お父さんにお世話してもらう僕 | ナノ


▼ 39 最終話 二人旅

夏がやって来た。学校の夏期休暇に合わせて、父も休みを取ってくれた。
そうして僕達二人は、車に二泊三日分の荷物を詰め込み、海岸沿いにあるコテージへと泊まりに来たのだ。

風通しが良い木造のおしゃれな室内は広々としていて、バリアフリーになっている。父が見つけて予約をしてくれたこの場所に入るなり、僕はとても気に入って嬉しくなった。

「わあ! すごいよお父さん、正面に海が見える! もしかしてここから出られるの?」
「ああ。あとで散歩してみるか、ロシェ」

大きなガラス扉の外はテラスになっていて、杖を使えばそのまま砂浜に出られそうだった。少し前までは考えられなかった夢みたいな状況に僕ははしゃぐ。

室内には吹き抜けのリビングとキッチンもついていて、ちょっとした料理なら出来るそうで、休暇中もまるで家みたいにゆったり過ごせるプランは僕らにぴったりだった。

僕は車イスだけど薄手のシャツに半ズボン、父も珍しくハーフパンツにTシャツと夏らしさ満載の格好で、開放感がある。
荷物とかを整理したあと、やがて二人で海岸を歩いてみることにした。

歩行用の杖をついて、父に片腕を支えてもらいながら運動靴で一歩一歩進む。本当はビーチサンダルを履きたかったけれど、バランスを取るのがたぶん難しい。

「すごーい、波打ち際まで来たよ。海ってこんなのだったなぁ」

小さい波が打ち寄せる砂浜に立ち、遠くまで眺める。
夏の照りつける太陽がまぶしく感じて目を細めたら、父がかぶっていたキャップを僕にふさっと被せた。

「まぶしいだろ」

そう言って笑う父の笑顔のほうが眩しすぎて、僕はまた父のことが好きになってしまった。なぜだか目が潤む。
今、こうして二人でいるのが信じられない。事故から八年近くが経って、こんな綺麗な風景を二人で見られるようになったんだな。

「お父さん、僕、裸足になりたいな」
「えっ? 危なくない?」

焦る父だけど、僕はお願いを聞いてもらえて、いったん後ろのほうの砂浜で靴を脱いで裸足になった。
そしてもう一度、海に入る。ぱしゃぱしゃと生温かい海水を感じて、面白い感覚になった。

柔らかい砂が指の隙間に入り込み、踏みしめるようにゆっくり父と歩いてみる。
自然に触れていると、今は怖さは遠のいて、大切な人の存在をさらに近くに感じるようになる。 

僕はまた隣に立って、同じ遠景をのぞむ父にわがままを言う。

「手繋ごうよ、お父さん」
「……ん? ああ、いいよ」

優しく笑まれて、父は砂浜に座ろうとした。でも僕は立って手を繋ぎたかったから、杖を手放した。驚いた父はとっさに背を支える。
僕の体は少し震えていたけれど、その場に立つことが出来た。

背の高い父に腕を持たれながら、互いの指を絡ませる。
周りには連なるコテージの宿泊客がちらほらいたけれど、僕は気にしなかった。

「すごい? 立てたよ僕」
「うん、すごいよ、ロシェ」

眼鏡の奥から見つめる茶色の瞳が光に反射して、潤んで見えた。僕は気持ちがもっと増してきて、父に寄り添った。
しばらく穏やかな時間を過ごしていたのだが、足元に突然大きめの波が来る。

「わあっ!」
「ーーおいっ」

びっくりしたら足元が狂ってしまい、バランスを崩した。父の方に倒れこむと同時に、父の体も僕を支えようと後ろによろけ、なんと僕は父の上にどしん!と体を預けてしまった。

「……んあぁっ……ごめんお父さん…!」
「大丈夫だーーお前は、平気かっ?」

下から声が聞こえたと思えば、父は背中までびっしょり水に濡れていた。
またドジをやってしまったと一気に冷や汗が流れる。

「はあ。いつも僕ってこうだ。本当にごめんね」
「平気だよ。海なんだから濡れるのが普通だ」

僕を抱きかかえながら、父は安堵したような笑みをこぼした。
帽子の上から頭を触ってくる優しいお父さんの言葉に、今日はなんだかやたらとじわっとくる。

なぜだろう。何となく、この旅行は特別なものに感じていた。
恋人になって、気持ちが通じ合った後だからなのだろうか。


その日は予約していた近くのレストランに行って、魚介料理を食べた。お腹がいっぱいになるまで満喫し、父とお喋りも弾む。
この前贈ったシャツも身にまとってくれていて、大人な雰囲気の父に時々見とれてしまったりした。

「ねえ、今日はお肉ないけどいいの?」
「いいよ。俺だって魚はまあまあ好きだぞ。せっかく海に来たんだしな」
「そっか。ねえねえ、お父さんビール飲んだら? 今日はもう運転しないんだし」

蝋燭が灯る白テーブルの上で、僕は立て掛けてあった小さいメニューに手を伸ばした。すると腕を組んだ父が身を乗り出す。

「酒は飲まない。知ってるだろ?」
「でも……きっと美味しいよ。海見ながらグイって」

子供のくせにジョッキを傾ける仕草を真似したら、父の眉間にシワが寄った。「お前知らないだろ」と言われて確かにと背を縮こめる。
でも僕にはもうひとつ、密かな夢があるのだ。

「僕はね、成人したらお父さんと乾杯するんだ。だからその時は一緒に飲んでよね」

約束だよ、と今度は僕が目をじっと捕らえたら、父は片肘をついて唸る。

「……俺と一緒のときだけだぞ。酒は。分かったな」
「うん!」

目を輝かせた単純な僕は、自然に顔がほころんだ。ようやく父もため息混じりに笑む。もちろんこの体だから、飲むとしてもちょっとだけだ。
でも早くその日が来ないかなぁって、今から楽しみだった。



そして海辺の夜が訪れる。
僕は暗闇にまっすぐ浮かぶ月明かりと、その下でざあざあと寄せては返す波を眺めていた。
砂浜がすぐ下にある木造のテラスで、ビーチ用のチェアに寝そべり、贅沢な時間を過ごす。

「ロシェ。ちょっと起きろ」

突然頭上から告げられて、シャワーを浴びたての父を見上げる。僕がゆっくり上体を起こすと、「少し詰めて」と言われ、長い椅子に横並びに座る。

「どうしたのお父さん。お風呂気持ちよかった?」
「うん」

父は短く答えて、まっすぐ遠くの砂浜を見ている。僕はちょっとの間でも離れたあとに父がまたそばにいることが嬉しくて、肩に頭を預けた。
すると父は僕の膝の上の手を握る。握り返して手を繋いだ。

コテージのテラスだけど、外だしちょっと大胆かなと思って照れていたら、こちらを向いて顔を近づけた父に、ちゅっとキスをされた。

「……わ、わあっ! いいの外でそんなこと…!」
「大丈夫だろ。誰もいない」

余裕で言ってまた前を向く。その後、父は僕に目をつぶれと言った。またキスをされると思って、ドキドキしながら言う通りにする。

すると、僕の右手が父の手によって優しく開かれる。そこに何か冷たいものを置かれた。驚いてまぶたを開くと、細い銀色のチェーンが光っていた。トップには小さい円形のメダルがついていて、繊細な装飾が施されている。
これはーーネックレス?

「お、お父さん」
「お前にやる。プレゼント」

簡潔に言われて、鼓動が急速に鳴り出した。
手のひらに穴があくほど見る。長めの細かな鎖でホワイトゴールドのネックレスだと説明された。それは父から僕への、初めてのアクセサリーの贈り物だった。

「えっ、ええっ、お父さんが選んだの?」
「ああ。気に入らないか」
「ううん、すっごく綺麗だよ、本当にもらっていいの?」
「当然だ。お前のために買ったんだから」

その時初めて僕の顔を見て、頬を親指で撫でられた。僕は泣くまいと思った。でも驚きと嬉しさが一気に襲ってきてしまい、変な顔になった。

僕のため……お父さんが難しい顔でこれを選んでいるところを想像して、泣き笑いに近い状態にひとり陥ってしまいそうになる。

「ありがとうお父さん……嬉しくてなんて言ったらいいか分からないよ」
「愛してるでいいよ」

クールな顔で返されて僕はロマンチックなムードの中笑い声をあげてしまった。目の前の父は普通にしているけれど、照れてるときの顔だとすぐに分かる。やたらと眼鏡を直しているし。

それからお礼とともにお父さん愛してるって耳元で伝えたら、僕は抱きしめられた。
父の力のこもった腕の中で、これは現実なんだとまた我に返っていく。

「ねえねえ。僕、これ一人じゃつけられないんだけど。外すのもお父さんにやってもらわないと」
「まあ、それが狙いだからな」
「えっ!?」
「冗談だよ。……あれだ、身につけていてくれたら嬉しいが」

黒髪を無造作にかいている父に微笑んで承諾する。するとじっと瞳を見つめられて、もう一度丁寧に唇を重ねられた。まるで俺のだぞって念を押されたみたいに。

でも、その後にさらっと「指輪はもう少し大人になったら買ってやる」って頭を胸に抱き寄せながら言われて、僕は余計に熱を伴った顔で頷くしかなくなった。

「似合う?」
「よく似合うよ」

後ろにいる父にネックレスをつけてもらい、振り返る。
二人とも笑顔の中、僕は今こんなに幸せでいいのかなって気持ちが漂う。

手をつないで、父の胸元に顔を預けてぼんやりしていた。
夜の波の音が遠くに聞こえて、代わりに二人の鼓動が心地よく奏でている。

このままずっとこの時間が続けばいいのにな……。
そう物思いに耽っていたら、父が口を開いた。

「ロシェ。俺はずっと、お前をそばで見守っていきたい。お前の笑ってる顔を一番近くで見ていたいし、泣いていたら泣き止むまで抱きしめて、大丈夫だよって言ってやりたい。……だから、これから先も俺と生きてくれるか」

大きな体から流れてくる子守唄みたいに、父は僕にそう伝え、問いかけた。
僕は急にこらえきれなくなり、まぶたをぎゅっと閉じる。
今日は泣かないようにしてたのに、気づくと夜空の風景が涙でぼやけていた。

「一緒に生きていくよ。お父さんと。大好きなんだからね」
「そうか。よかった。俺も大好きだぞ」
「うう……我慢してたのに……お父さんのバカ……」
「すまん」

しっかり抱え直されて、片腕を巻きつける。
「もう泣いちゃったから抱きしめて」と言ったら言う通りにしてくれた。
そうしてまた見つめ合い、僕らは自然に惹かれ合ってキスをした。

小さかった僕。泣き虫だった僕。
父の前では今でも変わらないかもしれないけれど、胸に抱え続けたこの思いだって少しも変わらないでいる。

あの頃の僕に、お父さんのこと好きでいていいんだよって、僕達の長い旅はずっとずっと続いていくんだよって、教えてあげたいな。



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