▼ 23 初めてのデート
金曜日の学校終わり、さっそく僕と父は、車で三十分ほどの距離にある複合施設へやって来た。人はそんなに少なくないけれど、混雑する土日を避けたためだ。
ここは衣類や雑貨から、食品街やレストラン街までなんでも揃っている建物で、上階には映画館がある。
小さい頃はよく来たが、久しぶりに訪れると外観や内装も新しく生まれ変わっていて驚いた。
「ここな、数年前にリニューアルしたんだよ。前に勤めてた会社で電気工事を担当してたんだが、かなり綺麗になってるな」
「へえー、じゃあお父さんもここでお仕事してたんだね。どんなことやったの?」
「照明の設置とか、防犯カメラやエアコン取り付けたり色々だよ。ものすごい広いだろ、とくにきついのは電球の交換でな。何千個あるやつを大人数で一気にやるんだ」
館内の通路を車イスで進みながら、隣を歩く父から普段聞けない仕事の話を聞き、僕は「ええっすごいなぁ!」と感嘆していた。
電気技師の父は、個人宅や小規模な店舗を受け持つことが多いため、実際に仕事してるところを見たことがない。その姿を想像すると尊敬の念とともにわくわくもした。
駐車場を出てから、父の口数もいつもより多い気がする。僕と同じく、気分が高揚してるのかもしれない。
ここは駅近くのショッピングセンターより大きくて、友達とのお出かけもいつも楽しんでいる僕だけど、こんなに長い時間学校以外で外にいるのは久しぶりのことだ。
一緒にいるのは父だから、やっぱり安心感は一番強い。
それに今回は実は「初めてのデート」なのだ。周りから見たらただの親子のお出かけなんだけど。
映画は四時からで、まだ時間がある。なので僕たちは屋上のちょっとした植物園を見てみることにした。
「わぁー、見てみてお父さん、ビルの上なのに自然がたくさんだよ。木とか花も一杯咲いてるね」
「ほんとだな。ていうか結構寒いな。大丈夫かロシェ」
「うん、全然平気!」
元気に答えたけれど心配性の父の上着をかけられた。ぬくぬくしながら造られた園内を進む。
おしゃれなガラスドームの下には、背の高い木々や珍しい植物が植えられていて、林檎や梅なども間近で見上げることができた。
僕達の家族はもともと自然が好きで、海とか山とか以前は色々訪れたけど、今はやはり難しい。だから植物園はとても気分が弾んだし、緑や流れる小川の音にも癒された。
「あ、これ知ってる! フリルみたいな白い花びらのやつ。スノーフレイクっていうんだよね。たしか春の訪れを告げる花なんだよ」
その花壇には緑の長い茎の先に、小さな花が風で揺れていた。図鑑でしか見たことなかったけど、実物はすごく可愛くて見とれてしまう。
今は三月半ばだから、季節にもぴったりだ。自分でも育ててみたいなぁ。
「ああそれはな、別名白いスミレって言うらしい。匂いもスミレに似てるんだって。あと有毒で食べたら食中毒になるから気を付けろよ」
「ええっそうなの? さすがに食べないけどすごい〜。物知りだね、お父さん」
「いやそこに書いてあるの読んだだけだよ」
真顔で展示物のボードを指さされて、がくっとコケそうになる。お父さんって時々ぼけてるというか、お茶目なとこがあって面白い性格をしている。
和気あいあいと話しながら、すっかり植物園を堪能した僕たちは再び館内に戻った。
まだ時間が余ってたため、近くの階で雑貨類の商品棚を見たりした。
父と一緒だと、ただそれだけでも新鮮で楽しいのだけれど、ふと通路の奥の方にカフェと並んだクレープ屋さんを見つけた。
店内や周りに並べられた小さい机で、若い人たちや家族連れがちらほら食べている。
美味しそうだなぁ、と思いながら眺めていた僕に気づいたのか、父が顔を覗きこんできた。
「食べたい?」
「……えっ。えっと……うんっ」
思わず頷くと父が微笑む。そういうわけで突然、僕と父はそのお店で甘いもの休憩を取ることにした。
二つ分の包み紙と温かい飲み物を買ってもらい、他の人と同じように外の席に腰を落ち着ける。
車イスが邪魔にならないように気を付けて、ドキドキしながら父と頬張った。ずっと前ニルスくんとお出かけしたときも外で食べたことがあったけど、今回のほうが人が多くて少し人目が気になってしまった。
でも向かい合う父はいたって普通だし、僕も段々緊張が取れてきて、甘いクレープにも舌がとろけていった。
「やっぱりお店で食べるのって美味しいね、お父さん」
「ああ、確かに旨かった」
「……って、お父さんもう終わっちゃったの! 2、3分しか経ってないよ」
「だって少ないだろこれ。お前はゆっくり食べろよ」
包み紙を畳みながらゴミをまとめる父を見て笑いそうになる。
でもその後じっと正面から見られてると、次第に恥ずかしくなってきた。やけに優しい顔してるし。
「なに?」
「いや。楽しいだけだよ」
「僕が食べてるとこ見るの?」
「ああ。あとこういうの、全部な」
にこりとすると、僕の頬にクリームがついてたのか、指で拭われてどきっとした。
もしかしたら、父は本当は僕ともっと外出したかったのかもしれない。自分が挑戦しようと思うようになったのも、ここ一年ぐらいなのだ。そう考えると少し申し訳なくて、せつない気持ちにもなる。
「もっと早く勇気出してみればよかったな」
ぽつりと述べたら、父が机に身を乗り出して視線を合わせてきた。
「今がちょうどよかったんだよ。それにこれからだって、一緒に色んなとこ行けるだろ?」
前向きな父の言葉に、僕は心が急に楽になったみたいに、励まされていく。
そうだよね。その通りだと思う。
いつ始めても、遅いってことはないのかもしれない。だって、始められたんだから、その先も可能性は広がっていくんだ。
「うんっ」と力強く答えると、また笑みを返された。
なんだか嬉しいな。まだ目的の映画を見る前なのに、父が言ったようにすでに目一杯楽しい。来てよかったなぁって思った。
◇◇◇
それから僕たちは、いよいよ上階にある映画館へと足を踏み入れた。少し薄暗くて、壁に色んなポスターが貼られた広い空間が、多くの人々で賑わっている。
チケットは前もって父がインターネットで予約してくれたから、カウンターで発券するだけだ。そのときちょっと驚いたことがあった。
施設や交通機関などで障害者割引があるということは知っていたけど、僕はまだ中等科だから値段は変わらない。でも介助者も一人分は同じく割引されるらしい。そういう支援は両者がさらに足を運びやすくなると思うから、助かるし有り難いなぁと感じた。
「ロシェ、ここの席だ。立てるか?」
「うん。大丈夫だよ」
大きなシアター内に入ると、僕と父は予約した二つの座席に腰を下ろした。ここはちょうど前から半分ぐらいの所に位置し、非常口のそばにある。スロープで入ってこられて、近くには車イスのまま見れる専用のスペースもある。
僕は辛うじて少し歩いて移動ができるため、スペースに車イスを畳んで置かせてもらった。土日で混雑する作品だとここが混み合うこともあるらしいから、今日は運がよかったと思う。
でも全体的に人もそこまで多くなく、過ごしやすい雰囲気でほっとした。
「楽しみだね、お父さん」
「ああ。もうすぐ始まるな。何かあったらいつでも教えろよ」
「うん、ありがとう」
二人でこそこそ肩を寄せ合いながら会話をする。見るのは二時間半のSF超大作だ。僕たちの好きなジャンルでかなり楽しみにしていた。
長いから初めての映画では心配もあったけど、隣に父がどしっと座ってるだけでまるで家にいる雰囲気で安心できた。
そのときだった。後ろから声がかかる。驚いて振り向くと、二人組の男の人達が父に向かって手をあげ、挨拶をしてきた。
父も同じように軽く会釈をして合図をする。短い時間だったけどまた父は前に向き直った。
「えっ。誰いまの人達。お父さんの知り合い?」
「そうだよ。同じ電気技師でな、たまに仕事が一緒になることがあるんだ」
たいして驚きのない顔で言われるものの、こんな場所での偶然ってあるんだなとびっくりした。そう言うと父は「まあ大きくない街だからな。よく知り合いには会うよ。スーパーとか日常茶飯事だぞ」と述べてさらに仰天した。
考えてみたら普段の買い物とか、付き添いの僕は車イスが妨げになってしまうから行ったことがなく、すべて父に任せていた。
でもここは父が生まれた地元でもあり、こういうことも多いらしい。僕も最近外出するようになってから、友達に遭遇したりもしたし。
今日は父の意外な面を結構知ることができて、毎日一緒にいるのに本当に新鮮だ。
やっぱりもっと二人で出掛けてみるべきだなって思った。
そうこうしてるうちに真っ暗になり、映画が始まる。
端の席だけど全体が見渡せて、映像も音楽も自宅とはまったく違うスケールで圧巻だった。
ストーリーに引き込まれながらも、僕は父のことが気になりたまにちらちら隣を見た。
父はまっすぐ黙って観賞している。なんでだろう、横顔がいつもより更に格好よく見える。眼鏡の奥の瞳が真剣だし。
「ーーおい。ちゃんと見てるか?」
突然振り向かれて心臓が跳ね上がった。耳元でぼそぼそ喋る。
「う、うん。見てるよ。お父さんがまた寝てないか気になっちゃって」
「寝るか。せっかくのデートに」
軽く笑った姿にまた見とれてしまう。しかもデートって言った。
そうだった。今日は普通に親子のお出かけを満喫してきたけど、僕たちのデートだったんだ。
急に思い出して恥ずかしくなった僕は、全身が火照ってしまい黙る。
「ちゃんと前見て。あと俺が寝ないように、こうしてろ」
耳打ちした父の手が僕の手を取り、自分の甲に乗せた。
じわじわと手の温もりが伝わってきて、映画館なのに僕は叫びだしそうになる。
でも静かにしないといけないから何も出来ず、父の手をぎゅっと握っていた。
それから結局、ハラハラする場面も多く結構自分から肩に寄り添ったりもしてしまった。
映画のせいでドキドキしたのか父のせいなのか、終わった頃にはもはや分からなくなっていた。
でもその二時間半は、まるで二人きりの世界になったかのように没頭して、忘れがたい時間になったと思う。
「はー、終わっちゃったね。すっごくおもしろかった!」
「ほんとだな。映像もよかったが、展開が飽きなかったよ。お前手がずっと汗かいてたぞ。どきどきした?」
「そ、そんなことないもんっ」
外に出てぺちゃくちゃと溜まりに溜まった感想を言い合う。映画を見終わった後ってこの瞬間もすごく楽しい。
二人とも気に入っていたし、映画館で見て正解だったねって話した。
「そうだ。パンフレットも買ってくか。今日の記念にな」
「うんっ」
父が記念って言ってくれたことも、今日が特別な日になったみたいで嬉しくなる。
普通に皆がしてる事なのかもしれないけれど、僕にとっては本当に夢みたいな日だ。
でもそれだけで終わりじゃなくて、父はその夜レストランにも連れていってくれた。
予約もしてくれていたのは、初めて行く洋食屋のお店だ。
店内に案内されると、大きなガラス窓から街並みが展望できて、高層階だから余計に感動した。
「ロシェ、何にする?」
「僕はねー、魚料理」
「渋いなお前、まだ若いのに。俺は肉」
「お父さんいっつもそうじゃん。ステーキでしょう」
僕が突っ込むと「当たり」と笑みを見せる。
そんな朗らかな空気の中、僕たちはいつもより非日常の夕食を楽しんだ。
誰かのお祝い事とかの行事以外で、二人きりの外食は滅多にない。正直言うと、ナイフを使えない僕はもともと食事を見られるのが恥ずかしいっていう思いがあったからだ。
だから今回も柔らかい魚料理にした。好きなものだし、これならフォークで切れるから食べやすい。
味も抜群で、僕は父とこっそり一口交換したりもした。
「デザートは? ロシェ」
「食べる!」
元気よく答えるとまたしても父が笑う。その表情がまた僕の心を暖かくする。
いつもなんだけど、今日はずっと父に甘えっぱなしだ。
なんだかデートというより、僕ばっかり楽しませてもらってるような気もしてきた。
二人でアイスと紅茶を頼み、綺麗な夜景を見ながらゆっくり味わう。
「ねえねえ、お父さんも楽しかった?」
「ああ。当然だろう。見て分からないか?」
分かるけど…と言ったらテーブルの上の手を握られた。
近くには店員さんもお客さんもいないけど、急激に心拍数が上がっていく。
「お、お父さんっ」
「まあ俺あんまり顔には出ないからな。でもすごく楽しんでるよ。あと幸せを噛み締めてるぞ、今日はとくに」
「そうなんだ……良かった。……えっと、僕も同じだよ。ありがとうお父さん」
照れながら今日のお礼を告げると、「俺もありがとうな」と逆に微笑まれてしまった。
ああ、お父さんが好きだなぁって思う。
ずっと思ってたし、これは僕たちにとってはデートなんだけれど、親子だからあんまりベタベタもできない。
今家だったら、抱きついたりとかも出来るのになって、贅沢なことも考えてしまった。
そうしてとうとう帰る時間になる。
僕と父は二人で別館の駐車場に向かった。
見慣れた黒い車を見つけ出し、車イスの僕は立ち上がって、先に助手席に乗せてもらう。
父の両腕が腰に回り、抱き上げられたとき、ふわっと慣れ親しんだ香りがした。
今日は長い時間外にいたから、ハグとかもしてなかったなって思い出した。
どきどきしながら、片腕でぎゅって力を入れると、気づいた父が一旦止まり、今度は向こうから強めに抱きしめてくれた。
そして体を離し、そっと僕のほっぺたにキスをした。
「わっ」
思わず声を上げれば、にやりとした笑みが向けられる。
「外なのに、お父さん…っ」
「ああ。口は帰ってからな」
言いながら頬を指先で撫でられて、僕は一気に熱が高まってしまった。
そのあとも「お前すぐ赤くなるな」と茶化しながら優しく頭を撫でられる。
やっぱりお父さんってずるい。最後の最後にこんなことしてくるんだから。
でも親子だから僕も似たようなものだ。もう一個、の願いがまた出てきてしまった。
「お父さん、もう一回ぎゅってして。いつもいきなりなんだもん」
服を掴んでお願いすると、顔を見上げる前に僕はふたたび抱擁された。
温もりが戻ってきて、こうなると、一瞬も離れたくなくなってしまう。
「帰ったらもっとしてやるから」
「本当に…?」
「ああ。今日は俺も、何度もしたいなって思ってたよ。お前がやたら可愛かったからな」
父の甘い声と笑顔に瞳が奪われる。
助手席のドアが開いたまま、僕らはそれに隠されるように、また秘密で抱きしめ合うのだった。
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