王子に侍る者には、様々なものが要求される。礼儀作法、能力、教養、身分、或いは、容姿。
幸か不幸か彼女が仕える王子が重要視していたものは最後の項目で、そして彼女は社交界でも指折りの美貌の持ち主であった。気付けば城仕えを始めて日が浅いながらも王子付きの専属侍女ということになっていたことに、彼女自身が驚く有様だ。
「はぁ……僕の理想の花嫁は何処にいるのだろう…」
物憂げな表情の美貌に、金の長い睫毛が影を落とす。金糸のような、何処までも細く美しい髪は陽光に煌めき、少女のようにすべらかな肌はまるで白以外の色を持つことが罪だとでも言うよに白く、整った唇は朝露に濡れた薔薇の色を湛えていた。
この、“王子様”の理想像を具現化したような王子は今、目下憂いの麗容のまま頬杖をついて窓の外を眺めている。此処に画家がいれば涙を流して絵筆を振るうだろうほどに絵になる光景だ。
「王子、お茶をお持ちしました」
「あぁ、ありがとう」
室内に───彼女に視線を戻した王子はにこりと微笑む。そのとろけるような笑みに彼女は目眩がした。
───嗚呼、何て素敵なお方なんでしょう!!
小耳に入れた話ではこの王子は特殊な性癖の為に未だ理想の花嫁を捜しあぐねているという。王子という地位とこの容姿があればどんなに美しい娘でも手に入るだろうに…──王子の理想はそれほどまでに高いのだろうかと彼女は考える。それから、自分ならば或いは、とも心中で考えている。
彼女は自分が美しいという自覚があった。そして自分が美しいという自負もあった。
「王子がお捜しになられている“理想の花嫁”はまだ見付かりませんの?」
こぽこぽとポットから琥珀色の液体が芳しい香りと共にカップ注がれる。
「あぁ、西も東も北にもとうとう南の果てまで足を運んでも見付からないんだ」
「王子は美しい娘をお捜しなのですものね」
「美しいことは花嫁の絶対条件さ。その点、君は僕の理想の花嫁に一番近い」
「!」
───かしゃん!
澄んだ音を立て陶器が割れる。それが自分が取り落とした所為だと気付くのに随分と時間がかかった。
「すっ、すみません!」
彼女は大慌てで陶器の破片を拾うためにその場にしゃがみ込んだ。精緻な模様のカーペットに紅茶の染みが広がってゆく。
しかし、それよりも急速に彼女の脳内に広がるものがあった。
(王子が!王子が私のことを理想の花嫁に一番近いって!!ああどうしよう!このまま結婚すれば私は王妃だわ!綺麗なドレスを着て、沢山宝石を着けて!どうしようどうどよう!あぁ夢みた──…)
「痛っ」
注意力散漫になっていた指先が切れ、血がにじむ。ずきずきと痛みが疼き傷口が熱を持つ。
「怪我をしたのかい?」
「あ、いえ……」
「貸して」
躊躇うことなく王子は彼女の指をくわえた。傷口のみならず全身が熱を持った気がして、彼女は動けなくなる。指先を舐める舌の動きが、酷く淫猥だ。
「君の手は温かいね」
羞恥に駆られながらも彼女はもしかしたら本当に王妃になれるかもしれないと期待を膨らませる。でなければどうして、たかだか一介の侍女でしかない自分にここまでしてくれるというのか。
「手だけじゃない、全身が温かい」
「そんな…」
「口惜しくて堪らない、何故君は冷たくないんだろう」
「──…ぇ」
……さぁっ、と。
何でもない、しかし酷く残念そうな王子の言い方に血の気が引くのがわかった。
「王、子?」
「その美しさ、完璧な美貌。
……嗚呼、何故君は生者なんだろう。死んでさえいれば君は僕の理想の花嫁なのに!」
「……!」
愕然とした表情で彼女は王子を見た。
花嫁が見付からない。そうか、そういうことか。
「何処に行くの?」
逃げようとした彼女はしかし、王子に手を掴まれて逃亡はかなわなかった。
絶望に染まる彼女と視線を合わせて、王子は見る者を恍惚とさせる美しい微笑みを浮かべた。
「僕の花嫁になってくれないか?」
カルマの追想
「───殿下、お呼びでしょうか?」
「彼女を新しい花嫁として迎える。ドレスを着せる前に内臓を取り除いて肌には防腐剤を塗るのをくれぐれも忘れないように」
「はい殿下。その間に返り血の付いたお召し物をお着替え下さいませ」
「わかってるさ。
……それにしても、君は何て美しいんだろう。君が腐って美しさを失うまで、ずっとずっと愛でてあげるからね、名前」
----------
死者しか愛せない。