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2.



「お邪魔します」
「おー」

 この部屋に男を入れるのは久しぶりだった。なにせ、大学には気兼ねなく話せる男友達は一人もいない。絡んでくるやつはいるけれど、俺の取り巻きの女に目をくらませたクソ野郎共ばっかだった。信用なんてされていないし、する気も毛頭ない。

「ほらよ」
「ありがと」

 タオルを投げるとレンはそれをしっかりとキャッチし、そのままスクバを吹き始めた。俺は濡れたシャツを脱ぎ捨て洗濯機の中に放り込んだ。

「しっかし濡れたわー。途中から傘ん中いれてもらったのによ」
「…………その傷」
「ん?」
「背中の」

 女を抱く時は気にしているのに、目の前にいるのが幼馴染みだから全く気にしていなかった。久しぶりに人に背を向けたまま上裸を晒していたみたいだ。

「あー」
「あの時の傷でしょ、それ」
「よく覚えてんな。俺が中学生の時だからもう8年くらい前だな。ははっ」
「誤魔化さないでよ」
「…………なつかしいな」


 背中の火傷の痕。もう二度と消えることの無い傷。親父が俺と母さんを捨てて他の女の所に行ってから、母さんは昼間からアルコールを飲んでタバコを吸って荒くれていた。思えば、その日から母さんは少しずつおかしくなっていた。

 母さんはそれでも変わらずに俺を愛してくれていた。あなただけ愛してる、と何度も俺に言ってくれた。繰り返し俺を愛していると言っていた母さんの異変には気づいていた。気付いていながら、気付かないふりをしていた。母さんには俺しかいないと思っていたし、俺にも母さんしかいなかったから。けれど、そんな偽りの日常は長くは続かなかった。


 ある日の晩、俺が風呂から上がると母さんは驚いたような顔をして、「来ないで!」と大きな声で叫びながら、揚げ物を揚げ終わったばかりの油の入った鍋を俺に投げつけてきた。その際に呼んでいたのは俺でなく、親父の名前で。



 俺と親父を間違えるわけなんて、ないのに。



 あの日の背中を焼かれる痛みを覚えている。けれど、それよりも母さんが親父の影を俺に重ねていたことに気づいてしまった心の方がずっと痛かった。


 母さんは女優だった。そこそこ名も売れていたし、テレビで見る母さんが大好きだった。あの日のことも母さんの演技だったのではないかと何度も目覚めた病院のベッドの上で思ったし、願った。けれど、背中にある痛みはあの日が現実であったことを証明していた。


 愛されていたのは俺ではないと気づいてしまったあの日、俺の中で何かが壊れた。


「お母さん、元気にしてるの?」
「さぁな。知っての通り、あの日あの女が出ていってから会ってねえよ」
「そっか。……ごめん」
「なんで謝ってんだよ。レンがすぐに俺を見つけてくれてよかった」

 意識が薄れていく中で、母さんが出ていった扉から小さな男の子が俺に駆け寄ってきたのを見た。レンは開けられていた窓から聞こえた母さんの悲鳴を聞いて駆けつけてくれただと、あとから聞いた。

 それからというもの、叔母に引き取られるまではレンは毎日学校帰りに俺の元へと通ってくれた。

「あれから俺が叔母さんたちと暮らすことになった時、レンめっちゃ泣いてたよな」
「俺は翔ちゃんが大好きだったから」
「あん時俺が中一だったからお前は……」
「小二だね」
「はっ、やっば。あん時の泣き虫レンがこんなデカくなるとはなー」

 思い出しただけで笑えるな、なんていいながら自然と笑みをこぼせば、レンも口を緩ませて俺を見ていた。幼い頃はあんなに感情表現が上手だったレンは、今やクールすぎてあまり表情に変化がなかった。

「今いくつよ?」
「16。高一だよ」
「高一!? お前マジで何食って生きてんの」
「米」
「いや、クソ真面目に答えなくていいから」

 ハテナマークを浮かべながらこちらを見る純粋な目が眩しすぎて驚く。冗談が通じねえのなんのって騒ぎじゃない。どうやったらこんなに真面目に育つんだと疑問に思うが、そう言えばレンの両親は真面目な人達だったと思い出して疑問にすぐ解が出た。


「両親は元気にしてるか?」
「相変わらずだよ。翔ちゃんのこと、心配してた」
「有難いわ。俺は元気ですって言っといてくれよ」
「俺も心配だった。翔ちゃん会いに来るって言ったのに、会いに来てくれなかったから」
「レン……」

 先程のクールなレンはどこへ行ったのやら。子供の頃に戻ったみたいな物言いに胸が締め付けられる。レンに約束していながら、叔母に引き取られてからというもの自分のことで精一杯で、正直今日会うまではレンのことなど忘れていたというが本音だった。

「わりぃな」
「だから、今日会いに来たんだ」

 真っ直ぐな視線が俺を射抜く。会いたいとずっと思ってくれてた人がいてくれて、嬉しいと素直にそう思った。

「ありがとな。マジ驚いたわ。てか、なんで今日来たんだ? なんかあったか?」
「…………。別に」
「いやいや、今なんか考えてただろ」
「そんなことないよ」


 ふふっと怪しげに笑ってみせるレンに、きゃー俺狙われてるー怖いー、とふざけてみせれば、その態度の方が怖いんだけどとまたクソ真面目に返されて黙らざるをえなかった。



「やべ。冷えてきたわ」

 でかいくしゃみを2回続けてしたあと、ブルっと震えた体からのサインを受け取る。

「上裸でいるからだよ。風呂でも入ってきたら?」
「客人が来てるのに、本人風呂ってどーよ」
「その客人がいいって言ってるんだから、いいよ。風邪引かれる方が迷惑」
「お前辛辣ってよく言われない?」
「言われないよ」
「まぁ、ぱぱっと入ってくるわ」

 まぁレンがいいならいいかと思い立ち上がる。ごゆっくり、と呟いたレンはスマホをいじっていた。





 冷たくなった体に染み渡る暖かいシャワー。雨に打たれた髪の毛と体を洗った。今日は昔のことを思い出すことが多かったからか、背中の傷が少しだけ痛んだ。

「くそ。まだ痛むのかよ」

 頭からシャワーを浴びながら、鏡に手をつく。母さんは今どこで何をしているんだろう。不意にくだらないことが頭をよぎった。胸糞悪くて、シャワーを止めて風呂場を出た。

 それと同時にチャイムが鳴る。

「やべ」

 誰が来たかもわからないし流石に全裸のまま出るわけにはいかないので、急いでパンツを履いてジャージととシャツを探していた時、玄関を開く音が聞こえた。

「はい」

 初めて来たはずなのに、まるでここの住人かのように軽やかにレンは扉を開けた。

「え、だれ…ですか」

 聞こえた消え入りそうな声は先程別れを告げた女のもので、頭が痛くなる。まずい。早く行かないと。

「翔ちゃんなら今風呂はいってますけど。どなたですか?」
「翔太の彼女です。入れてください」
「いや、僕が勝手に入れるわけには」
「なんで来たんだよ」
「翔太っ!」

 濡れたままの髪で急いで玄関先にでると、瞬時に抱きつかれる。レンがいるのにお構い無しかよ。


「私別れたなんて認めないから」
「いや、困るわ。わりぃレン、奥いっててくれよ」


 抱きついてきて泣いてる女を引き剥がしながらレンにそう告げると、レンは感情のない瞳でこちらをみていて少しぞっとする。兄貴みたいな存在の俺のこんな姿をみて軽蔑したのかもしれない。くそ。



「スパッと別れられない女嫌いなんだよ」
「なんで……お前とが1番長く続いてるって言ってたじゃん…」
「お前がめんどくさくない女だっただけだよ。でも、今のお前はめんどくさい。だからどっちにしろ無理って言ってんの。じゃ」
「待ってよ!」
「しつけーな」

 扉を閉めようとすると腕を引っ張って阻止する女に心底めんどくさいと思ったその時だった。


「すみません」


 バッという音がして、すごい勢いで後ろへ引っ張られた。背中には暖かい温度。後ろから抱きとめられる腕はレンのもので。

「ちょ、おま、なにして」
「黙って」
「!?」

 混乱している思考の中後ろを向いた途端、目の前に広がるのは目を閉じたレンの姿。冷たくて少し乾いた感覚が唇に伝って訳が分からなくなる。男と口付けを交わしているなんて意味がわからなくて、手でレンを押してみるが体格差からかビクともしない。

「っ──レンっ!」
「すみません。俺のなんで諦めてくれませんか?」
「はっ!?」
「………っ!」
「えっ、まっ、えっ?」

 女は泣きながらドアを開けて走り去っていった。キイと音を立てながら、ドアが閉まる。痛いほどの沈黙が俺達の間に流れる部屋の中、体が硬直してレンに抱きしめられたまま動けないでいた。



「ナニイマノ」
「よかったね。行ったよ」
「いや、良くないからね。元カノにホモ宣言って」

 レンは俺にとって弟みたいな存在だったし、昔もそうして接してきた。5個下の男に唇奪われるとか本当に笑えない。怒ったらいいのか笑えばいいのか、何をどうすればいいのか全く分からない状況に陥ってレンを見れば、レンは先程とは違い瞳に熱を灯しながら俺を真っ直ぐに見つめている。

 その真剣な眼差しにどくんと心臓が鳴ったのは、警鐘だろうか。



「俺は本気だから」



 レンのお兄ちゃんとしてはこの先を聞いてはいけない気がして上手く誤魔化そうと紡ぎ出す言葉を頭の中に浮かばせようとしたけれど、何せさっきのキスを思い出して頭が真っ白になってるものだから、何も浮かばず、あはははと笑うことしか出来ない


「えーと? レンくん?」
「俺言ったよね、さっき」
「さっき?」


 嫌な予感しかしない。どうすればいいんだ。

「翔ちゃんが大好きだったって」
「…………ははっ。………まじか」


 上から降ってくる真剣な眼差しを受け止めきれなくて、目をそらすことしか出来なかった。



 波乱万丈な日々の幕開けの予感がした。





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