お父さんにお世話してもらう僕 | ナノ


▼ 4 出来ることが増えて

祖母の家を出た後、僕と父は新しくリフォームされた我が家へと向かった。
外観は前と同じ一軒家で変わってないけれど、玄関口に短めのスロープがついていて、車イスでもそのまま入れることに感動した。

今日は杖をついてゆっくり中に入ったが、玄関を開けて僕はびっくりした。
段差もなく、広々としたフローリングと壁に沿った長椅子、そしてすでに室内用の車イスまで準備してある。

「す、すごい。綺麗……こんなに広くなっちゃうんだね。お父さん、ありがとう」

すでに感極まった僕に、父が「まだ玄関だけだよ。ほら、中も見てみよう」と笑って肩を抱き寄せた。
頷いた僕は、さっそく近くの車イスに移乗する。これは学校や外で使っているものと同じタイプで、片麻痺用のものだ。

左利きなのに左麻痺になってしまったので、右側に手で方向を操作するレバーがついている。同じ右側の足で踏み込めば前に進むペダルもあって、自走できるから便利なのだ。

十分な間隔のある廊下に入ると、自動で明かりもついた。トイレもそうなっていて、夜でもスイッチを探さなくて済む。
他にも各部屋の照明はリモコンで自由に操作できたりと、何度も移動しづらい僕は、電気の配線職人である父の計らいに感謝した。

「わあ、リビングも壁とかなくて、広くなってる! これなら僕自由に動き回れるよ。あそこから庭も見れる!」
「見るだけじゃなくて、出ることも出来るぞ。家の中も、お前の動線を第一に考えて作ってある。これで大分生活しやすくなるはずだ」

自信に満ちた声で述べ、微笑む父を見上げた僕は、つい服の裾を掴んで顔を寄せた。

「ありがとう、お父さん。僕嬉しい。ねえ、これでお父さんのお手伝い出来るよね」
「え? どんなだ」
「洗濯とか、あとキッチンも新しくなったんでしょう? 僕、練習したらたぶん色々出来るよ!」

想像して気が早まってしまい、わくわく興奮すると、父は腕を組んだ。なにやら黙って考えている。
きっと、心配性だから僕がドジすると思ってるのかもしれない。

「そんなすぐに、俺の仕事取るなよ。いいかロシェ、無理はするな。やりたかったら止めはしないが、お前の体が一番なんだからな。俺もいるんだし、なんでも頼っていいんだから」

そう言った後に「もちろん手伝ってくれるのは嬉しいぞ」とかぶつぶつ言われた。
なんだか、父の複雑な感情を垣間見た気はしたけど、僕はすごくやる気に満ちてしまう。

だって、今まではお世話になるばかりで、いやこれからも勿論そうなってしまうけど、でも行動範囲が広がれば、少しは役に立てることがあるかもしれない。
もっと父の役に立ちたい。そんな思いで、勝手に活気がみなぎっていた。




しかし、夕食後夜も更けて就寝時間になるにつれて、父の顔が難しくなっていった。
端から見たらいつもと同じ、あまり表情は変わってないけど、僕には分かる。

「本当に一人で寝るのか? ロシェ」

なぜか夜、僕の個室までついてきて、布団の中で寝ようとする僕のそばで、腰をかけた父が見下ろしてくる。

「うん。おやすみ、お父さん」
「……お前、すごいあっさりしてるな……なにかこう、思うところないのか」

自分も寝巻き姿でなかなか寝室に帰ろうとしない。
こんな父の姿は新鮮で、僕ははっきり言って、珍しいものを見るように少しだけ楽しんでいた。

「お父さん寂しいの?」
「まあな」

すぐに返されて驚愕する。
認めた! こんなのお父さんじゃない。

笑いをこらえて真面目な顔を作っていると、父に頬を指で押された。

「……まあいいか。なにかあったら電話しろよ」
「はーい。お父さんもそうしてね。おやすみなさい」

冗談ぽく告げた僕のおでこに、ふっと笑った父がキスをしてきた。なんでもない時にされると、逆に照れてしまう。
照明を消されて、扉がぱたんと閉まった。僕はベッドの中でひとり仰向けで寝ていたけど、よいしょ、と寝返りをうつ。

サイドテーブルには、最近買ってもらった携帯が置いてある。きれいなスクリーンもついていて、ネット検索も出来るけど、さっき父が言ったように、夜寝るときでも非常の場合は家の中でも電話すると約束をしていた。

ぼんやり見ながら、目を閉じて眠ろうとした。
けれど何故か、僕はそれから数十分経っても眠りに落ちなかった。

匂いも真新しいシングルベッドで、枕は同じのを持ってきたけど、隣に父の温もりがない。

あれ? なんか……心細い。

ただ寝るというだけなのに、真っ暗な中で一人きりで寝ていることが急に寂しくなった。

「お父さん、もう寝たかな……」

やっぱり眠れない。暗い部屋の隅にお化け、いないよね。僕もう子供じゃないのに。
でも布団の中も冷たい……。

むりやり目を閉じて考える。
自分なりに決めた父との「秘密の時間」は、まだ先の予定だし。
実は祖母の家にいた時も、ほんとは駄目だと思いながら、数回内緒で介助をしてもらった。

新しい家に住んだら、必要なときはいつでも言えって、お父さんも言ってくれたけど。

こんなときに何考えてるんだろう。やめよう。
半身をもぞもぞ動かしていると、段々トイレに行きたくなってきた。
もう一度時計を見ると、いつの間にか一時間半も経っている。余計にまずいと思い、僕は起き上がった。

お父さんのこと笑ってたのに、自分のほうが落ち着かなくて寂しくなったりして、恥ずかしい。
動く方の手で車イスの肘掛けを握り、体の向きをぐるっと変えて乗り移る。
動き出し、廊下に出てお手洗いへと向かった。

父の寝室は浴室を挟んで同じ廊下沿いにある。もう寝てるだろうな、と思い音を立てるのを申し訳なく感じながらも、昨日とは違って自分で出来ることに、少し安堵感もあった。

しかし。
用を足して広いトイレの部屋から出た僕の前に、いきなり背の高い男が現れた。

「うわあッ」

僕は本気で驚いて、音もなく立っている父を見上げた。眼鏡はしているけど、眠そうな少し目つきの悪い表情をしている。

「ご、ごめんお父さん。起こしちゃった?」
「いや……違う。たまたま起きてただけだよ」

父はそう言ってあくびを噛み殺した。「大丈夫か?」と聞かれたので僕は頷く。
寂しくなって眠れないなんて、言えなかった。せっかく別々になったのだから。

でも父の台詞を、ふと思い返す。

「あれ、お父さん……起きてたの?」
「……ああ。なんか、眠れなくてな」
「そっか……ねえ僕、トイレ行くときやっぱりちょっとうるさいよね。ごめんね」

気になったことを謝ると、父がしゃがみこみ、僕と同じ目線になった。

「いや。俺は家族のそういう音は、安心する。だからうるさくはない。気にするな」

そう言って目をじっと見られて、頭をくしゃくしゃ撫でられた。

音が聞こえると、安心する?
知らなかったから驚いたけど、少しだけ分かる気がした。僕たちは今二人暮らしだから、自分以外の人の気配を感じると、どこかほっとするのかもしれない。

お父さんも僕と同じなのかな。

ちょびっとだけ心が揺らいだ。また父と一緒に……って。
でもそれはやっぱり、だめなんだ。すぐ甘えたくなるけど、頑張らないとな。

「もう寝るか、ロシェ。明日起こすぞ」
「うん、ありがとう。お父さん」

そうして僕たちはまた自分の部屋に帰って行った。





翌朝、身支度をした僕は顔を洗いに、洗面所に向かった。

昨日はあれからすぐにまたベッドに戻ったけど、あんまり眠れなかった。
さっきからあくびが止まらない。まだ慣れてなかった頃のおばあちゃんの家のほうが、よく眠れてた気がする。

広くなった浴室の洗面台には、すでに父がいて髭そりをしていた。

「おはよう。寝れたか?」
「うん。まあまあ」

僕はちょっと嘘をついた。今眠いから、今日は眠れるだろうと思うことにする。

「お父さんはどう? 前よりは睡眠とれたでしょ」

悪戯っぽく聞いた。自虐とかじゃなくて、それは心から願っていることでもあった。
しかし父は力なく首を振る。

「むしろ逆だ。なんだろうな……抱き枕がなくなったような……感覚か?」
「僕クッションじゃないよ!」

真面目な顔でぼけられたので、朝から大きな声で突っ込んだ。
人のことは言えないけど、昨日はあんなに気にしてる感じだったのに。

「分からん。とにかく、しっくりこない」
「えっ?」
「何でもない。ほら、ここ使えロシェ。俺はもう終わるから」

顔をタオルで拭いて、場所を空けてくれる。
なんだったんだろう。もしかして弱音を吐いたのかな。ちょっと心配だ。




初日はそんな感じだったけれど、僕と父はなんだかんだ新しくなった家で、いつもと変わらず仲良く暮らしていた。

それから二週間ぐらい経ったある日のこと。
週末の金曜日で、支援学校が終わり、迎えの車に向かおうとした時だった。

クラスメイトのニルスくんと並んで移動していると、門の近くに父の姿がなかった。
代わりに大きなジープが停まっていて、そばに腕組みをした長身の男の人が立っていた。
赤みがかった髪色とその目立つ体格で、僕はすぐに気がつく。

「あ! あれニルスくんのお父さんじゃない?」

僕が片手の手話で尋ねると、何も知らなかったらしい彼も驚き頷いた。

二人で向かうと、ポロシャツ姿のニルスくんの父は歯を見せて笑った。
車イスの僕から見上げても、とても背が大きく、昔ラグビーをやっていたせいかかなりのマッチョマンだ。

「おお! お疲れ、ニルス、ロシェ!」

体と同じく声も大きい。手を掲げて僕たちとハイタッチで挨拶をする。

「こんにちは、ジェフリーさん。ニルスくん今日は車なの?」
「ああ。だがニルスだけじゃないぞ。実はロシェのお父さんから電話があってな、なんでも仕事先でトラブルが発生して、今日はちょっと遅くなるらしい。だから俺が代わりに迎えにきたんだ」

説明してくれて僕は驚いた。
初めてのことじゃないけど、慌てて頭を下げてお礼を言う。それにお父さんの仕事大変なのかな、心配になる。

「そうだったんだ、ありがとうございます、ジェフリーさん。お仕事は大丈夫?」
「はっはっは! なんだかしこまって。うちのスポーツジムはスタッフ多いし大丈夫さ、心配無用!」

再び腕を組み高笑いしているジェフリーさんに、わざとらしくニルスくんが耳を塞いで顔をしかめた。

『父ちゃん、声でかいよ。恥ずかしいから』
「なんだと? お前聞こえないだろ!」
『振動で耳が震えるの』

舌を出して手話で伝える友達に、ジェフリーさんもまた大きな声で笑いながら手話で応戦している。

『なあロシェ、でかいよな?』
「……うーん、ちょっとね」
『ほらな。たぶんロシェの父ちゃんもそう思ってると思うぞ』
「え? そんなことないだろー。言われたことないぞ」

若干焦った感じのジェフリーさんを二人で面白く思いながら、楽しくお喋りしていた。

優しく言ってくれたけど、駅の近くでスポーツジムを経営しているジェフリーさんは、仕事も忙しいはずなのに、こうして困ったときに助けてくれて本当にありがたいと思う。
心も大きくて優しい人だ。

「よーし、じゃあ俺が抱き上げてもいいか? ロシェ。うちの車少し車高が高いからな」
「えっ。はい、お願いします」

父以外の人に介助してもらうのは少し恥ずかしくて、申し訳ない気もしたけど、お願いすることにした。
しかし、ニルスくんが突然そこに入ってきた。

『待って。俺がしてもいい? ロシェ』

え。ニルスくんが?

驚く僕に対して、彼は真面目に聞いているみたいだった。
ジェフリーさんは僕以上に目を丸くしている。

「お前出来るのか?」
『出来るよ。いつも見てるから。なっ?』

微笑まれて、なんとなく「じゃあお願い…」と言ってしまった。
なんだろう、友達だから違う照れくささがあるけど、ニルスくんは優しい男の子だから、きっと力を貸してくれたんだと思う。

彼の腕を支えにして立ち上がった僕は、あっという間にがっしりとした両腕に持ち上げられて、びっくりする。
体が当たらないように気を付けながら、そっと後部座席の椅子に乗せてくれた。
僕は少しドキドキしながら、彼の首に掴まっていた片腕を下ろした。

「ありがとう、ニルスくん。力持ちだね」
『当然じゃん。いつでも頼んでいいよ』

得意気に鼻をさすっていて、僕は笑ってしまう。
すごいなぁ。父より腕は細いのに、もう大人の力があるんだなぁって感じたのだ。




20分ぐらいの距離を走り、ジェフリーさんは僕を家まで届けてくれた。ここで大丈夫だよと言ったけど、ニルスくんが家の中まで送ってくれた。そして玄関先でノートを取り出す。

『ロシェ、ほんとは俺ここにいたいんだけど、これから手話教室がある。一人で大丈夫か?』
「うん。大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。車イスだから自由に動けるし、お父さん遅くなっても平気だよ」

優しい友達に伝えて、でも何かあったらメールしろよって父みたいなこと言われて、僕は嬉しく思いながら彼を見送った。

玄関でひとりになり、ゆっくりした動作で長椅子に移る。靴も履き替えて、近くの室内用車イスに移乗した。

部屋の中は、静かで不思議な感じがする。
考えてみたら、リフォームした後で、完全に一人きりになるのは初めてだった。その前でもトイレのことがあったから、父が一人で外出する時は長くても二時間ぐらいという、僕は大きな負担を強いていたのだ。

でも今は、しんとした部屋が少し寂しいけれど、単独で過ごすのには問題がない。

部屋に学校の荷物を置いた僕は、その後まず宿題をした。
終わったらリビングに行き、一階のベランダに通じるドアを通って、洗濯物を取り込む。

乾燥する器具はちょうど大人の腰ぐらいまでの高さで、床に設置するタイプだから、片手でも作業出来るのだ。

「あ、乾いてるー」

僕はそれを膝の上にのせたカゴにいれて、何回かに分けてリビングのソファまで運んだ。
洗濯物をたたむのは前から手伝っていたから、簡単だ。不格好だし、時間もかかるけど。

そうしてそれを自分の部屋の棚にしまって、残りの父のはソファに置いておく。
父の寝室は前までは一緒に寝ていたから気にしなかったけど、今は別々なことに慣れてきたのか、勝手に入らないほうがいいやと思うようになった。

洗濯ものを洗うのも、今度は父に教えてもらおうかなって思う。そしたら完全に僕の担当になるのも夢じゃない。

杖だけの時はただ座っているだけで無力さを感じることがあったけど、今の自分は些細なことでも何か役に立つことができるって、確かな実感があって嬉しかった。


とはいえ、あまり長時間動き続けると目眩がしたり疲れてしまうので、僕はリビングでその後休んでいた。

するとテーブルの上の携帯画面に、メッセージが入る。
お父さんかな、と思ったら僕の友達だった。通知画面に「アーサーくん」と書いてある。

あ、そうか。もう五時ぐらいになったんだ。

思いながらトークアプリの画面を開くと、そこには僕のクラスメイトのアーサーくんの写真が貼り付けてあった。
彼はこうして平日はほぼ毎日、僕に画像を送ってくる。

『ロシェ。今日の電車。一番前』

短い言葉とともに、街を走る路面電車の最前車両に乗り、ガラス越しの車掌さんの頭をバックに、真顔で自撮りをするアーサーくん。いつもの黒いニット帽もちゃんと映っている。

『すごいね、ありがとう。今日はあんまり人いないね。お返しに僕の植物』

部屋の中で育てている観葉植物の写真を送る。なるべく違うのを送りたいけど、アーサーくんもほぼ同じなのであんまり気にしない。

するとほどなくして返事が来た。

『ありがとう、またね』

これもいつも同じ返事だ。なんというか少しシュールなやり取りだけど、僕は面白くて気に入っている。
バスにはごく稀に乗るけど、普段は近場でも遠出でも車だし、電車にはほとんど乗ったことがない。

そのことを交通機関好きのアーサーくんに話したら、こうして通学時の写真を送ってくれるようになった。
だから僕は彼の優しい気持ちを感じるし、そんなところが好きだなって思っていた。


それから一時間ぐらい、僕はテレビでも見ながら一人くつろいでいた。
するとまたメッセージが入る。お父さんかな?と思ったら、ニルスくんだった。

『ロシェ、父ちゃん帰ってきた? 大丈夫?』

手話教室が終わり、さっそくメッセージを送ってくれたらしい。なんだかニルスくん、昔よりももっと、成長するにつれて僕の父みたいに、心配してくれることが増えた気がする。
僕は大きくなってるんだけどなぁ。そう思いながらも素直に嬉しい。

『ううん、まだ。僕は大丈夫だよ、今テレビみてる』
『そっか。飯どうすんの?』

あっ。ご飯のこと忘れてた。
僕は急に焦り始める。父は仕事中だから邪魔しないほうがいいし……考えた末に、あることがひらめいた。

『教えてくれてありがとう! 僕自分で作ってみる!』

思い立ち、こうしちゃいられない、もう時間がないと僕は車イスに乗り移った。
携帯を膝に乗せて、キッチンに向かう。その間もぽんぽんメッセージが入っていたけど、とりあえず先に冷蔵庫を開けた。

これとこれか……料理なんて初めてだし、小さい頃母が作ってくれた姿を覚えているけど、詳しくは思い出せない。父の料理でさえ作っているところを見たことはなかった。

でも僕は家族の美味しいご飯が大好きで、料理番組だってテレビで見るほど関心がある。

『おい、ロシェ、返事しろ! 心配だろ!』
『あ、ごめんニルスくん。大丈夫だよ、危ないことはしないから。もうすぐお父さん帰ってきちゃうかもしれないから、僕集中するね』
『……そ、そっか……なあ、俺も手伝おっか?』
『ううん、ありがとう。一人でやってみるよ』

出来たら写真送るね、と言ってもなんだかやたら引かなかった友達とのトークをとりあえず終えた。

ふと視線を落とすと、当然のごとく麻痺側の手はお腹の前で丸まっている。片手で最初から難しいのなんて、出来るわけがない。
とりあえず切ってみよう。そう思って冷蔵庫からいろんな種類のソーセージとマスタード、ピクルスなどを出した。

それから卵、これは焼いてみよう。たぶん失敗するけど。

キッチンは将来のことを考えて、父が新しいカウンターを用意してくれた。台の下が穴のようにへこんでいて、車イスが入り込めるため間近で作業が出来る。

僕はソーセージの冷たいサラダを作ろうとしていた。父が夏によく作ってくれる、家族でお気に入りのやつだ。

柔らかいソーセージならまな板の上でも動かないし、片手でもわりと簡単に切れる。玉ねぎも本当は入れるけど、難しそうだったので諦めた。

「んん……っ、もう、なんでこんなに固く閉めるの……っ?」

一番苦戦したのは、伏兵ピクルスの瓶だった。膝の間に挟み一生懸命力を入れて回すと、ようやく蓋が開いた。
やったあ!と一人で大喜びした僕は、残りの切った材料やソースも全て入れて、サラダを完成させた。

信じられないことに、それだけでもう一時間ぐらい経っていた。
お父さん、遅いな。もうすぐ七時になる。

心配した矢先、カウンターに置いてあった携帯が鳴った。画面をみると、父からのメッセージだった。

『すまん、ロシェ。あと一時間で帰る』

父の文面はいつもあっさりしていて、簡潔だ。僕もすぐに「オッケー。僕は大丈夫」と返事をした。するとまた返事が来た。

『何買ってく?』

きっと遅くなるから、ご飯のことを聞いているんだと思った。『今日はいらないよ。そのまま帰ってきて』と送ると、『何が食べたい?』と聞いてくる。

父が帰った後、僕が何か作ってほしいと思ってるんだと思い、驚く。そんな大変なこと頼まないのに。

そこからは早かった。

『大丈夫だよ。僕が今作ってるの。全然凄くないけど、食べれると思う』
『え? なるべく早く帰る』

即返信があったそのメッセージを最後に、父との数分ほどのやりとりは終了した。
げ、もしかして心配されたかも。

そんなにたいしたものじゃないんだけどな……そう思いつつ、残りの料理を仕上げることにした。




言われた通り、約一時間後の8時ぐらいに父が帰宅した。
僕はなんだかそのチャイムの音がすごく嬉しくて、車イスを玄関まで走らせた。
上着を壁にかけた父はびっくりしている。

「お帰り、お父さん! お仕事お疲れさま!」

すごくテンションが高かったので余計に驚いたと思う。僕はなんと、立ち上がろうとした。
父が慌てて僕を抱き支え、腕に閉じ込める。

「ロシェ、ただいま。どうした、大丈夫か」
「うんっ。ねえねえお腹すいてる?」
「ああ、空いたよ。でもお前、ほんとに何か作ったのか」

笑って頷くと、父は衝撃を受けてから、安堵したような表情になった。しばらく頭を撫でられている間も、心がわくわくしていた。
僕は幼い子供みたいに、初めてできたことを父に知ってほしかったのだ。

二人でリビングに行く。飲み物のグラスからソーセージサラダ、手のひらサイズのパンと温めるトースター、ケチャップつきのオムレツを目指したやつまで、すでに食卓に準備していた。

「もっとすごい料理はまだできないから、簡単なやつだけど。あとオムレツも変な形になっちゃった。あ、サラダの味付け終わってなくて、お父さんやってくれる? 塩コショウが上にあって届かなかったんだ」

一人でいたせいか、喋りたい言葉が一気に出てくる。ふと隣の父を見上げると、なぜか黙っていた。
よくみると、眼鏡の奥の瞳が少しだけ、潤んで見えた。

「え、お父さん? 大丈夫?」
「大丈夫だ」

そう言って僕の前にひざまずいた。突然また腕の中に抱き締めてくる。
すごく力が強くて、僕も言葉が止まってしまった。

「すごいよ、ロシェ。よく頑張ったな。俺も嬉しい」
「……ほんとに? よかったあ、でも味はわからないよ」
「美味しいよ。分かる。……欲を言えば、俺も作っているところを見たかった」
「えっ。やだよ、恥ずかしいよ」

もしかして、親として初めての子供の料理みたいなもの、見届けたかったのかな、なんて照れくさく思ったりした。

その後、いつもより遅い時間にご飯を食べる。
父は珍しく感動した面持ちで、何度も「美味い」と言ってくれた。べた褒めをする父はあまり見たことがなくて、こそばゆい。

でも自分で作ったものを人が食べるのって、考えてみたら凄いことだ。
何もないところからいつもあんなに美味しい料理を作れるお父さんは、本当にすごいなって思った。

「ごちそうさま。サラダもオムレツも、ほんとに美味かった。ありがとな、ロシェ。お前の初めての料理だな」

改めて言われて僕はへへっと笑う。
父はふと、机の上に置いてあった僕の手をよく見てきた。

「切るものたくさんあって、大変だっただろ。怪我は……してないか」
「大丈夫だよ。時間はかかるけど、包丁も気を付けるから」

しっかりと伝えると、父も頷いた。そのあと少し考えた顔をする。

「料理、興味あるならカウンターの上も、アレンジするか。やりやすいように」
「えっ、いいの?」
「ああ。でも最初から危険なことはするなよ。難しいことに挑戦するときは、出来れば一緒にいるときにしてくれ」

言われてこくこくと了承した僕は、心から嬉しくなった。
今日のことで確かに達成感があったし、人に食べてもらう喜びも知ったからだ。

「ねえお父さん。当たり前のようにやってくれてるけど、料理って大変だね。いつもありがとう」

普段ごちそうさまは言うけれど、中々改めて言うチャンスのない言葉を伝える。すると父は何気なく笑った。

「いいよ礼なんて。俺はお前に食べさせてるだけで満足なんだよ」

なんだか面白い言い方をされて、ちょっと笑ってしまう。でもなんとなく分かるかも。

「僕も自分が作ったもの人に食べてもらうの嬉しいな。とくにお父さんには」

照れながらも告げると、父はまるで僕の料理を食べたときと同じみたいに、また笑顔になった。



◇◇◇


次の日の土曜日は、休日で学校がない。
僕はこの日、家でゆっくり過ごしていた。午後は勉強のため、自室の窓際にある机に向かう。
外出はあまりしないから関係ないけど、窓の外はしとしと降る雨の水滴がついていた。

雨のせいか何なのか、僕はなんとなく、朝から落ち着かなくてそわそわしている部分があった。

あ、そうだ。昨日は遅くなっちゃったから、ニルスくんにメッセージを送ろう。
父の帰宅と無事に夕食を取ったことは伝えたけど、料理の顛末を教えるためだ。

チェックするとすでにメッセージが何件も入っていた。彼は携帯上でもお喋りで、即返事とかは普段しない僕とは違って、反応も早い。

「おはよー」とか「この番組見た」とかとりとめのないことに対し、僕は返事を書いた後、写真を送った。
すると五分以内に携帯が鳴った。

『これロシェが作ったの? すげー! 美味そう! 今度俺にも作って

なんでハートをつけるんだろうと思ったけど、時々こうするのだ。僕は若干返事に困り、「出来たらね」と書いた。

彼は文字を打つのも早いし、チャット状態が続く。
でも油断をしていたら、やっぱりニルスくんのペースに巻き込まれてしまった。

いきなり画像を送られる。見たことのないボブヘアの女の子の写真で、制服姿だった。
僕は一瞬目を疑い、何のつもりなのだろうとしばらく考えた。

『この子だれ? まさか彼女?』
『違うよ。ネットで拾った写真』

何してるんだろうこの人。昨日は格好よかったのにな。
そんなの収集してるのって聞いたら男は普通って言われた。ネットで色々記事とか写真は見るけど、僕はしてないのに。

『ロシェにちょっと似てる。可愛い笑』

何気なく書かれたその文面を見た時、僕は思わずぶちっと切れてしまった。似てないし。
だいたいこの笑マークなに?

『女の子に似てるって言われても嬉しくないよ!』
『え。怒った?』
『バカ

僕はむかむかして、子供っぽいとは思いつつ、その後弁解のメッセージが並んでも無視した。

ああ、もっと男らしくなりたい。
お返しにニルスくんに似た動物の写真を送ろうと思ったけど、うまく見つけられなくてやめた。



くだらないことだと分かってはいても、その後もなんとなく引きずっていた僕は、父に話をすることにした。
リビングでくつろいでいる時に、ソファで隣に座る父に「ねえお父さん」と声をかけて携帯を見せる。

父はぎょっとした顔で体を引いた。

「この子どう思う?」

僕も答えを真剣に待ちながら、まじまじと画面を眺める父を見ていた。

「どうって……どうも思わないが」

淡々と話すけれど、その後黙って何かを考え始めた。しかし、突然問われた台詞に僕は転けそうになる。

「お前の好きなタイプなのか?」
「違うよ!」

なぜか必死に否定してしまった。
父がどうしてそう思ったのか分からなかったけど、そりゃいきなりこんな見ず知らずの人の写真を見せたら、無理もないかもしれない。

「この人、僕に似てる?」
「え? 似てないだろ」

怪訝な表情で即答されて、やっと胸を撫で下ろすことが出来た。

「ニルスくんがね、僕に似てるだってさ。またからかってるだけだけど。ムカついちゃった」

愚痴ると父はやや顔をしかめる。
腕を組んで再び黙りこみ、ようやく一言告げた。

「お前の方が可愛いよ」
「何言ってるのお父さん! もうそういうのいいからっ」

途端に頭が熱くなる。自分のこと言及されるの苦手だし、父までからかってくるのかと汗が出てきたのだ。

「ニルスにそういう事言われたのか?」

しかし父はなんか食いついてくる。違うけど……と答えたら、顔を寄せられた。いっそうドキドキする。

「可愛いって言われたくないのか、お前」

今度は頬を親指で撫でられて、肩が跳ねてしまった。
なんかしつこいなぁ…そう思いながら首を振った。

「そんなことないよ。……お父さんに言われるのは嫌じゃない」

目をそらして言うと、少し身を乗り出した父に、おでこに軽くキスされてびっくりした。
そういう言葉も、キスだって、親子の愛情って分かってるけど、異様に胸がうるさくなる。

僕は気づいていた。
車イスになってから杖での移動が減り、支えるために触れたり触れられたりすることが、少なくなったからだ。

……そういえば、「あのこと」も最近はしていない。

考え出してから、ふと勇気を出すことに決めた。朝からなんとなく考えていたことだ。
こんな時に言うことじゃないかもしれない。でももう夜だし、距離が近いから今しかないと思った。

前は同じベッドで寝る前に寄り添って言えたけど、今は出来ないから、切り出すのが難しいのだ。

「あのね、今日お父さんのとこ行ってもいい?」

明日も休日だし、と加えて頼んでみる。すると大人の父は、なんとなく感づいていたのか、穏やかに微笑んだ。

「ああ、いいよ。おいで」

優しく言われて僕の胸は、再び大きく高鳴っていった。




僕とお父さんの間にある秘密の時間。それは利き手の麻痺のため、13才になった今でも、一人ではきちんと自慰が出来ないということに原因があった。

当初僕は夢精に悩み、その回避のため父に介助をしてもらっていた。
だから、週に一回ぐらいは、父と一緒にそういう時間を過ごす。

でも新しくなった家に来てからは、まだしていない。中々言い出せずに我慢していたら、久しぶりに夢精してしまい、それからは様子見をしていたのだ。

でもそろそろまた心配になってきてーーいや、本当はそれだけじゃなくて、気分的なものだったのかもしれない。

「ロシェ。久しぶりだな、お前と寝るの」

服を着替えながら、父がベッドに座った僕に、声をかけてくる。
ちらっと裸の上半身を見た。ニルスくんのお父さんほどじゃないけど、父は体格がいい。

胸も分厚いし、がっちりしている。全体的に引き締まっているので、服の上からじゃあまり分からない感じの、筋肉質な体だ。

僕はなぜかそれを見て、少し意識をする。

浴室にも車イスで入れることになったから、入浴ももう一人で行っていた。同性の父の裸なんて見慣れているのに、どうしてだろう。これから恥ずかしいことをするからだろうか。

「あの、お父さん。今日はこっちの向きにしようね」

そう言ってさっさと布団の中に潜り込む。
照明を落とした父は、サイドテーブルに眼鏡を置いてベッドに入り、突然僕のことを後ろから抱きかかえてきた。

「うわっ、なに?」
「ん? どうした。何か変か」

平気な声で尋ね返されるけれど、耳の後ろに感じる口に体が動いてしまう。

「なんか、ちょっと近くない? もうちょっとあっちに…」
「……そうか? いつもと同じ気がするが……」

言ったのにあんまり離れてもらえない。たぶんお父さんは正しい。僕の方が考えすぎなのだ。

「んっ……んっ……」

後ろから腕を回されて、大きな手でズボンの上を優しく撫でられる。それだけで、僕のものは硬くなってしまう。
指先が、指の腹が気持ちよくて、腰が浮いていく。

父の手が下着の中に入ってきて、僕の勃っているおちんちんを直に触った。竿の部分を優しく握って上と下に行ったり来たりする。

「あっ……んあぁ……お、父さん……」

気持ちよくてつい声を出すと、頬を撫でられそこにちゅっと口づけされた。
なんだかお父さんが、今日は自然な感じで僕に触ってくれている。

ずっと前、僕は父の前でたくさん変なお願いをしてしまったことがある。
快感にまだ全然慣れてなくて、おでこやほっぺたに、もっとキスしてほしいとか、言ってしまった。
優しい父はしてくれたけど、僕はそれ以来あんまり、恥ずかしいことは言わないように頑張ってきた。

でも今日は、久しぶりに欲しかった温もりに触れて、また変な気分になってしまいそうだった。

「ん、あ、あぁぁ……っ、だ、め、ん、んあっ」
「……ロシェ、イキそうか?」
「あ、あ、や、ぁ、あっ」

僕は答えられなくて、腰をびくびくさせてしまった。
うそ、もう出ちゃうかもしれない。
突然おちんちんが父の手の中で痙攣して、先っぽから白い液があふれていく。

「あーっ、ぁ、あ」

震える腰を押さえられて、最後まで声を上げながら達してしまった。
あっという間の出来事で、だらりと父の胸に背をもたれる。父は何も言わないで僕の頬を優しく撫でた。

「お父さん……」

顔を見るのは恥ずかしかったけれど、後ろに向けようとした。

「いいよ」

父はそっと呟いて、頬にまたキスしてくれた。一度だけじゃなくて、何度も軽く触れてくる。
ぼうっと夢見心地のまま、僕はそれを受け入れていた。
離されて、おでこに唇が触れたとき、急に寂しさが募った。

「やだ、お父さん」

僕はまたキスをねだる。まだ終わらないで欲しかった。
我慢出来なかったせいで早く終わってしまったのもあるけど、この時間がもっと続けばいいと思っていた。

「足りない?」

小さな声で尋ねられる。ベッドの上でこうしている時、父の声はいつもよりも更に優しくて甘い。

「……一回だけだろ?」

でも、期待とは反対になだめてくる。
僕は駄々をこねるように、体を父の正面に向け、広い胸にすがった。

ああやっぱり僕はおかしい。簡単に、こんなにおかしくなってしまう。
父の温もりがほんとは恋しくてたまらなかったように。今はそれが、まったく隠せなくなってしまったみたいに。

「お父さん、もっと触って」

体を出来るだけ近づけて、見上げた。父が困惑しているのは分かったけど、諦められない。

「どこがいいんだ?」

そう初めて聞かれて、だめだけど、嬉しくなる。

「僕の体、触って。撫でるだけでいいから……」

お願いをすると、抱き締められて、背中を撫でられた。脇腹に手のひらがはって、胸の辺りまで来たとき、僕はまた声をあげた。

「んっ、あぁ」
「すまん」
「……や……もっと……」

胸の下を撫でられて、骨にそって指の腹でなぞられて、ぴくぴく反応する。
お父さんの手、気持ちいい。魔法の手みたい。僕に、全部気持ちいいものを与えてくれる。

「お父さん、キスして」

僕は唇を見て言った。
もうごまかせない。僕は父のことを意識している。
ずっと前からだ。
親子なのにおかしいのは分かってる。でも、こんな風に確かに求めてしまう気持ちは何なのだろう?

しかし答えを待つ僕に、父ははっきりとこう告げた。

「口は駄目」

顔は穏やかで優しい瞳で見つめてくる。
そして、頬の、口の近いところにキスをした。

僕は胸が痛く締め付けられた。
お父さんは間違ってない。

「どうして駄目なの?」

けれど、我慢できずに問いかけた。焦燥している僕とは反対に、父は落ち着いている風に見える。

「そういう気分になってるから、考えちゃっただけだろ? 俺は分かってるよ」

なんてことない、といった感じで頭を撫でられて、僕は心の中で反発した。全然分かってない。
父は変わらず僕を大事そうに抱き締めてくるだけだ。

「親子だからだよ。お前が大切だからな」

強まる温もりがどこか、切なく感じた。
そうだよね。親子なのにキスしたいなんて、やっぱりおかしいことなんだ。

「ロシェ。俺は、お前の言うことならなんでも聞いてやりたい。だが、お前を傷つけることはしたくない」

続けられた言葉に、僕はようやく顔を上げた。

「どうして僕が傷つくの? お父さんのこと好きだよ」
「……俺もそうだよ。お前を愛している。だから、本当に好きな人とするべきだよ」

愛していると言われたのに、一番悲しくなった。

「僕、自分のベッドに帰るね」

涙をこらえて半身を起き上がらせようとした。けれど、立てた肘を父の手にぎゅっと握られる。

「いや、行くなって。今日は俺のとこでいいだろ?」
「やだ……っ」

有無を言わさずに引き止められて、また前から抱き抱えられる。
どうして? わがままなのは分かってるけど、そういう風にお父さんからの抱擁を受けると、心臓が叫んでしまう。

悲しいよ。でも、離れたくないよって。

父親が恋しいだけなのかな? 僕は父の言うように、あまりの気持ちよさと心地よさに、頭がぼうっとして、そういう気分になっちゃって、もっとしてほしいって思ってるだけなのかな?

お父さんのこと好きなだけじゃ駄目なのかな。
言われたことが理解できるのに、分からない。

僕は父の胸に埋めていた顔を離した。
しばらく見つめても、父は静かに寝息を立てていて、もう眠ってしまったのかなと寂しくなる。

近くまで顔を寄せても、動かない。
唇が触れるぐらいのとこまできても、起きてくれない。

僕は寝ているお父さんの唇に、静かに自分のを重ね合わせた。



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