お父さんにお世話してもらう僕 | ナノ


▼ 17 友達の思い

誕生日の翌週、僕は父の運転する車に乗っていた。ちょうど学校に迎えにきてもらった後だが、向かうのは家ではなく、父が経営する電気屋の事務所だ。

四台ほどのスペースがある駐車場に車を停め、僕は車イスに移乗して建物内に向かった。通路は幅広いため、このまま入れるから助かる。

「まあ、ロシェくん久しぶり。元気だったかしら」
「はい、元気です。コルネさん、この前は美味しいケーキどうもありがとう。いつもそうだけどすごく嬉しかったです」
「あらあら、こちらこそ喜んでくれて良かったわ。皆さん含めて甘いもの食べてくださるから、作りがいがあって」

にこやかに話す黒髪の女性、コルネさんと楽しく世間話をしていると、「それとね、ロシェくん。今日ちょっとーー」と彼女が口にしかけた。ちょうど後ろから父が玄関扉を閉めて向かってくる。

彼女は父に挨拶をすると、すぐに申し訳なさそうな表情になった。

「リーデルさん、あの実は、今うちの息子が来てるんです。家の鍵を忘れて、ここまで歩いて来たらしくって。控え室にいるんですが、もう帰らせますから」

初めて知る情報に、僕と父は奥の部屋に目を向けた。ということは僕の普通学校のときの同級生、デリックがいる。
僕は急にそわそわしてきて、思わず車イスの肘掛けを握った。

「そうだったんですか。全然構いませんよ、コルネさん。仕事が終わるまでもうすぐですし、一緒に帰られたらどうですか」

父の提案に彼女も一度遠慮しながらも、そうすることにしたようだった。
僕も一応挨拶しなければいけない。友達なのに、そんな義務みたいに話すべきじゃないと思うけど、そう考えてしまう理由もあった。

その時だった、別室から作業着をきた大柄な男が受付に現れる。明るい茶髪がトレードマークのセルヴァおじさんだ。

新年に会ったばかりだけど、彼は笑顔で「おおロシェ、久しぶり!」と声をかけてきた。だがすぐにやや真面目な顔で父を見る。手には書類を持っていて、なにやら父と急な話し合いが必要らしい。

本当は今日は仕事を切り上げていて帰宅する予定だったが、僕は父とおじさんが仕事の話を終えるまで大人しく待つことにした。

「ロシェ、悪い。そんなに長くかからないと思うから。……そうだ、デリックもいるんだったな。二人でお茶でも飲んでたらどうだ?」
「う、うん。そうするね。ゆっくりしてね、お父さん」

何気なく提案した父に対し、僕も邪魔にならないように声をかける。
そうして実際はあまり気が乗らないまま、廊下を抜けて控え室へと向かった。

白い扉の前で深呼吸をし、ドアノブに手をかけようとしたとき。先に開かれて、僕は驚いた。
黒髪の少年が正面から視線を真下にいる僕に移す。そして「お、ロシェっ」と反応した。

彼は僕が六歳のとき普通学校に入学してから、九才で事故にあうまで、一番仲がよかった男子だ。ずっとクラスが一緒で、学校でも外でもよく共に遊んでいた思い出がある。

「ごめん、外から声聞こえたからさ。あ、中入れよ」
「うん。久しぶり、デリック。元気だった?」
 
僕はゆっくり車イスを前進させて、中央の机に向かった。椅子がないところに止まって、昔の同級生と会話をする。

「まあまあ元気だよ。前みたいに馬鹿やってるだけだけどな」
「そうなんだね、でも楽しそうでいいな」

普通に笑顔で話しているけど、彼の視線が僕の体にちょくちょく向かうのを感じ、やはり少し気まずくなった。
本当は今日、同級生に車イスの姿を見られたくなかった。杖でゆっくり歩いているところも嫌だけど、この姿はもっと嫌になる。

町は歩けるし、知らない人ならもう慣れてあまり気にならないのに、前の自分を知っている人間には、やっぱり後ろ向きな態度になってしまう。

デリックは学校のことも色々教えてくれたけど、言葉の端々に気を使われているのを感じる。彼はかなり体つきも男っぽくなって、身長も伸びていた。昔よく遊んだサッカーも続けているらしく、同じ年なのに違う世界のようにも感じた。

僕がせめて歩ければ、同じように肩を並べて、話題を共有することも出来たのに。

「あのさ、皆もロシェにまた会いたがってるよ」
「……そうかな?」

愛想笑いしか出来ないで、うまく答えられなかった。
こんな僕に会いたいの? 本当に? そんなの、信じられないーー。

昔よく一緒に遊んだ皆が良い子なのは分かってるのに、卑屈な感情しか出てこなかった。
僕はどうしてこんな嫌な人間なのだろう。

学校のことはあんまり聞きたくない、デリックが今何気なくしてるそのポーズも出来ない。
自分が妬んだり落ち込んだりする嫌な人間だって自覚する。同級生はなにも悪くないのに。

そうだ、これは僕自身の問題なのだ。
支援学校という居心地のいい空間から抜け出したときに直面する、避けられない問題。

話もあまり噛み合わないままだった。心を閉ざしているせいだって分かってる。でも気持ちの整理は未だに終わらなかった。

「ロシェは? 学校どう?」
「……えっと、楽しいよ。一番仲いいのは耳が聞こえないニルスくんっていうんだけど……あと他の子も色々いてーー」

自分の話になり、つい普段の学校の面白さを話してしまうが、デリックは呆気に取られたみたいだった。世界が違うっていうのを彼も感じたのかもしれない。

少し戸惑った様子で「濃い人たちっぽいね」と驚かれて、なんとなく苛立ってしまう。なんでだろう、分からない。会ってみる?とお返しのつもりで尋ねると「緊張しそうだからいいや」と苦笑された。

やっぱり、話が合わないと次第に距離は離れていくものなのだ。
仕方がない。
別に前の学校に戻りたいなんて思わない。今も十分楽しいから。僕は前の自分とは、もう違うんだ。




自分の拭えない劣等感については、普段甘えっぱなしの父にも明かせなかった。
格好悪いし、体のことはやっぱり言いづらい。そのつもりは全くなくても、責めてるように聞こえるかもというのは、同じ事故の経験者である自分なら想像ができた。
親だからこそ心配かけたくなくて、言えないこともあるのだ。

僕は親に言いづらいことは、親友に相談したりしていた。
ニルスくんは普段おちゃらけているけど、悩みごとは真剣に聞いてくれるし、いざとなったら頼りになる年上のお兄さんでもある。

『なーロシェ。今度いつ泊まりに行っていい? あ、ていうかお前まだ俺んち泊まってないよな? 俺はいつでもいーよ

……やっぱり前言撤回かも。
学校の休み時間。隣り合う机の上で、二人の会話ノートを埋めていく彼の台詞にうなだれる。

ニルスくんは去年、僕のことを友達よりも大きな好きと言ってくれた。気持ちは嬉しかったけれど、あんまり真意が分からなかったから、僕は適当に受け流していた。

『そういやお前、最近急に大人っぽくなってねえ? なにかあった?』
「……えっ? な、なに言ってるの。なにもないよ。14才になったからじゃない」

突然振られた言葉になぜか焦ってしまい、ニルスくんの赤髪が頬まで近づく。じいっと緑の瞳に捕らえられて、どぎまぎした。

『本当にそんだけかなぁ。怪しい。俺には何でも言えよ、ロシェ』

頷きながらも口ごもる。僕になにか変化があるとすれば、それは全部お父さんが理由だ。
ほとんど何でも話せる大切な親友のニルスくんでも、父とのことは言えるわけがない。悪いことをしてるっていう自覚があるからだ。

秘密なのは胸が苦しくなるけど、父のことは、僕は本気で想っている。
だから秘めたままでも我慢できるし、そのままにしておきたいとさえ思っていた。

「あ、あのね。実はこの前、前の学校の同級生に会ったんだ。それでーー」

話をそらすつもりじゃないけど、やっぱりニルスくんに相談してみた。
僕はあんまり体のこととか、ネガティブな気持ちは出さないようにしていたから、彼も少し驚いたかもしれない。二人の間でも障害の深い話題のことは、去年はじめて、あのニルスくんの元カノ事件のときに触れたぐらいなのだ。

『そうか……いや、俺とはかなり状況違うけど、分かるよ。ロシェ』

彼が珍しく真面目な顔つきで思案する。

『でもさ、それって普通の感情だし、劣等感があることを恥ずかしいって思わなくてもいいと思うんだ。俺は』

ニルスくんは普段からわりと自信家で、あまり悲観的な様子は見たことがない。
彼も僕のような感情を持って悩むこともあるのだろうか。デリケートな問題だから聞いたら駄目かなとも思ったけど、彼はそんな僕の懸念を洗い流すようにニッと笑った。

『あるに決まってんじゃん。もう憎悪も嫉妬もドロッドロ。……いや、今はそんな無いけど、昔は酷かったよ。俺、お前に言ってなかったけど、小さい頃からすごいやんちゃだったからさ』

意外な話に驚く。彼の過去はあまり詳しく知らない。転校が多かったことは聞いていたけれど。
興味を持った僕に、きれいな文字を描くペンがすらすら教えてくれる。

『だってガキの頃から人と意思疏通が出来なくて、俺すごい癇癪もちで。すぐ物に当たったり壊したり、家族とか周りに切れたりしてたよ』
「……えっ、そうだったの」
『うん。やっぱり出来ないってことは単純にストレスがたまるよな。俺、ある日暴れて母ちゃんの足を思いきり蹴ったんだよ。そしたら見ていた父ちゃんにほっぺたをぶん殴られて。何が起きたか分からないぐらい、ふっとんで尻餅ついた。父ちゃんも怒鳴って何か言ってるんだけど、全然分からなくてさ。でも目が真っ赤で、泣きそうな面してたんだ。怒ってるのになんでそんな顔なんだろうって、考えてた』

文字を読みながら、衝撃的な話に引き込まれていた僕は、すでに言葉を失っていた。

『でも父ちゃん、呆然と自分のおっきな手のひら見つめてて。きっと俺に手あげたことが辛かったのかって、ガキの俺もなんとなく感じてさ。ああ、これ悪いことなんだって自覚した。ーーそれから俺、暴れるのやめたんだ。手話も嫌いだったけど、親もあんな面倒くさい俺のこと見捨てないでいてくれたから、少しずつ覚えたよ。まあ外ではずっと尖ってたけどな』

そこまで書いてニルスくんは笑った。反対に僕は口を震わせ絶句したままだった。
ひとりでに目がじわって潤むと、彼は仰天して「え?なんでまた泣くの!」と焦っていた。

今の明るいニルスくんの過去に、そんなことがあったって知らなかった。障害があるのだから、苦労がなかったはずないのに。
誰だって言わないだけで、奥に抱えているものがあるかもしれないのだ。

『ほんとに俺、外でも一人ぼっちだったんだよ。心開かないから友達もいなかったし。でもさ、この学校来てロシェが初めて声かけてくれて。声かけるなオーラ出してたのに。手話で話しかけてきてくれて、すっげえ嬉しかった。全然俺より子供なのに、勇気あるんだなって感動したよ。あんときはありがとな、ロシェ』

そう言って嬉しそうに、僕のことをハグしてきた。頭まで撫でられてる状況はよく分からなかったけど、僕はまた涙腺がおかしくなる。
体を離されてなんとか「僕もありがとう、友達になってくれて」と手話で返した。
すると彼はまたいつもの笑顔で笑った。

『でもほんと、俺が今明るいのお前のおかげだから。……てかこれじゃ俺の話になってんな。ごめん。……ええとつまりな、焦んなくていいよってこと。俺みたいに急に事態が変わることもあるし。だからあんまり思い詰めないで、お前はお前のまんまで十分なんだから。俺もいるしさ! ……んー、これじゃだめか? なんか適当に聞こえる?』

次第に焦り顔で尋ねる親友に、僕はつい吹き出してしまい、首を横に振った。

「ううん。ありがとう、ニルスくん。君の話教えてくれて嬉しい。……僕ね、本当は劣等感以上に疎外感があったんだと思う。昔の友達に置いてきぼりにされたまま、もう距離が縮まることないんだって、勝手に考えたりして。……なんか一人ぼっちみたいな気分になってた。でも違うね。上手く言えないけど、ニルスくんの存在が今すごく心強く感じるよ」

素直な気持ちでノートに綴ると、不思議と心が落ち着いていった。
彼はへへ、と照れくさそうに笑い、「俺でよければいつでも言って」とまた優しい言葉を記してくれた。

こうして知らなかったことを打ち明け合った僕達は、二人の仲がまたひとつ深まったように感じたのだった。




けれど、実はこの話にはまだ続きがあった。
しばらくして、僕はニルスくんと二回目のお出かけに出ていた。父にはまたちょっと心配されたけど、回数をこなしていけば自分にも自信がつき、弱い心ともいつかさよなら出来るかもしれない。
そう奮起して街を散策していた時のことだ。

僕とニルスくんはショッピングモールを出て、裏道を歩いていた。そこには軽食が取れるスタンドがちらほら並び、その通りを車イスの僕と彼は通りがかった。

大人や家族連れなど色々な人が目に入ったけれど、路地のフェンス沿いに三人組の少年たちがいた。その中の一人は、なんと僕の元同級生デリックだった。

正直言うと、僕はしまったと思った。今日ここに来たことすら後悔した。
会わないときは気持ちを上向けて落ち着くことができる。でも直面すると、すぐに心が萎縮する。

「……ん? ロシェ! 偶然だな、買い物?」
「うん、デリックも? 元気? この前会ったばかりだけど」

話しかけてきた友人に笑いかける。ここは地元だから誰に会っても不思議ではない。ただ僕が今まであんまり外出しなかったから知らなかっただけだ。
デリックと一緒にいる少し年上っぽい二人の男子もじろじろ見てきて、居心地が悪くなった。

「あ、彼がニルスくんっていうんだ。この前話した」
「そうなんだ、こんにちは」
 
デリックが名乗って挨拶をすると、ニルスくんも何故かニヒルな笑みで頭をぺこりと下げた。

その時、遠いとこの軽食スタンドから他の数人の男子たちが呼びかけてきた。デリックの友達らしく、彼は「あっ、ちょっと待っててロシェ。まだ行くなよ」と言うとそちらへ向かってしまった。

本当はもう立ち去りたかったけれど、僕は彼の背中を目で追った。
ニルスくんが僕の肩をちょんと触る。

『あいつ、この前言ってたやつ?』
「うん、そうだよ」
『ふーん。お前の年のわりに結構ガタイいいね。俺には敵わないけど』 

三つ年上のニルスくんが、手話で自慢げに伝えてきて僕は思わず笑った。けれど、僕達の会話に突然茶々が入れられた。

「すげー、初めて見た。今の手話? なんつったの?」
「俺が教えてやるよ、ほら」

一人の男子が愉快そうに尋ねると、もう一人が変な顔をしておどけた手振りでめちゃくちゃな手話をやって見せた。
僕はそれを見て唖然とする。完全に馬鹿にした態度に頭に血がのぼった。

「……やめろよ! ふざけるなって!」

自分でもびっくりするぐらい大きな声が出て、思わず前のめりになった。彼らは気にせずまだふざけている。急に肩を掴まれて見上げると、冷たい顔つきのニルスくんがいた。

『無視しろ、こんなやつら』

まるで慣れてるみたいに、呆れて吐きだす親友に驚く。しかし怒りの収まらなかった僕は「もう行こ!」と車イスを操作しようとした。

「ーーはー、ウケる……いや待てよ、ちょっと真似しただけじゃん。てかお前も可哀想だな、まだ小さいのに車椅子って。学校どうしてんの?」
「あれだろ、支援学級ってやつ。昔クラスにもいたわ、授業中ずーっと歩き回ってんの」
「あーいたいた!」

二人の笑い声にクラクラしてきた。障害者を馬鹿にしているんだ。どうしてこんな思いしなきゃならないの?

「でもさ、お前確か前は普通だったよな。俺ずっと前親から聞いたことある、なんか学校のやつが家族でひどい事故にあったって」
「……え?」
「うそ! そうなの? え、いつ?」

僕はそのとき、無意識のうちに涙が零れ落ちてしまった。他人の口から事故の言葉が出るとは思わず、もう、何もかも打ちのめされそうになって、麻痺した手を右手でぎゅっと握りしめた。

僕は、前は普通だった。じゃあ今の僕はいったい、何なんだろうーー。

思考が真っ暗になると同時に、その事を口にした男子の胸ぐらが掴まれた。いつの間にか目の前に、ずっと静観していたはずのニルスくんの背中がある。

親友は問答無用でその男子をそのまま後ろのフェンスに投げ飛ばした。

「う、ぐッ! ……なにすんだてめえ!」

ずり落ちて床に倒れ込む少年の顔のすぐそばに、スニーカーでだん!と足を振り下ろす。

『うるせえんだよ。お前の煩わしい声は聾唖の俺にも聞こえたぜ。『普通』を他人のお前が決めるな。これが俺達の『普通』なんだ。分かったかクソ野郎』

顔色を変えずに手話と口を使い、そう言い放った。その場の時が止まったように僕も動けなかったけど、ニルスくんが振り向いて『この馬鹿に伝えろ』と言ってきたので言う通りにした。

あんな風に怒る姿初めて見た。親友は僕を守ってくれたのだ。俺達って言ってくれた言葉が、全身にしみわたっていく。

「ーーおい、何やってんだ? 大丈夫かよお前!」
「知らねえよ、なんだこいつやべえよ、いきなり突き飛ばしやがって…ッ」

騒ぎを聞きつけ、デリックがその場に戻ってきた。両手にはスタンドで買ったらしき包み紙を三つかかえている。

今度はニルスくんに罵詈雑言を飛ばす奴らに我慢できなくなった僕は、「こいつらがからかってきたんだよ!ニルスくんは僕の代わりに言い返してくれたんだ」と反論した。
さっきまで泣いて何も言えなかった自分でも、これ以上友達のことを悪く言われるのは許せなかった。

「はあ、デリック、もうこんな奴らと付き合うのやめれば? 所詮障害児だろ、頭おかしいんだって」

未だに嘲る二人組に対し、デリックは思いもよらぬ行動に出た。顔つきを一変して険しくさせ、二人に向き直る。

「なんだと? 俺の友達馬鹿にすんじゃねえ! てめえらがどっか行け、もう帰れ!!」

通りに響き渡るぐらいの大声で怒鳴り、皆が静まり返った。
二人はそこで初めて怯んだ様子だった。何かを口走りながら、ようやく姿を消す。

喧騒が去り、僕たち三人が残された。通行人に見られていたが、僕はデリックから視線を離せなかった。

正直、彼がそんな風に怒るとは思ってなかったのだ。ニルスくんみたいに言い返してくれたことに、驚きが隠せないままでいた。

「ロシェ、ごめん……そこの、ニルスくんだっけ、もすみません」

そう言って謝ってきた。気まずそうにしながら、「これ、二人も食べるかと思って」と手に持ってたものをくれた。

ひとまず僕達は、近くのベンチに移動した。彼の他の友達たちも様子を見に来てたけど、デリックは経緯を話し今日の集まりは解散になったみたいだった。

「あの二人、違う学年なんだけどよくつるんでたんだ。サッカーしたり、その辺皆でぶらぶらしたりさ。普段からキツイこと言うやつらだけど、あんな奴らだって知らなかった。本当に悪かった」

彼のせいではないのに、デリックは真剣な面持ちで僕らに頭を下げた。

「えっと、大丈夫だよ。すごい、ムカついたけど……あの、さっきは言い返してくれてありがとう」
「……そんなの、当たり前だろ。俺も腹立ったから。友達のことあんな風に言われてさ。……友達、だろ? 俺ら」

自信なさげに問われ、僕は「う、うん。そうだよ」と頷いた。すると彼はほっとしたように笑みをこぼした。

「俺、ほんとは少し不安だったんだ。ロシェに嫌われてんじゃないかって。転校してからあんまり会ってないし、会えても、いつも変なこと言って傷つけてんじゃないかなってさ」

初めて耳にした彼の本音には、以前は気づかなかった繊細な思いが表れていた。僕はふるふると頭を振る。

「ううん。……僕の問題なんだ、ごめんねデリック。……僕、正直言うとまだ昔のクラスの子とかに会う勇気がなくて。恥ずかしいけど、羨ましいなとか、どうして自分はこんななのって思っちゃうんだ。だから、デリックのせいじゃないから、その……」

彼は顔を上げて、僕の目をじっと見つめた。こうやって真っ直ぐに、長く視線を交えるのは、すごく久しぶりに感じられた。

「……そっか。いいよ、ロシェ。ゆっくりして、急がないでいいから。嫌われてんじゃないなら、それでいい。まあ、思い出したときとか、たまには俺にも会ってほしいけど」

冗談ぽく言って笑う。急がないでいいって、この間ニルスくんにも言われたことだ。二人の友達の温かい言葉が心に浸透していく。
僕は今日何回目だろうか、また目にじわりと涙が溜まってきた。

すると隣で黙っていたニルスくんが、急に僕のことを覗きこむ。

「……なに、ニルスくん。話聞いてたの?」
『ううん、全部は分からない』

ニルスくんは僕の目元に指で触れ、わざとらしく涙を拭こうとした。

「えっ? ロシェ、なんで泣いてるの? 大丈夫?」
「泣いてないよっ」
「そうか…? 珍しいな、そんなのあんまり見たことないよ」
『いや、こいつ泣き虫だよ』

話に割り込んできたニルスくんの手話に、また顔がかっとなってしまう。デリックに今なんて言ったの?って聞かれて迷ったけど、今日は二人に助けられたから、恥ずかしく思いながら教えた。デリックは驚いていた。

『お前、結構男気があって良い奴だな』
「そうかな、ありがとう。君も面白そうなやつだね」
『俺は面白いよ。いつもロシェのこと爆笑させてるし』

若干大きな態度で言いのける、赤髪のニルスくん。僕はその後もしばらく手話の通訳をさせられたけど、楽しい時間だった。
もともと友達だったのに、勝手な自分の思いで離れてしまったデリックと、また距離が縮まったように感じた瞬間だった。



その後、僕達はデリックと別れ、また二人に戻った。もうすぐ父が迎えに来てくれる時間だから、駅近くの広場で待っていた。

「ねえニルスくん、さっきのことありがとう」
『え? なにが?』

もう忘れちゃったのかな。彼の照れ隠しだと思うけど、とぼけた表情が向けられる。
僕はノートを貸してもらって、書き始めた。

「これが僕達の普通って言ってくれたでしょ。嬉しかったんだ、僕」

心は常に揺れてしまう。でも彼がそう言いきってくれたことが嬉しく感じた。

『だって普通じゃん。こんなこと言ったら問題かもしんないけど、俺はロシェに会えて嬉しいから。それは一生後悔しないよ』

彼もノートに書いた文字を見せてくれて、にこっと笑う。それは僕も同じだ。
だからそう伝えた。この体になってよかったとは言えないけど、ニルスくんに会えてよかったって、心から思う。

『お前こそ、俺のことで怒ってくれて嬉しかったよ。ありがとな。あんなに怖い顔出来るんだな。初めて見たぜ』
「なにその言い方、だって本当にむかついたんだもん」
『うん。だな』

二人で視線を合わせ、どちらからともなく笑い出す。

今日は本当に予期せぬことが起きた。けれどニルスくんの言った通り、思わぬ形で事態が急転した。
確かに深い傷は負ったけれど、僕は気づいてなかった友達との間の思いを、改めて交わし合うことが出来たのだった。



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