その日は後から思うと、拍子抜けするくらい至って普通に始まって、至って変わり映えのしない進みを見せていた。
その日から、私の世界には亀裂が走っていたというのに。


授業と授業の合間の移動教室。別段話題に窮していた訳でもないはずだが、唐突に隣を歩く洸莉が視線を私の胸元に注いでふと間延びした声を漏らした。

「ああ、ねえ、柚聆今もあのネックレスしてるのー? ほら、鍵の形した奴」

「うん、してる」

出し抜けに話題の渦中へと引っ張りだされたネックレスは、元は装飾の鍵だけで、私がチェーンに通して首に引っ掛けられるように改造したものである。
その鍵自体も、少々凝った意匠で、持ち手側は複雑に織りこまれていて、中央に何かの花の形を模された碧の輝石が黒く縁取りされて鎮座している。
因みに肝心の花について、私の乏しい記憶の中を弄っても該当する植物に心当たりは無く、これを発見した当初から日頃気に留めていても、それらしいものは見当たっていない。もしかしたらオリジナルで現実には存在しないのかもしれないと、もう最近では探すことすら放棄しつつある。

「今まで言う機会が無かったけどさ、肌身離さず着けてるし、何か思い入れでもあるの?」

「思い入れは、特に無いな。なんか家の奥にずっと仕舞われてて、偶々発見した。一目見て気に入って、思い切ってお母さんに訊いたら快く譲ってくれたんだ」

そんな経路を経て、今それは私の手元にあるわけだ。そもそも母は鍵の存在すら知らなかったらしい。家の生理整頓掃除の一切に関与していない父なら兎も角、母までも首を傾げるものだから、どれだけ長い間埃を被っていたかがよく呑み込める。咋に実用的な外装もしていなかったし、きっと何かお飾りの装飾品だろうというのが今までの結論。
これといった思い入れ自体も特に無い。
制服のシャツの上からゆっくり金属の触感に指を這わせながら、あらましを説明すると、洸莉はじゃあ買ったものじゃないんだ、と落胆の声を上げた。あわよくば自分も同じものを揃えようと狙っていたらしい。薄々気付いてたけど。
残念だったね、とからかう様に囃し立てつつも、内心では何故か穏やかな息が広がる。
私、別にお揃いを敬遠してるわけじゃないのに。湧きあがった安堵に不思議な心地だった。

拗ねて真横で引き結んだツインテールの片方を指で弄り始めた洸莉。
いつもの癖だと注意した。彼女はばっと手を降ろす。洸莉は慌てたり、自分の思い通りにならないことがあると、こうした癖が無意識に表層に浮かぶ。ぶりっ子みたいで嫌だと猛反発して、自らを律しようと決意したは良いものの、まだまだ改善への道のりは程遠い。
私が注意するまで気づかないことも少なくない。
意志が弱いんじゃないと思うんだけど、やっぱり雀百まで踊り忘れずってやつなのか。その仕草のお陰で、実年齢以上幼く見える友を見遣って小さく笑った。

移動先の音楽室が前方に姿を現し始めたところで、そのまた進んだ先に特徴的な―――最早そんな一言で片付けられない蛍光色が存在感を遺憾無く発揮していた。目にしてひくりと口元を震わせる。
うわ、最悪。

「……黒崎君だ」

隣で洸莉が呟いた。弱々しい声色で、若干震えているようにも受け取れる。苦手意識がある、と以前教室でぼやいていた。
私は特に何の感情も抱いていない。抱かないが、接近は極力避けたい、それが本音。
近づく近づく。予備動作もなしに唐突に海に呑まれたときのような感触が肌を包んで、汗が背を伝った。ああ、良かった今日は幸運だ。とても軽い!
黒崎一護が忙しなく駆け足で擦れ違うと、隣から詰めていた息を吐く音がした。
苦手だからって息を止めるなと言いたい。

「はあ……流石目立つ……一発で誰だか丸判りだよ。なんか一人だけ群を抜いてるもん。お陰ですぐに見つかるからいいけどさー」

「―――あの髪じゃ、目立つ以前の問題だよ」

息が整ってから同意した。

黒崎一護。同い年。
滅多なことじゃお目にかかれないオレンジ色の髪に、少し不良を思わせる厳つい顔の造り。要は目つきが極めつきに凶悪。喧嘩も外見を裏切らず専ら強い。
そんな彼は殊の外空座第一高校での有名人だった。
上級生に目を付けられないように、普通なら無理をしてでも髪を黒に染めるところを、彼は入学当初から頑なに拒み続け、痺れを切らした先輩をも返り討ちにし、誰にも睨まれない平穏な日々を手に入れた。今となっては、誰も進んで喧嘩を売ろうなんて自殺行為はしないのだという。そんな不良情報は私にとって些事にしかならないけど、自然に耳に入るというもので。
我を通しても許される、許される術を持っている、それは何とも羨ましい。一般人な私にしてはその自由さに憧れもする。だからといって間違っても同じ行動をとりたいとは思わない。これは皆の共通認識であろう。
彼個人へ眉を顰めこそしないが、関わることなんて以ての外だ。
無関係であるから、何をしようと無視できる。

さりとて、彼が実は勉学面に置いても優秀な成績を収め続けている、というところにそこはかとない気に喰わなさは感じるけども。


増殖した有象無象の薄血
(私だって勉強してるんだけど、やっぱり元から頭良い人には敵わないってことか)
(理不尽な気がするよ。なんでいつもいつも『私たち』だけ)

 
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