随分と、寒い冬の夜のことだった。
私が暖炉の炎が爆ぜる様をただ茫と眺めていると、コンコン、と控え目にドアを叩かれた。
こんな時間に来客だろうか。訝しんだ私は用心のために刃物を持って、その反対の手ドアを開いた。


「こんな時間にすみません」


細く開けたドアから覗いたは長い黒髪の少女だ。そこに疎らに雪がついて、薄い唇は血の気が引いている。


「……一晩だけ、泊まらせていただけませんか?この辺りには家がなくて…」


確かにこの一帯は葡萄畑が広がっていて次の家は数マイルは先である。
少女の声は寒さに震えていた。随分と冷えると思っていたら雪が降っていたのか。
少女の年頃は16、17ぐらいで、如何にも華奢だ。こんな少女を夜外に出しておくほど私は酷い人間ではない。
少女を家に招くと彼女は私の握る刃物を見て複雑そうな顔をして謝ってきた。申し訳ないのはこちらの方である。
苦し紛れに名前を訊くと小さく「名前と言います」、と鈴を転がすような声で言った。聞き慣れない響きだ。名前といい顔立ちといい東洋の方の人間だろうか。
ランプのオレンジがかった明かりで改めて見る彼女は旅麈にまみれてはいたが随分と上等な衣服を着ていた。そうなるとおかしな話だ。何故良家の子女が、どうしてこんな時間に───様々な疑問が巡った私はつい訊いてしまった。
何かあったのか、と。


「逃げているんです。ある人から」


そう言ったときの表情は何とも形容のし難いものであった。悲哀と切なさと痛さと、それから何か別の感情。そんなものが絶妙に混ざっていた。


「彼は私を追っています。私を殺す為に。だから、私は逃げているんです。彼を生かす為に」


正直、彼女が言っている意味が分からなかった。
この少女は殺意を抱かれるほどに恨みを買っているのだろうか。この、無垢で清らかそうな少女が。それに自分を殺そうとしている相手を生かすというのは往々にして可笑しな話である。何故“彼”を生かす為には逃げる必要があるのかも謎だ。
そんな私の思考が何となく彼女に伝わってしまったのだろう、彼女は苦笑した。


「彼の生きる理由は私を殺すことなんです。だから、彼は私がいなくなったら死んでしまうんですよ」


愛しい相手がいなくなって生きていけなくなるというのはよくあるが、殺したい相手がいなくなって生きていけなくなるなど聞いたことがないな、と私は思った。愛と憎しみは正反対のベクトルである筈だが、それの行き着いた先が同じであるというのは数奇なことである。


「私の存在自体が、彼にとっては罪なんです」


そう言って儚く微笑んだ少女の顔は、暫く忘れそうになかった。




















翌朝になると彼女は私に礼を言って去った。去り際に宿賃としての何枚かの金貨ともし“彼”が訪れたときの為の言付けを私に残して。
よくよく考えれば私は“彼”の名前は愚か外見的特徴すら知らない。それなのに言付けを頼まれたとしてもどうしろというのか。そもそも“彼”とやらがここを訪れる保証もない。
そういうわけで、私はその言付けに対して大した使命感を抱くこともなく、むしろ日を追うに従っておぼろげになってゆく記憶にあの夜のことは夢だったのではないかと殆ど忘れかけていたときだった。
季節が一揃い巡った頃。丁度、あの少女が私の家の戸を叩いた日と同じ、寒い冬の夜に、私は来訪を受けた。
柄にもなく運命的なものを感じ、私はドアを開けた。無論、片手には刃物がある。
あの日ドアの隙間から覗いたのは線の細い少女であったが今回は凛々しい青年だった。
髪は、少女と対をなすような銀髪だ。


「すまない。一晩泊めて欲しい」


───“彼”だ。
直感的にそう感じ、私は鮮明に一年前の少女のことを思い出した。今まで忘れていたというのに、だ。
私は同じようにして彼を招き入れた。“彼”は無口で、苛ついていて、何かに飢えている印象を受けた。懐に大きめの、銀色に光る銃を見付けて、私はドキリとした。あれで殺すのだろうか、彼女を。
何となく余計な詮索を加えてはならない気がしたが、そのときの私は胸中で再び渦巻き始めた疑問の方が強かったらしい。
とある少女を捜してはいまいか、と私は訊いた。途端に彼のただでさえ鋭い目付きは刃物のそれに変わり、私は訊いたことを後悔した。それほどまでに、“彼”の眼光は恐ろしかったのだ。


「……捜している」


随分と時間が経って、そう、私がそんな質問を忘れたころに彼は小さくそう言ってきた。否、私に言ったというよりも、彼自身の独白めいていた。


「殺さなきゃならないんだ。あいつは、俺が、必ず……!」


言葉は呻くように、ともすれば呪うように、或いは自分に言い聞かせるようだった。
ああ言ったときの表情は、何とも形容のし難いものであった。悲哀と切なさと痛さと、それから何か別の感情。そんなものが絶妙に混ざっていた。彼の表情は一年前のあの少女と同じそれであった。
私は不意に、少女に言付かった言葉を思い出した。何故か一言一句忘れずに覚えていたことが今となっては不思議でならない。
私が彼に言葉を預かっていることを話すと彼は瞳を見開いて驚きを示した。


「──…馬鹿野郎……っ」


彼のその言葉には溢れんばかりの憎しみと、溢れ、零れるほどの何か別の感情が籠もっていたような気がした。


「あいつの存在は、俺にとって、罪なんだ」


そう言って苦く顔を歪ませた青年の顔を、私は暫く忘れないと思った。




















翌朝になると彼は私に礼を言って去った。去り際に宿賃としての何枚かの金貨を置いていった。当然のことながら、言付けはなかった。
それから季節がもう一巡りすると、三度目の来訪があった。奇しくもあの日のように寒い冬の夜であったが相手はなんてことない、私の旧友であった。
私は話の種にその不思議な出来事を旧友に話した。旧友は最後まで口を挟まず話を聞いていた。そうして、全て聞き終わったあとは暫く目を閉じて、何かに浸っているようだった。


「彼らは互いに、とても愛し合っているのだろうね」


旧友がぽつりと言った台詞は、ストンと私の腹に落ちた。


───愛。


あぁ、そうか。愛だったのか。
彼らが悲哀と切なさと痛さと、それから憎しみと共に携えていたのは、愛しさだったのか。
私は全てが美しく組み上がるような清々しさを覚えた。


そうして、あのときに垣間見た彼らの切ないまでの深い愛情を、私は一生忘れないだろうと思った。


悼みが痛みに変わってしまう前に、
貴方の声を聞かせて下さい。






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第三者視点。
時代、場所共に捏造。
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