は笑顔で首を横に振った。
「いいえ、私はちょっと他に用があるので。……そういえば、アルメアとのお話は上手くいったようですね」
にこにこと純真無垢な顔つきで言われ、こいつはすでにあのガキから俺達の呪いの事を聞いたのだと悟った。
俺が渋々頷くと、エブラルは安堵した表情を浮かべた。だがすぐに思い出したように顔を曇らせる。
「最近のハイデル殿、いつにも増してピリピリしてまして……本当に怖いんですよね。ある意味仕事に邁進してるようですが。私も心から、お二人の問題解決を願ってますので」
珍しく親身な感じで言われるものの、内容が内容なだけに、気まずいどころの話ではない。
つうかやっぱり、クレッドのやつまだ気が立ってるらしい。仕事が忙しいらしく、あの日以来二人の時間が取れてないが、俺は正直次に会える時を心待ちにしていた。
やっぱり弟と一緒にいると安心するし、たとえ不安が過ぎったとしても、それを取り除いてくれるのは、互いの存在しかないのだと俺は知っている。
ああ早く、奴の温かい胸に顔を埋めたい……きつく肌を重ね合わせ、思うがまま求め合い、好きなだけ貪り尽くすようにーー
って俺は何故いつの間にかそっち方面に思考を奪われてるんだ。
同僚と会話中なのを忘れ、淫らな物思いに耽ってしまった自分を慌てて引き戻す。
「あっ、ああ。どうもありがとなエブラル。俺たち頑張るから。お前の呪いも頑張れよ」
適当に言い繕い、目を見開いて若干不満げな顔をする呪術師に、そそくさと別れを告げてその場を去った。
◆
会議室は別館の最上階にあり、司祭の趣味なのか内装は中々豪勢な造りをしていた。
窓は完全に分厚い深紅のカーテンに覆われており、同色の絨毯が敷き詰められた室内には、重厚な縦長のテーブルが中央に置かれている。
そこには意外な人物がすでに席に着いていた。足を組んでだるそうに椅子の背もたれに寄りかかる、赤髪の黒魔術師だ。奴は俺に気がつくと一瞬驚いた顔をした。
「おっ兄ちゃん、久しぶりだな。休み中何してたんだよ」
「イスティフ。まあ旅行とか色々な。お前は?」
こいつは俺よりだいぶ若いはずの同僚だが、常に馴れ馴れしい。現に話しながら、数席離れたとこに腰を下ろした俺の隣に、わざわざ座り直してきた。
何故だだっ広い会議室でこんな至近距離にーーしかもやたら顔が近い。
「俺は男友達と飲んだり、女漁りしたりかな。とくに面白いことなかったけど。旅行良いな、どこ?」
「騎士団の保養地だ。弟と幼馴染たちと一緒に温泉とかーー」
つい口が滑って素直に話しそうになると、案の定イスティフが食いついてきた。翡翠色の瞳に覗き込まれ、とっさに身を引く。
「へえ、ハイデルも? あいつも休暇中は普通の人間らしい行動取ってんだな。つうか幼馴染って回復師のことだろ。あんたが女って勘違いしてた」
にやついた奴の顔を見て急に腹立たしい記憶が蘇り、ぎろりと睨みつける。
すると同時に扉がバタンと開かれた。俺達が振り向くと、目を丸くした噂の回復師が立っていた。
中性的な白装束姿に長い金髪をなびかせた奴は、俺を見た途端顔を明るくした。
「お兄ちゃん! 久しぶり〜ってこの前会ったばっかりか。帰省した時も会いたかったけど、時間なかったねえ」
普通の調子で入ってきて俺の反対側の隣にすとん、と腰を下ろした。なぜ広い場所で男三人固まって座ってんだよ。なんか落ち着かねえ。
「まあ職場同じだからたまに会えるだろ。つうかカナン、お前会議とか出るんだな」
「いや普段は出なくていいんだけどさ、今日は司祭にわざわざ呼ばれたんだよね。なんか嫌な予感がすんだけど」
はあと溜息をつく幼馴染の横顔は、完全に物憂げな美女にしか見えない。本当にこいつは口を閉ざしていたほうがいいと思う。
「へー、まじであんたら友達同士なんだな。おい兄ちゃん、ハイデルも入れたら余計に奇妙な集団に見えるんだけど、皆でどんな話してんの?」
「はは、お前俺だけ平凡で浮いてるとか思ってんだろ。こいつらも中身は普通にただのガキだよ」
若干失礼な物言いをする同僚と話してると、カナンが間に割り込もうとしてきた。
「まあ確かに俺たちあんまり成長してないけどさあ。つうかなんでイスティフまで兄ちゃんって呼んでるわけ? セラウェお兄ちゃんは俺とクレッドのお兄ちゃんだからな」
自信有りげにカナンが胸を張っている。何回お兄ちゃん言うんだよ。俺はお前の兄貴でもないんだが。
両者の間で顔を引きつらせていると、黒魔術師はふん、と不敵な面構えを見せた。
「別にいいだろ、セラウェをどう呼ぼうが。俺一番年下だし、なんかしっくりくるんだよな。おい兄ちゃん、あんたの周りってケチくせえ奴等ばっかじゃねえ?」
まあそれは確かに反論しづらい。というかお前も含めて面倒くさいけど。
俺はそのまましばらく呆れ顔で、二人の口論に挟まれていた。けれど中々途切れないので思わず立ち上がり、制止しようと試みた。
「なあもういいだろっ、一応仕事中なんだから静かにしろよ。もうすぐ上司が来るぞ」
そこへ再び扉が開かれる音が聞こえ、俺は救いを求めるように勢いよく振り返った。
「あれ……まだ始まってないのか、良かった」
「ん? ローエン! うわあ久しぶりだな、ほらこっち座れよ!」
立っていたのは、いつもと変わらぬ落ち着いた表情の結界師だった。
唯一まともと思える同僚の登場に、心から安堵した俺は、柄にもなくハイテンションで話しかけた。
手招きして近くにおびき寄せると、ローエンは眼鏡の奥の瞳を優しく細め、イスティフの隣へ腰を下ろした。
「セラウェ。元気そうだな。……この二人はなぜ喧嘩してるんだ?」
「くだらない事だから気にするな。そういやお前は休暇中何してたんだよ」
俺が身を乗り出して尋ねると、ローエンは柔らかく微笑み、指先で眼鏡をくいっと上げた。
「ああ、仲間と国内の結界場巡りをしてたんだ。その後は溜まりに溜まった魔法薬の実験処理をしたかったんだが、誰も付き合ってくれる者がいなくてな。そうだ、良かったらセラウェ、今度また君にお願いしてもーー」
「ごめんそれは無理。お前また意識不明とかやばいことになるぞ」
速攻断った上で忠告すると、静かに苦笑された。すっかり忘れてたが、こいつ実験マニアのマゾヒストだったわ。
やっぱ教会にまともな奴一人もいない。まあ俺も呪いとかかけられてて、人の事は言えないが。
気を取り直ししばらく会話をしていると、今度は二人の男が入ってきた。
上司である司祭のおっさんの後に続く人物を見て、唖然とする。金髪蒼眼の青い制服を着た騎士が、こちらに一瞬鋭い視線を向けた。
予想していなかった弟の登場に心が湧いたが、仕事モードなのかぴりっとした空気を放つ弟を前に、途端に緊張が走る。
「あっクレッドじゃん! 何、今日団長のお前もいるの? 魔術師だけかと思ったよ〜」
「……カナン。仕事中だぞ、場の空気を読め」
「シヴァリエ、別にハイデルと友達気分なのは構わないが、君はまず上司の僕に挨拶すべきじゃないのか?」
じろっと釘を刺す司祭の言葉も気にせず、「え、だってさっき会ったじゃん」と軽口を叩く俺達の幼馴染。やっぱこいつすげえ。クレッドとは違う意味で強い精神力を持っている。
司祭と騎士団長の弟が向かいの席に並んで座り、ようやく奇妙な魔術師会議が始まった。
なんかさっきから弟の視線が、俺の周りをじろじろと行き来している。どこか落ち着かない様子だ。
「では早速本題に入ろう。聖地への遠征が終わり休暇を経たこの時期、本来ならば君たちには、教会に託された日常の細々とした依頼をこなしてもらう予定だったんだが。今回、ちょっと大きめの事案が発生してね。ずばり言うと、魔術師の諸君らには、娼館の潜入任務を行ってもらう」
司祭がそう言い放った瞬間、クレッドの顔つきが明らかに険しいものとなった。
しょ、娼館に潜入って随分いかがわしい匂いがする任務だな。
しかし思い起こすと、俺が聖騎士団に捕まった場所もかなりアブノーマルな風俗店だった。公序良俗を重んじる教会と聖騎士団においては、元々そういう類の仕事が多いのかもしれない。
「おっ娼館か、面白そうだな。イヴァン、俺達の教会が取り締まるってことは、なんか怪しげな違法行為とかしてんだろ?」
真っ先に黒魔術師が反応をすると、司祭はふっと笑みをこぼした。
「その通りだ。だがイスティフ、仕事熱心な君の想像とはちょっと違うだろうね。そこは女性が立入禁止の、男娼館だから」
上司の言葉に戦慄が走る。えっまじで、男専用の風俗店なのかよ。なんか異常に胸騒ぎがしてきた。
女好きらしい黒魔術師は急に興味が削がれたのか、あからさまに舌打ちをした。
「具体的な違法行為を探ってもらうのが任務だが、まずは皆に仕事を割り当てよう。ローエン、君は建物内外の結界の有無と状況を調べてくれ。異常な動きを察知したらすぐに僕に報告するように」
「ああ。了解した」
もうすでに任務の全体像が決まっている話しぶりに、俺は何をさせられるのだろうと戦々恐々としていた。
「そしてイスティフ、君には男娼役の二人の仲介人をやってもらう。うまく支配人に雇われて中に潜入出来なければ、元も子もないからね。しっかり頼んだよ」
「はいはい、分かったよ」
これで俺とカナン以外の役割が振り分けられたのか。あとはーーえ、今男娼役の二人……とか言ってなかったか。
突如として沸き起こるどうしようもない不安感が襲い、司祭を見やると、ほぼ同時にドン!と大きな物音がした。
「おい、イヴァン。どういう事だ、話が違うだろう。男娼役はカナン一人で十分だと言ったはずだ」
立ち上がり物凄い形相で司祭を見下ろす弟の、恐ろしいまでの低音が辺りに響いた。
ちょっと待てよなんの事だ。唖然としていると、イヴァンはやれやれといった呆れ顔を浮かべた。
「悪いねハイデル。君に予め話せばそうやって反対すると思ったんだよ。そもそも君は公私混同し過ぎじゃないか? もっと冷静になってくれ。シヴァリエだけだと、奴らの好みに合わなかったとき計画が丸つぶれだ。セラウェくんは保険だよ。まあ僕は彼も結構イイ線いってると思うけどね」
「なんだと貴様……俺の兄貴を侮辱する気かッ!」
「いや褒めてるんだろう。穿った見方しないでもらいたいんだが」
なに人の居ないとこで好き勝手に決めてんだ。
二人の会話に卒倒しそうになりながら、俺はふらふらと立ち上がった。
「お、おい冗談だろ。俺はぜってー男娼役なんかやんねえぞ。カナン一択だろどう考えても」
「……えっ、ちょっと待ってよお兄ちゃん! 俺だってやだよ、何その変な任務。つうかイヴァン、だから俺を珍しく呼び出したのか? 勘弁してくれよ〜」
嫌そうな声を出す幼馴染の回復師だが、なんとしてでもこいつを人身御供にするしかない。そう決心した俺は奴のサラサラな金髪を肩から払いのけて、優しく両手を置いた。
「お前一人で大丈夫だって。ほら、顔は間違いなく女顔だしすごく綺麗だ。俺も隣でボディーガードしてやるから」
「はああ? セラウェお兄ちゃん弱いじゃん、どっちかというと男娼役だろ」
「っざけんな、俺もう二十八だぞ! 十年前ならまだしも無理に決まってんだろ!」
「俺だって二十五だよ。でもお兄ちゃんは若く見えるしイケるって」
なんだこの下らなすぎる不毛なやり取りは。だがその傍らで今にも怒りを爆発させそうな弟がいた。
「カナン。お前はもう決まったことだ。兄貴を引きずり込もうとするな」
「ちょっと酷くねえお前! 親友と兄貴どっちが大事なんだよっ」
「……許せ。これだけは譲れないんだ」
司祭が二人のやり取りを聞いて、パンパンと手を叩いた。苛ついた様子で見やる弟に、さらに無情な言葉を投げかける。
「残念だが、ハイデル。普段の君の完璧な仕事ぶりは高く評価しているが、今回は僕の確かな采配に文句を言うのは遠慮してくれ。彼は僕の部下だからね。命令には最終的に素直に従ってくれるはずだ。そうだろう? セラウェ君」
「えっ普通に嫌なんだけど。俺何やらされんだよ、助けてくれよ、クレッドっ!」
兄の誇りとか全てを取り払い必死に懇願すると、弟の切羽詰まった表情が向けられた。
「兄貴、俺だって嫌に決まってるだろう……! あの娼館は横の繋がりを重視した完全会員制で、中でどんな違法行為が繰り広げられているか分からない閉鎖空間なんだぞ。いくら任務とはいえ、そんなところに……ッ」
悲痛な面持ちで語られるが、その台詞に俺の心はさらに動揺を余儀なくされた。上司は本気のようだし、弟の権力も通じなさそうだ。
「俺はいいのかよクレッドっ」というカナンの哀れな叫びも聞こえたが、俺は段々と諦めに近い心情となっていた。
力なく机に頭を突っ伏すると、イスティフが慰めるように声をかけてきた。
「元気だせよ、セラウェ。俺が仲介役として、上手く事を進めてやるから。いざとなったらあれだ、あんたお得意の制限魔法で客の動きを止めればいい」
「ふざけんなてめえ……他人事だと思いやがって……」
つうかなんで俺が客の相手する前提みたいになってんだ。そんな接客できねえぞ。
落ち込んでいるとローエンも身を屈めて様子を窺ってきた。
「そうだな。君の制限魔法は本当に素晴らしい。機会があったらもう一度俺にかけてくれないか?」
「……は? 全然違う話になってんだけどな。お前はいいよな、単独行動出来て」
思わず嫌味を言っても微笑みを返されてしまった。
その後もぶつぶつと俺に不平を漏らすカナンを受け流し、ふと弟を見やった。絶望と怒りが入り混じった顔でこっちに視線を向けている。
お前の考え分かるぞ。この妙な状況下において、またよからぬ想像をしているんだろう。
「では任務は二日後だ。ハイデルには団員達を連れて屋外で待機してもらう。目的は違法行為を現場で押さえ、首謀者と付随する面々を捕獲する事だ。皆、心して挑んでくれ」
司祭の締めの言葉と共に、俺は初となる魔術師会議を終えた。
予想通り貧乏くじを引いたわけだが、仕事ならば拒否権はない。か細い覚悟を胸に、なけなしの勇気を奮い起こそうとするのであった。
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