「何だか今とても気分が良いんだ……」

口の端を大きく吊り上げつつ、かといって酔っている風でもなく、彼女は背筋を駆け上がる昂揚に、身震いした。
数多の星が瞬く夜空で、自分の世界を遠慮無く展開させている彼女を尻目に、人識はため息を漏らす。

「ああ、そうかい。んで、もう気は済んだか?」

咋に辟易した様子を醸し出しながら、彼はくわっと一際大きな欠伸をした。時刻はとうに真夜中に突入している。良い子は既に惰眠を貪っている、そんな時分。
健全な生活、とは決して言わないが、それなりに学校生活を謳歌している人識にとって、この時間帯まで眸を開けていると、偶にうつらうつらしてしまうのが本音である。
そんな気乗りの微塵も無い様子に、つい先刻まで吸い込まれそうなほど暗澹としていた夜空に、両腕を広げて感じ入っていた少女は、眉を吊り上げた。気分を害された、と暗に、ではなく一目でわかる。

「折角の盛り上がった気持ちに水を差さないでおくれよ」

「だあってよお……俺、なんでここにいんのかすらよくわかってないし」

「――ああ、そうか。まだ何も説明してなかった」

「そうだよ。何の事情説明もなしに拉致られて連れてこられた俺の身にもなれ」

全く、お前は人類最強かって話だ。
恨みがましげに、けれど微かに諦観を含んだ眼差しを、暫し黒髪の女へと向けていた人識だったが、進展の見えないやり取りに、ばたん、と地面へと身を倒すことで、逃げ出した。

何処までも続く地平線。
ここが何処だか人識は知らない。
連れ去られている間、束の間の睡眠を摂りつつの移動に、元居た場所から、それなりに距離は離れているらしいと、見当をつけてはいたが。
でも、こんなところに、一切合切覚えは皆無だ。
寧ろ、日本なのかすら不明なのだ。生憎、人識に距離感覚などは期待できない。
ただ飛行機にも乗ったし、こんなだだっ広い荒野が存在を許されるのは、もっと領土に余裕のある国なんだろうなぁ、と外国説を有力化した。
あながち、外れてもいないだろう。

「そうさな………ここは、数年前の同じ日に、一度僕が死んだ場所、とでも言おうか」

「………はあ?」

聞き捨てならない言に、怪訝な声を上げると、彼女は空の星を仰ぎ指折り数えながら、人識の疑問をまるっきり無視して呟いた。

「ここの星はやはり幾許も変わらないな。数も輝きも」

それ以上答えるつもりは無いらしいことを悟った人識である。

「数えたことがあんのかよ」

話を溝に捨てられる経験は、この女に対してそう珍しいことではない。慣れは彼を強かにしていた。今では新しく振られた話題にも、違和感無くついていける。

「あるよ。酷く気の遠くなりそうな時間の内で、空を見る以外この場所での時間潰しが無かったからね」

裏を返せば、そうでもして時間を潰さないと、その時間に呑み込まれそうになっていた、ということで。

切り取ったように、時間が遅々としか進まないこの空間で、星の鑑賞を終えた彼女は、寝っ転がって如何にもつまらなそうに、空を見上げる人識に笑った。

「もう空を見上げるのは飽き飽きなんだよ。だから、いつか僕はこの空を見下ろすって決めたんだ」

「かはは。空を見下ろすって、明らかに矛盾してんじゃねえか。だって、空は上にあるもんだ」

その言葉に、彼女は唯笑うのみで、答えなかった。


首を落され聖者は嗤う

(地に伏して、上だけを見上げる日々は、とてもとても退屈だったんだ)
(だから、僕は、いつか)

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