お父さんにお世話してもらう僕 | ナノ


▼ 閑話 小さいときのロシェ

天気が良い日の午後、僕は珍しくお父さんと散歩に出ていた。
車ではなく、なんと徒歩でだ。とはいっても車イスだし、近所だけど。

気持ちいい太陽の光を浴びながら、並木通りを進んだり、横断歩道の信号待ちでちょっとしたお喋りをしたりと、僕らは和やかな空気で楽しんでいた。

「この公園、昔よく遊んだなぁ。なんか前より小さく見えるし」

ブランコや遊具があるこじんまりとした公園の入り口で立ち止まると、父が僕の肩に手を置く。

「懐かしいな。ちょっと休んでくか」

二人で顔を見合わせて、僕も何気なく頷いた。他に人のいない公園のベンチの側で待っている間、父が近くの自販機で飲み物を買ってきてくれた。

横に並び、郷愁を誘う風景をぼんやりと見つめる。はっきりとは覚えてないけど、この砂場で遊んだっけ。いつも服を汚くして、お母さんが洗濯に苦労してたのはうっすら覚えている。

「ロシェ。昔、お前にクマのクッキー買ってやったんだよ。ここで食べたの覚えてないか?」
「……えっ。ーーあ、覚えてるかも、それ」

四才か五才ぐらいの、小さいときのことだ。他の記憶はおぼろげなのに、父に言われた言葉で急に蘇ってくる。やっぱり、同じ場所にいるからかな。

そう、昔こんなことがあったのだ。



休みの日に昼ごはんを食べた後、父が居間のソファで深く背もたれに背を預け、休んでいた。そこに小さい僕がよじ登り、父の腕を引っ張って揺すっていた。

「パパ、遊ぼうよ〜」
「ん? もう少し休んでからな」
「まだぁ? お腹いっぱいなの? 大きい!」
「……ぐっ! 大きくないよ、おい腹を叩くなロシェ」

今よりやんちゃだった僕がかまってほしくて自由奔放に振る舞うと、父は笑みを浮かべながら僕を持ち上げわきをくすぐったりした。

しかもこの時の僕はちょっと恥ずかしいことに、まだパパと呼んでいた。
じゃれあっていると、父がふと壁時計に目をやる。

「そうだな。少し動いた方がいいかもな、時間もあるし。散歩行くか、ロシェ」
「うん!」

家で遊ぶのも好きだけど、外に行くことが大好きだった僕は途端に上機嫌になる。僕らはその後、ちょうどテラスの向こうで庭いじりをしていた母に声をかけ、二人で近所にお出かけをすることにした。

歩道側にいる僕は手を繋がれて、昔からそれほど口数の多くない父にたくさん話しかける。見上げるほど背の高い父と目が合い、眼鏡ごしの瞳に優しく笑まれると、それだけで心が弾むのだった。

小さい町をぐるりと一周して、頭上からふと「帰りにケーキでも買ってくか」という嬉しい提案が降ってくる。もちろん僕は飛び上がった。

そこは今でも存在する、馴染みの焼き菓子店だった。ガラスケースに色とりどりのケーキが並べられ、僕と父は三人分プラスおまけの一つを選び、購入する。

しかしその時、また僕のワガママが発動した。

「パパ、このクマさん可愛い、僕欲しい!」
「え? これ?」

記憶を思い起こすと、やたらと大きいクッキーで一枚なのに結構高いやつだ。無駄なものを買うのが嫌いな父は渋い顔をする。
店員のおばさんは援護射撃をするように「可愛いでしょー、ロシェ君動物好きだもんね。他のシリーズもあるよ」と笑う。

猫や違う動物もいたけど、なぜか僕はそのお菓子にひとめぼれして譲らなかった。
結局父はそれも買ってくれた。考えてみたら、昔から僕の我儘には弱いのかなって思う。

無邪気な僕はそれを大事に抱えてお店を出た。

「ありがとう、パパ! 僕ね、これもったいなくて食べれないかも。だから机に大事にしまっとくね」
「…んっ? 駄目だよ、すぐ食べないと。腐るだろ」

腐る、とはっきり言われて僕の純粋な心はとたんにショックに陥った。

「そんなことないもん、クマさん大丈夫だよね? 溶けないよね?」

ポケットから出した袋に話しかけ、涙ぐんだ。すると父は慌てて否定したが、早く食べた方がいいという意見は固持した。
僕は当時から、なんとなく父の言うことは本当で、小さい僕より絶対正しいという気持ちがあった。

だから勘違いからおかしな行動に出る。

「僕いますぐこのクッキー食べる。変な形になっちゃったらやだもん」
「そんな急がなくても大丈夫だよ、ロシェ。…お前は、変なとこ頑固だよな」

頭をぽんと触りながら、僕の言うことに付き合ってくれた父は、近くの公園に連れてきてくれた。そう、今いる場所だ。
同じようにベンチに座って、僕はクマのクッキーを半分に割った。

「はい。パパにも半分あげるね。二人だけの秘密だよ」
「ああ。ありがとう」

素直に受け取ってくれた父と二人、天気の良い公園で美味しく食べた。普段と違うものを無理言って買ってもらったという、ちょびっとだけいけない気持ちがあったから、母には内緒にしようと考えたのだった。

「美味しいか?」
「うんっおいしい」

単純な僕はもうお菓子をずっと取っておきたかった思いも忘れ、その味に満足して微笑む。
こうして親子のちょっとしたやり取りのひとつが大事な思い出になっていた。



「なんか僕、子供っぽかったなぁ。当たり前だけど」
「まあな。でも可愛かったよ。俺の言ったことすぐ真に受けてたからな」

笑いをこぼしながら、嘘は言ってないけどな、と付け加える父をじろっと見る。確かに僕は昔から信じやすいのかもしれない。
でもそれは、お父さんだからだと思う。きっと子供のときからずっと信頼している相手だからだ。

そんなこと恥ずかしくて今言えないけど。

「でもほんと、まっすぐで可愛かったよね僕。はは」
「今でも可愛いよ、お前は。可愛さがちょっと違うけどな」
「えっ、どういうこと?」
「……えー、まあ、手を出したくなる可愛さってやつか」
「なにそれ、外で何言っちゃってるのお父さん!」
「すまん」

真顔で謝られ頭を撫でられ、僕はまた恥ずかしくさせられた。
まさか外にある公園でそんな言葉をかけられるとは思わなかったからだ。
…ほんとはちょっと嬉しいけど。

僕は赤い顔を隠すように車イスを操作し始めた。

「おい、待てよ。どこ行くんだ」
「お父さん、そろそろ帰ろっか。日も暮れちゃうし」
「……そうか? ああ、帰りにあのケーキ屋寄ってくか。ロシェ」
「うん、いいねそれ」
「またクッキー買ってやるから。一緒に食べような」

どこか機嫌が良さそうに提案されたら飲み込まざるを得ない。
あのクマ、まだあるのかな。そんな疑問を二人で確かめに行くのもいいかもしれないと思ったのだった。



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