「私、強い人が好きなの!」


張りのある瑞々しい声で言われた台詞は字面意外の意味合いなぞ全くといっても良いほど孕んでおらず、そう言い切った彼女の幼い表情もまた、無垢で酷く愛らしかった。
両親を早くに亡くして祖父母に育てられている名前は彼らに迷惑をかけないようにと、大人の言うことを聞く真面目な子供だった。それでも、同い年の俺やグリーンといるときは歳相応の子供らしい姿を見せていた。


「強いってポケモンバトル?」


気になって訊いてみた俺の質問に、覗き込んだ名前の顔は困ったような、しかし何処か楽しんでいるような表情を作った。笑うとき、名前は目を細めるんだ。


「んー、どうだろ。とにかく強い人が良いな!あと格好良い人!」

「じゃあ名前、俺がチャンピオンになったら結婚しような!」


グリーンが会話に乗ってきて俺の台詞を奪った。それに俺は子供心に嫉妬したのをやけにハッキリ覚えている。俺は自分の方に大して身長の変わらない名前の体を引き寄せてグリーンを睨み付けたのだ。


「ダメ。名前は俺の」

「ずりぃぞレッド。なぁ名前、名前はどっちと結婚したい?」

「えー…どっちも!」


迷った末に溌剌と言われた台詞に俺とグリーンは酷く肩透かしを食らった気分になった。内心、その唇から自分の名が紡がれることを、俺は期待していたのだ。
それでもその時の名前の「強い人が好き」という台詞は俺の中に強く残った。
それから幾らか季節は巡って、グリーンがマサラから旅に出るのと同時に俺もそうした。純粋に沢山のポケモンを捕まえたいとか、色々な場所に行ってみたいと思ったのと、強く───それこそチャンピオンになって名前に格好良いと思われたいと考えたからだ。


「いってらっしゃい。気を付けてね。それから……絶対、絶対帰ってきてね」

「うん」


短い返事と小さな首肯だけが照れ隠しで帽子を深く被った俺の精一杯。元から口数の少ない子供だったから、きっと名前には気付かれなかった筈だ。


「私、レッドのこと、ずっと待ってるから」


名前の声が耳で弾ける。その言葉は何処か俺の背中を押してくれているような気がして、俺は彼女を残してマサラを発った。
それからの日々はもう夢中で駆け抜けた。マサラでは見ることの出来ないポケモンに出会えれば嬉しかった。見たことのない景色に感動した。マサラに帰ったら名前に聞かせたいことが沢山できて、でも言葉の足りない俺は、その時が来たらどう話そうかと馬鹿みたいに悩んだりもした。
ただ、一番好きだったのがポケモンバトルだったことは否めない。バトルの時が一番ピカチュウや他のポケモンたちと心を通わせることが出来たし、楽しかった。
ジムバッジを集めて、ロケット団を倒して。漸く辿り着いたポケモンリーグの、四天王の、その先。頂点の地位にいたのはグリーンで。
自分は相手を良く知っているけれど、相手もまた自分を良く知っているという状況は酷くやりずらかった。恐らくグリーンもそうだっただろう。
グリーンのポケモンが倒れてピカチュウだけがフィールドに残ったとき、俺にはその意味が理解できなかった。ただ映像だけが網膜に刻まれた───そんな感じだ。


「勝者、挑戦者・レッド!」


勝った、そう分かったのは審判の声が響いた後だ。
そう、勝ったのだ。
掌を見つめて、握り締める。
チャンピオンに、一番に、頂点に、なった。
その瞬間、俺はどうしようもない高揚感襲われた。今すぐ名前の所に行って、「俺は強くなったんだよ」って言いたくなった。
でも、そんな衝動とは裏腹にまだ子供だった俺は持て余す感情を表す術を持たなかった。思春期に差し当たって、1年も会っていなかった名前に会うことに抵抗を感じていたのもある。
俺はその足で真っ直ぐシロガネ山に登った。
今になって俺は俺のこの選択を後悔している。何故、この時すぐにでも名前の所に行かなかったんだろうと思わずにはいられない。
シロガネ山はポケギアすら思うように通じない場所で。何もない、それだけがマサラと同じだった。
そこで俺はポケモンを鍛え、時折訪れる挑戦者と戦って過ごした。
グリーンからの連絡がきたのはそんな生活を繰り返して随分経ったころだ。


「…もしもし」

『お前、やっと出たな。何回俺が電話してやったと思ってんだよ』

「用件は」

『あぁ、名前が久々にマサラに帰ってくるって連絡があって…』

「待って。名前が、何?」

『お前知らなかったのか!?』


電話口でグリーンの驚いた声。けれど俺だって驚いていた。名前に何があったというのか。


『俺達が旅に出た後あたりに名前のお婆さんが足傷めてさ。マサラじゃその手の設備が整ってないから生活し辛いだろうってことでお爺さんの知り合いを頼ってホウエンの方に引っ越したんだってよ。お前、あの後マサラにも帰らなかったから知らなかったのかもな』


グリーンの言葉は驚愕と衝撃だった。俺が知らない内に色々なものが変わっていっていたのだ。


「いつ」

『は?』

「いつ名前は帰ってくるの?」

『確か…明日あたりとか言ってたけど……あ、レッド、これを機に一回マサラに帰るならちゃんとお前の母さんだけじゃなくて俺の爺ちゃんにも顔出せよ。何だかんだで心配して…』


台詞が全て終わるより早く俺は通話を切って、すぐにボールからリザードンを出した。荷物も碌に持たず、殆んど身一つと言って良い状態でマサラへ飛んだ。
何年かぶりのマサラに俺は一気に懐かしさを感じた。シロガネにいた頃はそれほど恋しいと思わなかった故郷だが、いざ帰ってくると違うものだ。
潤んだ目で俺を迎えてくれた母さんを見てかなり申し訳なく思った。いくらグリーンに言付けを頼んでいたとしても相当心配をかけてしまったことには変わりないのだ。
随分と長い間口にしていなかった母さんの手料理を食べながら、俺は名前自身は引っ越したが家はそのまま残っているのだと聞き、翌日そこへ行った。


(……ここ)


名前の家も大して変わってはいなかった。今にもそのドアが開いて名前が出てきて…───


「───…レッ、ド?」


脳内と同じ声が現実に響いて、俺は反射的に振り返った。見なくても分かった。でもその姿が視界に入っただけで俺は酷く安心したんだ。


「……名前」

「やっぱりレッドだよね?覚えててくれたんだ」


忘れるわけがない。笑うと細くなる綺麗な目。名前の笑顔は、俺の記憶の中のそれと全く同じだった。ただ、名前自身は随分と変わっていた。
当然の如く背は伸びて、でも俺よりずっと小さい。柔らかな曲線で形造られた体は酷く細くて、何処か儚げな印象を受けた。何より俺の知る顔よりずっと大人びて綺麗になったその顔に、俺は言葉を忘れたのだ。


「レッド、随分大きくなったね。グリーンとはカントーに来たときちょくちょく会ってたからそんなに驚かなかったんだけどレッドは本当に久しぶりだからちょっとびっくりしちゃった」


そう言って俺を見上げてくる名前。
ずっと、ずっと好きだった。

「名前」

「なに?」

「俺、チャンピオンになったんだよ」


強く、なったんだよ。
それに、もう子供じゃないから。ちゃんとこの想いを君に、まっすぐ伝えられるから。

だから、


「───名前ちゃん、その人は知り合い?」


不意に響いた声。俺の中で何かが凍りつく音を聞いた。


「ダイゴさん」


名前の後ろの方から男が歩み寄ってきた。背の高い、俺たちより少し歳上の男だ。
名前は振り返ってその男に微笑みかける。その笑顔が俺には濁って見えた。


「幼なじみのレッドです」

「ああ、名前ちゃんがいつも話してる。
はじめましてレッドくん。君の話は聞いているよ。カントーの最年少リーグチャンピオンだって」


名前の傍らに並ぶ男。
あぁ、駄目だ。止めろ。そこに立つんじゃない。


「あんた、誰」

「ああ、紹介が遅れたね。失礼。僕はツワブキ・ダイゴ。ホウエンリーグの方でチャンピオンを務めているんだ」

「……チャンピオン?」


ぴくりと俺はその単語に反応した。そうだ、名前は強い人が好きだって。


「あのね、うちのおじいちゃんとダイゴさんのお父さんが昔からの知り合いで仲が良かったの。それで、引っ越しを勧めてくれたのもその人で。ダイゴさんもダイゴさんのお父さんもとても良くしてくれて…」


言葉を紡ぎながら名前は髪を耳に掛けた。その動作の途中、細い指が微かに光を弾き、俺は愕然とした。


「名前、その指輪」


俺の指摘に名前の表情が一瞬固まる。
暫し躊躇って、名前はゆっくりと口を開いた。
嫌だ、聞きたくない。言うな。言わないで。
がんがんと脳内でポケモンのそれより酷い嫌な音が響いた。不協和音に反吐が出る。


「……婚約、したの。今日は、ダイゴさんが私の故郷を見たいって言うから」

「……名前」


そんな。嘘だ。嘘だと言って。待ってるって、俺を待っててくれるって名前言ったじゃない。


「びっくりさせちゃったかな?…ごめんね、レッド」


そう言って笑った君の、その笑顔が濁って俺には見るに耐えない。





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